日本史のための10冊
以前週刊文春にかいたものです。でてきたので上げます
日本史を再考するための10冊
保立道久
いま日本史を再考するには、『国体の本義』を覗いてみるのがよいと思います。この本は昭和一二年、日中戦争開始の直前、日本の「国体」を国民に教えるために文部省が発行したものです(ウェブで全文が読めます)。それは、天の神が降臨して日本の国土と天照大神を産み、その子孫の天皇が現人神として君臨してきたという歴史観です。こういう「万邦無比の国体」をもつ日本はヤマトタケル以来、神の意思の下で戦争してきたというのです。
この歴史観を「皇国史観」といいますが、有名な昭和天皇の「人間宣言」は、これを「架空なる観念」と否定したものでした。敗戦の中で茫然自失した人々も、これを忘れようとしました。ただ、戦争中はこれをほとんどの人が信じていました。
日本の神話は貴重なもので、これを忘れるのはおかしなことです。そこで本居宣長の『古事記伝』(岩波文庫)を読むことをお勧めします。『古事記伝』(岩波文庫)は、天皇の神、天照大神のみでなく、庶民を含む民族全体の祖先神である「産霊=ムスビの神」(高皇産霊・神皇産霊)が日本神話の至上神であることを発見した古典です。『国体の本義』にもそれは反映されていますが、ただ国民は神の子孫というよりも天皇に仕えて忠義を尽くすべき臣民だとしてしまいました。
「あつものに懲りてなますを吹く」という言葉がありますが、皇国史観をさんざん聞かされた戦後派の歴史学は、神話の本質はもう分かっているという態度を取りました。ようやく近年の歴史学は神話を歴史の中に位置づける道を拓きつつあります。義江明子『古代王権論』(岩波書店)は先端的な研究ですので少しむずかしいかも知れませんが、それを代表する見事な仕事です。
義江は日本神話の中心は天照大神ではなく雷神であることを明らかにしました。私は、宣長が至上神としたタカミムスヒ(高皇産霊)も雷神であり、火山・地震神でもあったと考えていますが、神話を読んでいると災害のことを考える上でも神話を理解し直す意味は大きいと感じます。
さて、「皇国史観」は実際には「脱亜入欧史観」をともなっていました。新渡戸稲造が『武士道』を書いた明治の頃から、昔の日本社会は中央集権的な中国とは異なり、ヨーロッパと似た武士の支配する封建社会だった。だからアジアとは違って近代文明をいち早く導入できたのだ。この上は西洋と東洋を統合する「大東亜共栄圏」を作るのだという訳です。
ところが、網野善彦『日本の歴史を読みなおす』(ちくま学芸文庫)と朝尾直弘編著『世界史のなかの近世』(中央公論社)は、ともに「日本は封建制であったことはない」と結論しました。東西の学界を代表する網野と朝尾の結論が同じであることは、もう「日本封建制論」が通用しないことを意味します。歴史学は「脱亜入欧史観」の最大の根拠を崩したのです。
網野は膨大な史料から非農業民の生業を詳細に復元し、十四世紀ぐらいから日本は重商国家となったとしました。
朝尾も『世界史のなかの近世』で徳川幕府は封建国家ではなく、村落の自治機能を組織した行政国家だとしました。また秀吉以降、日本の「神道」こそが仏教・儒教の上にあるアジアの中軸であるという新しい神国思想が生まれました。
これは明治時代への見通しを含んでいます。つまり、家康は東照大権現を称し、武威を中核とした国家機構に支えられた神となりました。明治天皇が「神州の武」を強調して武威を「国体」の中核にすえたのは、「万世一系の伝統」のみでなく、徳川時代の直接の延長線上にあったというのです。
こういう中で明治維新のイメージも大きく変わりました。宮地正人『歴史のなかの新選組』(岩波現代文庫)は、アウトローの非情な武士という新選組のイメージを一挙に覆しました。新選組は文武両道に秀でた政論家集団だったというのです。私は近藤勇の祇園の一力茶屋での大演説の史料をみて本当に驚きました。しかも、明治維新というと関東の民衆は除け者というのが普通ですが、近藤らは東国の豪農出身で、会津の松平容保らを中心とする公武合体路線の実現に命を懸けたというのです。
