ノット・アクターズ   作:ルシエド

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アクタージュ act-age:原作タイトル
円谷(つぶらや)英二(えいじ):特撮の神様
act:アクト。芝居。演劇。撮影時に使われる掛け声。対象に変化をもたらす行為と行動
age:エイジ。時代
actor:アクター。俳優。演者。役者

act-age:芝居と英二

She act Age:彼女は英二に―――をした


アクタージュ act-age

 景さんと出会ってから、俺も随分変わった気がする。

 

 百城さんも、景さんも、周囲の人間を引き立て役にする芝居だと思っていた。

 最初に景さんの芝居を見た時、それで黒さんに対し色々なことを思ったこともあった。

 だが、正確には違った。

 夜凪景は破壊者だった。

 創造の前の破壊をもたらす破壊者だった。

 

 茜さん達のような役者にもいい影響を与え。

 スターズの何人かにも大きな影響を与え。

 ただ撮影に参加して芝居をしているだけで、周囲から尊敬と敵意を集めた。

 そして最終的には、島の撮影を抜けたスターズを除けば皆に認められていたように思える。

 

 青空を夜空で塗り潰すように、周囲の役者を「私は『本物』になれない」と次々潰していく役者になりかねねえと……そう、思っていた。

 だが、そうはならなかった。

 景さんの周りの人達は、景さんに引っ張られるようにして成長し、輝いていった。

 不思議な話だ。

 景さんは周りを成長させようとしてるわけでもねえのに、景さんの周りでは人の劇的な成長が多発する。

 運命力でも持ってやがんのか?

 

 それはまるで、星々の一つ一つが集まって、景さんの周りで更に輝く物語のよう。

 

 夜凪景の周りにあるのは、他の星を消し去る太陽の物語じゃない。

 

 多くの星(スターズ)から始まる、多くの星が輝く夜空の物語。

 

 俳優も、監督も、美術の俺も。

 多くが変わっていくデスアイランドの撮影が、終わる。

 30日目、撮影終了。

 

「カット、OK!」

 

「これにてクランクアップになります! お疲れ様でしたー!」

 

 終わった。パチパチと、拍手の音が聞こえる。

 

 まだ太陽は彼方にあるが、これにて全てのカットは撮影終了。

 

 これで、終わりだ。

 

「あっ、夜凪ちゃん! 具合良くなったん?」

 

「うん」

 

「丁度良かった。夜凪ちゃん、降りて来て」

 

 あ、景さんだ。

 これにて全員オールアップで、全員クランクアップ。

 と来れば、撮影の慣例をやんなきゃな。

 

「百城千世子さん、星アキラさん、そして夜凪景さん。クランクアップです!!」

 

 俺と、手塚監督と、チーフ助監督で、花束を持ち、三人に渡す。

 俺は右端の百城さんに。

 手塚監督は真ん中の景さんに。

 チーフ助監督は左端のアキラ君に。

 "お疲れ様"の意を込めた花束を、手渡した。

 

 花束を渡したタイミングで、百城さんがこっちに微笑みかけてくる。

 俺だけに見える角度の微笑み。

 ちょっとドギマギする。いや結構ドギマギする。

 仮面を外した微笑みを使いこなし始めてんの、ちょっとやめてくれ。

 

「……お花。私に?」

 

 ずっと昔。

 演劇でカーテンコールが終わりを告げた時、役者に花束を贈る慣習があった。

 それはオールアップ時に贈られる花束となったり、他のものを贈る慣習にもなり、テレビや映画の撮影に今も受け継がれている。

 ま、お約束ってやつだな。

 

「映画やドラマの習わしでね。

 クランクアップした役者さんには贈り物を渡すものなんだ。

 君はあの晩からずっと寝込んでいたからね」

 

 手塚監督が微笑み、語りかけ、手塚監督と景さんの視線が合う。

 

「お疲れ様。夜凪ちゃん」

 

 景さんが無表情なまま、音もなく息を呑んだ、そんな気がした。

 

「知らなかった。こういう時、こんな気持ちになるなんて」

 

