まだ底を打っていなさそうだけれど、底が見えたような気がする。自己評価のことだ。
私は、自己評価を下げていた。そもそも、自分は取るに足りない存在だと思っていたし、それは心の底からそう思っていた。でも同時に、そんな自分を許し、好きになるやり方を、生きているうちに手に入れて、ちょうどよく生きるバランスは取れるようになっていた――と思っていた。
数年来、仕事関係でパワハラを受け、「役に立たない、成果が見えない」「与える仕事がない」「誰々に聞いたところ、年齢もいっていて近寄りがたい」と言われ続けてきた。けれども、あまり堪えていなかった。自分の評価は自分でするし、長年フリーとして生きてきたから、自分で価値が作れていないと思ったら、気持ちもお金もついてこない。だからそうならないように、自分なりの成果は出してきた。評価してくれない人がいても、それは視点の違いだと思って、あまり気にしなかった。成果をわかりやすくパワーゲームのように叩きつけることもできたけれども、やらなかった。アホらしくなって、手柄を全てくれてやった。
それでも、あちこちで敬遠されているなとは常々感じていた。この「敬遠」は、敬って、遠ざける、だ。嫌われてはいないけれども、近寄りがたいから、とりあえず立てておいて、遠くに置いておく、という感じ。SNSは「呼ばれない席があること」を伝える。だから、それには気づいていたけれど、人と連むのが好きなタイプではないから、むしろ好都合と、それもあまり気にしないでいた。
それでも、やっぱりちょっとは気にしていて、冗談めかして「愛されキャラに生まれ変わりたい」と言ってみたら、「いい歳してそれを言うのは悲しいですね」と、若い人気者に嗜められた。
嫌われていないだけかと思っていたけれど、そうでもなかったようで。私のことをSNSで口汚く罵る人がいると知ってしまった。私はそれを実際には見ていない。見ればさすがに落ち込むので、見ないことにしている。でも、それが伝わってくるということは、そういうことなのだろう。どんな表現がされていたかは知らないけれど、私の名前こそ出ていなくても、内容からしてきっと私のことだったのだろうから、知らせてくれたのだろう。
誰かの言葉の端々に混じる、私への率直な評価には「何があっても大丈夫そう」というのがある。もう一つは「いつもソロだよね」というのだ。この二つは昔から変わらないから、私の人となりはそのように映っているのだろう。21世紀の偏執狂男の墓碑銘(キングクリムゾンの曲)が「困惑」ならば、私のはそれだ。徒党を組まないけれど、仲間もいない。
では、私が「伝わる人には伝わる、繋がる人とは繋がる」と信じてきたことは、果たしてどうだったのか。立ち止まって振り返ると、それも幻想だったのかもしれない。この文章がそうであるように、私は誰かに届く言葉を持っていない。今も、自分語りをしていて、自分が思っていることだけがあり、「誰かに伝えよう」という気持ちがあるのかも怪しい。いや、ない。だから、そんなことを書くなと、陰で罵られるのだろう。くだらないことはネットではなく、本当の「チラシの裏」に書いて捨てておけ、と。
私がトランプ大統領を好きなのは、彼が「得をするか、損をするか」だけで話せる相手だと感じるからだ。得をする仲間ならば打ち解け、そうでなければディールする。心に言葉を届けなくても、得をさせられるロジックを提供できれば、共犯になれる。
話が脱線した。
私が得意だと思っていたロジックや情報は、もうAIのほうが優秀な答えを出すようになっている。そして、私に「それでも少しはあったんじゃないか」と思っていた“人柄の穏やかさ”も、AIのほうが辛抱強く人に寄り添っている。そこにも、私の立場はない。人の強みである身体性についても、私はイケメンでもないし、お腹の肉を摘んで快感を覚える人以外には訴えるものもない。それに、妻帯者は女性にお腹の肉をプニプニさせるわけにもいかないし、そうやって戯れ合う男子もいない(いや、べつに求めてないけど)。
まあ、そんな感じで、自分の現在地が見えてきた。まだ生き続けなければならないから、どうにか仕立て直して、どうにかするしかない。
こういうふうに、どうにかしてこれたから、「何があっても大丈夫そう」と言われるのだろうし、実際、生き延びてきたから、それはそうなのだろう。「繊細さん」すぎず、ちょうどよく鈍くて、ちょうどよく怠惰な性格は、ありがたい。いや、そういう性格だったから、そうなったのかもしれない。
「あなたは、過大評価と過小評価をされながら、それに向き合わずに、なんとなくうまく行ってきた人」とも言われたけれど、まさにそれが、私の現在地から見える底だ。
そこが底面であれば、そこでバウンスして、浮上するためにもがくしかない。けれど、底はどこまで深いのか、本当はまだわからない。
そして、そこに「蜘蛛の糸」は垂れてくるのだろうか。こんなメンタルなので、過食して、医者にも「食いすぎやめろ」と言われているのに、デブった。なので、蜘蛛の糸を体重で切らないように、減量でも始めるか。それに失敗したら、もう一段底が抜けるから、怖いけど。
……とまあ、増田らしいものを書いてしまったので、ここに置かせてもらいます。ここから先は、また仕立て直して、やっていきます。