大型の電気ポットと人数分の茶飲みを持って移動している俺の目に、百城さんの姿が映る。
あれ。
今日一応夜まで交流とか台本読み合わせとかする予定じゃねえの?
「お茶持ってきたんですが……」
「大丈夫だよ英二君。今日の顔合わせはこれで終わり、ってことになったから」
「あれ、そうなんですか」
「スターズの皆が来てないからこれを長引かせても皆の時間取っちゃうだけだよ、って監督にね」
「なるほど。百城さんの忠告を手塚監督が聞いた形ですか」
忙しすぎんだろスターズ。
オーディション組呼んどいて来ないとか、オーディション組視点クソ失礼なクソ野郎では?
忙しいんだからしょうがねえんだけどさ。
普段めっちゃ働いてるから仕方ねえってのも分かるんだけどさ。
一人二人は、「疲れたから急いで事務所に戻って、サボってもいい顔合わせわざわざしたくない」とか思ってるやつもいそうだ。
何気に俳優を削るのが移動時間だ。
ぐっすり休めず、寝ても完全には疲れが取れず。
なのにロケ場所次第では、数秒のシーンを撮影すんのに何時間も移動しなきゃならねえ。
たとえば仮面ライダージオウで主役の常磐ソウゴ*1のライバルであり仲間として、二号ライダー・ゲイツを演じる引田岳*2さんは、朝から二時間かけてロケ地に移動、現地で五時間撮影待機、数秒のシーンを撮影し、二時間かけて帰宅。帰った頃にはもう夜中。
そして数秒のシーンだから、とテレビ本編では完全にカットされたとか。
うーんいつものだ。いつものテレビ撮影のナチュラルな酷さ。
でもそういうこともあるから、仮に忙しい人達が『疲れた』でこういう顔合わせサボったとしても、ちょっと大目に見て欲しい。
大きな声じゃ言えねえんだよなこういうこと。
社会人はこういう顔合わせにもちゃんと出るのが礼儀みたいなとこあるし。
スターズの方が俳優として格上じゃなきゃチクチクなんか言われてただろう。
でも俺は……こう……裏方だから、ちょっと休ませてやってくれと思っちまう、スターズ俳優の心情的な味方なのである。
俳優の移動時間を仕事時間に含めて考える概念持ってねえ人は、死ねくたばれとちと思う。
「あ、そうだ。
夜凪さんがさ、
『お芝居中の自分をフカンして、コントロールする技術。
"天使"さんなら出来るってきいたんだけど本当? 幽体離脱』
って言ってたんだけど、英二君は意味分かる?」
幽体離脱? んー、なんだろう。百城さんに変なこと言ってねえだろうなあの人。
「黒山さんあたりの入れ知恵でしょうか……
たぶんですけど、景さんのメソッド演技のコントロール法かと。
景さんに上から見下ろす俯瞰視点を後付けしたいんじゃないかと思います」
「ああ、俯瞰ね。発音変だったから全然分からなかったよ」
幽体離脱、か。
おそらく『幽体離脱みたいに演じてる自分を外から見下ろしコントロールする技術だ』とか、黒さんが景さんに教えたんだろうな。
黒さんらしい。
何がらしいって、"分かる奴には分かる"ことだな。
物の例えとしちゃ良くねえが、色々読んだり聞いたりしてる俺みたいなタイプとか、黒さんみたいなタイプだと分かるっちゃ分かるもんだ。
ハリー・ポッターのスピンオフ『ファンタスティック・ビースト』でダンブルドアを演じたジュール・ロウは、撮影を「幽体離脱をしているような経験」と言った。
観客の目線と、登場人物の目線、その二つが重なって自分自身を俯瞰で見つめることで、奇妙で特別な感覚を覚えた、と。
時をかける少女*3で主演を務めた中里依紗はかなりディープな亜種メソッド演技派だ。
しかも「演技の時はいつも幽体離脱したみたいになる」とも言っている。
冷静な自分と、役に入り込んでいる自分が分離してるから、そう見えるんだそうな。
また、役者以外にも、今新潟で教授をやってる、元体操選手の六十嵐久人さん。
彼は1976年のモントリオールオリンピック・体操男子団体の金メダリストだ。