 ほろり、ほろりと涙がこぼれて、景さんがそれを拭う。

 拭っても拭っても涙は溢れ、こぼれ落ちていく。

 

「ありがとう。すごく嬉しい」

 

 涙ながらの景さんの『ありがとう』を、横合いから百城さんが眺めていた。

 

 "成し遂げられた実感"が、景さんの瞳から流れ落ちる涙を止めず、後押しし続ける。

 

 ブサイクな顔だと思う人もいるかもしれねえが、俺はその涙を、宝石のようだと思った。

 

「……綺麗だな」

 

 思わず、俺は呟いていた。

 ふと、考える。

 自分は幸せなのかと常に考える人と、自分は幸せだという結論を出してそれ以上何か考えることもない人、どちらの方が賢いんだろうか。

 

 多分、今の景さんは後者だろうと思う。

 景さんはきっと、今の自分が幸せであることを疑ってねえ。

 役者になれて幸せになれたんだと、景さんは信じ切っている。

 

 役者になって不幸になった人がいて、役者になれなければ幸福になれない人がいて、役者として生きていなければ幸せを感じられない人がいる。

 不幸から幸福へと転じた、景さんのように。

 俺が幸せにしたわけじゃねえし、俺が幸せにできてたんなら、もっともっと嬉しかったかもしれねえけどさ。

 

 景さんが幸せと喜びを感じていることが、めちゃくちゃ嬉しくて、めちゃくちゃ暖かい気持ちになれた。

 こっちまで、幸せになっちまいそうだった。

 

 

 

 

 

 予定より半日早く撮影の全過程は終わり、打ち上げBBQが開始だオラァ!

 いやー悪くねえな。

 和歌月さんも町田さんも食ってる食ってる。

 堂上さんはなんかギター引いてる。

 アキラ君はスターズ組や裏方と楽しげに話してる。

 オーディション組もわちゃわちゃ楽しんでるな。

 景さんは……いつもの茜さん、烏山さん、源さんと四人で固まってるか。

 百城さんは?

 

「私が許してもアリサさんにバレたらヤバイと思うよ」

 

 あ、いたいた。

 手塚監督と話してる。

 

「……助監督時代に生意気な後輩が言ってたんだ。

 『俺達映画監督は呪われている。

  見たことのないものを撮るためなら人の道を外れることも厭わない』」

 

 話に加わろうとも思ったが、やめといた。

 きっとあれは、大切な話だな。

 

「僕は僕に少し安心した。僕はどうしても君のまだ知らない顔を撮りたかったみたいだ」

 

「……!」

 

 二人から離れて、俺は裏方勢と絡みに行く。

 

「次また僕がプロデューサーやる時は呼ぶから、その時はよろしくね」

「英二さん監督やらないんですか? やれますよ、やりましょうよ」

「あ、いいねそれ。その時は私が助監督で」

「僕は英二さんの下だと過労死スケジュールやらされそうで怖いんで遠慮しときます」

「朝風は上に立つより現場で手足動かしてた方が有能だって! もったいねえよ!」

「コップ空いてるじゃん朝風君。何飲む? 取ってこようか?」

「コーホー」

「いやあきっつい撮影だった……台風とか特にな……つれえわ……」

「分かる」

「スターズの撮影って無茶しないのが基本なのにあれですしね」

 

「あはは」

 

 人に囲まれて、楽しく話してたが、ちょっと疲れてきた。

 休もう。

 いや、なんだこれ。

 どっと疲れが出てきたぞ。

 ……ああそうだ。俺30日間まともに一回も休んでなかったんだった、そういえば。

 撮影スケジュール終わってから休めばいいや、って思って。

 丸一日爆睡してたから睡眠時間も十分だろ、って思って、それ以外休み取ってなかったんだ。

 役者のローテ組んで、出ずっぱりの百城さんにどう休日取らせるかばっか考えてたから、自分のこと後回しにしてたんだった。

 一時間くらい寝るか。

 こっそり寝よう。

 車両の荷台とかで。

 起きたらまた皆を労おう。

 皆よく頑張ってくれた。

 その分のありがとうとか。

 言わねえと。

 言って―――

 

