そのサポーターは良く働いた。魔石の回収作業も手際よく、そして何よりも大量に落ちたドロップアイテムの回収も素早い。あと荷物を持てる量が多い。
「もうこの層も楽勝か…クラネル、お前のことが少し恐ろしくなってくるぜ」
「しかしダンジョンでは油断した瞬間にこそ死が訪れる…などと一端に語ってみたけどこれはエイナの受け売りだけどネ!」
現在ダンジョン五階層、先輩冒険者とそしてその場で雇ったサポーターの犬人の少女と共にベルは上層からちょうど五階層まで降りてきた。だがこの程度もうベル・クラネルの敵ではなかった。先輩冒険者はLV2なのだが、今はもうベルに助太刀を入れていない。ベルはもうこの階層のモンスターならば危うげなく倒せる程度にはステイタスが上昇していた。
「冒険者様、今撃破したモンスターの魔石採取と、ドロップアイテムの回収終わりました」
「クラネルにはもうこの階層も楽勝か、今日はまだ時間があるがどうする?一つ下を見ておくか?」
「ああ!是非ともお願いするよ!冒険者がいざという時の冒険を躊躇うわけにも行かないからね!君もそれで構わないかい、リリ」
犬人のサポーターは巨大なリュックサックを背負い直すとベルの質問にはいと首肯した。
「はい、リリもお供させていただきます、よろしくお願いします」
それじゃあ行こうと先輩冒険者率いる妙なパーティーは五階層の一つ下、六階層へと足を踏み入れたのだった。
夢を見た。そうだ、夢を見た。
『本当に申し訳なく思う』
雷だ。その男が纏っていたもの、それは雷だ。その雷がこの身を焼き、あの男の身を焼いた。初めての相手であった。蹂躙するだけではない、対等に渡り合った只人。
『だから約束しよう』
そうだ、それを渇望している。それを望んでいる、それを欲している…それが起こる予感を感じている。
『生まれ変わったその先で必ず二人の決着を付けると』
それが欲しいのだ、この身は。それだけが存在理由なのだ、それだけが必要なのだ。
『だから───また逢おう!「好敵手」よ!!』
決着を。その決着を付けにこの身は生まれてきた。好敵手よ、我が望みを叶えてくれ────
「行け、雄牛」
絶対的に敵わないと心に刻み込まれた目の前の最強が言う。
「あのお方のおっしゃる試練になれ、行け」
言われるまでもない、いいや言われなくともである。
さぁ決着を付けよう、好敵手。誰にも邪魔されないこの二人の決着を。
────
嵐がやって来た。そう感じたのは誰が一番最初だったか、だがそんなことはもうどうでもいい。何故なら誰でもわかるほどそれは嵐のようにやってきたのだから。一番最初に分かったのが誰なのかというほどどうでも良くなるほど鮮烈なそれがやってきたのだから。
咆哮がする。道を阻むモンスターたちはその雄牛の行進の障害とはなり得ない。その突進に薙がれてただ吹き飛ばされていく、その姿はまさに嵐だ。最初に動いたのは先輩冒険者だった。
「何でこんな所にミノタウロスがいやがるんだ!!」
ミノタウロス…それはLv2に該当するモンスター。本来ならば中層に生息する筈のモンスターなのだが何故こんな上層にいるのか、そんなことを考えていたら疑問は尽きないが今はそんなことはどうでもいい。今は身の上を第一に考えるべきだ。
「クラネル!そのサポーターを連れて上に行け!そしてギルドの奴らに報告しろ!俺はこいつを足止めする!」
「しかし!」
「大丈夫だ、俺もLv2だ、倒せなくとも足止めくらいなら出来る、さっさと行け!」
「…分かった!!…というわけで逃げるぞ、リリ!」
「……は、はい!冒険者様!」
犬人の少女はベルに追従するように上の階層に逃げていく。ベルもお得意の逃げ足を発揮するときが来たのだった。先輩冒険者は雄牛に相対する。
「何でこんな上層に居るとか気になるが倒させてもらうぜモンスター!」
そして大剣を構えた瞬間、先輩冒険者はその胴体が半分に分かれた。
「…えっ?」