彼は金メダルを取った時、その人生で最初で最後の『幽体離脱』をしたそうだ。
演技をしている自分がいて、それを見下ろしている自分がいた、らしい。
『幽体離脱』って単語を使ってる有名人は、国内外に結構多い。
技巧の一つだから、役者だけでなく画家や体操選手なんかも同じようなことを言ってる。
だから自然と黒さんが幽体離脱って単語使って、それをそのまんま景さんが使っちまって、他の人にはあんま分からなかった……そんな感じか。
景さんが個性的だから、その現場見てねえのに実際に見たかのように分かる。
あの人は面白えからな。
百城さんも気に入ってくれてたら嬉しい。
「英二君は夜凪さんのことをよく分かってるんだね。心が通じ合ってる感じ」
「いえ、そんな大袈裟なものでは」
「私じゃ全然分からなかったよ」
「強いて言うなら、少しずつでも仲良くなれたからでしょうね。
最初は何考えてるのかはよく分かってなかったので、いい友人になれたんだと思います」
「仲良いんだね」
「大事な友人です」
百城さんが微笑む。
俺の友人関係のことを自分のことのように喜んでくれてるんだろうか。
俺この最高純度の作り笑顔好きなんだよな。
可愛い。
メソッド演技の特徴である自然な笑顔は、人が日常の中で浮かべるごく自然な笑顔であり、だからこそ視聴者の共感を生む。
百城さんはそれの逆。
自然ではない造形物の方向性を持ち、だからこそ誰が見ても美しく可愛らしく見えるという最大の長所を持つ。
だから、とても良いんだ。
「景さんは百城さんから技術を盗みに来たんじゃないでしょうか。
景さんはまだ未熟ですからね。
対し、百城さんは高度な技術の塊です。
多くの人から学び、多くの物から学び、自分なりに消化し、昇華しています。
百城さんの演技は有用なテクニックの塊ですよ。
俺から見ても技術力と表現力において、百城さんは業界でもトップクラスです」
百城さんは一瞬、俺の方をちらっと見た。
「―――そっか、だから、私から盗みに来たんだ」
百城さんの瞳に、仮面を押しのけ熱い感情が浮かんだような気がした。
景さんの影響は、早くも顕れてるようだ。
さてこの影響は、どういう方向に流れて行くのかな。
「私は帰るけど、英二君はどうするの?」
「景さんをスタジオ大黒天か自宅まで送って行こうかなと。
ほら、百城さんは送ってくれる人ならたくさんいそうですし。
でも景さんは一人ですからね。最近物騒ですから。
百城さんもお気を付けてお帰りください。
あ、何かあったら電話で呼んでください、何があってもすぐ駆けつけますから」
「……そっか」
百城さんが微笑む。
「英二君は優しいね」
「いえ、そんなでもないですよ」
百城さんの作り笑顔の下の感情は、俺にも読めねえ。
何を考えてるかたまーに察せても、すぐに読めなくなる。
ただ、なんだ。
この笑顔が好きだから。
この人にはいつまでも笑顔でいてほしいと、そう思った。
で。
「なんで俺これに呼ばれたんでしょうか、黒さん」
「頭数欲しかったんだよ。
お前デスアイランドに備えて仕事早く片付けすぎて、暇だったんだろ」
「何故かまさかのボウリング……」
「お前を前にボウリング連れてったのいつだっけ? 覚えてねえや」
「数年前ですよ。あの時は楽しかったですね」
顔合わせが半端に終わった数日後。
なんでか俺は、スタジオ大黒天と夜凪家合同のボウリングトーナメントに参加させられていた。
黒さんの発想は俺にも読めん。
なんでだろうなあ。
「エージ、お前今は何やってんの? デスアイランド」
「衣装合わせ中ですね。
俳優さん達の体型を採寸して、原作漫画の衣装を再現してます」
「女子の体型チェックか。いやらしいやつだな」
「えっ、ちょっ、違っ」
何言ってんだこのヒゲオヤジ。
「そうよ黒山さん。英二くんは私の採寸する時だって、過剰なくらい気を使ってたもの」
「えっ……エージお前、冗談のつもりだったんだが、ガチでお触りに行ってたのか」
「違います!
