「…ふーむ」
ベル・クラネルがオラリオに来てから3週間とちょっとが経った。人生が転機となったあの日からもう三週間と見るか、まだ三週間しか経ってないのかととらえるかは人次第だ。ただ、この三週間においてベルの生きていた14年という人生は霞むくらい濃かった。
バベルの最上階、そこは本来一般的な冒険者が立ち入ることを許されている筈もないがベルはつい先日胡散臭い神から借り受けたそのマントを使って堂々と不法侵入をしていた。以前のベルならこんなことは絶対しなかっただろうが今のベルならばあんまり関係ないだろう。
「綺麗だ」
夕焼けに輝く迷宮都市はその混迷具合とは裏腹に綺麗で美しい。ベルは道化として呟くこともなくただただ感情を口にする。すべてはこの両の目で見れる景色を焼き付けて。
「かつて魔物が大挙する大穴があった。その大穴に至るまでに人類は大量の犠牲を払い…ついに辿り着いた大穴は形を変え、美しき都市となるか…リュールゥ、君が聞いたらそれを何と唄うのだろうな」
かつての詩人のことを思いつつベルは心の奥底で詩を反芻する。
「だが…今はもう喜劇で終わらせるつもりはない、誰もが笑って終われる大団円。そんな物語で終えればどれだけよいかと理想だったが…今度こそかなえてみせるとも」
喜劇はハッピーエンドではなかった。その裏にある悲劇を黙らせてわざわざ喜劇としたのだから誰もが笑う滑稽な物語ではなかった。だが今度こそ笑わせてみよう。嘲笑の対象ではなく、心から誰かを笑わせられる英雄譚にしてみせよう。
「しかし…僕は元々英雄になりたいという子供じみた願いを本気で持っていたが…私になってからというもの、その願望は逆に増幅しているな…」
我ながら困ったものだという苦笑と共にベルは己の内に燃え滾る渇望に心を通わせた。彼は知らない、知らないが識っている。神が降臨してからというものの悲劇が完全に消え去ったわけではない。いくつでも悲劇などは起きてきた。この美しき迷宮都市も7年前は血の海とした。闇派閥との凄惨な殺し合い…大抗争の火種がもたらしたものは数えようもない。
その大抗争の裏で起きた盛大なる自作自演は今のベル・クラネルは知る由もない。だがいつかは知ることになるだろう。どこかの胡散臭い神によっていつかは導かれるだろう。
「…さて、と」
ずっと見られている。そんな気配は、視線はレフィーヤと再会したその日からずっと感じていた。その視線は悪意はなくむしろあるのは好意のみだからこそ彼は持て余していた。
「…いや、好意と言うのはドス黒いな」
言うならば興味だろうか。その視線の主は随分とベル・クラネルに興味を持っているようだった。何がそんなに惹かれるのかは分からないがなかなかどうしてか落ち着かない。だが害がない以上こちらから干渉する必要はない。そう思っていたのだが…
「…行ってみるか。…豊穣の女主人へ」
ベル・クラネルはその日、決意を新たにちょっとした敵地に足を踏み入れることにした。
────
「…あ、いましたよ。兄さん…あのエルフの女性の店員の方です」
「確かに生まれ変わりそのものだな…いや、纏っている雰囲気は随分と違うが…まぁ十中八九本人だろうなぁ」
夜、豊穣の女主人。あの日知り合った店員のシル・フローヴァに招き入れられた店内で見つけたのはかつての詩人と瓜二つの姿を持つエルフだった。
(………まぁ前々から予想はしていたがやはり女性だったか。リュールゥ)
前世ではついぞ明かさなかったその性別を彼は心のなかで確信した。もしかしたらリュールゥことウィーシェは男だったかもしれないが。いや、それはないか。
「来てくれてありがとうございます、ベルさん、それにレフィーヤさんも」
「美人のお誘いなどどうして断れようか。私は約束を果たす男ですとも。特に美しい方との逢瀬など…」
「飲食店に招かれることを逢瀬と表現するのは難しいと思いますよ。第一私もいますし」
今日も妹からのツッコミは辛辣だ。だが心地よい。
「あはは…そうだ、それとベルさん!ランクアップおめでとうございます。もうオラリオ中話題が持ちきりですよ。ぶっちぎりのレコードホルダーだって」
「まぁ天才だからネ!私ってば成長期なんで楽勝ですよ!アッハハッハ!」
