菊地和久さんインタビュー#04~水野あおいさんもバンダイ・ミュージック/MOOVe RECORDSに移籍
水野あおいさんが『夏の恋人』から移籍
――そして、水野あおいさんが『夏の恋人』(97年7月5日リリース)からバンダイ・ミュージック/MOOVe RECORDSに移籍しましたが、どのようないきさつで?
「『夏の恋人』はそれまでと同様にセンチュリー・レコードさんからリリースする予定で、原盤制作をアルテミスがお金を出して行っていたんですけれど、センチュリーさんが海外でプレスしたそうなんです。海外プレスなんて、90年代は国内プレスに比べ品質がずいぶん違うのでメジャーメーカーはしていないんですよ。でもセンチュリーさんは安価な海外プレスにしたと。それがまた残念なことに、できてきた初回3000枚のCDが “音飛び” していたそうなんです」
――”音飛び” ですか!!
「当然そんなCDはもう発売できないと。野間さんはもう憤りと呆れという感じで、『もうセンチュリーではリリースできません。なんとかMOOVe RECORDSで扱ってバンダイ・ミュージックから出せないか』と相談されまして……」
――ほうほう。
「それで、契約としてはバンダイ・ミュージックと私の間でしかなく、当時は私さえよければ、その責任の下でバンダイ・ミュージックから出せるって感じでしたので、では『夏の恋人』はやりましょうと。その時点でそれ以降のことはまだ未定でした」
――はいはい。
「森下純菜がバンダイ・ミュージックになって『フルーツパフェ』を出す直前だったと思います。その時期に、バンダイ・ミュージック社内でマスコミを集めて記者会見をやっているんですね」
――ほうほう。
「記者会見が大好きだったので(笑)。MOOVe RECORDS立ち上げのときも渋谷のライブハウスを借りて、記者会見をしているんです」
――ははは(笑)
「バンダイ・ミュージックの会議室でスポーツ新聞系や雑誌系を集めて、森下純菜と水野あおいが一緒に出席して会見しているので、これ(『フルーツパフェ』)が発売される前に『夏の恋人』をバンダイ・ミュージックから出すことに決まったのだと思います」
――そうなると、プレスが失敗したというのはその前ぐらいなんですね。
「はい。野間さんはもうセンチュリーとは切れますと、憤りと呆れで何とも言えない表情をしていたことを憶えています(笑)」
――なるほど。
「ただ、ウチは、本来「制作」するレーベルなので、他社の原盤を扱うことはあまりやりたくないなという話は少ししたんです。でも、『夏の恋人』はもう原盤を作ってあって、なんとか出したいという野間さんの強い意向があったので、『夏の恋人』は出しましょうと。その後をどうしましょうかという話で、森下純菜は私が曲を書いてほぼ一人作業ですが、それとは同じにならないように外部の作家を使いましょう、という話はしたと思います」
――ほう。
「森下純菜はぜんぜんわからない状態から入りましたけど、水野あおいは売上げもある程度みえている状態なので、外部の人にもお金を払いやすい。両方とも私が作るのでなく、私の知り合いの作家に発注する形で差別化を図っていきましょう、となったと思います」
――はいはい。
「それでバンダイ・ミュージック/MOOVe RECORDSで販売することになり、小売店にリリース情報を出しました。問題は、その後センチュリーがリリース情報を流したという……」
――ええ!!