景さんの採寸の日だけ、女性皆休みだったんです!
俳優それぞれ皆さんスケジュールが違うので採寸の日が違うんです!
百城さんとか茜さんとかの時はちゃんと女性スタッフの力借りたんですよ!」
「結局触ったんじゃねえか」
「ちが……いや、そうではありますけど!」
「英二君は採寸してる時、物作りの人の目になってたわ。
私の体のサイズからどんな物を作ってるかだけを考える、そういう目。
黒山さん、英二くんはそういう時に、変なこと考える人じゃないと思うの」
「まあそうかもな」
「えっ」
「黒山さんは英二くんをからかいすぎよ」
「いやなんか面白くてよ」
こいつ!
しかし景さん、すっかり俺に慣れてんなあ。
なんかもう男として見られてる気がしねえ。
ペットの犬くらいの距離感じゃねえのこれ。
……いや、でも、戦友としては見られてるか。
黒さんの狙いは、多分景さんの人生経験増やして、メソッド演技の引き出し増やそう、とかだと予想する。
一緒に仕事してる時ならともかく、黒さんの視点は高すぎて広すぎて、どうにも俺じゃ読み切れんのだ。何考えてんだこのヒゲ。
「エージ」
「なんでしょうか?」
「ちょっと話がしたくてな。まあ気軽な話だ。今の段階の夜凪の演技をどう思う?」
「景さんの演技……俯瞰を持たせようとしてる、って話ですか?」
「分かってたか。なら話は速い」
景さんと柊さんがルイ君とレイちゃんと遊んでるのを尻目に、俺は最近見た、スタジオ大黒天で演技の練習をしていた景さんの姿を思い出していた。
「俺、あれを見てて『ある崖上の感情』思い出しましたよ」
「なんじゃそりゃ」
「1928年の、梶井基次郎の短編小説です。
見る自分と見られる自分。
崖の上から見下ろす自分と、崖の下で見下される自分の視点。
二つの視点を二つの人格と表現し、自分を見下ろす"上の自分がいる"ことを書いた話です」
「……ほう」
「『俯瞰の視点』で街を見下ろし人の営みを書いた、古典ってやつですね」
言いたいことは分かるよな。
なんで俺がそれを連想したのかも。
「この小説の評価って色んなのがあるんですよ。
『自己を喪失した状態』とか。
『その果てに自我と世界が一体となっている』とか」
「小難しいこと考えるやつは感想も小難しくていけねえな」
「ただこれ、そのまんま景さんですよね。
景さんは演技の時、通常の自己を喪失します。
自分が演技をしていることすら忘れる、ということは……」
「そうだ。『自分をコントロールできる夜凪』がいなくなる」
「でも、もし。
『幽体離脱』と言っていた、それができれば。
景さんは二つの視点を持ちます。
芝居をする自分と、幽霊のように上から自分を見下ろす自分に、意識を分けられる」
「そうだ。『全力で演技をする夜凪』と……
『全体を俯瞰して夜凪景の暴走を制御し操る夜凪』の二つが出来る」
「黒さんはどういう教え方したんですか?」
「目を瞑って天井に目を付けて部屋を見てみろ、って教えた。
あいつは本当にややこしいな。指導が実に面倒だった。
こうでもしないと俯瞰視点も持てないとか、一技術教えるだけで一苦労だ」
「なるほど、天井に景さんの目を付けて、そこから見るイメージを与えたと……ん?」
待てよ。
「完全主観での俯瞰視点なんですか?」
「ああ」
小説とかには、一人称と三人称ってやつがある。
主人公の視点、二つの目玉に見えるものと主人公の思考だけで、構築されるのが一人称小説。
神の視点、全てを見通し把握する者の目玉に見えるもので、構築されるのが三人称小説。
今黒さんから聞いた話を引用し、たとえるなら、景さんの俯瞰視点は一人称で、百城さんの俯瞰視点は三人称だ。
景さんは"自分の目で見ているもの"の範囲を絶対的に逸脱しねえまま俯瞰してる。
百城さんは"視点を増やして周囲にあるものを空間的に把握して"俯瞰してる。
……これは。
なんだこの、特異性。
百城さんは多くの視点をイメージし、全ての視点から見えるものを把握し、周囲の全体像を把握する俯瞰。
