フランシスコ教皇死去 ローマ教皇庁 2019年訪日 核廃絶訴え

ローマ教皇庁は21日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が亡くなったと発表しました。88歳でした。
教皇は貧困や気候変動などの問題に取り組み、各地で続く紛争の平和的な解決を求めたほか、日本の被爆地を訪れて核兵器の廃絶も訴えました。

フランシスコ教皇はアルゼンチン出身で、2013年に中南米出身者として初めて教皇に選ばれました。

在任中、世界的に貧富の差が拡大しているとして格差の解消を訴え、貧しい人々の救済にあたったほか、難民や移民の保護や気候変動への対応を呼びかけるなど、地球規模の課題解決に向けて積極的に発信してきました。

2019年には、ローマ教皇としては38年ぶりに日本を訪れ、被爆地の広島や長崎でスピーチを行い、広島では「核兵器は使うことも持つことも倫理に反する」と述べ、核兵器の廃絶を強く訴えました。

2022年2月に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻については、繰り返し平和的な解決の必要性を呼びかけたほか、2023年10月にイスラエルとイスラム組織ハマスとの戦闘が始まってからは、一刻も早い停戦とガザ地区での人道状況の改善を求めてきました。

また、フランシスコ教皇は質素な暮らしぶりや信者とふれあう気さくな人柄でも知られてきました。

ただ、ここ数年は健康不安がとりざたされ、入退院を繰り返し、ことし2月14日から1か月余りにわたって、気管支炎の治療と検査のためイタリアの首都、ローマの病院に入院していました。

ローマ教皇庁によりますと、教皇は現地時間の21日午前7時半すぎ、亡くなったということです。88歳でした。死因は明らかにしていません。

ローマ教皇庁は、教皇の遺体は、教皇自身が生前に承認した葬儀の式典に関する典礼書に沿って取り扱われるとしています。それによりますと「亡くなったことの確認は、教皇が死去した部屋ではなく礼拝堂で行われ、遺体はただちにひつぎに納められる」ということです。また、教皇は、自身の葬儀を簡素化するよう要請していたということです。

石破首相談話「広島 長崎訪問し平和へのメッセージ発信」

フランシスコ教皇が亡くなったことを受けて石破総理大臣は談話を発表しました。

この中で、石破総理大臣は「深い悲しみを禁じえません。強い発信力をもって環境保護や平和外交の推進などに尽力され、2019年に教皇として38年ぶりとなる訪日を実現されると、広島と長崎を訪問し、平和への力強いメッセージを発信してくださりました」としています。

その上で「これまでのご功績に心から敬意を表し、日本政府および日本国民を代表して心から哀悼の意を表します」などとしています。

被爆地 広島から追悼の声

フランシスコ教皇は、2019年、ローマ教皇としては38年ぶりに被爆地の広島を訪れ、この際に行ったスピーチでは「核兵器は使うことも持つことも倫理に反する」と述べ、核兵器の廃絶を強く訴えました。

このとき、教皇を前に被爆者の代表の1人として証言した梶本淑子さん(94)は「握手をしてくださり、あたたかい方でした。『片手に武器を持ったまま平和を唱えられない』と言われたのが頭に残っています。亡くなったと聞いて力が抜けたような気持ちになってしまいましたが、私も出来るかぎりは活動を続けていきたいと思います」と話していました。

梶本さんは今も証言活動を続けていて、教皇に伝えたいこととして「あなたの遺志を、小さな小さな私ですがつなぎたいと思います。『安らかにお休みください』と伝えたいです」と話していました。

また、フランシスコ教皇が広島を訪れた際に開かれた「平和のための集い」に招待され、教皇と握手をした被爆者の森重昭さん(88)は「教皇は広島に来ていろいろなお話をしましたが、平和のために自分はここにおるんだという思いを持っていました。世界でいつ核兵器が使われるか分からない中で、核の恐ろしさを話してくださった教皇が亡くなったことは、返す返す残念です」と話していました。

広島市の松井市長は「フランシスコ教皇は、平和公園での演説の中で『核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています』、また『真の平和とは、非武装の平和以外にありえません』と述べられました。このことは、世界の為政者に向けた力強いメッセージの発信になるとともに、『ヒロシマの心』に通じる教皇の思いは、核兵器廃絶を願う世界中の多くの市民を勇気づけました。改めて、原爆がもたらした悲しみや苦しみに心を寄せ、核兵器もない戦争もない真に平和な世界を願い、行動を続けてこられた教皇に対し、深く敬意を表すとともに、謹んで御冥福をお祈り申し上げます」とコメントしています。

