ヘルンは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の兎を弑さねばならぬと決意した。
ヘルンにはポケモンがわからぬ。ヘルンは、フレイヤ様の侍従である。身の回りのお世話をし、時に女神の代理を務めて来た。
けれどもキビキビに対しては、人一倍に敏感であった。
「という訳で…………死ねえええええええええええ!! 屑ぅぅぅうううううう!!」
「うわあああああああ!? 何がという訳なのおおおおおおお!?」
この日の為に突貫で作成してもらった『兎殺しのナイフ』を片手に、ヘルンがベルに襲い掛かっていた。
フレイヤ・ファミリアの拠点である『
普段殺し合い同然の戦いで身を鍛え上げている
「屑、屑屑屑屑屑ッ!! ド屑ぅぅぅぅううううう!! フレイヤ様をキビキビさせておいて、白を切るつもりかああああああああ!!」
「その件は本当にごめん!! で、でもヘルンちゃん。フレイヤ様は自分から進んで食べて――」
「私をちゃんづけで呼ぶな!!」
「ご、ごめん! 子供だからって配慮が足りなかったよ」
「子供扱いしないで!!」
「いやそういってるうちは、まだまだ子供……ひっ!? 今の掠った!!」
まだ十一歳とはいえ立派にフレイヤの侍従を務めているレディの怒りに触れ、ベルの白い髪が僅かだが斬り飛ばされた。
身を刻めなかった事に舌打ちし、慄くベルに漆黒の切っ先を突きつける。
「ごちゃごちゃいって、誤魔化す気か!! お前がフレイヤ様に下劣極まりない餅を食べさせたせいで、私は……私も…………。……くぅっ。死ね! 疾く死ね! 今すぐ死んで詫びろおおおおお!!」
「いやああああああああ!!」
乙女のような悲鳴を上げて、ベルが逃げる、逃げる、逃げる!
フレイヤを冒涜した大罪を、おまけに女神と繋がっている
しかし、当たらない。
ベルはヘルンの凶刃を先読みし、巧みに刃を掻い潜っている。
腰にぶら下がっているクレッフィのサポートもなしに、その身一つでヘルンの猛攻を凌いでいた。
……クレッフィが若干呆れているような表情をしているのは気のせいだろうか?
「避けるな!! 卑劣漢!! 屑兎!!」
「いやいやいや! 当たったら死ぬからね!?」
その事実に気づいているのかいないのか、ヘルンがムキになって短剣を幾度も振るう。
しかし何度やっても一度髪を切ったきり、傷をつけることが叶わなかった。
「…………あれは、本当に『恩恵』のない人間なのか? 動きは第三級冒険者に比肩しうる」
「ベル曰く、ガラル人ならこれくらいできて当たり前だそうだ」
「ええー……。ガラル人ってなんなんですか?」
遠目で二人のじゃれあいを眺めていたヘディンが、異様な身体能力を見せるベルに驚きの声を洩らす。
優雅にテーブルで紅茶を飲んでいるアルフィアがぽつりと洩らした言葉に、給仕を務めているヘイズが友人の凶行にドン引きしながらも、至極当然の疑問を挟んだ。
「知らん。元々こちらの世界の人間のベルがあの強さを手に入れた事から、向こうの世界の環境が影響していると推測はできるが……。あの子はポケモンの電撃や炎を受けても少し痛がるだけでケロッとしていたから、わけがわからん」
「ベルさんって本当に人間なんです!?」
ヘディンにもたれ掛かって居眠りしているフーディンをヘイズが見遣る。
進化して第一級冒険者並みの実力をもっている事を知っているからこそ、ベルの異常な耐久に大きな声が出でしまった。
不快そうに眉を潜めるアルフィアに、慌てて口元を覆う。
ベルが同伴しているために多少は抑制できてはいるが、機嫌を損ねて魔法で吹き飛ばされたくはなかった。