景さんの場合は、『そこにもうひとりの自分を作る』俯瞰だ。
主観性を極めたメソッド演技に客観性を持たせて、マルチな汎用性を持たせようとしてる、ってとこか。
見下されている景さんが演技し、見下されている景さんが暴走しそうになれば、見下ろしている景さんがそれを止める。
これ出来たらメチャクチャとんでもねえメソッド演技者が出来るな。
海外でも客観性のあるメソッド俳優は強いが、景さんの演技深度を考えると、これが実現できたら映画史に残るレベルの演技が実現できるかもだ。
だけど、これ。
「さっきお前が小説について言ったことがピッタリハマるな。
上から見下ろすこの視点は、メソッド演技のあいつにとって、二重人格に等しい」
「黒さん。分かってますよね、そういう認識で習得させたこの技術の危険性」
「ああ。夜凪じゃなきゃ、習得させるのに躊躇したかもな。
最終的にこういう俯瞰しか習得できないってのが夜凪らしい」
「演技している自分がいる。それを見下ろす自分がいる。
演技している自分を過去の感情と記憶で塗り潰す。
そうして、自分でなくなった自分を、見下ろす冷静な自分が制御する。
……これはもう、意識的にやっているだけで、二重人格と何も変わりません」
もしも、一瞬でも、景さんがこう思ってしまったら。
『あれ? 演技をしている私と、見下ろしている私、どっちが私?』
そう思ってしまったら。
"戻って"こられない可能性が、グンと増す。
そもそもだな、景さんは役者になる前から演じることに夢中になると自分を忘れてしまいそうになってた、とか言ってる人だぞ。
どっちの自分が本当か分からなくなった経験が積み重なればなるほど、後々に自分の心にかかる負荷はデカくなっていく。
そういうもんだ。
俯瞰だって、楽な技術じゃねえ。
つか、自分が見てる範囲を正確に認識すんのは楽なんだ。
俯瞰視点は360°全てを認識してなくちゃならねえが、人間が普通に立ってる時の視界は上側60°・下側70°・左右合計120°ってとこだ。
三次元的に見りゃ、せいぜい俯瞰視点の1/10程度の情報しか認識してねえんだよ。
サッカーの司令塔なんかを見てると分かる。
司令塔は、頭を使うから務まる人間ってのがかなり少ねえ。
加えて、サッカーの司令塔にあたる選手は、他の選手と比べると明らかに首を動かしてフィールド全体を見渡す頻度が高えし、フィールド全体を見てる時間が長え。
通常視点が俯瞰視点の1/10程度と考えりゃ、俯瞰視点が処理する情報量は10倍、頭の負担も10倍ってことだ。
それが常に出来てる百城千世子は、だからこそこの世代の頂点たりうる女優なんだ。
だからこそ俺は、もうずっと何年も、あの人が演技をするたびに、目を奪われている。
足元に何が有るか。
カメラがどの範囲を撮影範囲に収めているか。
周りの人はどこに立っていて、どう動いているのか。
その他諸々。
それら全てを頭の中で処理しながら行動すんのは、かなり頭に負担が来る。
カメラの前で不自然にならないよう、周囲全てを目で捉える所作を心がけるのも、かなりやっべえ負担だ。
完璧に周囲全てが視えてるレベルの俯瞰技能になると、百城さんクラスじゃねえと努力してもおそらく習得は不可能だろう。
正直に言うと。
この分野で景さんが百城さんに勝てるとは、全く思わねえ。
まあだから正直に口には出さねえんだけど。
あれはもう、百城さんだけの異能に近い。
百城さんが教えても後進が習得できねえなら、そりゃもう技術の域を超えてんだよな。
景さんがそいつに無理して追いつこうとすれば、二重人格による障害が発生しかねない。
「悪いなエージ。撮影にまで俺はついていけねえんだ」
「景さんを見張っておけ、ですよね。分かりました」
「いや、お前はお前がやりたいように好きにやれ。
何か迷ったら心に従え。たぶんそいつが、一番上手く噛み合うだろうからな」
「? わかりました」