先輩冒険者は一瞬の内にその状況を理解するには至らなかった。転がっていく、視線が下に下がっていく。そして落ちていく。それ以外はもう何もわからない。その一瞬で彼はその生涯に幕を閉じた。そうして名も知れない冒険者はこのダンジョンに転がる無数の死体の一つに成り下がったのだった。他ならぬこのイレギュラーなミノタウロスの手によって。そしてミノタウロスは止まらない、巨大な大剣を持って、ほかの冒険者など目に入らず、視界に塞がるものは全て両断し、ただ一つの目標に死に物狂いに向かう。ただ一人の白い只人へ向かって。
ベルたちが五階層に登り、一息つく暇もなくその気配を察知した瞬間は直ぐだった。咆哮が聞こえたのだ、そして地を揺らがす巨大な足音。
「…っ、走れ!上を目指せ!!」
「は、はいっ!!」
サポーターの少女には悪いことをしたと思っているがこれも彼女のためだ、死ぬわけにはいかないだろう。それはベルも、リリも同じことだ。もう道化を取り繕う余裕もない。そして雄牛はすぐにやって来た。階層を登り、ベルを食らわんとやって来た。ベルは一瞬の内にその大剣が赤く染まっていることに気が付いた。つまりそういうことだと察した。彼の人と成りを知るほど交流が深いわけではなかったがそれでも共に冒険した仲だった。だが悼んでいる暇はない。彼でも敵わなかった相手をベルが相手取る力はない。逃げるしかない、逃げるが勝ちだ。
それから決死の鬼ごっこが始まった。ベルとリリは五階層を必死に逃げ回った。だがミノタウロスもしつこい、しつこいというか執念の塊のようにベルを追い回している。そして窮地はすぐそこに迫っていた。
「…行き止まり!?」
「そ、そんな…!」
背後に迫る猛牛の怪物。リリはもう絶望したような表情だった。
咆哮が響く…ミノタウロスの咆哮にはLv1の冒険者にとって心を挫くには十分すぎる精神攻撃となり得る。ベルもいよいよ本格的に焦りを感じ始めた。退路はない、あるのは前身のみ、阻むのは驚異の雄牛…やるしかないのかとベルは覚悟を決めた。
「…昔を思い出す。どうやら私にとってミノタウロスとはこうも疫病神だったか…!」
剣を構える、冒険者になってたった二週間しか経っていない彼の初めての『冒険』が始まろうとしていた。
────
ベル・クラネルが死闘を始めたその頃、17階層ではロキ・ファミリアの面々が遠征帰りにミノタウロスに遭遇していた。
「ふっーこれで何体目だっけ?早く終わりにしたいよー」
「いいから黙って終わらせましょ、口で言ってるとさらに億劫になってくるわ」
ヒリュテ姉妹が大根のようにばっさばっさとミノタウロスをちぎっては蹴散らしていた。そんな圧倒的な脅威の前にミノタウロスの中には本能でこれに恐怖を覚えて、逃げ出したものがいた。
「あっ、逃げた…」
「上層の方に…どうする、フィン?」
「うーん、上層に冒険者がいたら危険だ、早急に始末する必要がある…アイズ、ベート。逃げ出したミノタウロスの追撃を」
「うん、分かった」
「チッ…仕方ねぇ」
Lv5冒険者の二人が逃げ出した雄牛退治にへと上へ上へと登っていくことになる。そしてあれを目撃することになるとはまだ彼らは知らない。
「…っ」
「どうしたレフィーヤ」
「…あ、リヴェリア様…いえ、その何だか悪寒がして」
「どうした、体調不良か?」
「いえ、その全然元気です…体は問題ないんですがなんだか嫌な予感がして…」
レフィーヤはその身で嫌な予感を感じ取っていた。その嫌な予感の対象は…
「…兄さん?」
一方そんな妖精の機微を感じ取ったフィン・ディムナはレフィーヤに指示を出した
「あー、レフィーヤ。アイズとベートの追撃について行ってくれ。一応念のためにね」
「…は、はい。分かりました」
そしてフィンは親指を押さえたのだった。
「…何かが起きている?一体、何が…?」
────
白いヒューマンが駆ける。雄牛の怪物はそんな只人を細切れにしようとその巨大な大剣
を振るう。だが当たるわけにはいかないと跳ぶ。そして回転しながらもそのミノタウロスの皮膚に傷を入れようと、剣を突き立てる…が
「硬い…!」
支給品の剣じゃ心もとない…もとい刃が立たない。逆にミノタウロスの皮膚に剣が折られそうだ。ミノタウロスがその自身に牙を突き立てた不埒者に裏拳を入れる。ベルはそれを食らう前に転がり、回避するがその速度は異常だ。
(これがレベルの差なのか…!)
