現在撮影三日目、14:20。
「いい海ですねえ」
「いい海だねえ」
「朝風君、千世子君、やることないからって観光気分になってないか」
アキラ君は真面目だな。
しかしいい海だ。
南の島の海は本当に汚れてねえんだなあ。
青空や太陽とベストマッチの美しさだ。
そんなことを、崖の上から海を見下ろしつつ、思った。
「というわけで、こいつが景さん達の代わりに投げ落とす人形です」
「あんま似てないけど、朝風君にしては珍しい」
「元々あったでかい人形にテーピングして塗装して、服着せただけですからね。
ただ問題はないと思いますよ。
カメラは遠くのあそこで、撮影範囲は……。
結構広いですよね。加え、撮影範囲のほとんどは背景ですから気にしなくて大丈夫です」
少し遠くの、崖をカメラで映す岸のカメラを指差して見せた。
アキラ君と百城さんがそちらを見る。
「意外と遠いね」
「この辺り、崖と滝と海だけですからね。
海側から崖を撮影しようとすると、海上か離れた岸にしかカメラ置けないんです」
「海上の船にカメラ置いても波の振動でブレるからね……」
「ただ、悪いことばっかじゃないです。
俺にとっては、ですけど。
カメラ位置が遠いので、崖と滝と海と背景を収める引きの画で撮るらしいんです。
つまりこの人間に似せたウルトラマン人形は結構遠くから撮られるわけですね。
1mの距離から見れば人間との違いも分かるかもしれません。
でも100mなら、違いは1/100に。300mの距離からなら1/300の大きさにしか見えません」
「遠くのカメラからなら違和感も持てないかもね」
「劇場で気付かれないレベルの違和感になってくれればもう大丈夫でしょうね。
DVDやBDをテレビ画面で再生した時には、おそらく1mm以下の差異でしょうから」
遠くの作り物は見分け難い。
色んなものに混ざってると更に見分け難い。
動いてると更に見分け難い。
100倍離れりゃ違いも1/100の大きさでしか見えねえ。
サッカーや野球の観客席の中にマネキンがポツンとあっても、フィールドに立ってる選手の目には見つけられやしねえ。
服着せて物凄い勢いでぶっ飛んでるものだと、人間とマネキンの区別はつかねえ。
だから、カメラから見て遠くの崖を急速落下してるものなら、人間と人形の区別はほぼつかねえ……ってわけだ。
今日はここの崖でまず撮影。
和歌月さんが木梨さん、景さん、茜さんを刀持って追い立てて、木梨さんを切る。
景さんと茜さんは逃げて海に飛び込む……ふりをする。ここでまずワンカット。
刀持った和歌月さんが刀持って崖から海を見下ろし、佇むシーン撮って、ワンカット。
原作だと和歌月さんが演じてるキャラも飛び込んでるが、今のところ演出や監督と話し合った結果、とりあえず海飛び込みの合成はしないで撮影しようって話になってる。
展開的にあんま飛び込む意味がねえのと、合成はすればするほど合成が目立つ可能性が上がり、観客が白けちまう可能性が高まるからだ。
そして俺が人形投げ込んで撮影、海に落ちる景さんと茜さんの(偽)シーンでワンカット。
んで最後に、和歌月さんから逃げる木梨さん、景さん、茜さんが校舎から出て来るシーンを最後に撮影して終わりだ。
映画は、時系列順に撮るとは限らねえ。
例えばこの場合、『海が見える崖は太陽が落ちてきたことが目に見えすぎる』っていう問題が表出しちまう。
12時に撮った撮影の後に、17時に海沿いの崖で撮影したら、時間の経過が太陽の動きでバレバレになっちまって台無しだ。
だから、海の撮影の後、森の中の校舎で撮影をする。
森の中での撮影は太陽が木々に遮られ、撮影時間の調整が効くからだ。
まず海。
次森。
室内に至っては、実は夜中にも締め切った雨戸の向こうに強力なライトを置くとかすれば、昼間の撮影ができなくもねえ。
開けた場所ほど時間の誤魔化しは利かねえんだ。
そういう意味で、撮影をいつも巻いて終わらせてくれる百城さんの安心感は半端ねえ。
次の撮影のため一人で色々準備してた俺に、アキラ君が耳打ちしてきた。
なんだ、内緒話か?