口は悪くてぶっきらぼうだが、この人から何かしらの形で夜凪さんのサポートを頼まれるたび、この人にちゃんと認められてる気がする。
なんだかんだ俺は、昔からこの人にある程度認められてたのかもしれねえ。
そして今、新たに認められてる最中なのかもしれねえ。
確証あるわけじゃねえのが、ちょっとあれだが。
「エージくん、ちょっといい?」
「はい柊さん、なんでしょうか?」
「なんかこの辺のが新しいボールらしいんだけど、どれが良さそうかな」
柊さんに呼ばれてそっちへ。
ボール選びか。
しかし良いなこのボール。
これだけで良い怪獣が一体作れそうないい素材が並んでる。
あれこれカーバイド*4? カーバイドだな。
タングステンカーバイドの超硬カッター*5って、これより硬いのは自然界にはダイヤモンドくらいしかねえのに、硬いだけでなく強度も高いめっちゃ優れた刃物なんだよな。
そしてこいつは、
ボールの説明にはカーバイドとしか書かれてねえが、持てば分かる。
表面が炭化カルシウムか。
ふむ。
いいなこれ。
これで工作してえ。
でも柊さんにおすすめすんなら別のがいいか。
「この辺がいいんじゃないでしょうか」
「初心者用?」
「安価な初心者用ボールって中に特殊なウェイトブロックが入ってるんですよ。
指で掴むところの周り辺りですね。
特撮の武器造型と同じです。手元を一番重くしておくと一番扱いやすいんです」
「へえ、そうなんだ」
逆に手元が軽くて剣先が重いとかは、無茶苦茶扱いにくくなる上、ちょっとした重量でも使い手が振り回されるからアウトだ。
「それと、初心者用ボールは軽いんです。
だから重量の調整も利きにくいんですよね。
指を入れる穴の分だけ軽量化して重量が偏っちゃうこともあるんですよ。
そういう場合、指の穴の分だけ足りなくなった重量を、このウェイトブロックで補うんです」
「そう言われると、なんとなく理に適ってる気がするね」
だからこういう初心者用ボールは、指を入れる穴の周りが重いわけなんだ、が。
「ただやっぱり、重心が中心に寄ってないんですよこれ。
なので初心者向けボールは曲げにくかったり、逆にまっすぐ行かなかったりするんです。
中級者向け以上のボールは中心にコアが入ってます。
これがアンバランスな重心を作って曲げやすくしたり、逆に真っ直ぐ行かせるわけですね」
「軽い、重い、くらいしか気にしたことなかったな」
「特撮もボウリングも同じです。
『重心』のことを考えない仕事は、絶対にしっぺ返しが来ます。
ライダーのてんこ盛りスーツや怪獣スーツで、重心が上すぎて転んだことが何度あったやら」
重いスーツを着て転んだら立ち上がれないってのは、重心が変なところにあったからっていうのも原因のひとつなのだ。
重心大事。
同重量でも重心次第で、まるで違って感じるわけだぜ。
「ほら、こう持って振ってみると、内部重量の偏りが手に伝わってくるでしょう?」
レンタルのボールを持って、右に左に振って見る。
右に振った時と、左に振ったときで、両手にかかる荷重の具合が違う。
中身の重量バランスがアンバランスに仕上げてあるってことだな。
この微妙な違いこそが、このボールの中身を判断する基準になるってことだ。
柊さんは、ボールを持って振りながら、微妙な顔をしていた。
「エージくん、わかんない」
えー。
「まあともかく。今ボールを触った感じ、ボールは表面処理なんかも気を使ってますよね」
今触れたカーバイドの感触から、感覚的にだが色々分かった。
「摩擦が強ければ回転をかければ曲がりやすくなります。
摩擦が少なければ、曲がるタイミングを手前ではなくピン前に調整できます。
泥道でカーアクションさせる時、タイヤの摩擦を計算するのと似たようなものですね」
「エージくんは摩擦計算とかもよくやってるよね」
「計算は一番大事ですから」
その時、ボールを選んでいた景さんがバッと振り返った。
「え、私が一番大事……?」
「数字の計算です!」
「あ、そうなんだ」
なんだかなーもう。
