5歳児を衰弱死させた父親の絶望的な「孤立」 「助けを求めることを知らない」親たち

2017/04/12 5:00
メディアや検察が強調した「残虐な父」というストーリーだけでこの事件を語れるのか(撮影:今井康一)
2014年に神奈川県厚木市内のアパートで、幼い男の子の白骨遺体が発見された。父親が一審では懲役19年の殺人罪に問われたが、今年1月の二審判決ではその原判決が全部破棄され、懲役12年の「保護責任者遺棄致死罪」となった。
いったいこの事件で何が起きていたのか。児童虐待の問題にも詳しいジャーナリストの杉山春氏が迫ります。
前回記事:厚木5歳児衰弱死事件が示す「法医学の限界」
目次

 

2014年5月、神奈川県厚木市のアパートで幼い男の子の白骨化した遺体が発見された。亡くなったR君は当時5歳。人が多く住む住宅地の中、ゴミであふれかえった一室に、遺体は7年も放置され、誰も気づかなかった。当時、新聞をはじめ多くのメディアがその事件をセンセーショナルに報じた。

R君はトラック運転手であるSと2人で暮らしていた。母親が家出した後、電気、ガス、水道が止まった。その部屋の扉に粘着テープを貼り、R君を閉じ込めた状態で、Sは日々仕事に出掛けた。

2人の生活が2年を過ぎた頃、R君はひっそりと亡くなった。メディアはSがいかに「残虐な父」であるかを競うように強調して書いた。前回記事でも書いたとおり、検察もそのストーリーに沿って裁判を進めようとした。

R君の失われた命は戻らない。しかし筆者は1審、2審の裁判を傍聴し、拘置所で父親のSとの面会、手紙のやり取りを続けるなかで、「残虐な父」というストーリーだけでこの事件を語れるのかと、違和感を持った。そして社会にSOSを出せない家族が、ここまでの孤立を抱え込むのかということを感じた。

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「大阪二児置き去り死事件」との相違

この事件と少々似た事件がある。2010年の夏、大阪市西区で23歳の風俗店に勤務する母親が3歳の女の子と1歳半の子を50日間、風俗店の寮である単身者向けマンションに置き去りにし、亡くした。この事件を筆者は『ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件』にまとめている。

この母親も、子どもを部屋に閉じ込めて、外側から粘着テープで扉を留めた。寮に戻らなかった50日間、男性の家を転々とした。

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ただこの時期のこの母親とSの子育てには大きな違いがある。この母親は子どもたちと家に住んでおらず、ゴミに埋もれた部屋には幼い子ども2人だけが暮らしていた。深夜2時に部屋のインターホンからは、「ママー、ママー」という幼い女の子の声が漏れた。

だが、その後ろには子どもをなだめる大人の声がしない。そのことに不安を感じた住民が、虐待ホットラインに匿名で3回電話をしている。この通告は生きず、児童相談所は母子を助けることができなかったのだが、誰にも気づかれなかったわけではなかった。

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誰も気付かなかった、父子の極限の生活

一方のSの事件。Sは、この家の雨戸を閉めきり、電気、ガス、水道が止まった状態ではあったが、R君と一緒に少なくとも2年間、暮らした。食事はコンビニで買ったおにぎりとパン、500ミリリットルのペットボトルに入った飲み物。それを出勤の日は1日2回、休みの日は3回与え、その傍らで自分も食事をし、酒を飲んだ。

言葉の乏しい息子と一緒に紙をちぎって、ひらひら舞い落ちる感覚を楽しんで遊んだ形跡も残っていた。そこは父子の生活の場だった。

それにもかかわらず、父子が生活した2年間、子どもの声を聞いたという証言はない。その後も7年4カ月もの間、事件は発覚しなかった。

子どもがこの家で育っていた当時、近所に住んでいた女性に話を聞くことができたが、彼女は次のように語った。

「雨戸が閉まりっぱなしの家から、時折、カタカタという音はして、小動物を飼っているのかと思っていた。だが、子どもの声や泣き声はしなかった」

少し離れた家に住む住民は、ここに幼い子どもが住んでいたことさえ知らなかったと言った。「お腹を空かせていたなら、ご飯を食べさせてあげたのに」とその死を悼んでいた。

R君は1度だけ、公的機関につながったことがある。3歳だった2004年10月上旬、半袖のTシャツに紙おむつ姿で早朝4時半に家の近くを1人で歩いていて、警察経由で児童相談所に保護されている。この時、体が汚れ、意味のある言葉を話すことができなかったと、児童相談所の記録にある。だが、虐待ではなく迷子と区分され、迎えに来た母親に返された。