明治維新はイギリスと提携した薩長の勢力が、西から京都の天皇・公家を巻き込んだとされますが、公武合体路線の側も明治天皇の父、孝明天皇の信頼を勝ち取り、東国を拠点として人々に支持されて行動したという訳です。明治維新は孝明天皇が支持した勢力と、新たに明治天皇を担いだ勢力が東西に分かれて争ったのだという訳です。この宮地の本は膨大な史料を読んで歴史像を一変させるという歴史学の醍醐味を味あわせてくれます。
さて、現在の私たちがいる戦後体制の成立過程に新たな光を当てた武田晴子『天皇観の相克』(岩波現代文庫)もぜひ読んでほしい一冊です。太平洋戦争終結後の昭和天皇をどう扱うべきかを一九四五年六月に訊いたアメリカの世論調査では、処刑(三三%)のほか、裁判・終身刑・追放を合わせて七〇%で、米国民のほとんどが強硬処置を望んでいました。しかし、昭和天皇は訴追も退位もまぬがれ、戦後憲法の下で天皇であり続けました。
武田はアメリカに交換学生として滞在していて送還船で帰ってきたという経歴のクリスチャンですが、彼女はモザンビークで、送還されるアメリカ駐日大使ジョセフ・C・グルーとすれ違っています。これは忘れがたい体験だったのでしょう。戦後、E・O・ライシャワーなどの援助もあって、ほぼ初めてアメリカの文書館を本格的に調査し、グルーが、日本の敗戦が決定的になった時点で、人の死を少なく戦争を終えるためにも、天皇制は廃止すべきでないと主張した様子を明らかにしました(なお本書は最近問題になることが多い文書館・アーカイヴズについて考える上でも必須のものです)。
グルーが四四年に国務次官になって以降、この主張がアメリカの世論と占領政策を変えていきます。ルーズベルトが急に死去することがなければ、日本は原爆投下とソ連参戦を経ずして戦争を終えたかもしれません。説得をトルーマンに無視されたグルーの痛恨は印象的なものです。
最後にこれから日本の歴史を本格的に勉強しようと思っている人に三冊の本を推薦します。伊藤聡『神道とは何か』(中公新書)、小島毅『天皇と儒教思想』(光文社新書)そして森浩一『ぼくは考古学に鍛えられた』(ちくま文庫)です。
『神道とは何か』は神道の通史として、ほとんど唯一といっていい貴重なものです。『古事記伝』を読むにも、本書を先に読んだ方がよいでしょう。神道史の研究も神話研究と同じく遅れていますが、日本の歴史を研究するには、その習俗に深く浸透している本来の神道がどのようなものなのかを知らなければなりません。現在の神社を理解するためにも読んでおいた方がよいと思います。
『天皇と儒教思想』も常識としておきたいことで、本書は明治の国家思想が如何に儒教の濃厚な影響を受けているかを体系的に明らかにしています。たとえば徳川期までの元号は地震災害などを契機に改元されましたが、幕末の水戸の儒学(朱子学)が中国の明や清の一世一元制を理想として明治国家に持ち込みました。形式化した儒学の問題性を歴史の中で考えることは極めて重要だと思います。なお自著で恐縮ですが、保立四『現代語訳 老子』(ちくま新書)では儒学の対極にある老子の思想が深く神道に影響していることを紹介してあります。
日本史を理解するためには、思想史は色々な意味で重要で、最近の歴史学はここを強化してきましたので、伊藤・小島の本を皮切りにして追跡していただきたいと思います。
『ぼくは考古学に鍛えられた』は十四歳で遺跡の調査を始め、敗戦の中、弱冠二十三歳で黄金塚古墳の発掘の責任をになった考古学者・森浩一の自伝です。歴史学は大量の面倒くさい史料と孤独に向き合う仕事ですので、ときどき憂鬱に襲われます。そんなとき野外で身体を使う考古学の仕事を知っているだけで心を癒やされます。



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