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第8話 性同一性障害はトランスジェンダーの訳語ではない
身体の性と心の性が一致しない
第5話、6話でトランスジェンダーや性同一性障害という言葉に触れました。人によっては、トランスジェンダーの日本語訳が性同一性障害だと思ったり、トランスジェンダーと同性愛を混同しているかたもいるようです。今回は解説モードでお送りします。
LGBTのTにあげられているトランスジェンダーは、生まれ持った身体的性別にたいして違和を感じる、身体の性と心の性(性自認)が一致しない状態をいいます。それに対して一致している状態は、シスジェンダーでした。
もう少していねいに言えば、男や女という身体の性別に合わせて社会が設定している男女の性別(それがジェンダーですが)に自分を合わせることに違和感がある、ということでしょうか。その時代その時代のジェンダー規範に違和を感じるトランスジェンダー的な人は昔からいたようで、日本でも「とりかへばや物語」(平安後期成立)など古くから文学作品のモチーフにもなっています。
心の性別に注目して、生まれた身体は男性だが女性として自分をとらえたい人をMTF(エムティーエフ、Male To Female)、生まれた身体は女性だが自分を男性ととらえたい人をFTM(エフティーエム、Female To Male)と呼んでいます。ただ、心の性別をどうとらえればいいかよくわからない、あるいは決めたくない人もおり、そうした人のことをXジェンダーと呼んだりします。
よくトランスジェンダーの説明に、「体は男(女)、心は女(男)」とあったりしますが、新聞の短い行数ではしかたないとはいえ、こういう表現を見ると私はいつも、男の着ぐるみの背中のチャックを下ろすと、中から女が出てくるマンガのような場面を思い浮かべてしまいます。もちろん、トランスジェンダーとはそういうものではありません。
性別違和の苦しみをどのように解決するか
トランスジェンダーは身体の性別と心の性別にずれがある人たちですが、このずれによる心の苦しみをどのように解決するかというところで、さまざまなパターンがあります。
社会的に異性の性役割と考えられていることを行うことで、苦しみを減じようとする人たちもいます。異性装――女装あるいは男装、化粧、あるいは外から見えなくても異性の下着を身につけるなど――はよく行われます。日常は身体の性別にもとづくジェンダーで過ごし、一時的に異性装などを行うことで心の平衡を回復し、またもとのジェンダーに戻る人もいます(多くはそのことを家族をはじめ周囲には秘密にしています)。異性装へこだわりがある人を、とくにトランスヴェスタイト(異性装者)と呼んでいます。
ジェンダークリニックなどでホルモン投与を受け、それらしい身体への移行をはかる人もいます。
さらに、性別適合手術によって違和を解消する場合もあります。MTF(男性から女性へ)の場合、男性器の除去や膣の造設、乳房の造設など。FTM(女性から男性へ)の場合、乳房の除去やペニスの造設などがあります。男女とも生殖腺の除去が行われます。こうした人たちを、トランスセクシュアルと呼んでいます。
トランスジェンダーにも、広義から狭義までさまざまなスタンスがあることがわかります。同時に、他方の性別への移行(トランス)による違和の解決は、男女の二元論や既存ジェンダーの存続を前提としています。FTMの人がフツーの男性以上に男性性を、MTFの人がフツーの女性以上に女性性を求め、その「パス度」をめぐって当事者内に微妙な感情の交叉があることは、ゲイの私も知らないことではありません。自身を苦しめるジェンダー規範へ適合することでしかその苦しみを越えられないのか、という解放運動における難問(アポリア)へは、同性婚を求めることが既存の結婚制度や戸籍制度の温存に手を貸すことにならないのかという別の難問を抱える「隣村」の住人である私も、ヒリヒリするような関心を抱いています。
ところで、みなさまもどこかで耳にされている性同一性障害とは、なにを指す言葉なのでしょう。
日本では自分の望む性別に戸籍上の性別を変更するためには、2人以上の医師により性同一性障害との診断を受け、そのうえで性別適合手術をするなどいくつかの要件をクリアしていることが定められています(性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律)。性同一性障害は、戸籍の性別変更や国内での手術のための医学的な診断基準であって、トランスジェンダーと概念上のずれがあったり、指す人びともその一部であることを意識する必要があるでしょう。
性同一性障害という概念について、世界的にも、また日本の当事者のなかからも、現在さまざまな見方が出されています。いずれ整理してお伝えしたいと思います。
トランスジェンダーと同性愛はなぜ混同されるのか
ところで、トランスジェンダーと同性愛はよく混同され、私がゲイだと言えば、「じゃ、心は女なの?」と聞かれることもあります。これまでの連載で、性自認と性的指向をご理解くださったかたには自明でしょうが、世間的には両者の誤解はなお根強いようです。
トランスジェンダーの場合も同様で、MTFの人が柔和な姿態で、ときに女装して、男性への恋慕を口にすれば、人はそれを「同性愛」だと思うのかもしれません。
しかし、多少、頭の体操めきますが、本人は自身を女性と感じ、女性として自身の性別とは違う性の人へ性的感情を抱くなら、それは異性愛、MTFヘテロセクシュアルかもしれません。また、MTFの人が女性への性愛を感じていれば、見かけ上は男女カップルに見えますが、本人の内心では女性どうしのホモセクシュアルかもしれません(実際には、内心の違和感を押し殺し、自身を「男性」と思うよう励ましながら女性との結婚へ進む当事者がほとんどだと思いますが)。
FTMの人と女性とのカップルは、レズビアンカップルに見えても、本人の内心ではヘテロセクシュアルなのかもしれません。私の狭い見聞ですが、レズビアンカップルの結婚式では一方が男装していることが多く、レズビアンにはFTM傾向の人も重なっているようです(それが日本の特徴なのか、欧米のレズビアンコミュニティでも同様なのか、ちょっと調べてみたいと思います)。逆にFTMの人と男性は男女カップルに見えて、じつは本人の内心では男性同性愛ということもありえます。
従来、既存の性別二元論からはずれるものをすべて「変態」と括ってきたなかで、トランスジェンダーと同性愛は混同されてきたのでしょうが、場合分けしてほぐしてみれば、ことさら奇とする話ではないのかもしれません。
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