母親は反省しており、児童相談所による家庭訪問を受け入れたという。だが、その日のうちに、買い物に行くと言って家を出て、そのまま戻らなかった。

虐待であれば、児童虐待防止法を受けて、児童相談所はR君の安否を確認し、家庭に踏み込むことができる。だが、児童相談所は虐待ではなく、迷子と判断した。さらにその1カ月後。厚木市が行った3歳6カ月検診をR君は受診しなかった。県の機関である児童相談所と厚木市に情報の共有はなく、危機を察知する人がいなかったのだ。R君を救い出す機会は、そうして失われた。

Sは徹底的に、自分の子育てを社会から隠していた。仕事先、自身の実家、妻の実家、そしてSの新しい交際相手も、ここでSがたった1人で子どもを育てていることに気がつかなかった。

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「普通の大人なら、人に助けを求めるだろう」と思うだろうか。Sはそうしなかった。そして、精神保健の分野では援助希求行動がないことは、自傷行動だとされる。

父親であるSは、いくつかのハンディキャップを抱えていた。大きくは4つある。

ひとつは、知的なハンディキャップ。2つ目は、精神疾患のある母親の下で育った生い立ち。3つ目はシングルファザーであったこと。4つ目は妻も実家との関係がよくなかったことだ。

Sのハンディキャップに従って事件を読み解くと、法廷で奇異にとらえられたSの証言にも、理解できる部分が出てくる。ここでは知的なハンディキャップと、彼の生い立ちについて取り上げてみる。

40年近く、軽度知的障害のある人たちの支援にかかわってきた田口道子さん(性搾取問題と取り組む会事務局)は、知的なハンディキャップのある人たちは、ない人たちとは「異なる文化」を持っていると言う。

「こうした人たちは、1つのことをコツコツ積み重ねていくことは得意です。その一方で、抽象的な思考や見通しを持つことが苦手で、時系列で説明することも苦手です」

日常の会話の中で、彼らのハンディキャップを感じることはまずない。だが、しばらく話をするうちに違和感を感じてくる。

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父親は、会社では高い評価を得ていた

Sは、法廷で裁判官に「小学校への入学をどう考えていたのか」と問われて「気になったが深く考えなかった」と答えている。その答えは無責任な父親という印象を与えた。だが、彼は将来の見通しを考えにくい特質を持っていたと考えれば合点がいく。

Sは、R君と2人だけで暮らし始めた当初、スズキのワゴンRを所有しており、休みの日には、R君を乗せて少し離れた公園に出掛けている。だが、車が壊れてからは、公園には行かなかったという。裁判で、いつ壊れたのかと聞かれて、答えられなかった。だが、これも時系列が語れないという知的なハンディキャップから起きたことかもしれない。

一方、遅刻や早退、欠勤なく働き続けたのは、ルーチンワークをコツコツ積み重ねる力が前面に出たためだともいえる。これは、彼の会社での評価の高さにつながった。あるいは、会社側に自分の窮状を話して、自分の状況を改善させることができなかったのは、見方によっては、周囲にノーという力が弱かったからだとも言える。

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前出の田口さんによると、精神遅滞と呼ばれる人たちは数字上では2.2パーセントおり、日本には270万人以上いる計算になる。だが、そのうち、障害を認めて、障害手帳を取得している人たちは約74万人だという。

「多くの、特に軽度の知的ハンディキャップのある人たちは、配慮されずに育っています。多くの人が、お前はダメだと言われ、しかられながら生きてきた。大人になって自己肯定感が低い人になり、自分はダメだと思ってしまいます。助けを求めるものだとも思っていない。困ったときに助けを求められず、困難に巻き込まれていくことになってしまうのだと思います」

さらに、そうした特性から、取り調べの時、誘導されやすいなどの特徴もあるという。

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精神疾患がある母親に育てられた過去

Sの2つ目のハンディハンディキャップは、精神疾患がある母親に育てられたことだ。12歳のときに、母親が統合失調症を発症した。ろうそくを家の中に立てて、その周りをぐるぐる回ったり、その火が着衣に燃え移り、全身やけどをするというエピソードを持っている。また、母親が家の外に出て行って叫び声を上げるということがあった。裁判のなかでSは次のように述べている。