「朝風君、千世子君に何かしたかい?
僕が島を出る前より不機嫌になってる気がするんだが」
「不機嫌、ですか?」
「なんとなく不機嫌な気がするというか……勘なんだけどね」
「幼馴染特有の勘ですか。
アキラさんがそう言うならそうなんでしょうね」
百城さんの内心なら、俺よりアキラ君の方が理解してる気がする。気がするだけだが。
「俺の心当たりは……おそらく……景さんですかね」
「何かあったのかな?」
「昨日、景さんが百城さんのテクニックをかなりのレベルで盗んで名演したんですよ」
「え?」
「あれ、アキラさんは昨日のあの撮影を録画で見たんじゃないんですか?
景さんがカメラの撮影範囲を認識して立ち回っていたでしょう。
複数のカメラの撮影範囲の完全認識は百城さんの専売特許でしょう」
「あ」
「ライバル意識がメラメラと燃え上がるとか、そういうことが起きてるんじゃないかなと」
「なるほど、それで朝風君が千世子君を明確に夜凪君の下に置いたと……」
「え?」
「え?」
「そんなことするわけないじゃないですか。何故そんなことを……?」
「だって、千世子君の良さを吸収した夜凪君だろう?
想像もできないが、そんな人間が居たとしたら……
少なくとも君にとっては、他の女優が要らなくなるほどの存在になるんじゃないか」
「あ」
「その辺深く考えてなかったのか。
千世子君は確実にそう考えてると思うよ。
君の評価基準における"一番素晴らしい女優"が夜凪君になった、って。
千世子君もあっさりと自分の技術を盗まれたことに思うところもあるだろうし……」
「そういうもんでしょうか。
技術は教え合えれば高め合えるものです。
百城さんは自分の技術を盗まれたくらいで不快感を持つイメージが無いんですが」
「千世子君は少しそう思っても顔に出さないだけだよ。
千世子君が他の人より気にしてないってのは確かにそうだと思うけどね。
朝風君は、ほら。
周りの大人の技術を片っ端から盗んできた人じゃないか。
だから自分の技を盗まれることをほとんど気にしてない。
たぶん、夜凪君もそういう気にしないタイプだと思うけど、それはきっと特殊なんだ」
「それは……そうかもしれませんね」
「あとほら、千世子君はああ見えて負けず嫌いなところがあるから」
「監督やPに『百城千世子』を求められたら、共演者に絶対競り負けませんからね。
周りが個人的私情で目立とうとすると、全技巧でそれを抑えて上に行く人ですし」
「女優として、役者として、女として、『百城千世子』として。
絶対に負けたくないと思う相手……それがきっと、夜凪君だったんだろう」
「良いライバルになると思ったんですが、失敗だったでしょうか」
「僕も良いライバルにはなると思うけど……どうだろうね」
現実に、百城さんは不機嫌になってるらしい。
その理由は俺も気付いてた通り、景さんが先に百城さんの芝居を盗んだから。
アキラ君にはそんな俺以上に見えてるものが多いからか、俺の雑な推察に的確な補足をしていってくれた。
「どうやっても互いの『個性』までは喰らえないと思うんですけどね、あの二人」
「? 個性……?」
「喰らえるのは一定の技術までってことです。
リザードンが水鉄砲覚えてもカメックスにはなれませんし。
逆にカメックスが火炎放射覚えてもリザードンにはなれないでしょう?」
「ああ、なるほど」
「第一格上が百城さんで、挑戦者が景さんなんですから、気にする必要もなさそうなんですが」
「だから朝風君がまた夜凪君にだけ見惚れるとかしたんじゃないかと思ったんだが」
「あ、だから最初に俺に『何かしたか』って言って……ひどい。
俺が見惚れたからって何かあるわけじゃないと思うんですが。
