ローマ教皇フランシスコ死去、88歳 初の中南米出身でバチカン外交推進 19年日本訪問

20日、バチカンのサンピエトロ広場に姿を見せたローマ教皇フランシスコ(ロイター=共同)
20日、バチカンのサンピエトロ広場に姿を見せたローマ教皇フランシスコ(ロイター=共同)

【パリ=三井美奈】ローマ教皇庁(バチカン)は、教皇フランシスコが21日に死去したと発表した。88歳だった。世界13億人以上のカトリック信者のトップとしてバチカン外交を推進。2019年の訪日では被爆地・広島から、核兵器に反対するメッセージを世界に発信した。

教皇は20日、バチカンを訪れたバンス米副大統領と会見。キリスト教の復活祭に合わせ、紛争が続くウクライナや中東の和平を訴えるメッセージを発表したばかりだった。バチカン放送は、教皇が21日朝(日本時間同日午後)に死去したと伝え、「特に、貧しく阻害された人への愛を教えてくれた」と教皇をたたえる枢機卿の言葉を報じた。

教皇フランシスコはアルゼンチン生まれ。中南米出身者では初の教皇だった。イタリア系移民の家庭に生まれ、本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオという。地元の神学校を経て1969年に司祭となり、98年にブエノスアイレス大司教に就任した。13年、ベネディクト16世の生前退位に伴って、266代教皇に選出された。

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15年には、米国とキューバの約半世紀ぶりの国交正常化で「立役者」となった。当時のオバマ米大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長との橋渡し役を担った。他宗教との対話にも熱心で、19年には歴代教皇で初めてイスラム教発祥の地であるアラビア半島を訪れた。

アジア外交を重視し、韓国やフィリピン、モンゴルなど10カ国以上を訪問した。特に、1951年にバチカンが断交した中国の共産党政権との和解に強い思い入れを見せた。バチカンと台湾との外交関係を維持しながら、18年には中国と司教任命権をめぐる暫定合意締結に踏み切った。

会談に臨むローマ教皇フランシスコと安倍晋三首相(右、当時)=2019年11月25日、首相官邸(春名中撮影)
会談に臨むローマ教皇フランシスコと安倍晋三首相(右、当時)=2019年11月25日、首相官邸(春名中撮影)

19年の訪日は、教皇として38年ぶりだった。長崎に続いて、広島の平和記念公園を訪れ、核兵器を批判する演説を行った。核兵器の使用だけでなく、保有についても「倫理に反している」と踏み込んだ。

一方で在任中、カトリック聖職者による児童虐待疑惑が各国で広がりを見せ、試練に立たされた。「教皇庁は事件を把握しながら、十分に対応しなかった」という批判を受けた。

近年は健康不安を抱えており、車椅子で公式行事に参加することも多かった。今年2月、ローマの病院に入院。肺炎と診断されたが、約1カ月後に退院していた。

バチカンは教皇の死を受け、新教皇を選ぶため15~20日以内に「コンクラーベ」と呼ばれる会議を招集する。ミケランジェロの壁画「最後の審判」で知られるシスティーナ礼拝堂に枢機卿が集まって投票を行う。

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