被爆地 長崎からも

フランシスコ教皇は、2019年11月24日に長崎市を訪問した際、核兵器廃絶に向けたメッセージを発信し、原爆で破壊された教会、浦上天主堂のがれきの中から見つかった「被爆十字架」と「被爆マリア像」に触れたうえで、すべての人が一致団結して行動を起こすよう求めました。

日本被団協の田中重光代表委員
は、教皇が2019年に長崎市の爆心地公園を訪問した際の様子について「非常に長くお祈りをしてくださった」と振り返りました。

そのうえで「体調が回復したときには喜んでいたので、亡くなって非常に残念だ。教皇の平和へのメッセージが今戦争をしている国に届いてほしかった」と話していました。

日本被団協の代表理事で被爆者の横山照子さんは、教皇が2019年に長崎を訪れた際に、爆心地公園で直接、メッセージを聞きました。

フランシスコ教皇が亡くなったことについて、横山さんは「本当にびっくりした。青天のへきれきで、今世界で戦争が起きている状況を鎮めてほしいと期待をしていたので、本当に残念でしかたが無い」と話していました。

そして、2019年当時を振り返り、「近寄りがたいけれど、近寄ることができるような親しみやすい教皇だった。核兵器はなくさないといけないというメッセージをくださり、なくしていく一員として、私自身最後まで頑張れると思ったし、世界にメッセージを発してくださり心強くも思った」と話していました。

その上で、「戦争を鎮めるという志の半ばで亡くなられたので、次の教皇にも平和のために後を引き継いでほしいし、核兵器は人類の悪だと捉えてメッセージを発してほしい。爆心地でお会いした優しい姿を忘れず胸に刻んで、核兵器廃絶のために一生懸命頑張っていきたい」と話していました。

長崎の被爆者で日本被団協の和田征子事務局次長は、2017年11月にバチカンで開かれた核兵器廃絶を目指す国際会議でフランシスコ教皇と面会しました。

和田さんは「お会いした時は見たとおりの優しい方だという印象でした。核兵器は持っているだけでも非難されるべきだと発言をされたり、原爆投下後の長崎で撮影したとされる『焼き場に立つ少年』の写真を配布するよう指示したりするなど、被爆者をはじめ差別を受けた人たちに寄り添ってこられた方でした。突然の訃報にびっくりしておりとても残念です」と話していました。

同じく長崎の被爆者で医師の朝長万左男さんは、去年11月にバチカンを訪れた際に教皇と面会し、ことばを交わしたということで「去年、教皇のもとを訪問した際には、『平和のために頑張ってください』とお祈りをしてくださった。ささやかな祝福をしてくださったあと、いっしょに訪れた一人ひとりに握手をしてくれました。回復されたと思っていたので驚きました」と話していました。

また、フランシスコ教皇が2019年に長崎などを訪れた際に通訳を務め、教皇になる前にはアルゼンチンの神学校で直接指導を受けたことがある、長崎市の「日本二十六聖人記念館」の館長 レンゾ・デ・ルカさんも取材に応じました。

レンゾさんは「心が広く、人の弱さを受け止められる人でした。失ったものは大きいです」と述べました。そのうえで「教皇は誰が味方か敵かなどを考えず、とにかく平和を望んでいて、どうすれば今起きている戦争を終わらせられるかを考えて、自分のできることを行っていました。自分が生きている間に平和な世界が実現できなかったので、残念でつらかったと思う」と話していました。

袴田巌さんに無罪判決祝う手紙も

再審=やり直しの裁判で無罪が確定した袴田巌さん(89)は死刑囚として収容されていた際、東京拘置所で洗礼を受けてカトリック信者になり、2019年には、フランシスコ教皇が東京ドームで執り行った大規模なミサに招かれました。
また、ことし2月には教皇の意向で、ローマ教皇庁から無罪判決を祝う手紙とロザリオが袴田さんのもとに届いたということです。

袴田さんの姉のひで子さん(92)は「入院していると聞いていましたが、突然、亡くなったと聞いて驚きました。ミサにお招きいただき、それ以外のところでも気にかけていただいて大変ありがたく、心強さを感じました」などとコメントしています。

上智大学運営法人の元理事長 “庶民的で父親のよう”

フランシスコ教皇に4回面会したという上智大学を運営する法人の元理事長で、現在、東京・千代田区の聖イグナチオ教会で主任司祭をつとめる高祖敏明さんは「これまで全力疾走に近い形で、教会を引っ張ってこられたので、悲しさももちろんありますが感謝の気持ちが強いです。以前に面会した際は『パラセーラ』=こんばんはから始まりましたが、そんな教皇はいなかった。庶民的で飾らない姿が印象的でした」と話していました。