 

 

 

 

 ―――まどろみの中にいた。

 

 起きてるような、寝てるような。

 周りの音が聞こえてるような。夢の中の声を聞いているような。そんな時間。

 

「あの夜に撮った映像、夜凪さん観た?」

 

「ううん。ずっと寝てたから」

 

「私、夜凪さんのこと思わず『ケイコ』って呼んでいた。

 夜凪さんはああいうのを"芝居"と呼んでいたんだね。

 自分でもびっくりしちゃったよ。あの時の私の顔、ぐしゃぐしゃで超不細工なの。

 ―――でも案外、私の横顔も綺麗だった。

 私の芝居はもっと上手くなる。夜凪さんの芝居を盗んじゃったから」

 

「……うん、私ももっと―――」

 

 まどろみの中で、景さんと百城さんに仲良くしてほしいと願ったことを思い出して、二人がもっと仲良くなってくれることを祈った。

 

 まどろみの中、揺蕩う。

 心地良い眠りだった。

 そして、目覚める。

 

「私はもっともっとずっと一生! お芝居を続ける!!」

 

 景さんの大きな声が、俺を呼び覚ました。

 

「んっ」

 

 スマホを見る。

 よし、ジャスト一時間。

 疲れもちょっとは取れた。

 さて、皆に頑張ってくれてありがとうでも言って回るかな。

 

 ったく、景さんは破天荒だな。

 俺が受けてる影響は何においてもありそうだ。今こうして、起こされたみてえに。

 なんかどうやら流れ星を見つけたらしいな。

 周りが続いてんのが見える。

 星がキラキラと輝く夜空に、流れ星が流れ落ちたのが見えた。

 

「俺は必ずブロードウェイに立つぞォォ!!」

「売れますように売れますように売れますように」

「彼女欲しい彼女欲しい彼女欲しい」

 

 ちょっと、眺めていたいと思った。

 

 皆が仲良さそうにしているのが、皆が楽しそうにしているのが、好きだった。

 

 立ち上がるのをやめて、何かしようとするのをやめて、ぼんやりと皆を見ていた。

 

 俳優も、裏方も。

 主役も、脇役も、新人も、古参も。

 照明も、演出も、美術も、制作も、撮影も、編集も、録音も、監督も、助監督も、メイクも、スタントマンも、マネージャーも、みんな、みんな。

 楽しそうだった。

 "頑張った者"だけができる顔。

 "やりきった者"だけがしていい顔。

 皆で力を合わせて一つのものを作り上げたものだけがする喜びの顔。

 俺でも一人じゃ作れねえ顔が、そこにあった。

 

 ぼんやりと、その表情の一つ一つを眺めていた。

 

「英二くん」

 

 そして、彼女が俺に語りかける。

 

 彼女が最後に俺と話そうとすることは、なんとなく分かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後に英二くんと話すことだけは、心に決めていた。

 

 皆がサインを書き込んでくれた私のシャツがオシャレで嬉しい。

 英二くんも褒めてくれないかな、これ。

 あ。ウルトラ仮面。

 そういえば今日一度も話してないし、シャツにもサインしてもらってないわ。

 

「……えと、僕もサインした方がいい?」

 

「してくれたら嬉しいわ」

 

「うん、まあ、いいけど」

 

 アキラ君も私のシャツにサインしてくれる。

 よりパーフェクトなサインだらけシャツになったわ。

 

「これでよし、と」

 

「ありがとう、ウルトラ仮面」

 

「アキラね」

 

 サインを書いてくれたアキラ君の視線が、車の荷台の方に向く。

 なんだろう?