百城さんが何よりも気にしてるのは、俺の視線ではなく大衆の視線でしょう」
「いやそれは……あ、そうか。そういうことか」
「何か気付きましたか?」
「朝風君は夜凪君の演技に見惚れる。
夜凪君は朝風君のために最適化してない演技をしている。
だけどその未加工の演技が、既に朝風君の好みにどストライクなんだ。
対し、千世子君は大衆の好みに最適化された演技だ。
未加工でなくて、もう朝風君の好みに最適化する余地がない。
よって朝風君という審査員の前では、千世子君は夜凪君に必ず負ける運命にある……?」
「考えすぎじゃないでしょうかね」
「ええっ」
「だって俺、あの二人の演技は同じくらい愛してますよ」
「……あ、ああ、そうか」
「あ、すみません。言い直します。
愛は流石になんか最適な言葉選びじゃないですね。
大好きと言い換えます。めっちゃ好きです、あの二人の演技」
「……普通の恋愛ドラマだと『愛してる』『大好き』は同義なんだが。
君はなんだかその二つの間に越えられない大きな壁がありそうだ……」
「あるかもですね」
結局なんかよく分からん感じになったな。
百城さんは体調不良の人に駆け寄るために押しのけられても、気にしない人だ。
あの人は心が広いからな。
たとえば俺がアキラ君助けるために百城さん押しのけたって、笑って許してくれる人だ。
昨日あの後、俺が押しのけたことを謝っても笑って許してくれてた。
天使だな。
今思うと、いつも周りを見てる百城さんがあの緊急時にドアの通り道塞いでるとか、珍しいこともあったもんだ。
ぼーっとしてた?
あんまなさそうだな。
通り道を塞ぐ理由があった?
いや、あの人そんな性格悪くねえし、景さんの体調を思えば景さんに対しそんな仕打ちする理由は百城さんにはねえはずだ。
だとしたら、百城さんもまた―――百城さんの技術を取り込んだ景さんの演技に、目を奪われてたか。
俺が懸念してた景さんと茜さんの間の確執も解決された。
三日目で問題が大まかに解決されたのはでけえ。
撮影はこっからスムーズに進む……と、思いてえところだが、さてどう転がるかな。
「あ、朝風先生! お疲れ様です!」
「うるせえな! お疲れ様です、英二さん」
「お疲れ様です、烏山さん、源さん」
「昨日夜凪に例の件で謝られたんですが、
『あの時は武光君を本気で殴り殺そうとしちゃってごめんなさい』
と言われて、思わず笑ってしまったんですよ! あいつは本物ですな!」
「いやそれで笑ってるお前はおかしいっつーの。
撮影前にうるさくしてすみません、英二さん」
「いえいえ、俺はこの声量あまり嫌いではないですから」
揃ってきたな、人。
あそこにいんのは、木梨さん、景さん、茜さんか。
「私頑張ります! 夜凪さんみたいな演技ができるように!」
「え、あ、うん。頑張って」
「夜凪ちゃん初映画で同業者をファンにするとかホンマ半端ないわ」
「ちょっと、茜ちゃん」
……木梨さんがいつの間にか景さんのファンになってる。
あれ、いつからだ。
昨日最後の撮影で木梨さんと景さんが一緒の時はそうなってなかったよな。
朝俺と景さんと茜さんと烏山さんと源さんで飯食って、俺だけ先仕事で抜けて。
そっから午後の仕事まで景さん見てなかったが……どっかでなんかあったのか。
あっちには堂上さんと和歌月さん。
なんかマジでナチュラルにスターズ組とオーディション組分かれてんな。
殺す側の和歌月さんが殺される側の景さん達と打ち合わせしてんの一度も見てねえや。
「竜吾さん昨日でもうクランクアップ*1でしょ、何してんですか」
「昨日のシーンの続きだろ、今日。
お前がそこまで言うなら夜凪の芝居もう一度見て帰ろうと思って。負けんなよ、和歌月」
「あ、当たり前です」