ダンジョン、引いては神の恩恵を受ける者に言える者全て、それはレベルによる実力差。そこには絶対的な差があり、その差は覆されるものではないまるでそう言わんばかりの理不尽だ。だがその理不尽の体現が目の前のミノタウロスだ。幸い、ミノタウロスの意識はベルに割かれているため力なくへたり込むリリには興味も欠片もないのかそちらを見ようともしない。
「動けるならばさっさと逃げてほしいが…」
「あっ…ああ…」
「ダメだ、完全に意識が砕かれている…」
圧倒的な絶望的な差による理不尽、それを突き付けられたLv1…しかもサポーターの少女は動きたくても動けないようだ。
「やはり倒すしかないか、本当に今世でも無理難題を強いられるナァ!!」
ミノタウロスの足元に滑り込むように剣で切りつける、だが浅い…いや、そもそもの傷を付けられていない。ギルドからの支給品の剣ではこのレベル差の相手には傷を与えるには至らない。それでも薄皮一枚剝がれないのはキツイものがある。いい加減ベルも動き回って消耗してきたところだ。攻撃に当たらなくともその余波だけで正直死んでしまえるレベルの衝撃だ。
「…っ」
今も大剣の一撃を何とか避けたがその瓦礫をもろに頬を切った。この程度の痛みでは止まっている暇はない。ベルは目の前の無力なサポーターの少女を助けるためだけに走り、戦うことを選んだ。
そしてその頃、一つ上の四階層。ヘファイストス・ファミリアの最上級鍛冶師の椿・コルブランドは目をかけているヴェルフ・クロッゾと共に自身の打った武器の試し斬りに来ていた。
「やはりこの程度の階層では試しにすらならんな。ヴェル吉、もっと下に潜るぞ」
「おいおい待て待て、椿。俺はLv1だぞ。これ以上は正直キツイぞ」
「なんだもう根を上げたのか。手前はまだまだ余裕だぞ、お主鍛冶師としてはともかく冒険者としては落第だのう」
「一緒にするな…大体俺はLv1でお前はLv5だろう…圧倒的な差があるのは当たり前だ…それに俺は冒険者になりたいわけじゃない…」
「つまらぬことを抜かしおる。本来の鍛冶師は武器の使い手としても一流であれば良いというのに…まぁ構わぬ、とりあえず一つ下に降りるぞ。何、安心せぇ。ヴェル吉に降りかかる火の粉は手前が払ってやる、主神様のお気に入りをむざむざと死なせるわけにも行かんしな」
「…ったくはぁ…もう好きにしてくれ。まぁお前ほどの護衛がいれば安心はできるが…」
ヴェルフは文句を言いながらも下の五階層に下っていく。椿はバックパックに入っている武器の一つ…つい最近、未開拓領域で発掘された摩耗している剣を取り出しながら見ていた。
「見れば見るほど業物だと思う」
「そうは言うけど錆びついてろくに扱えたもんじゃないだろう」
「それは事実であるというのも否定は出来ぬ。だが手前にはわかる、今の手前にもこれほどの剣は鍛れぬだろうよ」
「…本当に何物なんだよその剣は」
「分からぬ。分からぬが、だからこそこの剣が至高の一品ということは分かる。口惜しいのう、ここまで錆びついていなければ一刻も早く試したかったというのに」
「そんだけボロいと振った瞬間に砕けそうなもんだが…というか何でウチの神は…ヘファイストス様はこの剣を必死に手に入れたんだ?」
「さぁな、手前には主神様の考えていることなど想像もつかん。だがそれほどまでに主神様を動かす何かがあったのだろうよ」
疑問を抱えながらも二人は下の五階層に下った。…その瞬間に咆哮が耳に届いた。
「…っ!?」
「…これは、ミノタウロスの咆哮か?なぜこんな上層に…?」
「ってミノタウロスってLv2のモンスターじゃねぇか。こんな上にいるのは危ないんじゃねぇか」
「ああ、危険だ。初心者冒険者には到底相手が務まるものではない。面倒ではあるが手前にも第一級冒険者としての責務もある、行くぞ、ヴェル吉!」
「あっ、ちょおい待てよ!!」
咆哮の方に急ぐ。そして同時刻。
「これで逃がしたミノタウロスは全部…?」
アイズが逃げ出したミノタウロスを切り刻み塵に還っていったのを見届けると、そう呟いた。