「…また調子に…いや、もうなんかいいです…とりあえず注文しましょうよ、兄さん」
「…うむ、それもそうだ。このままじゃ雑談に花を咲かせ何も頼まない厄介客だ。そろそろ厨房からの殺意が籠もった視線がコワイ」
最恐の女店主がキッと睨めつけて来たのに彼は命がちょっと減ったのを感じた。
(…あれがミア・グランドか)
勿論彼は知っていた。かつてのフレイヤ・ファミリアの団長の女傑の存在は。
「それでは、シル。注文だが…ぶっちゃけ私は初見だから良く分からない!というわけで何とかこの予算内でお願いします!!」
シルの顔を立てるという意味でも悪くない手ではある。とはいえそんな大盤振る舞い出来るほどの額があるわけでもない。というわけで無様にベルは何とか上手くやってくださいと言うのでした。…が、無情にソレは崩れ去られる。
「…分かりました!ミアお母さん!山程持ってきてください!」
「ちょっとぉっ!?」
思わず素で叫んだ。何をさせたいんだこのウェイトレスはと全力で叫んだ。しかしオーダーは通ってしまった。他ならぬあのミア・グランドに通ってしまった。
「…あはは…兄さん、代金は気にしなくていいですよ…一応これでも私は相当持ってますから…」
「妹に奢られる兄ほど惨めなものはないぞ…いや、まぁそれは百歩譲って何とかなるとしよう…しかし、しかしだよ。レフィ。問題はここからだ」
ベルは覚悟の試練に臨む目つきで厨房を見た。それはあのミノタウロスの闘いとも劣らぬ気迫を持っていた。そんなシリアスな目線を向けながらベルは覚悟を決めて言った。
「…何とか完食してみせる……!」
それはベル・クラネルの、アルゴノゥトの矜持であった。
────
「…しぬ…」
「良い食べっぷりでしたベルさん!はい、これお水です」
「…ああ、お気遣い感謝する…その気遣っているのが元凶がキミでなければサイコーと言っていたのだが…」
さすがに美女美人好きのベルだが恨み言を抱かないわけではない。豊穣の女主人は閉店間際になり、他店員も掃除をし店仕舞いの準備をしている。ベルはまだ動けないためなぜか元凶たるシルに甲斐甲斐しく看病されていた。ちなみにレフィーヤは料金を払っている最中である。
なんとか苦しみから復帰し少し歩けるようになったベルはさすがに恨めがましい視線をシルに向けた。…しかしそれを取り繕いベルは告げた。
「…少し、話したいことがあるが良いか?」
「はい?何ですか?」
「出来るなら2人きりがいい」
それはまるで逢引のような誘いだが…しかしベルの目には明らかに固い意志の光が宿っていた。…シルもその目に見られとぼけた様子を収め言った。
「…分かりました。ミアお母さん、少し出てくるね」
「すぐに戻ってくんだよ!あとそこの道化もあんま人の娘借り受けるんじゃないよ!」
「…それについては大変申し訳ないと思う。しかしそれでも…私は話さねばならないのだ」
「…フンッ、店の裏手を使いな。そこには滅多に誰も来やしない」
…貴女に感謝をとベルは内心告げてシルを連れ出した。本当にこのオラリオには察しのいい人が多すぎるなと彼は内心常々それを痛感していた。
「…ここなら良いか。…いや、常に見られているがまぁいい。…さて、シル。私が貴女を連れ出した理由はただ一つだけ。…心当たりはあるんじゃないか?」
「え〜、何のことですか?」
「…そうだろうな。貴女は直接言う方が好みだろうな。…ではもう道化だとか喜劇だとかは抜きにして問おう。…なぜ、私を見続けている。女神よ」
その一言は核心だ。そして確信だ。…シルはすっとぼけた表情を止めて驚くほど美しい表情をした。…単なる街娘が美神すらかすむその顔をしていた。
「…確信したのは今だが、やはり貴女は女神フレイヤ…」
「…一つ聞いていいですか?ベルさん」
しかしあくまで単なる人の娘としてシルは尋ねてきた。
「どうして分かったんですか?」
「…あいにくと前例がいたんだ。己の神威を隠し自分のことを人間として振る舞っている物好きな老神がね。…そして元フレイヤ・ファミリア団長の元で庇護されてる貴女を見れば自ずと推測はつく。我が親愛なる祖父…ゼウスは随分と色々教えてくれたよ」
…シルは少し意外そうな顔をし、そして妖しく笑った。
「ベルさんはどっちがいいですか?