堂上さんは景さんを小馬鹿にしてるみてえだな。
和歌月さんは景さんを過剰なくらい意識してる。
けど、二人とも景さんを見てる。
皆、同じだ。
他のスタッフや俳優も同じだ。
皆、昨日の景さんの演技を見て、ある人は動揺し、ある人は理解できず混乱し、ある人はバカにし、ある人は感嘆し、ある人は今日改めて見極めようとしてる。
各々景さんを見る時の感情こそ違えが、皆が最低一度は景さんをチラ見してる。
撮影の中心は今、景さんだ。
ある人は信頼してる目で、ある人は不安たっぷりな目で景さんを見てる。
誰も、景さんから目を離せねえ。
しかし堂上さんは本当に使いやすい俳優だな。
作品序盤で死ぬ俳優で、堂上さんの撮影を序盤に集中させてた、とはいえ。
スケジュール30日予定の撮影で2日でオールアップ完了とか、撮影に無駄もNGもねえって証拠だと言える。
NG出したら後に食い込むわけだし。
テストすらカットしようとするだけの実力はあるってわけだ。
序盤に死ぬちょい役でも印象に残る演技をする、ってのは結構難しいんだぜ。
『スパイダーマン ホームカミング』でもロバーツ・ダウニーJr*2もたった8分の出演を、最高の名演だと賞賛されたりもしてた。
まあ一説にはその時のロバーツ・ダウニーJrは、1分100万ドル(約1億1000万)のギャラでスパイダーマン映画に出てたとも言われてんだけどな。
すげえなアメリカ。
短時間でも名演すりゃ十分な金出すんだな。
もう怖えレベルだ。
「ちょっと撮影時間押してるから、今回もいきなり本番で行けるなら行っちゃおっか」
手塚監督?
「手塚監督、テストは入れるべきでは……」
「ちょっと巻きたいからさ。二代目はちょっと待ってて」
おい。昨日の撮影見て、何期待してる?
……見たことがないものでも、景さんが見せてくれると思ってんのか。
「はい、本番いきます」
「よーい」
カチン、とカチンコの音が鳴る。
所定の位置から、景さん、茜さん、木梨さんが走り出す。
その後を、刀を持った和歌月さんが追う。
刀を持っている分、重量と腕が振れないというハンディで、和歌月さんは普段より遅く走ることしかできねえと言える。
が、基礎身体能力のレベルが違え。
それでもなお和歌月さんの方が速えから、追われる三人は全力で走ってても、和歌月さんには多少手を抜いて走る余裕がある。
「マズイよ、追いつかれる、殺される!」
息を切らせながら言葉を吐く迫真の演技。
まー音声は後で吹き込みになるだろうけどな。
「待て!」
「行き止まりだ……!」
逃げる三人を海沿いの崖に追い込む和歌月さん……姿勢いいな。
この四人の中だと、景さんと和歌月さんの走る姿勢がツートップで綺麗だ。
"この人は走るの速いんだな"ってのは走る姿勢からも伝わってくる。
特に和歌月さんの刀を構えながらの走る姿勢は、かなりサマになってる。
これができねえアクション俳優ってのは結構いるんだ、これが。
「飛び込んで!」
はい、最後の台詞終了。
ここで監督がカチンコ鳴らして、カットだ。
「飛び込む瞬間は東京で別撮りするから*3。
本当に飛び込まないでね、あはは、なんて―――うん?」
あ、飛び降り―――飛び降りた!? 景さん!?
「あら」
ウワアアアアアアアアア!
お、お前ッー!
「え……」
「! 消えた!」
「いや飛んだぞ!」
「あいつ、正気かよ」
反射的に、俺とアキラ君が飛び出そうとしていた。
「僕が助けに!」
そんな俺達を、監督が手で制する。
「待って。
カットかけるの忘れてた僕のミスだけど。
カメラ回ってるし勿体無いから続けて貰おう」
一旦止められて、俺も冷静になった。
俺が手ぶらで焦って降りるより、それより、何か浮くものを!
