『史上最強の哲学入門』が売れなくて作家をやめる話~バキの板垣先生の大暴走
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「『史上最強の哲学入門』から、バキの成分を消せ!」
営業部からそう言われて、泣く泣く修正作業をしていた──そのとき、担当編集からの電話が鳴った。
「すみませーん! めちゃくちゃ怒られましたぁ!
バキを全面に出していきまーす(涙)!」
「えええええええ!? 一体、何があったんですか!?」
編集の話によると、その日、めったに顔を出さない社長が、ふらりと編集部に訪れたらしい。そして、次の会議まで空き時間があったようで、時間つぶしに何気なく手に取ったのが、私の原稿。
一読して、社長は思わず叫んだという。
「なんだ、これッ!? めちゃくちゃ面白いじゃないかッ!」
さらに、その場で話を聞いた社長は、「バキ要素を削除」という方針を知って、ブチギレた。
「なにやってんだッ! こんなの、バキを全面に出す一択だろうがッッ!!」
その一喝で、すべてがひっくり返った。
「……というわけなんですよ。しかも社長、おまえらには任せておけないって言って、本の制作にガッツリ関わることになりまして……。あと、帯のデザインも、社長自らやるって言い出しました」
「じゃあ、文章は今のままでいいんですか? それと、入場シーンは……?」
「はい! すべて最初のままで大丈夫です! 冒頭の入場シーンも、そのまま載せる方向で進めます! 本当にすみませんでした!!」
奇跡が起きた、と思った。一時は「バキを外せ」とまで言われていたのに、まさかの「全面バキ推し」での出版が決まったのだ。
編集部の向こうには営業部があり、基本的には営業部の意向には誰も逆らえない──はずであった。が、実は営業部よりも強い存在がいる。
そう、社長だ。
その社長が、たまたま原稿を読み、すべてをひっくり返すという奇跡。
ちなみに、その社長が作った帯がこちら。
全哲学入場!!(笑)
最高かよ。熱い帯を見て、私は確信した。
「これは売れる……売れてまうぞ……」
──そして、もうひとつの奇跡が、これから起ころうとしていた。
■空前絶後の哲学ブーム到来
哲学本の業界には、5〜10年に一度、とんでもないブームがやってくることがある。
はっきり言って、哲学の本は売れない。
1万部売れたら大ヒット──そんなレベルの世界だ。
だが、それでも、まれに「100万部」を超える、化け物のような作品が生まれることがある。
たとえば、『ソフィーの世界』がそうだった。その部数、驚異の200万部。そして、それに匹敵する怪物作品が、再び現れる。
『超訳 ニーチェの言葉』である。
もっとも有名な哲学者・ニーチェを題材にしつつ、タイトルは「超訳」とフランク。それなのに、装丁は豪華で黒くシック。まるで高級インテリアのような本だった。お祝い用やプレゼント用としても選ばれる──そんなデザインが功を奏し、これが100万部以上も売れたのである。
そして、その『超訳ニーチェ』の発売から三か月後に登場したのが、『史上最強の哲学入門』である。
ちょうど『超訳ニーチェ』の大ヒットで、書店の「哲学コーナー」が注目を集めていた頃だ。普段は哲学コーナーなんて素通りするような人たちまで、ニーチェ目当てに足を運ぶ状況。
まさに哲学コーナーは、確変中のお祭り状態だったのである。
「なんてムシのいい……」
この状況に、自然と口元が緩んでしまう。
だって、うちの本は大迫力の「バキの表紙」だよ? しかも、あの帯だよ? ふらりと立ち寄った人の目に入らないわけがない。
まさに、奇跡のようなタイミング。
社長の件と言い──
ああ……そうか……。
そういうことか……。
この本は売れる。めちゃくちゃ売れてまうのだ……。
そして、哲学入門書の金字塔となり、長く語り継がれる伝説の本になるのだ……。
■〇〇〇という落とし穴
だが、発売後、増刷の話題はまったく出ず、編集からも「売れてますよ!」という声は聞こえてこなかった。売れ行きを尋ねても、なにやらお茶を濁されるばかり。
「え……どういうこと? この状況で売れないわけがないのに……」
不安になって書店に足を運んでみた。すると──哲学コーナーには、『超訳ニーチェ』が平積みで高く積まれ、ブームはまだまだ健在。
が、どこを探しても『史上最強の哲学入門』は見当たらなかった。
たまたまだろうと思って、次の書店へ。だが、そこにもない。
さらにその次の店に行っても……やはり、どこにも置かれていない!
慌てて編集に連絡する。
「どこにも置かれてないんですけど!」
「いえ、置いてありますよ」
「でも哲学コーナーを隅々まで見ましたけど、ありませんでしたよ!」
「哲学コーナーにはないですね。ムックですから」
え、ムック……?
ムックってなに……?
これ?
いやいや、落ち着け、そんなわけないだろ。
「えっと、ブックですよね?」
「いえ、ムックです」
編集者の説明によると、ムックとは「マガジン+ブック」の合成語で、見た目は普通の本のようでも、実は「雑誌扱い」らしい。
「本の後ろにバーコードがありますよね? 『史上最強の哲学入門』は一般書籍のコードではなく、『雑誌コード』になっているんです」
本の裏側に印刷されたバーコード。そこには本の「種別」を示す数字が記載されている。書店員さんは、この数字をもとに本を棚に並べていくのだという。
慌てて、献本として送られてきた自分の本をひっくり返して確認してみると……
あああああああああああああああ!
雑誌って書いてるーーーーー!!!