「小売店とすればMOOVe RECORDSとか関係なくて、バンダイ・ミュージックから来ているリリース情報、それと注文書ですね――それが来ているのに、同じようなタイミングでまったく同じアーチストの情報がセンチュリーからも来て、「何これ?」とバンダイ・ミュージックに問い合わせがありまして……。それで、バンダイ・ミュージックから「何これ?菊地さんどういうことよ」となって、あれれ、ちょっと信用を失いかけたという話です。出だしにして(笑)」
――それはそれは。センチュリーはプレス失敗までして、なんでリリース情報を出したんでしょうね。
「そのあともう一度、再プレスをやろうとしたんじゃないでしょうか」
――センチュリーにうまく話が通じていなかったのか、それともセンチュリーが是が非でも出そうとしたのか……
「でも、あの時代に海外プレスというのはメジャーメーカーだったら考えられないです。今よりもぜんぜん品質に差がありましたから。余談ですが、宇多田ヒカルのファーストアルバムは売れすぎていろんな工場で作っているんです。その中で海外のプレス工場が一箇所あって、そこでプレスされたものは明らかに音が悪いそうなんですよ」
――そうなんですか。
「それを検証している人がいて、やはりみんなそう思うらしいです。2000年前後でそうなので、あの時代ではかなり厳しいです。90年代半ばぐらいは国内プレスに絶対こだわっていましたから」
――ほーお。菊地さんとすれば渋りながらも、野間さんの頼みだから断れないなあと。でも、水野あおいさんとすれば『夏の恋人』が出せたので救われた感じはありましたね。
「そうかもしれません。夏のキャンペーンやライブも何本もやってましたし、たくさん売ってくれました(笑)」
『Ring a Ding~倫子のテーマ~』決定秘話⁉
――続いて、97年10月にリリースした『Ring a Ding~倫子のテーマ~』のいきさつですが……
「『夏の恋人』を出した頃に、森下純菜が『太陽のミルクレープ』(1997年7月21日リリース)を出しているんです。バンダイ・ミュージックとの契約では、マスタリング段階からバンダイのスタッフがかかわることになっていて、こちらで完パケを作り、バンダイのスタジオに行ってバンダイのエンジニアの方がマスタリングをおこなってバンダイの品として出しますという、そういう契約なんですね。
そのマスタリングでスタジオにいるとき、販促の展開についても営業部と打ち合わせするんですが、その中で話が出てきたと思うんです。『企業戦士YAMAZAKI』というOVAが出ることになって、主題歌はRomiという人が歌うことで決まっている。挿入歌はそのOVAのプロデューサーが自分で書いた曲を入れると言っていて、それは絶対事項だと。バンダイ・ミュージックでその話を受けて、何人ものアレンジャーに発注して作ったらしいが、それはみんな却下されたと」
――ほうほう。
「何人ものアレンジャーが編曲したが、そのプロデューサーがみんな気に入らなくてボツになり続けている、ちょっとこだわりの強い人でって…… それどんな人ですか?って年齢とか雰囲気を聞いて、譜面だけもらって数日後にラフアレンジのデモテープを出して聞かせたら、そのプロデューサーが『僕の求めていたのはコレですよ!』って(笑)」
――おお。
「まだ誰が歌うのか決まっていなかったので、それで野間さんに相談したんです」
――そういういきさつだったんですか。
「野間さんは森下純菜と水野あおいの両方を提案で出したと思います。それで、選ばれたのが水野あおいだったんですね」
――ほうほう。
「だから臨発(臨時発売)です。急に決まってレコーディングして、行きましょうと」
――野間さんもそのプロデューサーについては、大阪の少し不思議なおじさんで、と微妙な言い方をされていました(笑)
「ぜんぜん知らない方でしたけれど、スタジオで聞いた話を『ちょっと私にやらせてもらっていい?』で始まって、野間さんに相談して、野間さんから2人を提案して、水野あおいさんで決まって…… ただジャケットの表面はこのアニメの絵を使わないといけないっていうのがあったんですね」
――なかなか厳しいですね(笑)
「水野あおいが歌うことに決まり、急遽このツインテールのキャラクターを劇中に入れて水野あおい本人も出演させよう、となったんです(ジャケット裏面の女の子のキャラクター)。OVAのクレジットに〔水野あおい・特別出演〕となってますが、水野あおいが出てくるシーンを急遽あとから入れたんですね」
――へえ。
「たぶんその方が、商業的に数字がいけると思ったんでしょうけど。集英社がらみなので権利関係とかがいろいろあって、あまり自由に使えなかったりしました。で、このOVAも商業的にはあまり良くなくて、これ一本であとは続かなかったです。そのプロデューサーの事務所が、アルテミスでも販売してくれって言ってきて、事務所同士がぎくしゃくし始めた感じもあって……」
――なるほど。
「この話のあと、そのプロデューサーの所属する声優スクール(養成所)があって、そこの永野愛という新人が、『美少女戦士セーラームーン』シリーズの後番組『キューティーハニーF』――キューティーハニーの少女向け版のようなアニメですが、その主役(如月ハニー役)に大抜擢されたんです」
――ほうほう。
「そのプロデューサーから永野愛をタレントとして動かしたいので、CDデビューさせたいという話が私に来ました。それで98年4月にシングルCD『夢のラプソディー』を発売したんですが、そこは『Ring a Ding~倫子のテーマ~』あってのつながりですね」
――そのプロデューサーとはその後も続いたんですか?