フランシスコ教皇は2019年に来日した際、上智大学で大学生に講話を行っていて、このときも高祖さんと面会しています。高祖さんは「父親のようにコミュニケーションをとってくださる方でした。若者を大事にしていて、若者たちに『これからの時代をリードしてほしい引っ張ってほしい。あなたたちはこれからの時代を担っていく、そういう責任があるんですよ』と非常に強調してお話になっておられました」と振り返っていました。

万博会場にはバチカン国旗の半旗

教皇の死去を受けて、大阪・関西万博でバチカンが共同で展示を行っているイタリアパビリオンでは、急きょバチカンの国旗の半旗が掲げられました。
イタリアパビリオンの前にはイタリアとバチカンの国旗が掲げられていますが、バチカンの半旗で訪れた人たちは教皇が亡くなったことを知りさびしそうな表情を浮かべていました。

フランシスコ教皇 2013年に教皇就任

フランシスコ教皇は、1936年にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生まれました。20歳の時に聖職者の道に進み、16世紀に日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師フランシスコ・ザビエルらが創設した修道会、イエズス会に入りました。

聖職者としてほとんどの期間を故郷のアルゼンチンで過ごし、貧しい地区での活動に力を入れ、ブエノスアイレスのスラム街で人身売買の被害者や低賃金の労働者を支援し、地元のマフィアから脅迫を受けることもあったといいます。

2013年にローマ教皇に就任した際には、貧しい人のために尽くした中世のイタリアの聖人「フランシスコ」の名前を選び、貧しい人たちのための教会を目指す考えを示しました。

教会改革を推進 核廃絶訴え来日

カトリック教会の改革を進めたことでも知られ、バチカンの財政をめぐる不祥事や聖職者による性的虐待の問題などに取り組んできました。また、移民や難民の問題や気候変動、AI=人工知能など地球規模の課題について積極的に発信してきました。

このうち核兵器をめぐっては2017年、バチカンは国家としていち早く核兵器禁止条約を批准しました。フラシスコ教皇は、核兵器の使用に加えて、開発も保有も一切禁止すべきだという歴代の教皇よりも踏み込んだ姿勢を打ち出し、2019年にはローマ教皇として38年ぶりに日本を訪れ、被爆地の長崎と広島で核兵器の廃絶を強く訴えました。

紛争の平和的な解決を訴えてきたことでも知られ、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻や、パレスチナのガザ地区でのイスラエルとイスラム組織ハマスとの戦闘などで、繰り返し停戦と人道状況の改善を呼びかけてきました。

中国との関係改善 批判も

一方で、議論を呼ぶ決断もしていて、2018年にはバチカンが、これまで外交関係のなかった中国との間で中国国内のカトリック教会の司教の任命方法をめぐり暫定合意し、関係改善を進めました。この際には、宗教への介入を強める中国政府に譲歩した結果だとして批判の声も上がっています。

11年を超える在任中、カトリック教会の信者が比較的少ないアジアや中東なども積極的に訪れてきたほか、ユーモアを交えた会話や信者とふれあう気さくな人柄で知られてきました。

ローマ教皇 カトリック教会の最高指導者

ローマ教皇は、13億人の信者がいるローマ・カトリック教会の最高指導者で、「イエス・キリストの代理人」とも位置づけられています。最初のローマ教皇はキリストの使徒聖ペトロだとみなされていて、フランシスコ教皇は266代目でした。

ローマ教皇は800年にカール大帝の戴冠を行ってドイツ周辺に樹立された「神聖ローマ帝国」の権威づけになったほか、11世紀にはイスラム教徒から聖地エルサレムの奪還を目指す「十字軍」の結成を呼びかけました。

16世紀にはカトリック教会の信仰のあり方に異論を唱えるプロテスタントの諸教会が生まれるなど宗教改革が起きるなか世界中への布教活動を進め、日本からイタリアのローマに派遣された「天正遣欧少年使節」がグレゴリウス13世に謁見しました。

現在のローマ教皇の主な役目はミサなどの宗教的な行事を執り行うことやカトリックの布教活動などです。また、バチカンの国家元首として立法、司法、行政の全権を行使します。

国際世論に強い影響力 来日した教皇は2人

一方、紛争や災害など世界的な問題についての発言は国際世論に強い影響力を与えてきました。

1978年から2005年までローマ教皇だったヨハネ・パウロ2世は、1979年に社会主義政権下の母国ポーランドを訪問し、その後の民主化運動を主導した自主管理労組「連帯」の精神的な支えとなり、東ヨーロッパの民主化を後押ししたともいわれています。