馬鹿野郎!
ここ数年で何人も映画撮影で溺死*4してんだぞ、知らねえのか!
ここ海水浴場じゃねえんだから水面下には足に絡む海藻とかある可能性も……あークソ、ポリタンク、ポリタンク!
「えい!」
茜さんまで飛び降りた!
クソボケがぁぁぁぁぁぁッ!!
「はっは、夜凪にあてられたな!」
「何してんだよ茜さんまで、マジかよ」
烏山ァ! 源ォ!
お前らあんま動じてねえけど、お前らより景さんや茜さんとの繋がりが薄いアキラ君が今、めっちゃ焦った様子で助けに行こうとした理由ちょっとは考えろや!
「うっ」
「クッ……待……待て!」
和歌月さんが木梨さんを切り捨て、木梨さんが倒れるや否や、飛び降りた。
あーもう嫌だ。
皆死ね。
自分の命を大事に出来ねえやつは死んでしまえ!
だが、ここで溺死することなんざ許さねえからな!
「はい、カット!」
「どこで張り合ってんだよ和歌月まで……合成で済むシーンだろ!」
「はっはっ」
「早く様子見てきて! 何かあったら大変だよ!」
「は、はい!」
「フフフ。オーディション組、気合入ってんね」
「スケジュール乱れるよ、何やってんの」
「和歌月ってあんな子だっけ? 熱いなー」
周りが色々言ってたが、カメラが止まった瞬間にはもう、俺も海に飛び込んでいた。
「英二ぃー! お前まで行くなぁー!」
堂上さんの声が聞こえたが、知らん。
できる限り思い切り踏み込み、海側に跳ぶ。
かつ、横にズラして飛ぶ。
景さんが"海に落ちた後のことを一切考えてない思いっきりの踏み込み"で跳んだ以上、景さんだけはかなり陸から離れてることは確実だ。
かつ、俺が着水したところに人がいたら、最悪衝突して海にいる三人の誰かの首が折れる。
だからこういう撮影の時は、最初に飛び降りた人と、後から飛び降りる人がぶつからねえように事前に緻密に位置を計算して調整する。
しなきゃ死人が出る。
だがさっきの三人はおそらくノリで跳んだから、位置は絶対に計算してねえはずだ。
だから、俺の方が計算して落ちる。
ポリタンクを四つ抱えて。
落下中、嫌なことを思い出した。
景さんが好きな『カサブランカ』。
あれを撮ったカーティス監督は、アマチュア時代から色んな映画を撮ってて、その映画は一番古いのだと1912年とかだからほとんど記録に残ってねえ。
だからこそ、映画名とスタッフと出演俳優くらいしか記録に残ってねえ、けど人伝に伝わる逸話だけが残ってる作品ってのがある。
それが、カーティス監督の『ノアの方舟』。
カーティス監督は、いい作品のためなら人命を軽視する監督だった、と言われる。
リアルにするために人命を軽んじる監督だった、と言われる。
彼は大洪水が全てを押し流す作品を撮ろうとした。
だが、ミニチュアがリアルでないと嫌がった。
だから、『大量の水』を役者達に向けて流した。
死亡者三人。
怪我人多数。
足の切断者あり。
そう、三人溺れ死んだんだ、その時の撮影では。
三人、溺れ死んだ。
安全対策がしっかりしてねえ撮影では、そういうことが普通にある。
人は、とても簡単に死ぬからだ。
『ノアの方舟』は初公開記録も残ってねえんで、お蔵入りしたとも言われる。
監督は"事故だった"ってことでお咎め無しだったそうだ。
1928年に、そうして三人の人間が死んだ。
今じゃもう、伝聞とそれを記した本の中にしか残ってねえような、そんな逸話だ。
撮影ってのは、三人くらい、簡単に溺れ死ぬ。
そう思いながら、海に落ちた。
まず近くに、計算通り景さんがいた。やっぱり陸から遠い。
「景さん!」
「英二くん、待ってて、今助けに行くから!」
「逆ぅー!」
俺が助けに来たんだよ!
