そうしてはじまりの英雄アルゴノゥトはあっさりと死んだ
世界に踊らされた喜劇の英雄はミノタウロスを打倒後、あっという間に死んだ。だが、それで良かった、それで十分だった。もうそれで英雄の時代は動き出したのだから…そうして英雄の時代は終わりを迎え、神の時代が始まりを迎えた。
…あれから悠久ほどの時が過ぎた現代。ここ迷宮都市オラリオにはその内包するダンジョンに夢を託す冒険者やそれを取り巻く商人やその他諸々の人類が全盛を気づいている都市。そんな都市にて繰り広げられるは新たな軌跡、そして「喜劇」
きっかけはほんの些細な事、のちの未完の大器が祖父が亡くなりオラリオに来るのが二週間早かったそれだけの話である。白兎が二週間だけ早くやってきた、たったそれだけ、だがその違いこそがこんなにも物語に変革を齎す
それでは当代の流儀に則って語りましょうぞ
これは『喜劇』の第二部、あるいは蛇足、そして言うならばファンディスク。誰もが求めず誰もが求める誰もが認めず誰もが認める余分で待望で空虚で中までタップリな
どうかご清聴を、これから語るは止まらぬ勢い、そして息を呑むない展開も必定、それではどうかご照覧あれ──
「ここがオラリオ…本当に人がたくさんだ…流れを見極めないと、人に押し潰されて流されそう…」
都会に初めて来たようなおのぼりの少年、実際そうのベル・クラネルはその都市の圧倒的な人口量に押されて通りを歩く。これから始まるのだ、彼の英雄譚が。…一方そのころ。
ロキ・ファミリアの【千の妖精】レフィーヤ・ウィリディスは一緒に買い物に来ていたほかの三人と逸れていた。尊敬する三人と買い物を来たまでは良いが夢見心地のまま歩ていたらいつの間にか逸れていたのであった。
「あれ…?アイズさんにティオネさんにティオナさんはどこに…?本当に人が多くて見えにくい…」
お世辞にあまり背が高くないエルフの少女はごった煮の人々を懸命に見渡すが探せども探せども探し人の姿はあらず、仕方ないからこうなってはホームで合流するか?などど考えていた矢先だった。そしてまた視点は戻る。
「…うーん?宿屋…にしたって物価が高いって村の人たちが言っていたからなぁ。手持ちにもあまり余裕はないし早いうちにファミリアに入って寝床も見つけないと…」
地図を片手にキョロキョロと当たりを見回すベル。その落ち着きない様子では目の前に人物が迫っていることに気が付けないもの道理だった。そしてまたまた視点が戻ってレフィーヤ
「んくっ…背伸びしたって焼け石に水…もう一旦ホームに戻って連絡を…」
勢いよく振り返ったレフィーヤはようやくその時に気が付いた、目のまえに少年がいたことを。
そして少年も漸く気が付いた、目の前に少女がいたことに。だが気が付いた時にはもう遅い、もはやここまで来た二人の接触など語るまでもなし。
「きゃあっ!?」
「うわっ!?」
そう正面衝突である。エルフの少女とヒューマンの少年はそれはもう見事に正面からごっつんこした。本来主神の恩恵を貰っているハズのレフィーヤにとって目の前の少年はただの一般人である。肉体の作りからして違うから別に正面からごっつんこしても転ぶようなことはないのだが、やはり油断していたことかつ、魔導士であったことから転倒してしまった。頭同士をぶつけたためレフィーヤの視界には星が舞っていた。
一方ベル・クラネルの復帰は早かった。まだ視界が不明瞭ながらも自分が目の前の少女を転ばしてしまったことを理解した彼は瞬時に立ち上がり慌てて声をかけた。
「だ、大丈夫ですか?すいませんぶつかってしまって…あの、立てますか?」
そしてようやく明瞭になってきた視界でその少女を見たのだった…そう一言でいうならば美しいエルフの少女だった。ベルは見惚れると共にどこか胸の奥から、心の底からその女性に親愛を覚えた。…とてつもない親愛を、それは言葉では表せない親愛を。
一方レフィーヤは自分を転ばせた不届きもの…と一瞬思ったが前を見ていなかったのはこちらも同じ、一方的に責めることなど出来はしないと考えはまとまった。そして視界がようやく明瞭になり、自分を転ばせた相手の顔が見えて来た。その少年は手を差し伸べていた。…ようやく視界が完全に戻った。そしてその顔を見た。────瞬間、レフィーヤは世界がまるで永遠のように、周囲を歩く人々の動きが止まったように、時間が停止したようにそんな感覚に襲われた。
その白い髪をレフィーヤは知らないが私はよく知っている。その赤い瞳をレフィーヤは知らないが私はよく知っている。その青空が似合う優しい笑顔をレフィーヤは知らないが私はよく知っている。その声も、その背丈も、その顔の作りも、その足も、そしてその差し伸べている手も、全て私はよく知っている。