「母の発症がショックで、嫌なことは日々忘れるようにしていた。親に甘えた記憶はないです。悩みを相談したこともない」

どう対処していいかわからないほどの困難に出合ったとき、考えないようにしてやり過ごすというのがSの身の処し方だった。

Sの心理鑑定をした、山梨県立大学の西澤哲教授は裁判で「極めて強い受動的な対処方式があった」と語った。

「Sさんは、極めて強い受動的対処法がある。問題が起こったら、解決に向けて何かしていくのではなく、与えられた環境をただ受け入れていく。それが非常に強い感じがします。

彼のお父さんは三交代で働く仕事をしていて、家族との交流がない。その中でお母さんに精神疾患の発症があった。お母さんのことは誰にも相談したことがないという。お母さんが外で大きな声を出しているのを、自身で家の中に引きずり込んだこともあった。そうしたことが、彼の受動的な対処様式を作り上げたのではないかと思います」

Sは私への手紙では次のように書いている。

「お母さんが病気になった時は(略)誰にも知られたくありませんでした。特に同級生には知られたくなかったです(略)。(家族から)病気の事を人に言ってはいけないと言われていませんが、家中がなんだかそういう雰囲気でした。時々自分のことがどうでもいい気持ちになる時があります。今でもそうなる時があります。(略)お母さんが家の外に出て声を出して、お父さんが家に引き戻す(略)事はありました。(略)一緒に手伝ったこともありました」

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筆者は拘置所でSに面会したとき、幼い時、1日に3度食事をとっていたかと尋ねた。すると、記憶がないと言った。「お母さんが病気になって、おばあちゃんが家に入ってきてからは3度ご飯を食べていました」という。

母親が発症したのはSが12歳のときだが、その前、長期間、母親は状態の悪い時期があったはずだ。Sは、12歳以前の母親についての記憶もあまりもっていない。

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子ども時代の記憶がないことが意味すること

Sにとって、子ども時代の記憶がないということは、その時代の子育てのモデルをもたないということだ。

3歳の子どもに与えるものが、1日に2回のコンビニのおにぎりとパン、500ミリリットルの飲み物という行動も、子育てモデルがないからだという分析をすることができる。

精神障害のある親の元で育つ子どもの支援にかかわってきた鈴鹿医療科学大学看護学部の土田幸子准教授はこうした子どもたちの中に、子どもの頃を思い出せない人たちは多くいると言った。

「子育てモデルがないので、子育てに強い不安を抱える人たちがいます。『育て方がわからない』と相談して、『難しく考えることはないのよ。自分が育てられたように育てればいいのよ』と言われると、それ以上尋ねることができなくなる人たちがいます」

土田は、親が心の病を患う中で育った子どもたちは、虐待を受けた子どもたちとおなじような特質を持つ場合があるという。

「周囲が親を否定的に見れば、自分自身のことも否定的に考えるからです」

1審の法廷では、Sが2014年5月30日に逮捕された当時の取り調べのビデオ録画が流された。傍聴席には音声のみだったが、警察官の「あなたも自分の4歳、5歳の時のことを思い出してもらえればわかると思うのだけれど、生活などできないだろうし、ご飯だって作れないだろうし。その責任があったことはわかっているんですね」という問いかけが最初だった。

「ええまあ」などと、Sは話を合わせるような受け答えをしている。警察官は、Sが3度の食事を食べさせてもらった記憶がないとは意識していなかっただろう。問いが発せられ、言葉に詰まるSにヒントを出し、取り調べる側の思考の範囲の物語が作られていった。

さらにSにはあと2つのハンディキャップがあった。それも父子の生活を深刻なものにした。それについては、次回の記事で取り上げていく。

杉山 春 ルポライター

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すぎやま はる / Haru Sugiyama

1958年生まれ。雑誌記者を経て、フリーのルポライター。著書に、小学館ノンフィクション大賞を受賞した『ネグレクト―育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか』(小学館、2007年)、『移民環流―南米から帰ってくる日系人たち』(新潮社、2008年)『ルポ 虐待―大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書、2013年)『家族幻想―「ひきこもり」から問う』(ちくま新書、2016年)など。

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