日本だったら「出禁」案件だったが…
起業から事業が軌道に乗るまでの約10年間は、想定外の出来事が相次いで起き、吉田の事業者としての器が試された。
ある時は、グルメソースの陳列をめぐって大手スーパーと対立に発展したこともあったという。
吉田は営業先のスーパーに、オリエンタル食品コーナーに置くのだけは避けたいという方針を説明していた。消費者が東洋人に限定されてしまうためだ。
にもかかわらず、ある大手スーパーで、グルメソースがオリエンタル食品の棚へと移動されていたことに気づき、すぐさま全商品を引き上げた。
「社員5人の赤字の会社なのに、大手スーパーを相手にケンカを売ってしまったわけですよ。相手のバイヤーは『何様のつもりだ!』と怒鳴り込みの電話をかけてきた。こっちも負けられないから、『約束を破ったのはそっちだ。こっちはアメリカ人に食べてもらいたくて頑張ってんや』と言い返した。
日本だったら即刻出禁だろうね。アメリカには相手の主張を正しいと思ったら、それを尊重する度量の広さがある。その翌日、グルメソースは最大手ハインツの隣に並べられるようになったんや」
大手企業が相手でも屈しなかった結果
日本のソースがハインツの隣に陳列されるのは、前代未聞のことだった。それがきっかけで、ヨシダフーズは醤油の仕入れ先の日系企業からいきなり醤油の値上げを通達され、圧力をかけられる。
値上げを見送ってほしいと担当者に頼んだが、担当者は「テリヤキ味が売れるのは、われわれがアメリカで何十年も頑張って浸透させてきたからで、いい気になるな」と吉田に釘を刺した。
「売られた喧嘩はたとえ王者からでも買わなアカン」と考える吉田はすぐさま、相手企業のライバル社に仕入れ先を変えた。
日系企業の圧力は、営業先のスーパーにまで及び、グルメソースが陳列棚の奥にずらされていたこともあった。また、ヨシダとの取引を見送ったほうがいいと言い回り、営業も妨害された。
しかし、最終的に10年後、ヨシダフーズが相手のシェアの6割を奪い、勝敗がついた。
「起業に一番必要なのは、自分より大きい相手に対して、なにくそと向かう気持ちだ。潰されないためにケンカ根性を発揮しないとアカン」
吉田はたとえ大手スーパーや大手食品メーカーが相手でも、彼らの要求が理不尽であればそれをはねのけ、自分の信念を貫いてきた。彼のそんな屈しない強さが、一代で事業を成し遂げる力になったことは確かだ。
(本文敬称略)
(後編へつづく)