…脳内に変なヴィジョンが流れたレフィーヤは正気に戻った。そして目の前の少年に礼を言おうとしたレフィーヤは口を開いた。しかしその口から出たのは本人も知覚しない無意識、阿頼耶識から飛び出るその魂に刻まれた少女の心からの言葉。
「あ…」
「…あ?」
ベルははてなと首を傾げた、目の前の少女は目を見開いたまま動かない。そして一瞬で黙ってしまった。痛かったのかと責任を感じた時、その少女から次なる言葉が紡がれた。
「…『アル兄さん』…?」
瞬間、ベル・クラネルに雷が落ちた。本当に落ちてなどはいない、比喩である。だがその一言がベルの意識を永遠の牢獄へ捉えた。知っている…知っている…知っている…僕は知らない、だが僕は知っている。この女性をこの少女をこの妹を私はよく知っている。花のようなその女性を私はよく知っている。僕はよく知っている。彼女に良く殴られた、蹴り飛ばされて折檻された。そして泣かせてしまった、心配をかけた、笑ってくれと頼んだ。笑顔に救われた、その笑顔を守った。守り続けた…そうとも私はよく知っている。この世界に二人といないエルフをよく知っている。
「ク…ハハハ…フハハハハハッ…」
ベルの口から出るは本来の彼ならば絶対に言わない笑い。穏やかで気弱なベル・クラネルなら確実にあり得ない笑い。村の知り合いがいたら腰を抜かすだろう、そして目の前のレフィーヤも自分が口ずさんだ言葉に気が付かず急に笑い出した少年を超が付くほど訝しい目を向けた。なんでこいつ急に高笑いなんかし始めたんだと?…でもそれはすぐに消える。なぜならば少年は語るからだ。少年はもう識っている、もう覚えている、もう思い出している、その記憶を、その思い出を、その意思を、その想いを…その物語を。さぁ再び紡ごうその言葉で、現世に高々と。
「これは『悲劇』か?『惨劇』か?『騒動劇』か?いいや違うとも…間違いなく言える、これは続きである。誰かが望んだ続きである。誰かが望んでいなくても続きである。私がたった今望んだ続きである」
急に大声を出した少年の姿に通行人もかなり珍しいものを見ているような目で視線を晒す。
「綴ろう、英雄日誌『これは続きである。誰もが可笑しく笑ってしまう、心の底から明るくなる物語の続き────』」
ベルは長年使い続けたメモ帳を取る。そして高らかに宣言した。
「『これは喜劇の続きである。終幕した喜劇のその先の────さらなる喜劇である』」
…レフィーヤは息を呑んだ。ああよく知っているとも、もう忘れてなどいられないとも…そしてベルは再び手を差し伸べてこう言った。こう言うだろうと思っていることを言ってくれた、何も変わらない、どれだけ時間がたとうとも死が二人を別ったとしても人生を超えたとしても変わらない彼が言った。
「ただいま、フィーナ」
ならば返す言葉は二言はいらない。これだけでいい。差し出した手を握る、もうこれ以上の感慨は必要ない。だから言おう、この人に。
「…お帰りなさい、アル兄さん」
ただそれだけの言葉で十分だ。
────────
それからの動きはもう早かった、あそこまで目立てばもうあそこにはいられない、二人は邪魔の入らない所に速やかに逃げていった。まるで蜘蛛の巣を散らばせるように疾く、疾風より早く、これ以上は恥を晒せないとも言う。そしてようやく誰もいない街角のベンチでベルは腰を下ろし深いため息を付いた。
「…やっちゃった…公衆の面前であんなに目立っちゃった…」
「…何ですか後悔してるんですかあなたらしくもない。というか本当に兄さんなんですか?キャラが違いすぎませんか?」
「おおっとそれに関しては許してもらおう妹、フィーナよ。突然蘇った前世の記憶、再会した前世の妹…私としてはロマンティックそのものの最高の物語ではある…あるがこの肉体がこの生で生きてきたのもまた紛れもない事実でね、前の私より今世の僕はシャイな性格なのさ!笑って許してくれ!」
「そんな風に高笑いするような人間がどこがシャイなんですか。…でも、そうですね。私も思い出しましたけど、それでこの人生の歩んできた道は無に帰したわけでもない…不思議です…レフィーヤとフィーナ…二つの記憶、二つの意識…二つの思いがあるのにまるで何の違和感も無く一つになっているみたい…」
「フィーナよ、二人じゃない。今も前もどちらも私だ、そして君だ。どちらが偽物でなくどちらが本物でもない。どちらも私自身で君自身なんだよ。まさしく同一人物、別人であり、そして同じ人物だ。私が歩んできた喜劇もこの生もどちらも真のものだ」