 そう思って視線を追うと、車の荷台の上に、とても優しい表情で、とても優しい眼差しで、皆を見ている英二くんがいた。

 あれ。

 私、あの表情に、あの眼差しに見覚えがある。

 あれは……そう、私を見る時のお母さんの顔。

 

 ……ああ、そうだ。

 あれは、『愛』ってやつだわ。

 きっとそう。

 

「英二くんは……時々、何考えてるか分からないわ」

 

 何を思って私達を見てるんだろう。

 そう思った私の前で、アキラ君が苦笑する。

 

「朝風君に優しくされて、気遣われて君は何を思った?

 『嬉しい』?

 『安心した』?

 『幸せ』?

 思い出してみるといいよ。君が思ったそれが、朝風君が君に贈りたかったものだ」

 

「―――」

 

「自分の中を見れば、朝風君はそこにいるよ。彼の想いの答えはいつもそこにある」

 

 深い理解。

 間違えない解釈。

 英二くんとアキラ君の間にある強い友情を感じる。

 なんだか……素敵だなって、そう思えた。

 

「アキラ君は、英二くんを下の名前で呼んだ方が良いと思うわ。ずっとちゃんと親友だもの」

 

「あはは、ちょっと呼び方タイミング逃しちゃってね。色々あったんだよ」

 

「ふーん」

 

「行くのかい?」

 

「うん」

 

「そっか。朝風君によろしく」

 

 アキラ君と別れて、英二くんを目指して歩く。

 なんでだろう。

 なんてこともないのに、ドキドキする。

 理由は分からないけど緊張する。

 気持ちを切り替えよう。この気持ちは、忘れておかないと。

 

 英二くんを前にしていつもの私じゃいられなくなってしまったら、英二くんが惚れ込んだいつもの私じゃなくなってしまう。

 そうなったら、好かれなくなってしまうから。

 

「英二くん」

 

 英二くんに話しかけて、その隣にちょこんと座った。

 座り方、変じゃなかったかな。

 

「凄いシャツですね。高く売れそうです」

 

「凄いシャツでしょう? 凄くオシャレ」

 

 英二くんが褒めてくれた。

 じゃあやっぱり間違ってないんだわ、このデザイン。うん。

 

「あれ、百城さんのサインまである……よく貰えましたね」

 

「千世子ちゃんとお話したわ。

 私の芝居を盗んだ、なんて言われちゃった。

 私も千世子ちゃんのお芝居を盗んじゃったから、おあいこかしら」

 

「俳優なんて互いの(たが)いを盗んでなんぼですよ」

 

 うん。黒山さんもそう言ってたわ。

 

「見てて分かります。ちゃんと答えに辿り着けたんですよね」

 

「私、千世子ちゃんにはなれないわ。でも私は私になる。それでいい?」

 

「はい。それがきっと一番良いんです」

 

 英二くんがいい笑顔でこっちを見てくる。

 何故か、ちょっとだけ緊張した。

 

―――あなたの演技に一目惚れしました。

―――作品完成を前提に、あなたの仕事にお付き合いを申し込みます

 

 英二くんは私に夢中。

 私は知ってる。

 だから、駄目なところはあんまり見せたくない。

 千世子ちゃんも、そういう気持ちを持っているのかしら。

 それともこれは……ファンの前で駄目なところを見せたくないっていう、役者がみんな持っている気持ちなのかしら?

 

「画面の向こうの世界に憧れていた景さんは、もうどこにもいないんだと思います」

 

「……うん」

 

「あなたは憧れの人のようになりたい、ではなく、最高の自分になりたい、でいいんですよ」

 

 そうね。

 うん。

 そうだわ。

 

「あなたがかつて憧れたその映画の物語より、あなたはもっと幸せになれる人です」

 

「……なれるかしら」

 

「なれます」

 

「……英二くんがそういうなら、私、ちょっとは信じてみる」

 

「はい」

 

 英二くんは最初からずっと、私に『世界で一番幸せな役者になれる』と言ってくれてる。

 そのフレーズがなんだか心地良くて、そう言われるのがなんだか嬉しい。

 ……あれ。

 そういえば、なんで英二くんは、そこにこだわってるんだろう。

 

「幸運である人と、幸福になれる人は違います。

 幸福になれる人ってのは中々見ないんですよ、これが」

 

「英二くん、ちょっと聞いていい?」

 

「なんでしょうか?」

 

「英二くんが幸せになれる役者というものを推してる理由って、何かあったりする?」

 

 あ、ちょっと驚いた顔した。

 予想外、って感じの顔。

 私そんなに英二くんのことよく見てないイメージある?