平然としてる景さん見てると、一瞬ドキっとした俺の方が情けない気分になる。クソが。
少し周りを見る。
黒さんはルイ君とレイちゃんと話してるな。
何話してるんだろうか。
「お前らの姉ちゃん、恋人に手を握られてドギマギしてもすぐ冷静な顔しそうだな。
自分を制御できないくせに、自分を塗り潰すのは得意ときた。
今の自分を忘れて、別の感情持ってる自分を演じられるってそこまで便利だったか」
「クロちゃん、どういうことー?」
「よくわかんなーい」
「分かんなきゃわかんねえでいいんだぞー」
仲良さそうに話してるし、あっちは放っておいていいか。
ボール選びながら、ボールの素材の分析でもしてみよう。
「柊さん、触れてみてください。
ほら、今のボウリングのボールの主流素材はウレタン*6みたいです。
仮面ライダーや戦隊のスーツで使ってるやつですね。
見てくださいよこの表面。
ガラスバルーン*7を使ってますよ。
軽くする目的じゃないのなら……摩擦調整でしょうね、おそらく」
「エージくん何か飲む? 何が良い?」
「あ、すみません、紅茶でお願いします」
この人途中から聞いてなかったなこれ。
柊さんから紅茶を貰って、ボウリングが始まる前にそっと床に触れる。
ボウリングの床には、オイルが塗ってある。
非力な人の力でもボールを滑らせるため、そしてボールの摩擦から床を守って長持ちさせるためだ。
僅かなオイルが、俺の指先に付いた。
広いレーンに垂らされたオイルの総量は、おそらく15mlから30ml。
大さじ一杯から二杯くらいのオイルを薄く広げてる感じだな。
指についたオイルを、指先をこすって性質を見切る。
粘度は30未満……29? 30?
そのくらいか。
スマホでちょっと検索をかける。
俺はスマホを扱うのがそこまで得意じゃねえが、オイルの種類はだいたい分かった。
メジャーなオイルのナビゲート(粘度29.6)、あるいはプロディジーMV(粘度29.7)あたりか。
これなら、摩擦係数も十分に計算できる。
俺はこの中で唯一、ボールがどう滑るかを計算できるってことだ。
完璧だな。
俺が誰よりも状況を知っているというこの有利。このアドバンテージ。
このボウリング……勝った!
「そうだ、エージ」
? 黒さん、どうした。
「なんでしょうか?」
「お前デスアイランド終わったらスターズ専属になるんだってな。
じゃあ俺達とは仕事できなくなるわけだが、何か考えてんのか?」
「今のところは何も言えませんね。
アリサさんからは多分景さんを絶対に手伝うなって言われるでしょうし。
ぶっちゃけて言ってしまえば、デスアイランド後にどうなるか見えてないんですよ」
「事実上の身売りか。……実はそこまでするとは、思ってなかったんだがな」
「罪悪感でも覚えてるんですか?
黒さんは何も悪くないじゃないですか。
俺が自分の判断で選んだことですし。そのおヒゲに似合いませんよ、そういうの」
「何がヒゲに似合わないだ、このバカガキめ。前ほど自由に仕事できなくなるだろうに」
「なるようになりますよ。きっとね」
ゴン、と音が鳴る。
なんか俺の後ろで、景さんがボウリングの球を落としていた。
あっぶねえな!
自分の足に落としたらどうすんだ!
心配させんなや!
って、ああそうか。景さんにも言ってなかったっけ、デスアイランドが俺達最後の一緒の仕事になるかもしれん可能性。
「お……お別れ?
英二くんとのお仕事これが最後?
いえ、そもそも、身売りって……」
「深く考えないで大丈夫ですよ、景さん」
「深く考えないと大丈夫じゃないことだと思うの」
「そうですかね」
「そうよ!」
なんだかなー。重く受け止められると、俺が申し訳なくなってくるんだが。
変に気を遣わせてごめんなさい、みてえな。
ん?
おいヒゲ。
その悪巧みしてそうな表情はなんだ。
「夜凪、お前が大女優になりゃ、契約更新のタイミングで英二を引っ張り込めるかもな」
「!」
「だってそうだろ? 個人の職人はより良い条件に走るもんだ」
何吹き込んでんだこのヒゲ!
