2025-04-21

25歳躁鬱ADHD女が4年付き合った彼氏を失った話

無駄に長い。

ADHDである17歳の時、訳も分からぬままやたらと長い知能テストを受けさせられた。前頭前野機能障害がある、だいたいクラスにひとりいる程度の異常者らしい。

躁鬱である20歳くらいの時、思い立ってADHDの薬を貰いに行ったところ「双極性障害も併発している」と診断された。ダブルパンチである

年を食った偏屈そうな精神科医に「きみは総合職はやめた方がいい」と諭されたが、アドバイス無視して一般企業総合職として新卒入社した。順当に精神病み、3年目で休職した。

死にたくなると心療内科に通い始めるが、躁転すると病識がなくなり「病気じゃなかったんだ!」と本気で思い込むので、1年以上同じ医者にかかったことがない。

これまでの躁は軽躁に毛が生えた程度のもので、多少の難はあっても、クリティカル事件は起こらなかった。舐めきって迎えた今回の特デカ躁で、すべてを破壊し尽くすデストロイヤーと化してしまったわけだが。

彼氏がいた。4年と2ヶ月付き合った。

口数の少ない人だった。わたしの気分の波に揺さぶられず、いつも自分を保っている人だった。地に足のついている人だった。

「いまはそういう気分なのね」と言い、波をやり過ごすように受け止めてくれた。

躁で攻撃的になるわたしのことも、鬱で天井を見つめているわたしのことも、変わらず「わたし」として愛してくれる人だった。

死にたい」という言葉が出てしまった時、真正から大丈夫?」と返されると、申し訳なさと自己嫌悪で余計に死にたくなるものだが、彼はいつも、「また鳴いてる」と言った。わたしの「死にたい」を鳴き声と認識していて、けれど、本当に死にたい夜には頭を撫で、一晩中抱きしめてくれた。

家事の大半は彼が担っていた。

わたしが脱ぎ捨てた服を洗濯し、わたしが食べ散らかした皿を洗ってくれた。気まぐれでわたしが作る料理を「おいしい」と言って食べた。シンクで山積みになった調理器具を片付けるのは、いつも彼だった。

「俺にない君の感性尊敬する」と、彼は何度も言った。

まり感受性が高くない彼からすると、ひとつの事で表情がコロコロ変わるわたしといるのは面白かったのかもしれない。会話の9割8分をわたしが占めていた。彼は相槌を打って、たまにポツリと自分の考えを述べた。

メンタルに波があっても、彼への気持ちが揺らぐことはなかったし、ふたり関係も安定していたように思う。

ところで、結婚願望が強いわたしには、「25歳までに結婚する」という半ば強迫じみた願望があった。これは彼と付き合い始めた20の頃から言い続けていたことで、もうわたしの中では決定事項のようなものだった。

25の誕生日を2ヶ月後に控えたある日、ふと彼に「わたし誕生日プロポーズだよね?」と尋ねたこからすべてが崩壊した。

金銭問題結婚観の相違、その他ありとあらゆる事情もつあい、当時すでに躁に片足を突っ込んでいたわたしは、デストロイヤーモード突入した。

とにかく、彼に対する攻撃的な気持ちが止まなかった。

わたしはずっと言っていたのに」「わたしは準備をしていたのに」「そもそもその計画性のなさが」「ていうか会話しててもしゃべんなくてイライラする」「なんとか言いなよ、会話になんない」――そして、「もう別れる」。

しか金銭的な面に関しては彼にも問題があったと思うが、そもそももって、わたし料理をしないことが彼の財布を圧迫した大きな要因ではある。彼は決して浪費をするタイプではなかったが、いわゆるコンビニ貧乏的な生活を送っていた。とはいえもっとやりようがあったのではとは、今でも思うけれど。

そんなこんなでデストロイヤーモード突入したわたしには、当時言い寄ってくる金持ちのおじさんがいた。軽薄だが、そこそこ知的で芯の部分に寂しさを抱えている、顔のいいおじさんだった。例によって「〇〇ちゃん感性言葉選びは本当に魅力的だ」とわたしを褒めそやした。そのときの私が求めていた、金、感性、会話の面白さなど、大体のものを持っている人だった。冷静に考えると、常に右手タバコウイスキーの瓶を持っているバツ2の異常者だったが。

おじさんは、わたしにいろんな刺激を与えてくれた。海が見たいというわたしを、国内のいくつかのオーシャンビューホテルに連れていってくれた。時には人生について語りながら、都会の中にあるちっぽけな緑の中を2万歩も3万歩も歩いた。ふたりとも人生に対して寂しさや空虚感を抱えている同士だったから、会う日にはいつも酒を死ぬほど飲んで、頭をばかにしていた。週に3、4回会い、テキーラを半瓶飲んでホテルで吐き散らかした時もあった。鬱の時の私が聞いたらひっくり返るような派手な生活だった。

その間、家にいる彼氏には本当に冷酷な態度を取った。当時投げつけた言葉の数々を思うと、本当にいたたまれない気持ちになる。

早く出て行けと圧をかけて3ヶ月、今週末に彼は家を出る。

先日躁が落ち着いた。いまは躁と鬱の間を揺蕩っている。躁が終わって始めて、自分がしでかしたこと残酷さ、いかに浅慮で、稚拙で、横柄で、非情であったかを、身に染みて感じている。失ったものの大きさを自覚し、後悔してもし尽くせない。

おじさんは今でも連絡を送ってくるが、どうせすぐに飽きるだろう。別れた嫁も子供もいるし、わたしがいなくても困ることはない。ただ、少しの期間さみしいだけで。

3ヶ月間支えになってくれたことに感謝気持ちはあるが、もうこれ以上振り回したくもないし、振り回されたくもない。

元彼氏の気持ちは、すでに新しい生活に向かっている。情けなくも縋りついて許しを乞うたが、自分で突き放したもの魔法のように戻ってくるわけもない。

土曜から、ひとりでの暮らしになる。定期的に届く自然水の段ボールを家に入れてくれる人も、固く閉じたびんの蓋を開けてくれる人も、死にたい夜に抱きしめてくれる人も、もういない。

いっとき感情で、ずっと支えてくれた人を傷つけ、関係を壊してしまたこと。その時の自分は、相手が間違っていて、自分が正しいと思い込んでいたこと。たしか自分のしたことで、すべてが壊れてしまったということ。

そして何より、彼の人生の4年間という時間わたしに捧げさせてしまたこと。

いろんな後悔が襲い、自己嫌悪が止まない。

病気のせいにしたい自分」が、まだどこかにいる。

ADHDから、躁鬱だから仕方ない」と思い込めれば、自分を責める必要がなく、楽だから

でも、そう思うのはもう辞めることにした。

病気から仕方がない」ではなく、「病気からどうするか」と考える。

まずは、辞めてしまった心療内科にしっかり通い始めるところから。何があっても、病院に通うことは辞めない。

どうすれば人を傷つけず、自分幸せになれる道を選べるのか。もう一度考え直そうと思う。

最後に、本当に、心の底から、彼には幸せになって欲しい。

わたしに4年間をくれてありがとう。こんな終わり方になってしまってごめんなさい。

わたしには願う資格もないことだけれど、どうか、あなたのこれからが、まっすぐで、穏やかで、優しさに満ちたものでありますように。

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