「ポリタンクです! これに掴まってください!
密封されてるんで中の空気で水に浮きます!
海上水難救助で求められるのは体重の1/10の浮力。
皆さんの体重だと2Lペットボトル一本の浮力だと足りませんが、10Lポリタンクなら……!」
「え、なんで私の体重を……?」
今そんなこと話してる場合じゃねえだろ、顔は良くても頭は悪いのか!
今俺は余裕ねえんだよ!
「茜さん、茜さん、これに掴まってください」
「み、水飲んだ、せ、背中うった、息できな」
「落ち着いてください。
すぐに呼吸は戻ります。
パニックを起こさないように、落ち着いて。息を吐くことに集中して」
「はっ、はぁー……あ、あんがとさん」
「浮くものを持ってる限りは溺れ死にはしませんから、しっかりと持っていてください」
ポリタンクの持ち手を茜さんに握らせて、和歌月さんの下へ。
……位置が悪い!
っていうか、和歌月さんが波を受けながらも片手で刀握りっぱなしなせいで、上手く泳げてねえし、泳ぐのに必死に片手使ってるからポリタンクに手を伸ばせてねえ!
このバカ!
一説には海に着衣で投げ出された人間の死亡率って80%だぞ!
刀持ってなくても死ぬわ!
だから……映画の撮影過程で死ぬ人も出るんだよ!
「朝風さん、私は大丈夫です、それよりこの刀が潮に流されて失われることの方が……」
「また作りゃいい! でも、命だけは作れない!」
「―――」
水中で思いっきり蹴って、和歌月さんの手の刀を蹴り飛ばす。
刀が海に沈んでいく。
和歌月さんの手に、しっかりポリタンクを握らせた。
「……刀、自信作だったって、言ってたじゃないですか。私なら、大丈夫でしたよ……」
「人の命より上等な自信作を作ったことは、一度もないです」
「っ」
「すみません。
皆さんなら大丈夫だったかもしれません。
海も高さも、致死ラインというわけではありませんでしたし。
俺はひょっとしたら、必要以上の心配で余計なことを……」
「謝らないでください」
和歌月さんの表情から、景さんへの対抗心が生んだ険みたいなのが消えて、徐々に申し訳無さそうな顔になって、その目が真っ直ぐにこっちを見た。
「心配性なことが欠点だなんて、私は思いませんから」
ほどなくして、他スタッフがボートを回して俺達を拾ってくれた。
……やけに手回しがいいな。
なんてことを、思ってたんだが。
陸地に辿り着いた頃には、俺はもうそんなことは忘れてて。
飛び降りたバカどもへの怒りも忘れてて。
思わず、景さんと茜さんに抱きついていた。
「……よかった……!」
なんかもう、色んなことがどーでもいーわ。
生きててよかった。
死ねよ自分の命を大事にしないバカども。何事も無くて、本当に良かった。
「……ごめんなさい」
景さんが、なんだか申し訳なさそうに言う。
「ごめんな」
茜さんが、なんだか照れ臭そうに言う。
俺は二人から離れて、至極当然にムカついてきた。
「……早く着替えてください。お二人とも、この後撮影あること忘れてますよね」
「あ」
「あ」
「三人分の衣装が一気に海水濡れになったんで、予備がちょっと足りません。
だから洗濯して乾燥させないといけないんですが……
この衣装を変質させない温度で乾燥させるとすると、今日の撮影スケジュールにはもう」
「英二! 和歌月!」
「朝風君!」
堂上さんとアキラ君が来た。
わぁ、スターズ俳優の足速え組だ。
崖の上で、俺達を拾ったスタッフのボートがここに来たの見て、走って来たな。
「おい、大丈夫かよ」
「竜吾さんが心配するようなことは何もありません。大丈夫です」
「そうか。まあ、和歌月も英二もいつも通りの生意気なツラだな、安心した」
「ちょっと竜吾さんどういう意味ですか?」
その次に……あれ。
百城さん?