「…兄さんにしてはずいぶん哲学的なものの言い回しですね、何か今までの人生で悪いものでも食べました?兄さんはもっと短絡的で向こう見ずで女好きでナンパ癖があって妹に責任を擦り付け尻拭いさせるろくでなしなんですけど」
「酷い!事実だから何も言えないけどその言葉の刃物が私の心を削る!クゥ…身から出た錆そのもの…!!」
そしてその漫才のようなやり取りを見てどちらかが笑い出した。それはどちらかは定かではない。そしてそんなことはどうでもいい。…一頻り笑いあった後、ベルとレフィーヤは向き合った。
「初めまして、フィーナ。僕の名前はベル・クラネル」
「初めまして、アル兄さん。私の名前はレフィーヤ・ウィリディス」
そして3000年ぶりの抱擁を漸く交わしたのだった。
「…ねえ兄さん聞いて、私はレフィーヤとして多くの人に会ってきたよ。昔見た人もたくさん見てきたよ。たぶん生まれ変わってるのは私たちだけじゃない。オルナさんも…ユーリさんも、それだけじゃない。たくさんたくさんいた。…記憶は戻ってないみたいだけどね。それと…兄さんと私が夢中になったあの人…お姉さまも」
「…そうか…姫もか…彼女は天寿を全うし悔いなく逝ったのだろうな。そして多分今も強く生きているのだろうな」
「うん、強いよ。…強すぎてちょっと付いていけない時があるくらいにはね。その話はあとでするよ…今はこうして…」
「ああ、そうだ…今は私と兄妹の抱擁を交わそう、妹よ。…しかし妹と呼べなくなってきたのでは…?」
ベルの脳内には一つ可能性が思い当たった。ぶっちゃけ
「あ、そうだ年齢言ってなかったっけ…私は15歳ですよ兄さん」
「…何と!?まさか妹が年上になろうとは!?年上の妹という壮大な矛盾を孕んでいる!いやしかし親の都合で母親になった年下とかに連想されるものがあってそれはそれでイイ!」
「…あ、兄さんなんだなって確信しました。ていうか年下なんですか兄さん。もう兄さんじゃないじゃないですかでは兄さんではない兄さんと…」
「ややこしくなるから止めてほしいなぁ!!」
兄は絶叫した。妹はどこか冷めた目で抱擁していた。
そして長い間の抱擁が解かれた。そして改めて向き合う。
「認めたくはないがどうやら前世に比べて私には性格の変容が起きているようだな。それも前世の記憶を取り戻したことによるベル・クラネルとの人格の統合とも言うべきか。英雄になりたいしハーレムも作りたい!けれど女性に声かけるのは恥ずかしい!という何という崩落しそうな精神状態!…割と馴染んでるから割と何とでもなりそうな気もするけどネ!」
「…え、あの兄さんが女性に声をかけるのが恥ずかしい?天地でもひっくり返ったのですか?あるいは生まれ変わったのですか?」
「うん、生まれ変わったんだけどね」
コホンとベルは話を戻した。
「もとい、私だけではない、レフィーヤ。君も少なからずフィーナの時から性格に変容があるはずだ」
「そう…ですね、レフィーヤはもっとこう意固地で頑固な性格なんですけどフィーナの記憶も混ざってから少し考え方が柔軟になった…かもしれません」
「とにかく僕にもレフィーヤにも、多分分からないことだらけ…それに不安もあるけれど…だが心配は要らない!何故ならば私と妹…この比翼連理がいれば何も心配することはない!そうだろう?」
「…そうですね、私と兄さんがいれば心配することなんて何もありません…どうか、これからもよろしくお願いします。兄さん」
「…所で妹…レフィーヤよ。」
「…急に何ですか兄さん」
「君はこの世界でも美しく育っている。それは私も喜ばしいことだ…しかし…」
「…しかし?」
そのベルの真剣な様子に思わずレフィーヤも息を呑んだ。
「レフィーヤ、前世よりちょっと肉付いた?いやぁ健康に育っていて私嬉しい!前のフィーナだとちょっと痩せてる時もあったから心配だったけどレフィーヤは健やかに育っていて兄としてこれより喜ばしいことはな…」
「この…」
レフィーヤは力いっぱいに拳を握った。
「この…バカ兄さぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!」
そしてそのパンチがベルの顔面に突き刺さったことは言うまでもあるまい。そして壁を破壊して叩きつけられたベルは意識を失う直前に呟いた。
「信じられません!女性にそんなこと言うなんて怒りますよ!!」
「もう…怒ってます…レフィーヤさん…」
そして白兎はこの世から意識を手放した────