「 じゃあ、『史上最強の哲学入門』は、雑誌ってことですか!?」
「いえ、ムックです」
「じゃあ、雑誌コーナーにあるってことですか!?」
「そうです。雑誌の棚の下の方にあると思います」
雑誌コーナーの下――連載マンガの総集編や、健康特集の増刊号などが置かれている、あのスペースだ。
え、ここ? ここなの??
「表紙、見えないじゃないですか!?」
「まあ……雑誌コーナーは、雑誌が主役ですからね」
これじゃあ、売れるわけがない……。
それに何より、ニーチェブーム、まったく関係ない……。
「一般書籍で出すことはできなかったんですか?」
「できたと言えばできたのですが……取次が……」
「取次(とりつぎ)?」
編集者の説明によると、「取次」とは、出版社と書店の間に立って本を流通させる、いわば「本の問屋」のような存在らしい。
出版社が本を刷っても、それを全国の書店に直接届けるのは現実的ではない。そこで、まず取次に本を納品し、そこから各地の書店へと振り分けてもらう仕組みになっているのだという。
そして、この流通構造の中では、すべての出版社が最終的に「取次」の判断に従わざるを得ない。仮に出版社が独断で10万部を刷っても、取次が「受け付けません」と拒めば、その本は書店に並ばず、一冊も売れないまま終わってしまうからだ。そして実際に、どの書店に何冊送るかを決めているのは、この「取次」なのである。
だからこそ、出版社は基本的に取次の意向に逆らうことはできない。
「今回、うちの社長も売れると見込んで、そこそこの部数を刷ろうとしたのですが……うちはずっと雑誌を作ってきた会社で、一般書籍の実績がなかったんです。だから取次さんから、『その部数で刷るなら雑誌コードじゃないとダメ』って言われてしまって……」
衝撃だった。社長は最強ではなかった。もっと強いやつがいたのだ。
編集部 → 営業部 → 社長 → 取次
まさか、社長よりも上の存在がいるなんて……!
「な、なんでこんな……」
「一応、打合せで飲茶さんにはお伝えしていたと思いますが……」
たしかに言われたような気もする。
でもたぶん、「ムック」と言われてもピンときていなかったのだ。
「そのときは、てっきりブックだと……」
「いえ、ムックです」
──結局、『史上最強の哲学入門』は、あまり売れなかった。
もちろん、まったく売れなかったわけではない。そこそこは売れたらしい。でも──それだけのことだった。
しかも、雑誌の棚は、回転がとても速い。次々と新しい雑誌が送り込まれ、その特集をまとめたムックも、どんどん投入される。『史上最強の哲学入門』も……しばらくして、あっさりと書店から姿を消した。
ショックだった。期待が大きかっただけに、地面に叩きつけられたような気分だった。あれだけ面白いものを書いたのに。自分でも「神がかっていた」と思えたのに──結果は「やや売れ」レベル。
それでも、出版社にとっては意味のある挑戦だったのだろう。雑誌しか作ってこなかった会社が、「書籍的な何か」を出すという試みを始めて、初版がほぼ完売したのだから、社内的には成功と言えるのかもしれない。
実際、編集からはとても褒められたし、感謝の言葉ももらった。
そしてその後、出版社が慰労会として、板垣先生との食事会をセッティングしてくれた。落ち込んでいる私を気遣ってのことだろう。ありがたかった。でも……こちらとしては申し訳なさでいっぱいだった。
その食事会で、板垣先生とどんな話をしたか──それはまた、別の機会に書きたい。
ただひとつ言えるのは、とても楽しかったということだ。時間を忘れて『バキ』について、哲学について語り合った、本当に最高の夜だった。
食事会の帰り道、夜風に当たりながら歩いていると、少しずつ気分が晴れてきた。
そうだ、精一杯やったじゃないか。できる限りのことをやった。全力を出し尽くした。そして何より、憧れの漫画家・板垣先生と一緒に食事までできた。
結果はともかく──とても充実した時間だった! これ以上はもうない!
満ち足りたような気持ちになった私は、ある決断を下す。
「よし……作家、やめよう」
■衝撃の結末
それから、しばらくしたある日のこと。編集から電話が鳴った。
……なんで今さら? 執筆依頼とか、そんな話だろうか? いや、もう「作家はやめます」と伝えたはずだ。
あれ以上の本はもう書けない。そして、それが売れなかったのだから、自分は作家を続けるべきではないのだ。
「はい、なんですか?」
もう書くつもりはなかったので、少しぶっきらぼうに応じた。が、電話の向こうの編集は、なぜか慌てたように、ぶつぶつと何かをつぶやいている。
「頼んでもないのに……勝手に……板垣先生が……」
「どうしたんですか?」
なんだか様子がおかしい。
「あの……実は、さっき板垣先生からお叱りの電話がありまして、
『この本が売れないなんておかしいだろ、おまえら何やってるんだ!』
って……」
「!!!!!!!!!」
──あの板垣先生が……そこまで気にかけてくれていたなんて……。ありがたくて、ありがたくて、ただただ胸がいっぱいだった。こみ上げるものを抑えきれず、涙があふれ出し、感動で震える声で私は答えた。
「……ありがとうございます。本当に救われた気分です。板垣先生にどうかお礼を……」
「それだけじゃないんです!」
「え?」
「突然、送ってきたんですよ、板垣先生が!
なんか青いやつを!」
「え? え? 何を送ってきたんですか?」
「だから、表紙ですよ!
板垣先生が、頼んでもないのに!
飲茶さんの『次の本』の表紙を!
勝手に描いて送ってきたんですよおおお!!」
「ええええええええええええええええええ!!??」
(続く)



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