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Conversation

-アベプラで、特に女性陣にボコボコにされてきた【生成AIの児童ポルノどうする問題】- 昨日はアベプラでコメンテーターのお仕事でした。 番組でも話題になったように、鳥取県では2025年3月、AIで作成された性的ディープフェイク画像などの流通を防ぐため、関連する条例を改正しました。 改正案では、実在する人物の顔などをもとに、わいせつな画像や動画を生成・提供・拡散する行為を禁止し、将来的には罰則の導入も検討されています。 特に、卒業アルバムの写真などを悪用して裸の画像に合成する行為などを想定しています。 このような動きは、技術の進展に対応する立法の試みとして理解できる一方で、規制の範囲が広がりすぎることへの懸念も同時に高まっています。 ■ もちろん、現実に存在する児童の画像を用いたディープフェイクや、特定個人に類似したAI生成画像が性的な形で流通することは、名誉毀損やプライバシー侵害、さらには児童ポルノとして厳格に取り締まられるべきです。 今回の鳥取県の条例改正も、「実在の児童に酷似したディープフェイク」を取り締まる趣旨であり一定の理解ができます。 しかし、この流れは「たとえ実在の人物に似ていなくても、“児童に見えるような”AI画像はすべて規制すべき」といった主張が強まっていく恐れがありますし、 実際にスタジオの議論でも「生成AIや実在の有無にかかわらず、児童を性的に消費するような表現はすべてNGにするべき」という意見が大勢を占めました。 ここには、きわめて大きな表現規制のリスクが潜んでいます。 ■ 「児童っぽい顔をしている」「幼く見える身体表現だ」といった感覚的な要素で規制を進めるとしたら、それは主観の領域に踏み込む非常に危険な前例になります。 たとえば、アニメや漫画で描かれる“幼く見えるキャラクター”も、同様の基準で取り締まりの対象になってしまう可能性があります。 もちろん私も「児童ポルノ」を良いと思ったことはありませんし、子どもや児童が性的に消費されているような表現は不快に思います。 しかしながら、「良くない・不快だと思う人がいるから、政府や行政がそう考えるから禁止していい」という理屈が通ってしまえば、それは他の表現領域にも波及しかねません。 気に入らない政治表現、風刺、文化作品…どれも同じ論理で規制できるようになってしまいます。 ■ 今回のケースで規制を行うのであれば、「実在の児童の権利侵害がある」「誰かの名誉を傷つけた」という具体的な被害の裏付けがなければなりません。 そうでなければ、感情や倫理感だけを根拠にした“前のめりな規制”が暴走してしまう。 国会での答弁にもある通り、生成AIによる画像が児童ポルノに該当するかは個別具体の判断が必要であり、広範な抽象規制は憲法21条「表現の自由」に抵触します。 こうしたテーマでは、表現の自由を擁護する立場はどうしても 「加害者側の味方なのか」 「子どもや児童の権利侵害を容認するなんてトンデモない!」 といった誤解や感情的反発を受けやすい。しかし、不快であっても違法ではない表現を守ることこそが、表現の自由の本質です。 児童の人権と未来を守ることと、表現の自由を守ることは、対立軸ではありません。実害に基づいて取り締まりを強化する一方で、根拠なき広範な規制にはブレーキをかける。 このバランス感覚を、政治の現場でも、そして世論にも広げていきたいと思います。 ■ …それにしても、女性陣に激しく詰められながら守っているのが「ポルノ表現」なのかと思うと泣きそうになりますが() 守っているのはあくまで「表現」なのです。 陰キャの星として頑張りたいと思います。
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