「そう…みたいですね。今はここは何階層なんでしょう」
「5階層だ、自分が登ってきた階層くらい記憶してやがれアホ妖精」
「結構登って来たね…みんなのところに戻る?」
「あ、はい。そうしましょうアイズさん…」
戻ろうとしていたその時、同じく五階層から咆哮が響く、それは先ほどまで殲滅していたミノタウロスものだ。
「…!?」
「まだ、居たの?」
「チッ、取りこぼしか。面倒だな…行くぞ」
「あ、ベートさん、待ってください!」
レフィーヤは狼人の背を追っていたがその背には嫌な予感を存分に感じていた。
────
確実に動きが鈍っている。それもこちらだけ一方的にだ、体力の消耗が激しい、格上の攻撃を何度も何度も避けることは難しい。それに傷を負っていないわけではない。余波で何度も切り傷がある。
ベルは思考する。この状況での打開策は一つ。…急所への致命的な一撃だ。魔石を砕けばこのモンスターは死ぬ。だからこそ必殺の一撃にかけるしかなかった。
(十分に引き付ける…)
ベルは集中する。決してその好機を見逃さないためにも。ミノタウロスは突進してくる。
(ここだ!!)
大剣の一撃を躱す、躱すだけではない、それを足場に飛ぶ。狙うは一つ、魔石のみ。そして上からの致命の一撃をミノタウロスに突き立てようとした。
そう、ようとしたのだ。
「グっ…アアアアアッ!!」
悲鳴を上げようとは思わなかった。悲鳴を上げれば負けた気がした。だが、悲鳴を上げねばさらに痛かった気がした。
突き刺さっているのだ。片腕に、ミノタウロスの角が。そしてミノタウロスは隙を見せた相手を見逃すほど甘くはない。その巨大な大剣を横薙ぎにした。ベルは刺されていない片腕を何とか動かし、死に物狂いの思いで大剣を受けた。
だがまともに打ち合ったのが間違いだった。それだけで衝撃がベルの体を走った。そして一瞬で壁に叩きつけられた。血を吐く、その衝撃だけで気を失いそうだ。肋骨の骨が何本か折れただろう。
「…冒険者…様…」
「……ハハ、何度も言っているじゃないか…早く、逃げろと…」
霞む視界でリリを捉えた。こめかみから出血でもしているだろうか、視界が赤い。リリは本当に力が入らないのか立てもしないようだ。
「私も焼きが回った…君のような誤魔化しの上手いサポーターを庇うだなんて…」
「………どうして…それを知って…?」
「人を見る目はあるつもりだからね…リリ、君は本当は私たちをカモにするために取り入ったことくらいは分かる。魔石もちょろまかしていただろう…」
何とか膝立ちの状態まで戻る、だが立てない。さすがにダメージが大きい、ミノタウロスはゆっくりと詰め寄ってくる。死はすぐそこにいる。
「…それを分かっていながら…どうして…リリを庇ったんですか…」
「どうしてか…どうしてだろうな…」
手元に剣はない。先ほどの横なぎの一撃を防いだ代償に一発で砕けた。膝立ちの状態から何とか立ち上がる。
「多分深い理由はない…」
血に濡れた額をぬぐい、ミノタウロスを睨みつける。
「…リリ、私は英雄になりたい」
「…えっ?」
「私は英雄になるためにこの迷宮都市に来た。馬鹿馬鹿しい子供の戯言を本気で叶えるために。…そして英雄とは何だろうか、絶対的な強さだろうか、圧倒的なカリスマだろうか…」
「何を言って…」
「いいや、違う」
もうミノタウロスが来るのはすぐだ。ミノタウロスならこの間合いならば無力な冒険者は一発で仕留められるだろう。なのに何故か来ない、それは何故だろう。
「…っ、おい椿アレを見ろ!!」
「ミノタウロス!それに後ろには冒険者か!」
「見つけたぜ、残り一匹」
「…待ってください、まさか後ろにいるのって…!」
「…ベル?」
聴衆が集まってくる、だが第一級冒険者を持ってもこの距離は詰めがたい。狩られる瞬間をむざむざと自分の眼前で繰り広げられるのかとそう思った瞬間だった。
「英雄とは! 助けを求める者の声を聞き逃さないものだ!!!」
その声は良く響いた。今にもミノタウロスに殺されそうという少年の姿からは想像も出来ない覇気のある声だ。