「あ、あの~~~~? ベ、ベルがさっきから、ず、ずっと襲われてますけど、た、助けなくていいんでしょ、しょうか?」
厨二全開の自分についてこられるベルが襲われているのを見かねて、ヘグニが恐る恐る最凶の保護者であるアルフィアに提案する。
ベルから託された両手が剣になっている青白い炎を宿すポケモン――ソウブレイズの後ろに隠れているという、なんとも締まらない恰好ではあるが、彼なりに勇気を出したのだ。褒めてやって欲しい。
「…………ソウ」
ソウブレイズが呆れてため息をついているが、それでもヘグニが頑として前に出ようとしなかった。
ヘラの眷属に声を掛けただけでもヘグニにとっては偉業である。
「必要ない」
「ええー…………」
無慈悲な魔女の宣告に、せっかく勇気を振り絞ったヘグニも思わず真顔になった。
「身体能力はずば抜けた耐久を除けば第三級冒険者並み。小娘一人あしらうのは容易だ。格闘術を習っていたから身のこなしも上々。なによりもあの子は目が良い。」
「た、たしかにベルの回避は異常っていってもいいけど……」
情けない悲鳴を上げながら、凶刃を避けるベルをヘグニが見る。
しかし情けないのは声だけであって、その動きは洗練されていて危なげがない。
髪を一房切られたのはヘルンの執念のまぐれ当たりで、もはやこれ以上の戦果が見込めないだろう。
「攻めは不明だが、守りの経験と駆け引きは第一級冒険者に比肩している。……アレは向こうでどのような『冒険』をしたのだ?」
「地方の危機を幾度も救い、世界の破滅を防いだ『冒険』も経ている。『偉業』ならばヘラやゼウスと比べ何ら見劣りはしないだろう」
「………………確かに、あの会合でそのような事をいっていたが」
もたれ掛かるフーディンを押しのけつつ、ヘディンが投げかけた疑問にさらりとアルフィアが答えた。
改めてベルの『冒険』を再認識し、ヘディンが言葉に詰まる。
「……あはは。見た目は人畜無害の兎さんですのに、人は見かけによらないですね」
ヘラとゼウスに互するという想像の埒外にある回答に、ヘイズは頬を引きつらせながらもどうにか言葉を絞りだした。
ヘグニなんかはただひたすら目を丸くしている。
「ラッキィーー」
場の空気が固まってしまった隙間を縫うように、卵に手足や尻尾を生やしたようなポケモンが、御菓子や新しいティーポットを乗せた台車を運んできた。
「あっ、ラッキー! ありがとうございます。お代わり持ってきてくれたんですね」
「ラキキィ」
ヘイズが新しく相棒になったラッキーに礼を述べると、ラッキーは笑顔で台車を受け渡した。
アルフィアのカップにお代わりの紅茶を注ぎ、御菓子をテーブルに並べ終えると、ヘイズはもう一つの空のカップを見て困ったように苦笑いした。
「ベルさんのお茶、どうしましょうか。ヘルンがはしゃいじゃってこちらに来れそうにないですし」
「…………あれをはしゃぐって表現するのはどうかと思うよ?」
「いや、そろそろ頃合いだろう」
ヘグニがヘイズにツッコむ傍ら、アルフィアが手ずからベルの分の紅茶を注いだ。
その言葉の通り、丁度ベルが片手を上げながらアルフィア達の元へ駆け寄ってきている。
……もう片手に完全に息を切らしてへばっている、ヘルンを抱き抱えながら。
「…………ふう。死ぬかと思った」
「脆弱な小娘相手に何をいっている」
「いやお母さん。そうはいうけど気迫が違ったんだよ。まるで伝説のポケモンを相手にしているかのようなプレッシャーだった……」
げんなりしながらもアルフィアからカップを受け取り、渇いた喉を潤す。
暴れる気力すら使い果たしたヘルンが、辛うじて顔を上げて言葉を発した。
「……くっ。殺しなさい…………!」
「うわ。神のいう『くっころ』を初めて生で見ましたよ。ていうか大事なお客様に何をしてるんですか、ヘルン」