「非常に惜しい提案だが私が用があったのは単なるウェイトレスのシル、貴女だ。美しき女神はまたの機会にしておこう」
ベルはそれを告げ道化の仮面をかぶり続けたまま続けた。
「…さて、そろそろ本題に入らねば私が美神の眷属に地獄送りにされてしまうな」
さっきから殺気強すぎだろとベルは内心戦々恐々としながら街娘に向き直った。
「…あのミノタウロス…確かに私にとっては間違いなく飛躍する試練であり、壁であった。私が爆発的に伸びたという点も間違いない…だがそれでも」
目を開きベルはシルに、そしてフレイヤに、そして猛者に向けて言った。
「…『僕』は彼の命を軽々しく弄んだ貴方たちを赦せない」
ハッキリと告げた。間違いなくこの策謀による犠牲者は一人いた。ベル・クラネルはその点において非常に憤りを感じていた。
「…意図していたかは分かりません。けれども僕は僕の飛躍のために、成長のために…命を踏み躙りたくはなかった」
あのミノタウロスとの闘いにおいて彼は非常に晴れ晴れとしたそんな心境に至っていたがそれでも後悔がないわけではない。いや、むしろこのことに関しては常に後悔し続けているようなものだった。
「…私に貴女たちをどうこうとするだけの力はない。故に今は告げたのみだ。…私は貴女たちのやり方を許容しない。これ以上私のために試練を増やさないでくれ」
「…へぇ、それでベルさんはどうしてくれるんですか?」
シルの言にベルはニヤリと自信を持って胸を張り、そして断言するように告げた。
「決まっているとも。私は喜劇役者だ。…他者の手を借りずとも完璧な喜劇を貴女にご覧にいれよう。そして笑わせ愉しませて見せよう。今ここに約束しましょう」
そして勇ましく。
「神々よ、どうかご照覧あれ!…
───────
…その夜、ソーマ・ファミリアのホームは驚くほど人がいなかった。誰も彼もすっからんになりもぬけの殻となった。ただ
「ご機嫌如何かな、神ソーマ。今宵の月化粧は何とも美しい」
そして残った神に相対するは我が道化。我らが道化…我らが英雄だ。
「…フレイヤの魅了能力か…それを利用してまで俺に会いに来た理由はなんだ」
神酒を作ってる神の元までベルは一人で相対した。
「…ふむ、私も酒は嗜んでいるが今はその風情あることを話す雰囲気でもないようだな。では単刀直入に言おう。神ソーマよ」
その紅い幼さすら残る顔立ち…だがそれでも確固たる意志を持った魂は酒神へ告げた。
「リリルカ・アーデの
それこそが彼の目的。野望。真意。…そこに至るまで随分と回り道をしてきたがそれでもだ。それでもようやく掴めそうになったのだ。逃してたまるかと道化は言った。
「…俺は眷属たちのことはゼニスに任せている。…俺には関係ない」
「もちろん現団長の【酒守】から許可は頂いてますとも。あとは貴方の同意だけあれば可能だ」
…もちろん許可を得たのはとんでもないズルをした。今回限りとは言え協力を得た美の女神にはとんでもない借りが出来た。
「…成程。そうまでしてリリルカ・アーデを改宗させたい理由があるのか」
「ええ、私にはその責務があります。故にこの場面において退くなどと赦されないのですよ」
ソーマは一つの杯を置いた。そこにはなみなみと注がれている極上の酒があった。それこそが神酒。多くの人が酔い、狂わされている美しい酒。
「…俺の神酒を呑んで酔わなければその願いは聞き入れる」
ソーマの出した提示条件をベルはニヤリと笑い続けた。
「二言はないと解釈しても?」
「そこまで不誠実になったつもりはない」
「…ではご覧入れましょう。極上の美酒を馳走され私の悲願が叶うなど願ったり叶ったりではないか」
ベルはその笑顔のまま杯を取り…その中の神酒を飲み干し…一気に全て呑みきった。…そして杯を置き、目を閉じ噛み締めるように味わっていた。
「…ああ、確かに。この酒は美味いだろう。私が経験してきたどんな酒盛りよりもだ」
そして目を開きベルは改めてソーマを見据えた。
「…だが美味い酒だ。それだけだ」
そしてその寸分変わらぬ意志でソーマを見据えた。彼の目からはその固い決意が何も失われていなかった。
「…私はこれより美味い酒は知らない。だが…これよりも美味く極上であった酒盛りは知っている」
思い起こすは3000年前の話。あのラクリオスの決戦後に呑み交わしたあの酒宴。あれこそが極上の酒であったとベルは…アルはそう確信し、断言出来た。
「…さて、神ソーマ。私は神酒に酔っているように思えるかな」
「………いいや」
「他ならぬ酒造りの神である貴方が今認めたのだ。撤回は聞かないとそう思ってほしい…人間というのは弱いものだ。何かに溺れ、何かに縋りそうやって生きている方が楽だ。…だが進歩することこそが人間の本質だ」
ソーマを見てベルはもう一度だけと告げる。
「…もう一度だけでいい、神ソーマ。…貴方は貴方の
「……………………」
ソーマは答えなかった。しかし、ベルは続ける。
「さて、提示した条件は達成した。…リリルカ・アーデの改宗は認めてもらえますか?」
「…ああ、約束は約束だ。…俺は認めよう。リリルカ・アーデの改宗を」
「寛大な御心に感謝を…神ソーマ。貴方の酒はとても美味でしたよ」
そしてベルは窓から宵闇のオラリオに飛び出していった。
────
「…よかったのですか、フレイヤ様」
「なぁに?オッタル。私の決定に不満が?」
「…そのようなことは」
「そうねぇ、でも貴方の懸念は理解するわ。けれどもね、あの子が言ったのよ…退屈させないと…ならしばらくは…観劇に徹させて貰うのも悪くないとそう思ったのよ。他ならぬ役者がそう言うのだもの」
「…はっ」
────
「というわけでリリ、今日から君はヘスティア・ファミリアになってもらいます!」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?!?!?」
「えええええええええええええええっ!!!!???」
廃教会に2つの可愛らしい絶叫が響いたのだった。