「だから私は英雄になる!英雄になる私は助けを求める君を見捨てない!!!」
ヴェルフの脳内に、何かが駆け巡る。それは存在しない記憶、脳内にはヴェルフの知らない記憶が走る。何だこれはと困惑する気持ち、だがそれでも俺は知っている、あの今にも死にそうな少年のことを。今にも狩られそうな弱者のことを。道化であり、英雄であり、そして何よりも唯一無二の親友であったあの少年のことを。
『だから君に任せたぞ、無二の友』
その声を覚えている。付き合いは本当に短い間だった、だがそれでもあの少年のことを好きになれた。それほどまで少年は彼にとって好きな人間だった。
『私を助け、私を支え、私に勇気をくれたたった一人の鍛冶師!』
その言葉がどれほど嬉しかったか。…ああ、嬉しいものだ、こんなにも嬉しい気持ちはあの人に見染められて以来だ。
「なぁ椿、悪いな」
「おいヴェル吉、何をするんだ」
「あとでいくらでも謝るし、金もいくらでも払ってやる。…だから今ばっかりは許せよ」
ヴェルフは椿のバックパックの中からその錆びついた剣を使う。そして力一杯にそれを今にもその大剣で殺されそうになっている少年の元に投げつけた。
「それを使え、
「兄さん!!」
「ダメ、間に合わない…!」
「チッまた雑魚が死ぬのかよ…!?」
だがその剣は疾かった。…それは雷のごとく。いいやまさしく雷そのものとなり。
「今、ここでリリを見捨てることは簡単だ。…だがそれは私の領分じゃない…悲劇も惨劇ももういらない」
「な…に…を…」
そしてようやく長かった大剣が振り下ろされる。…誰もがその惨劇の瞬間から目を背けた。…だが惨劇は始まらない。なぜならばここに完成したからだ。
ベル・クラネルはその一撃を受け止めていた。…迸るその雷光を身に纏って。
「さあ『喜劇』を続けよう────!」
「どういう…ことだ…おいレフィーヤ、あのヒューマンは…お前の兄はLv1だろうが」
「…そうです…兄さんはLv1で…二週間前に冒険者になったばかりです…けれど…」
「渡りあっている…ミノタウロスに…」
ロキ・ファミリアの面々はその光景に驚き固まっていた。あの少年が狩られると思った瞬間に、光が走ったと思えば重い筈のミノタウロスの一撃を受けていた。ベルはさらにそれだけではなく弾き返したのだ。今にも死にそうだったあの少年は格上の怪物の攻撃を弾き返したのだった。
「…あの剣…もしかして…」
レフィーヤにはその剣に見覚えがあった。それはほかならぬアルゴノゥトの手によって握られていた大精霊の奇跡の結晶、彼がその生涯で命を懸けた執念の証そのものの剣。
「間違いない…『雷霆の剣』…!」
大精霊ジュピターの加護を受けたその体現の剣…彼の武器であった雷霆の剣そのものだった。
「本来の使い手に担われる方がいいに決まってるだろ」
後ろからさらに声が聞こえてきた。さらにその聞き覚えのある声にレフィーヤは振り返った。
「お前もそう思うだろ?フィーナ」
「まさか…クロッゾさん!?」
────
死闘を見た。たとえその剣を手にしたところでも少年と怪物の間にはいかんともしがたい格差があった。だが少年は食らいついた。その剣の力のすべてを使って。体が動かないというのならば無理矢理にでも電気を通し、駆動させる。
怪物が大剣を横に大振りに薙ぐ、少年は雷霆の剣でそれを受け止める。余波で電流が走り、衝撃があたりを包む。そして力負けせぬように少年は足を踏ん張り、地面にそれだけでクレーターが出来る。やがて、雷撃をもって鍔迫り合いを打ち切り、少年はさっきよりも早く、もっと早く、ただひたすらに早く駆けだす。体の限界などとうに超えているのはとっくに分かっている。先ほどから四肢が悲鳴を上げているのは体の主たる自分がわかっている。
だがそんなものは関係ない、黙っていろ。少年は体の悲鳴をそう吐き捨てた、動かないならば電流を流して無理矢理動かすのみだ、血が足りない?意識が飛びそう?もう逃げたい?僕がこんなことをする必要はない?