 

「俺が景さんはそういう役者になれると思った、というのが理由ですが……

 そうですね。ちょっと話に付き合ってくれますか? 俺の名前と親の話なんですけど」

 

「英二くんの話? 私千世子ちゃんほど英二くんのこと知らないから、聞きたいわ」

 

「これ百城さんやアキラさんも知りませんよ多分。話したことないですし」

 

「……うん、聞きたい」

 

 すっごく聞きたい。

 

「俺の名前の由来は、とある特撮の神様です」

 

「そうなんだ」

 

「でもその直前に別の案もあったんですよ。

 俺の母親の頭は徐々に悪化していった、という話はしましたよね?」

 

「うん」

 

「俺の母親がまだ正常さを保っていた頃の話です。

 俺の父親は俺が長男だったので、英一という名前を付けようとしていました。

 特撮の神様も英二って名乗ってるだけで本名は英一だったので、当然のことなんですが」

 

「え、そうなの?」

 

「はい。

 英でる、で英。

 一番になる、で一。

 誰よりも優れた人物になれ、という願いを込めて英一。

 でも母親が、ここで異を唱えたそうです。

 そして英一に『一本棒を足す』という形で、『英二』になりました」

 

「英二くんのお母さんは、何か気に入らなかったのかしら」

 

「一本棒を持て、というのが俺の優しい母親の願いだったらしいんです」

 

「……?」

 

 棒を一本?

 

「『辛い』という字と『幸い』という字の違いは一本の棒だけ。

 だから英二は棒を一本だけ持っていなさい。

 どこかの誰かに、その一本の棒をあげられるように。

 どこかの誰かの『辛い』を、『幸い』に変えてあげられるように。

 辛い思いをした人を見つけたら、その人が幸せになれるよう手伝ってあげなさい、と」

 

「―――辛いを、幸いに」

 

「俺の母が、頭が完全におかしくなる前に、子に付ける名前を考えていた時、言ったんだとか」

 

 辛いを幸いに。英二くんの名前に、そんな思いが込められているなら。

 

「私の辛いを幸いにしてくれたのね、英二くんは」

 

「え……い、いやそんな、俺は景さんにそんな大したことは」

 

「してもらったわ、私は。怪我するところをネットで助けてもらったばかりでしょう?」

 

 うん。

 英二くんはやっぱりいい人だ。

 素直に好きだと思える気がする。

 ……好き? うん。友達として好き。大事な人。

 

「いや、えっと、ですね。

 あ、そうそう。

 俺の母は、辛い人生を送った者にこそ、本当の幸せを理解できると思ってたらしくて。

 辛い、の後にある幸いこそ、本当の幸せだという持論を持ってたらしいんです。

 『本当の(さいわい)ってなんだろう』っていうお題を、誰かから出されたんだとか」

 

 本当の幸い……? 辛いの後に、ある幸い。

 

 辛い思いをした人が救われてこそ、ってことかしら。

 

「……そういえばこの話、景さんにしかしたことないですね」

 

「そうなの?」

 

「百城さんやアキラさんにはしてないなと思ってましたが、思えば他の誰にもしてませんでした」

 

 そうなんだ。

 私だけ。

 そっかぁ。

 

「私があなたにとって特別だから、そういう話をしてくれたの?」

 

「そうですね。景さんはやっぱ特別です。だからこの話をしたのかもしれません」

 

 惚れこまれてる。その実感があると、むず痒くなる。

 いけないいけない。

 いつも通りの私、いつも通りの私。

 

 私達二人は、海を眺め始めた。

 綺麗な空、綺麗な海。

 夜空の星も綺麗で、それが映ってる夜の海も綺麗。

 いつの間にか風が吹かなくなっていて、静かな海はとても大きな鏡みたいに、夜空の月や輝く星を映し出していた。

 