また前の教皇のベネディクト16世は避妊や人工中絶などに強く反対する保守派として知られ、就任後もこうした立場を表明していました。

フランシスコ教皇は、核兵器の保有自体を認めない姿勢を打ち出し、バチカンとして核兵器禁止条約に批准しました。

これまでに日本を訪れたのは1981年のヨハネ・パウロ2世と2019年のフランシスコ教皇の2人で、いずれも広島と長崎で原爆の被爆者と交流するなどして核廃絶を訴えました。

各国首脳らも追悼

アメリカのトランプ大統領はホワイトハウスで行われたキリスト教の復活祭を祝う催しで演説し、フランシスコ教皇を悼み、半旗を掲げるよう指示したと明らかにし「彼はよい人だった。一生懸命働き、世界を愛していた」と述べました。

このあと、ホワイトハウスではアメリカ国旗を半旗にして掲げ、フランシスコ教皇に哀悼の意を表しています。

アメリカのバンス副大統領は追悼のメッセージをSNSに投稿し、「フランシスコ教皇の訃報に接しました。教皇を愛した世界中の何百万人ものキリスト教徒たちに心からお悔やみ申し上げます」と述べました。

バンス副大統領は、フランシス教皇が亡くなったと発表された前日の20日、現地で教皇に面会しており、握手を交わしたり、教皇が笑顔を浮かべたりする場面もありました。

バンス副大統領は、「きのうは明らかに容態が悪かったにもかかわらず教皇に会うことができて幸せでした。教皇が新型コロナウイルスの感染が始まったころに行った説教をずっと覚えています。本当に美しいものでした。ご冥福をお祈りします」と投稿しています。

ウクライナのゼレンスキー大統領は21日、SNSにフランシスコ教皇と握手をする写真とともに追悼のことばを投稿し、「教皇は希望を与え、祈りを通じて苦しみを和らげ、 調和を育む方法を知っていた。 また、ウクライナの平和とウクライナ人のために祈った。 私たちは、カトリック信者とすべてのキリスト教徒とともに悲しみを分かち合います」と述べました。

ロシアのプーチン大統領は21日、大統領府のホームページに掲載されたメッセージで「教皇は在任中、ロシア正教会とローマ・カトリック教会の対話やロシアとローマ教皇庁の建設的な交流を積極的に促した。私はこの傑出した人物と何度も話す機会があり、彼との輝かしい思い出を永遠に持ち続けるだろう」と哀悼の意を表しました。

イスラエルのヘルツォグ大統領は21日、声明を発表し「フランシスコ教皇は困難な世界において平和を訴え、貧しい人々を励ますことに生涯をささげた」として、哀悼の意を表しました。

また、イスラム組織ハマスも「教皇は平和を訴え、ガザ地区でのパレスチナ人への戦争犯罪とジェノサイド、集団殺害を非難した宗教指導者の1人だった」と功績をたたえる声明を出しました。

イスラム教に基づいた統治を行なっているイランでも、外務省のバガイ報道官が21日の会見で「世界中のキリスト教徒のために哀悼の意を表し、神が教皇に平安と静けさをもたらすことを祈ります」と述べ、追悼しました。

イギリスのチャールズ国王は声明を出し「教皇は、その思いやり、教会の結束への思い、そして信者と、他者のために尽力する善意ある人たちが共有する使命へのたゆまぬ献身によって記憶されることだろう。地球を大切にすることは、神への信仰の表現であるという信念は、世界中の人々の心を強く打った」としました。

チャールズ国王は妻のカミラ王妃とともに、教皇と4月9日にバチカンで私的に面会したばかりで「王妃と私は、これまで教皇とお会いした際の思い出を特別な愛情とともに振り返っている。教皇が信念を持って仕えた教会、そして彼の生涯に心を動かされた世界中の多くの人たちに、心からのお悔やみと深い哀悼の意を捧げる」と、その死を悼みました。

イタリアのメローニ首相はSNSに、笑顔で手を振るフランシスコ教皇の写真とともに追悼のことばを投稿し「私は試練と苦しみの中でも決して絶えることがなかった友情、助言、教えを享受する機会に恵まれた。私たちは悲しみに満ちた心で教皇に別れを告げる」と述べました。