全部ふざけろ。全部やるべきことだ、私がこの手で、この身で。
アルゴノゥトは英雄の器ではなかった。英雄と呼ばれたこともあったがそれは一時の栄光、ただの道化の壮大な芝居の果てに行きついた結果だ。だからこそ、だからこそアルゴノゥトは英雄になりたかった。器がない、だから道化でいることを選んだ、英雄たちの船であることを選んだ、だが本当は英雄になりたかった。アリアドネをオルナをフィーナを、みんなこの手で救い出して見せたかった、100を救う英雄になれれば良いとどれだけそう思ったことか。
それを今でもあきらめろ?冗談は休み休み言え。ベルは誓った、あの発言にウソ偽りなく、今度こそ英雄になると。だから英雄になる私がどうしてそうも弱音が吐けようか、諦めようか。絶対に諦めないし、リリは見捨てない。英雄になるために私はここでこのミノタウロスを討つ。逃げるな、臆病な精神よ、腹を括れ、覚悟を決めろ。本当に英雄になりたいのは何よりもその臆病な心お前自身だろう。だから英雄になるために今は立ち向かえ!
雷光のように駆ける。その圧倒的なスピードでまずは足を削ぐ、剣をその厚い皮膚に突き立てていく。今度は攻撃が通る、さすが大精霊の武器だと感心する暇はない。だが良い、この剣は使い勝手知る武器そのものだ、武器とこの身は一心同体。ミノタウロスのその足に傷が増えていく。深くはない、だが確実にその硬い皮膚に傷を入れていく。ミノタウロスの蹴りが攻撃中の無防備な体に降り注ぐ、雷霆の剣で守りはしたがその衝撃は殺されない、大剣の一撃が飛んでくることは分かっている、前に、兎に角前に転がっていく。前進だ、前に進むしか勝機はない。
大剣の一撃を無様に転がりながらも避けていく。また瓦礫が飛び体が痛めつけられる。傷は増えていく一方だ。足は削いだ、機動力は大分落ちている。次に削ぐは手だ。
ミノタウロスに突っ込み、その大剣の一撃を目の前に雷霆の剣で諸に受け止める。相手の怪力に押し負けそうになる、膂力が絶望的に足りない、筋肉が悲鳴を上げている、うるさい黙れ、黙って言うことを聞け。足りないというならば動かすのみだ、体のすべてに電流が走る、そして力が増幅される。体の悲鳴を無視して力が増す。今まで押し負けていた鍔迫り合いを制す。力を以てミノタウロスの大剣を押し返す。そのまま走り抜き、大剣を持つ手を斬る。何度も何度も、深さが足りないならば手数で同じ傷に傷を重ねていく、ミノタウロスの腕から血が出ていく。屈強なミノタウロスの皮膚も何度も何度も傷口に塩を塗られたらさすがにキツイものがある。咆哮が悲鳴に近しいものにへと変わっていく。
「…本当によく凌いでいる…」
「でも…攻め切れない…!」
「やっぱり私が…!」
「止せ、レフィーヤ」
「ベートさん…?」
「…アイツはあの雑魚は男を賭けてんだ。…それを邪魔するような無粋な真似はするんじゃねェ」
「で、でも…!」
「まぁ待てよ。…お前だってアイツが負けるはずがないことは分かってるんだろ、フィー…じゃなかったレフィーヤ」
「クロッゾさん…でも…」
レフィーヤの脳裏にはその死闘が蘇る。ミノス将軍と呼ばれていたその魔物と兄の死闘のその記憶が。兄はその戦いの最中で光を失った。どうしてあの人がそんな重荷を背負わなければいけなかったのかが分からなかった。どうしてどうしてとあの時の自分は無力を呪った。そして今もあの人は背負わされようとしていた。
「…兄さん…勝って…!!」
今の妖精は阻まれている。ならば出来ることはその人物の勝利を祈ることだけだった。
「ハアアッ!!!」
ついに腕に怪我を負わせることに成功した。そして持っていた大剣が宙を舞い、地面に突き刺さる。怪物はまだ立ち上がる、この程度でくたばるものではないと不死身のように立ち上がる。
確かに腕や足にケガを負わせ、ダメージを与えたがそれは致命の一撃とは程遠い、消耗をするように狙った攻撃ばかりだ。怪物はまだ健在、体の方も酷使しているがそれもそろそろ限界だ。そして怪物は笑っていた。