三番目に来るのが百城さんとか、意外だ。
そこまで健脚じゃねえ人なのに。走り出したのが他の人よりも早かったのか。
「はい英二君、タオル」
「ありがとうございます。
あ、百城さん、ちょっとお願いしてもいいでしょうか。
多分目算だと景さん達の衣装準備が間に合いません。
なのでここからやる予定だった撮影は明日に回すと思います。
代わりに、明日やる予定だった撮影を一つ、ここから撮ると思います。
死ぬ気で調整しないとねじ込みも無理で、普通にやったら何時間も後に食い込みます」
「分かった。調整すればいいのかな?」
「助かります。俺も手早く着替えてすぐ撮影に復帰しますので」
よし。
これで景さんの暴走から始まった一連の流れのフォローができる。
スケジュールが乱れると、その原因になったやつに敵意が向く。
特にスケジュールがカツカツなスターズ俳優や、スケジュール調整やってるプロデューサーからの心証が悪くなりやすい。
だが逆に言えば、"スケジュールの辻褄が合ってるなら"敵意は向けられねえはずだ。
発端の景さん、続いちまった茜さんと和歌月さんはこれでそこまで責められねえ……と、思う。
百城さんは、いつも通りに微笑んでいた。
「英二君は、本当に英二君だよね」
「はい?」
「君はそのままで良いんだよ、きっとね」
百城さんが景さんや茜さん、和歌月さんにもタオルを渡していく。
他の人もぞろぞろ集まってきた。
町田リカさんが、俺の前に来て何やら難しい顔をし始める。
「あ、町田さん」
「あのさ、朝風君」
「なんでしょうか?」
「あんまり心配させないで。私達にも、千世子ちゃんにも」
「……すみません」
反省せんと。
"そういうところで"、親父みたいになりてえわけじゃねえんだ、俺は。
「わんぱくもほどほどにしとけよ、英二。和歌月にもそう言っとけ」
「はい。気を付けます、堂上さん」
? 堂上さんが今、怖い目で景さんを見たような……?
「朝風さん! 車乗ってください、ロッジまで送ります!」
「ありがとうございます!」
気の利く助監督さんに運ばれ、ロッジに行ってシャワー浴びて着替え、現場に復帰。
結局この日は、無茶苦茶になったスケジュールの調整と、後に響かせないための撮影順序の入れ替えがあり、撮影は後ろに食い込みまくった。
百城さんがいんのにこんな風になるのって何年ぶりだ?
まさに破壊者だな、景さんは。
「英二くん、英二くん」
「どうかしましたか、景さん」
「さっき他の俳優にシン・ゴジラって言われたの。なんでかしら」
「……さぁ」
ゲロ吐きながら何もかもぶっ壊していくからじゃねえかな。
撮影三日目、予定より3時間遅れて終了。
【余談】
原作の三日目撮影映像を手塚監督が見てるシーンの画面枠のサイズを、ちょっとキャプチャしてピクセル単位で分析してみました。
外枠で2.041:1。
内枠が2.542:1。
外枠はカメラが撮影した範囲で、内枠は映画に採用される候補にあたりをつけた線ですね。
メイキング映像などで時々見るあれです。
撮影した映像に、内枠を付けて、そこを切り抜いて映画に使うのです。
この二つの平均で見ると比率は2.2915:1。
映画の二大画面比率と言われる、日本ではシネスコ・海外ではワイドスクリーンなんて呼ばれる横長の画面比率が2.35:1です。
つまり手塚監督は『4:3や16:9のDVDやBDでも扱いやすい縦横比率』ではなく、『より映画っぽい縦横比率』にこだわる監督だということですね。
原作アクタージュは漫画ということで様々な制限があり、ジャンプということで更に制限がありますが、"分かるやつは分かれ!"みたいなメッセージが色々入ってる気がします。