「……こんな汚物が大事な客な訳ないでしょう。フレイヤ様をキビキビで穢し……あ、あまつさえ私も毒牙に……!」
「……まあ、はい。あれには流石に私も同情しますけど」
当初、突如友人がキビキビ踊り出した際は気でも狂ったかとヘイズは思ったが、後程事情を知ってしまい諫める言葉がとまってしまう。
「あ、あのー? フレイヤ様の件ならわかるんだけど、僕、ヘルンに何かした覚えはないんだけど?」
「……ぐぎぎぎぎぎぎ」
「聞かないであげてください。ヘルンの尊厳のためにも」
「ええ? でも……」
幼い美貌を鬼のような表情で台無しにして歯噛みするヘルンに代わって、ヘイズがベルの疑問をとめた。それでも納得がいかないのか、反論しようとするがヘグニが制止した。
「我が友よ…………こんな時は黙っているのが正解だよ?」
「ヘグニさん? いや、そういうならもうこれ以上聞かないですけど……」
釈然としない顔ながらもこれ以上の追求をやめ、ベルはヘルンを優しく椅子に座らせてあげた。屈辱と羞恥でヘルンの顔が更に赤くなる。
「なんだか良くわからないけど、ヘルンを怒らせるような真似をしたんだよね?」
「黙れ屑。
「あはは……手厳しいな」
苦笑しつつも、ベルはモンスターボールを一つ放り投げる。
「じゃあこの子はお詫びということで」
「ヒバーーー!」
中から飛び出したのは、まるでベルをポケモンにしたかのような真っ白な二足歩行の兎だった。
元気に跳ね回るヒバニーを見て、ヘルンが罵倒をやめて呆然と見る。
「『うさぎポケモン』のヒバニー。ガラルでの初心者向けのポケモンで、僕もソニアさんから貰ったんだ。このヒバニーはその子供。エースの一角の子供だから、
「ヒバヒバーーー!」
「え? あっ……きゃっ!?」
いきなりヒバニーを託すと言外にいわれ驚くヘルンの手を、ヒバニーが人懐っこく取って跳ねる。年相応の少女の悲鳴が漏れ、慌てて口元をギュっと締めた。
暖かい毛並みに絆されそうになるも、意を決して口を開く。
「…………私には受け取れません。受け取るに相応しい幹部の方々がいらっしゃるはずです」
「ガリバー兄弟の皆さんには連携を崩すのが嫌で現時点では断られたんだ。アレンさんはその……そもそも話すことすらできなくて、ね……」
「いえ、でも……。それでも私よりも良い人が――」
「そういって断られると、ラッキーを頂いた私も立場がないんですけどねえ」
「うっ……」
頭角を現し始めているとはいえ、まだ上位陣には実力の及ばないヘイズにそう言われ、ヘルンが言葉を詰まらせる。
「そもそも誰にポケモンを託すのかは僕が勝手に決めてることなんで、難しく考える必要はないよ。仲良くなって気に入ってくれたのなら、ヒバニーの本当のトレーナーになってくれると嬉しいな」
そういってベルがにっこりとヘルンに微笑みかける。
すると、怒りとは別の感情でヘルンの顔が赤く染まった。
「うっ……。くぅ…………わ、わかりました! 引き受ければいいのでしょう! どうなっても知りませんよ!?」
そういいつつも、ヒバニーの手を取る彼女の手つきは優しかった。
察したヘイズににやにや笑われ、キッと睨みつけるも赤みが差したままだと迫力に欠けた。
とりあえず機嫌はどうにか治ったと判断し、ベルが安堵のため息をつく。
なんだかんだひと悶着ありながらも、どうにか一件落着となろうとした時――。
突如、『
「うえええええ!? なに!? なんなの!?」
「騒ぐな愚か者。もはや最近は見慣れた猪の『洗礼』だ」
慌てるヘグニをヘディンが悪態をつきながらも諫める。
「……この砂嵐、ベルが猪のクソ餓鬼に渡したポケモンのものか」
