昨日のブログを杉田水脈さんがⅩでポストしてくれたので、炎上中です。
ところが、拙ブログにも私のフェイスブックにも全く批判はなく、Ⅹの匿名のポストだけに罵詈雑言が並べられています。
私の名前もちゃんと書いてあるし、人によっては私のブログを批判しているのもあるので、このブログのコメント欄に書き込んでもらえれば、丁寧にお返しができますが、らくがきのような書き込みにはどう対処していいのかわかりません。
フェイスブックはお友達はあったことのある人か、きちんとメッセージのやり取りをして承認しているので問題はありませんが、拙ブログにも非難めいたものはないのでⅩだけが無法地帯と言ってもいいみたいですね。
Ⅹはすぐに字数制限が掛かるので苦手なのです。どうぞ、批判のある人はこのブログか、フェイスブックに書き込んでください。きちんと対応させていただきます。ただし、下品な言動はお控えくださいね。
ご興味のある方はご覧ください。ただしコメント欄は胸糞が悪くなりますからご注意を。
悪意のある方は何でも決めつけて杉田水脈さんに悪い印象を持つように落書きします。
慰霊碑に登って写真を撮っている?
写真をきちんと見たら門田隆将氏はしゃがんでいるし、私もしゃがんで撮るようなきつい態勢でした。だから慰霊碑を抱くように杉田さんが柳瀬千尋海軍少尉の名前を指さしています。
その際に携帯電話を上において何が悪い!お墓の上に置くのとは違うこともわからないのでしょうね。
もちろん数枚写真を撮るのですが、こういうフェイスブック等に乗せる場合は、女性がこの場合杉田水脈さんがきれいに撮れている写真を優先的に選びます。とても素敵に写っています。このアメブロにも掲載したいのですが、写真データが大きすぎて拒否されるのです。私の未熟さでごめんなさい。
杉田さんのⅩ(上記)でその写真を見ることができます。
ここでいくつかの誤解を解きたいと思います。
駆逐艦呉竹の慰霊碑に手を合わせた後にお名前の刻んである石板を撮っていますが、これは墓石でも墓誌でもありません。いわばただの石です。ただ見る人が見ればこのただの石がとても重要なものとなり、英霊と私たちをつなぐ役目をするのです。
慰霊を数多く行っている私たちがそれをないがしろにするはずがありません。ましてや杉田さんが慰霊碑の上に登り、体をそこに預けているようなことやその上に乗っていることは一切ありません。写真をきちんと見ればすぐわかるのですが、悪意ある人は全くそれを無視しています。
そして悪意のある匿名の人たちはその一時資料をきちんと見ないで、自分が支持する人のポストの文面だけを見てそれを膨らませます。だから、私がブログで「追悼式に参加して英霊と一体となって」と書いても、何も心に響かないのです。ほとんどが読まずに批判だけをしているのですから。
でも、いくら公人とはいえ、あれだけの攻撃にさらされても前を向いて立っていることができるのはすごいことです。
杉田さんを見れば見るほど、知れば知るほど男として恥ずかしくなります。
だから、今回私が撮った写真が原因になっているのだから反論をブログに書いたのです。少しでも彼女への風当たりが弱くなればいいなと思っております。
でも、誹謗中傷する人たちは顔も名前も隠し、Ⅹですから長文は投稿できないので、短文で落書きみたいなことを言って自分の生活に対する不満の留飲を下げているのでしょうか? これで人生楽しいのでしょうか?
昨日も書きましたが、追悼式や慰霊祭や神社の正式参拝をすればするほど、その御霊ととても近しい存在になります。これは経験した人ならみな同じ気持ちだと思いますよ。これがわからない人は、そういうところに行ったことがない人ですね。
日本の信仰は「信じる信仰ではなく、感じる信仰」だと言われています。その場に身を置き、静かに神々と一体化することにより初めて御霊とともにいるという実感がわきます。
私の母のすぐ上のお兄さんはラモウで戦死しています。だから慰霊祭などに行くときにはそのおじさんの写真の顔を頭に浮かべながら参加しています。また別の親戚の御主人さんは沖縄戦で戦死しています。
そういう人だらけのはず、ご先祖様と繋がっていれば。
だから慰霊碑はただの石ではなく、私にとっては意味のあるものなのです。自分も明石元二郎陸軍大将・第七代臺灣総督の慰霊碑建立に携わっていたのでこの慰霊碑をどういう気持ちで立てたのかがよくわかります。それは人に言えない、言ってもわからない苦労がいっぱいあるのです。
そういう人間が無作法なことを許容するはずがないのです。
ただ批判する人にとってはそんなことはどうでもいいのです。だからそういう人たちにどうのこうのしてもらおうとは全く思っていません。ただそれを見た人たちが、「へぇーそうなんだ」と誤解をしてほしくないのです。
先ほど杉田さんと電話でお話ししたら「私は何を書いてもバッシングされる」と言っておられました。それはその一定の勢力の人たちに都合の悪いことを杉田さんは直球でいい暴いているからです。
アイヌの衣装を羽織っただけのおばさんに「アイヌのコスプレ」といって何がアイヌの人たちを差別していることになるのでしょう。杉田さんの言葉を借りると「おばさんやおじさんがセーラームーンのコスプレをして言うとセーラームーンを差別したことになるのですか?」と言うことです。
トランプさんが脱退を明言している人権理事会(旧国連人権委員会)はその程度の物なのです。NGOのメンバーらしか発言権がなく、その仕組みを知らない人が「国連」と名がついていたのでとてもすごいところだという先入観があるようですが、ここもCHINAに篭絡されている場所なので全く無駄な機関です。
その点については杉田水脈氏もきちんと弁明しているので彼女が書いたものをきちんと読めば日本語が理解できる人だったらわかるはずです。
こういう言論弾圧を左巻きは平気でやってきます。それに反論する杉田水脈氏らは目の敵になるのでしょうが、私はマスコミから叩かれる人ほど正しいことを言っているという見地から検証に入ります。
「ひろゆき」がやっていることはディベートの相手側を演じているだけであり、この人の国家観がどうか一切知りません。まあ興味もありませんが・・・。そういう人がきちんとした国家観を持つ人を言葉遊びでそれも威圧的にねじ伏せるのはおかしいと思っております。