フランスのマクロン大統領は、SNSに教皇と一緒に写った写真とともに追悼のことばを投稿し「ブエノスアイレスからローマまで、フランシスコ教皇は最も貧しい人々に喜びと希望をもたらすことを望んだ。人と人、自然とを結びつけるために。すべてのカトリック信者に、そして悲しみに暮れる世界に思いを寄せます」と述べました。

ドイツのショルツ首相は21日、SNSに投稿し「世界は弱者の擁護者であり、温かい心を持った人物を失った」と哀悼の意を表しました。また、ドイツの次の首相への就任が見込まれているメルツ氏も「フランシスコ教皇は、社会のなかの最も弱い立場の人たちに対する尽きることのない献身で、記憶されるだろう」と投稿しました。

EU=ヨーロッパ連合のフォンデアライエン委員長は21日、自身のSNSに投稿し「教皇はカトリック教会を越えて、謙虚さと恵まれない人々に対する愛で、何百万人もの人々を元気づけた。私の思いは、深い喪失を感じているすべての人々とともにある」と哀悼の意を表しました。そして「教皇の遺産が、より公正で平和で思いやりのある世界へと私たちを導き続けてくれるだろう」としています。

フランシスコ教皇の出身国、アルゼンチンのミレイ大統領は21日、自身のSNSにアルゼンチンの国旗を持つ教皇の写真とともにメッセージを投稿しました。

この中で、ミレイ大統領は「さようなら。教皇が亡くなり、安らかに眠っていることを知り、深い悲しみを感じています」と追悼の意を示しました。

右派のミレイ大統領は、選挙戦の際に「教皇は殺人的な共産主義者に親近感を持っている」などと激しい言葉で教皇批判を展開したことで知られています。

そして教皇もミレイ政権の進める経済政策に批判的な姿勢をとってきました。

こうしたことを念頭にミレイ大統領は、投稿の中で「今では、ささいな違いだったと思えるかもしれません」とした一方で「彼の優しさと知恵に触れられたことは本当に光栄なことでした」と振り返りました。

台湾の頼清徳総統は21日、SNSに「台湾の人々を代表して心から哀悼の意を表します」と投稿しました。その上で「私たちは平和や世界の連帯、困窮する人々への教皇の生涯にわたる献身からインスピレーションを受け続けるでしょう」としています。
バチカンは台湾がヨーロッパで唯一、外交関係を維持している国で、台湾総統府はバチカンとの友好関係を引き続き深めていく考えを示しました。

アジア最大のキリスト教国で国民の8割以上をカトリック信者が占めるフィリピンのマルコス大統領は声明で、「本当に悲しいです。私は教皇を愛しています。私にとって、生涯で最高の教皇でした」と哀悼の意を表しました。

フランシスコ教皇は2015年にフィリピンを訪れて、台風の直撃で壊滅的な被害を受けたレイテ島の被災地を慰問したほか、首都マニラでも大規模なミサを行うなどして、経済格差や貧困の問題の改善を呼びかけました。

フィリピン大統領府は「教皇が疎外された人々に手を差し伸べることや、環境保護のために働くよう呼びかけた言葉を、フィリピンの人々はいつまでも忘れない」としています。

オーストラリアのアルバニージー首相は21日、声明を発表し、「南半球出身の初の教皇は、オーストラリアの人々に近い存在だった。教皇の人類への愛は強く深いものだった。慈悲の記憶と模範は末永く生き続けるだろう」と哀悼の意を表しました。

そして、フランシスコ教皇が2024年、インドネシアやパプアニューギニアを訪れた際に話した、「戦争と環境破壊の闇夜から抜けだし、私たちの共通の未来を新しく輝く夜明けに変えよう」という言葉を引用した上で、「私たちの共通の故郷である地球の叫びに耳を傾けるように世界に呼びかけた」と功績をたたえました。

岸田前総理大臣は、NHKの取材に対し「2022年にバチカンを訪問した際の会談では、深みのある話をさせてもらい、私にとって貴重な経験だった。最後にお会いしたのは、去年、イタリアで開かれたG7サミットのときで、フランシスコ教皇がAIの今後のあり方について宗教的な面からスピーチしていたのが印象的だった。心から哀悼の意を表したい」と述べました。

国連のグテーレス事務総長「思いやりという遺産残した」

国連のグテーレス事務総長は「フランシスコ教皇は、平和や人間の尊厳、社会正義を求める超越した声であり、信仰や奉仕、すべての人への思いやりという遺産を残した」と述べ、哀悼の意を表しました。

そして「分裂して調和のとれていない私たちの世界は、団結と相互理解というフランシスコ教皇の模範に従っていくならば、よりよい場所となるだろう」と述べ、志を継いでいこうと訴えました。

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