「うん。特性『すなおこし』。場に出ただけで、体力を徐々に削る砂嵐を巻き起こし、岩タイプの特殊耐久を上げる。オッタルさんに渡したポケモンは、『すなおこし』使いの中で最上級に強いポケモンで――」
こちらまでは飛んでこないが脅威を感じるほどには近い砂嵐を意に介せず、母子がその中で蠢く二つの影を見遣る。
「名前はバンギラス」
ベルがその名を告げると同時に、鼓膜を震わせる怒声が鳴り響いた。
「ギラアアアアアアアアアアアアァァァァァァ!!」
凄まじい
2メドルに及ぶ岩山のような黄緑色の巨体を震わせ、バンギラスが対峙する人影に突進した。
だが、バンギラスに無謀にも真正面から迎え撃とうとする者も、バンギラスに負けず劣らずの立派な体格をしていた。
大剣を構えバンギラス相手に一切怯むことも逃げ出すこともなく、泰然と待ち構えている。
オラリオで唯一のレベル6。
アルフィアとザルドが戻ってくるまでは最強と呼ばれた、オッタルであった。
バンギラスは自身のトレーナーであるオッタルに対し、何の遠慮容赦なく巨体をぶつけようとしている。しかし、オッタルは咎めるつもりは一切なかった。
「……来い」
「ギラアアアァァ!!」
それどころか、オッタルはバンギラスと戦うことを望んでいた。
ポケモンの世界では考えられない異常な事態に、バンギラスは凶悪な笑みを浮かべて嬉しそうに、オッタルの身を粉砕せんとする。
あわやこのまま猪のひき肉が出来上がるかと思われた瞬間――。
バンギラスの巨体が吹っ飛ばされた。
地面に大穴を開け何度もバウンドしながら、信じられないくらいの距離まで転がっていく。
ようやく立ち止まった時には、バンギラスの身体は泥に塗れていた。
「…………お前は強い」
いとも簡単にバンギラスを吹き飛ばしておきながら、オッタルがバンギラスをそう述べる。
事実、それは正解であった。
器用と敏捷を除けば、バンギラスの能力はオッタルに匹敵する。
ベルによる適切な
「だが、それだけだ」
その強さをオッタルは切って捨てる。
「技が足りない。駆け引きが足りない。なによりも、経験が足りない」
まるで散歩するかのようにゆったりとした足取りで、オッタルがバンギラスに近寄る。
「お前の強さには、芯がない」
バンギラスの目の前に立ち、顔の間際に大剣を突き刺す。
「立て」
蹲るバンギラスに対し、オッタルが容赦なく命じた。
「うわあ……。団長、あんなことやってますけど、いいんですかベルさん?」
預かった大切なポケモンを痛めつけるオッタルに対し、ベルが機嫌を損ねてないかとヘイズが尋ねた。
だが、ヘイズの懸念とは裏腹にベルの顔は穏やかだった。
「うん。あれでいいいんだ。あの子はとにかく『強さ』を望んでいた。どんなことをしても、何をしてでも強くなりたかった。むしろ安心したよ」
バンギラスが手をつき、震えながらも立ち上がろうとする。
傷ついた身体を叱咤し、両足でしっかりと大地を踏みしめた時には、震えはもうとまっていた。
口の中に入り込んだ泥を吐き出す。
その目は死んでいなかった。
むしろ強敵相手に、見上げるほどの高い壁に、笑みさえ浮かべていた。
「オッタルさんなら、バンギラスを強く育ててくれる」
そういって、ベルも嬉しそうに笑っていた。
その笑顔にヘイズとヘルン、ついでにヘグニは『えっ? トレーナーって皆こんなスパルタなの? ……怖っ』と引いていた。
引かれていることに気づいたベルは、慌てて手を振って否定する。
「い、いやいやいや! ちゃんと相手は選ぶよ!? バンギラスはああいうスパルタ形式が合っているってだけで……聞いてる!?」
そういってベルが言い訳をしているが、結局三人は半信半疑でいうことを聞き流していた。