「…そうか…そういうことか」
ベルはこの時点でようやく合点が言ったと呟いた。違和感はあった。最初は数多くいるうちのモンスターの一匹であると思っていた。だが執拗にベルを追い回していた。その執着はもう異常と言ってもいいくらい執拗に、執念深く、非常に執着しベルを追っていた。そしてここにきてその怪物は笑っていた。それこそがベルが確信に至った証拠そのものだった。
「そこにいたのか『好敵手』よ」
ニヤリと確かに怪物は笑っていた。怪物に笑みなどあるのかと思うかもしれない。だが確かに笑っていたのだ。
「あの約束を果たす時まで、そこにいたのか『好敵手』よ」
グルルルルという唸りが首肯の意思表示だと言わんばかりに怪物は唸る。
「…健気だな、貴方は」
ベルは戦闘の最中だというのにどこか心が穏やかな気分となった。それはまるで目の前の男が唯一無二の友とも思えてきたからだった。あれほどまで渇望した約束を望むようだ、ならば応えなければ、逃げてしまえばそれはダメだ。何故ならば約束した張本人がその約束を無碍にするのは何よりベル・クラネルの心情に反する。雌雄を決しなければいけないとそう思った。
「良いだろう『好敵手』よ。ここが分水嶺だ。次の一撃で決めるぞ」
「グルルルル…」
ベルが雷霆の剣を構えた。ミノタウロスも武器を失うともその牙や手足全てが武器であると誇示するように構えた。一瞬の静寂、その静寂は先ほどまでの轟音とは比べ物にならないほど静かであった。だがその静寂はあくまで一瞬である。そして火蓋が切られた。ベルもミノタウロスも駆け出し始める、そしてちょうど中央の距離でそれぞれの決死の一撃が決まろうとしていた。最初に仕掛けたのはミノタウロスの方だった。その巨大な拳から放たれた拳を地面がえぐる、ベルは上に逃れるしかない。跳び、雷霆の剣を鋭利に構える。この一撃で決着を。
脇腹に嫌な衝撃が走る、この痛みを知っている。先ほどまで腕に突き刺さっていたものだ。ああ、だがそれでいい、それが狙い通りだ。
「良く、私に角を刺してくれた────」
これで、もう回避行動は取れない。貼り付けたことこそがミノタウロスの致命的な敗因となり得る。これで終わりにしようとベルは言った。
「楽しかったぞ、好敵手よ。この冒険、私は忘れはしない。貴方を踏み越えて私は英雄になる。だから────また逢おう 好敵手よ!!」
そしてベルは脇腹に角を突き立てられたまま、雷霆の剣を額に突き立てた。そして電流を奔らせ、雷撃を迸らせる。
「討て───雷霆の剣よ───ッ!!!」
そしてその身に、雷撃が落ちたのだった。
────
「…兄さん!!」
レフィーヤは決着がついた瞬間に兄の元へ一直線へと駆けだした。
「…酷い怪我…!」
意識を失ったベルは酷い怪我をしているのは一目見ればわかる、脇腹に大きな傷を中心に様々な裂傷や打撲傷など一目で見て重傷だというのが分かった。レフィーヤは今すぐにでも兄を抱えてダンジョンを飛び出したい思いに駆られたがまずはファーストエイドをしなければならないと思い当たったが…
「レフィーヤ、これ使って」
「これは…エリクサー!?アイズさんどうしてこんなものを!?」
「アミッドに渡されていた…今回は使わなかったから返そうと思ってたけど…今が多分、使う時だろうから」
「…すいません!使わせて頂きます!」
エリクサーを使って必死に治療している最中、ヴェルフはその様子をどこか嬉しそうに見ていた。
「…ヴェル吉、この落とし前どう付けるつもりなのだ?」
「いくらでも叱責を受けるし借金でも上等だ。ただこれが最善だと思ったから俺はそうやった…それまでだ」
「晴れ晴れしい顔をしおって…しかしあの剣、あの只人があそこまで使いこなすとはな。あれはお主の知己か?」
「ああ────」
ヴェルフは…クロッゾは笑いながら言った。
「唯一無二の親友だよ」