「そこまででしたね。『企業戦士YAMAZAKI』もセールス的にあまり行かなかったし、永野愛も本人が声優活動以外はあまりやりたくないということでしたので。そこで終わりです」
――そうでしたか、残念でしたね。それでカップリング曲『狼なんか怖くない』の話ですが……
「カップリング曲はどうしますかって聞いて、野間さんから『臨発ですから、カバー曲でどうでしょう?』と提案があって、しばらくして『狼なんか怖くない』で行こうと思っていますと。(編曲をするので)その譜面をもらえますかって聞いて、譜面を野間さんからもらっているんですよ、たしか」
―へえ。
「その時、私は『バーニングのほうは大丈夫ですか?』って尋ねた記憶があって、『ああ、大丈夫です、こちらで話できます』って言っていたんです」
――へえ、それではちゃんと話はしたんですね。
「おそらく。ただ、カバーするだけだったら著作権に関する支払いをすれば誰でもできるんです」
――なるほど。
「当時、カバーでCDを出しているインディーズ系のメーカーはいっぱいありました。大幅な改変をする場合は別モノになってしまうので、著作者の許諾を得なければできませんが」
――ほうほう。
「私が育ってきたメタルの世界では、道義的な意味での挨拶なしでカバーやってアルバムに入れたら、もうボコボコにされるっていうか(笑)、そういう風潮はありましたね。だから大丈夫ですかって聞いたんです。それに挨拶なしで適当にやった場合、後に面倒なことになったという話を聞いたこともありますし」
―そうでしたか。野間さんは『狼なんか怖くない』を選んだのは「僕じゃなかったと思います」とおっしゃっていたのですが……
「野間さんが選んだのではなくて、誰かに言われたのかもしれないですね。アルテミスの社内打ち合わせとかで」
――ああ、なるほど。
「それで、この曲のアレンジに関しても、原型をそんなに崩さずにオリジナルの形に近い――ドラムの音を今(98年当時)風にするなど、当時ピチカート・ファイヴが流行っていたのでそのテイストを加えたみたいな感じにしました」
――ほうほう。
「カラオケは『Ring a Ding~倫子のテーマ~』だけで、同曲の別バージョンを作ったんです。その別バージョンが私の趣味の世界でして…… ロックシンガーのレニー・クラヴィッツがヴァネッサ・パラディというアイドル歌手をプロデュースしているんですが、その時に面白いアレンジをしていて、そのテイストやイメージをおもいっきり取り入れたんです(笑)。ステレオで聴くと、ビートルズみたいにドラムが右、ギターが左と楽器ごとに完全に分けているんですね。このやり方をここで応用して原曲の持つ60年代的な風合いをさらに深めたという……」
――へえ、なるほど。
「それが、わりあい水野あおいファンから酷評されたという……そんなことわかりませんよね(笑)」
――まあ、わからない(笑)。今の解説を聞くと、なるほどなとは思いますが、かなりマニアックな話なので(笑)
「臨発だし、”企画モノ” なので、ちょっと今までの水野あおい作品に無いものを……ってやったのがこれなんですね。カバーを入れて、別バージョンを作って、そのプロデューサーの人も満足してくれたので、それなりに良いだろうという感じでした」
次回も水野あおいさんの楽曲についてのインタビューが続きます。
水野あおいさんの『狼なんか怖くない』は、ここから聴けます!↓↓↓
コメント
1あぁ…大人の事情、もう…ある意味時効ですよね。当時…??…と、ボヤッと思ってることは多々あったんですよ。…でも…まぁ…個人的には彼女達に、会えて、唄が聴けて、ステージ観れれば…それで結構幸せで…まぁそれの為に生きてたようなもんだったので。
まぁ…普通に考えても、おかしなタイアップだし、何かあるだろな…位ははね。
今となっては何回も言いますが、面白いしいい答え合わせです。