楽しくなる道が正解だよ。
愛知在住の女性M様から「家庭も仕事も大変で、話を聞いてもらいたい」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。家族みんなが病気になって、私が頑張らなければならないのだけど、過去の頑張ってた頃と比べて頑張れてない自分に自信がなくなる。やる気が欲しい。息子からは「僕がどれだけのことを犠牲にして学校に行っているかお母さんは知らない」と言われた。正解がわからなくなる。M様は、そのようなことを言った。
やりたくないことをやる時に必要になるものが、やる気だと思う。やりたいことがあれば、やる気なんかなくても、勝手にやる。頑張るという言葉も同じだ。嫌なことをやる時に、頑張る必要がある。私は、応援しているので頑張ってくださいと言われると「頑張ってたまるか」と思う。俺は頑張らないことに決めた。お前から見たら俺は頑張っているように見えるかもしれないが、やりたいからやっているだけだ。頑張ると、頑張りを認めて欲しくなる。報われたくなって、目的と手段が分離する。違う。喜びが、目的であり、手段だ。
犠牲という言葉に引っかかった。犠牲という言葉を使うと言うことは、本当はやりたいことが他にあって、だけど周囲のためにそれを諦めて期待に応えてあげたと言う、恩着せがましさや傲慢さを感じる。やりたくてやっているのではなく、やってあげているのだ。やりたいことをやっている人は、犠牲なんて言葉を使わない。たとえ、そのことによって一般的な幸福を失うとしても「今世はこれをできただけで満足だ。あとは来世に期待」となって、平気で爽やかだ。平気で爽やかになれないのは、誰かのせいにしているからだと思う。
M様は言った。こんなことを言うと頭がおかしいと思われるかもしれないけれど、息子が生まれた時「生まれてきてくれてありがとう」って思わなかったんです。それよりも「生まれてきてよかった」って思ったんです。自分よりも好きな人ができた。そのことが、どうしようもなく嬉しかったんです。私は「ブラボー」と言った。それだ。その感覚だ。その感覚を忘れるな。家に帰ったら息子にその話をしろ。何回も何回も「あなたのおかげで私は生まれてきてよかったと思ったんだよ」と言え。生まれてきてくれてありがとうなんて言葉は気持ち悪い。そんな言葉を言われても、私は全然嬉しくない。死んだ魚の目をした人から「生まれてきてくれてありがとう」と言われるより、キラキラした目をした人から「生まれてきてよかった」と言われる方が、何億倍も気持ちが良い。
家族の問題は連鎖する。自分がのびのびと生きることができていないのに、家族にのびのびと生きることを期待するのはお門違いだ。こどもは、親が言っていることではなく、親がやっていることの真似をする。親が無理をしていたら、こどもも無理をするようになる。のびのびと生きて欲しいなら、自分がのびのびと生きることだ。楽と楽しいは反対ではない。楽で楽しい道だけが本当で、楽しむためには楽をしちゃいけないと思うと、自分から離れる。犠牲とかやる気とか頑張るとか言うようになる。過去の価値観を手放す時は、勇気がいる。怖くなることもあるだろう。だけど、絶対、大丈夫。絶対にうまくいく。楽になる道が正解だよ。楽しくなる道が正解だよ。困った時は俺を呼べ。俺で給油しろ。そして荒野へ走り出せ。
おおまかな予定
4月22日(火)愛媛県松山市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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