「夜凪ですね」

 

 私の名前が呼ばれたのかと思って、ちょっとびっくりしちゃった。

 

「前に茜さんに、夜と昼で風向きが変わる海岸の風の話をしたんですが……

 朝、風向きが変わる直前の無風を朝凪と言います。

 夕方、風向きが変わる直前の無風を夕凪と言います。

 それが転じて、昔生まれた言葉が夜の無風の時間……夜凪と言うらしいですよ」

 

「そうなんだ」

 

 二人並んで、夜の空と夜の海を見つめた。

 10cmくらい英二くんに寄ってみる。

 英二くんは気付かない。

 あ、これ、この夜空と夜海をどう造形にしたら上手く行くかを考えてる顔だわ。

 あーもう。

 

「いい夜景だわ」

 

「そうですね」

 

 でも、まいっか。

 私と英二くんは同じものを見ていて、同じ感情を抱いている。

 それだけで、友達としては十分だと思う。

 

「不幸を富幸(ふこう)に変えてくれそうな出会いが、いっぱいあったの」

 

「それは、幸せなことです」

 

「出会えたことで、私は変われた。皆に感謝してる」

 

「それは、幸せなことです」

 

「皆と出会えたおかげで、私は役者っていう道を見つけられたの」

 

「それは、幸せなことです」

 

「役者になったから、英二くんとも出会えた」

 

「それは……」

 

「幸せなことだと、私は言うの」

 

「―――」

 

「英二くんと出会えたことは、幸せなこと。それは絶対に言い切れる」

 

 ちゃんと幸せにならないと、英二くん。

 あなたに出会えて幸せだと思った人の言葉くらい受け止めないと、英二くん。

 辛いを幸いにする男の子がそんなんじゃ、きっと本当の(さいわい)になんて届かない。

 作品を大切にしてるあなたが、他人を大切にしてるあなたが、自分を大切にしなきゃ、片手落ちどころの話じゃないでしょ?

 

「ありがとう英二くん。出会ってくれて」

 

 素直にそう言えた。

 

 英二くんは少し照れた様子で、私の目を真っ直ぐに見る。

 

「ありがとうはこっちの台詞です。ありがとうございます、出会ってくれて」

 

 夜凪の夜景を、二人で見ていた。

 

 綺麗な空と綺麗な海を、二人並んで見つめ続けた。

 

 風の音が聞こえる。波の音が聞こえる。少し遠くに皆が騒いでいる音が聞こえる。

 

 私は役者としてやっていけるのか?

 茜ちゃんに怒られてから私の胸の中にあった不安は、もうすっかり消えていた。

 私は役者だ。

 これからもずっと役者だ。

 一生、お芝居を続けていく。

 そこに、千世子ちゃんみたいなキラキラとした俳優と、英二くんみたいな裏方がいれば……私は一生、幸せでいられると思う。

 

 ……ああ、そっか。だから英二くんは、私にああ言ってたんだ。

 

「知ってますか景さん。

 とある映画の評なんですけど……

 『凄い特殊造形と、凄い俳優と、凄い音楽があれば凄い映画ができ上がる』

 『他は何もいらない』っていう言葉があるんですよ、映画業界には」

 

 そうなんだ。じゃあ。

 

「英二くんがいれば必ず凄い映画が作れそうね」

「景さんがいればずっと凄い映画が作れそうですね」

 

 最後の最後に、私達の言葉はハモって。

 

 同じことを考えてたことが分かって、なんだかそれが楽しくて、嬉しくて、幸せで。

 

 夜凪の夜景を見ながら、私達は目を見合わせて、笑い合った。

 

 なんとなく分かる。

 

 私は明日も、幸せだ。

 

 

 




 これにて完結です。
 皆さん、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

 千世子の千と夜凪の夜の間に『一本棒を加えて』千一夜物語、と。
 男に女二人が演じ魅せるがアラビアンナイト。これにて終わり、です。
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