「黒さん、あのですね……」
「あのババアもお前を一生縛り付けておくつもりもねえだろ。
お前が出て行きたいと思った時、さらっと出て行けるように雇用でも契約でも考えるはずだ」
む。
……それは、そういう気もする。
あの人は何もかもギチギチにコントロールしようとするタイプじゃねえ。
アキラ君のことも最初は俳優辞めさせようとしたが、それも最初だけで、途中からは社長として妥当な手助けをしつつ、自由に俳優をやらせてた。
あの人にはどこか、完全に徹底しきれない甘さみてえなものが見える。
「つーわけだ夜凪。
お前が大女優になりゃ、スターズに身売りしたこいつを引っ張り込める。
大女優の財布なら無理矢理契約切らせて、違約金払ったりもできんだろ。
身売りしたこいつをスターズから取り戻せるかもな、もしかしたらの話だが」
へーい黒さん。
あんた豪快な話好きだな。
俺その話に、"大女優になった夜凪景が正面から星アリサを殴り倒す"ってイメージが付随して仕方ねーんだけど。
「囚われの王子様を取り戻してみろよ、野猿みたいなお姫様」
凄え例えしてきたな!
あれ、何か気合い入った感じっすね景さん。
「わ……私、頑張る! 英二くんの自由は、私が取り戻すわ!」
「いや、あの、そんな、気負わなくていいですよ」
「あと誰が野猿よ!」
くっくっく、と黒さんが笑っている。
「楽しんでます?」
「楽しくないわけねえだろ」
この人マジで人生楽しそうだな。
これだから天才肌の映画監督ってやつはもう。
「さしあたってはデスアイランドで一番になればいいのかしら、英二くん」
「主演百城さんなので、一番目立つのも一番活躍するのも無理だと思います、景さん」
「墨字さーん、さっさと始めましょうよー」
「おう。レーン二つに人分けりゃいいよな、これは」
かくして誇りと意地のボウリング大会が始まった。
二つレーンを使っての、小さな背丈の双子も加えた六人によるバトルロイヤル。
小さい子二人がいる以上ドベはないが、他三人は強敵だろう。
俺は圧倒的有利。
既に分析を終えた俺は地の利を得ている*8。
最大のアドバンテージは、もはや俺の手の中だ。
そして!
結果は!
「英二くん。一番ボールに詳しくて、オイルにも詳しくて、それでなんでドベなの……?」
うるせえ。
「にーちゃんへたくそー!」
「にーちゃんへたねー」
うるせえ!
そしてまた、数日が経ち。
衣装合わせが終わったら、その翌日から撮影に入るのがスケジュールだ。
俺達のような裏方や、スターズ組と違ってスケジュールに調整が利くオーディション組が、先に撮影に入ることになっている。
かくして、島の土を踏み。
「さて、俺の腕の見せどころだ。
台風が来る前に撮影を終わらせるため、どこから手を付けるかな」
俺は、島を照らす太陽を見上げていた。
「烏山さん、源さん、茜さん、景さん……皆いるな、よし」
今日から約一ヶ月。
俺達はここで、映画を一本撮影する。
「気合入ってるね、二代目」
「手塚監督」
「映画の制作費でも見て気合いが入ったかな?」
「6億円でしたっけ? いえ、このくらいならそんなに」
「慣れてるねえ。そのフラットさは頼もしい」
「目標興行収入18億でしょう? 気は抜きませんよ」
一般にも、この辺の話を知ってる人はそこそこいる気がする。
西宝の取締役の人が語った大作基準が、『制作費10億円で興行収入30億』。
他にも西宝の漫画実写化の脚本の人が、「制作費は興行収入の1/3を目安にする」「制作費のだいたい三倍の興行収入で黒字になる」と言っている。
制作費の三倍の興行収入がその映画の成功ライン、だってことだ。
そしてそれは、手塚監督が常に制作費の三倍の興行収入を叩き出してきた傑物だってことを意味する。
この人が作った作品、全部当たってるからな。
漫画実写化も、そうでないのも。
デスアイランドの制作費は6億円。
黒字ラインは興行収入18億ってことになる。
興行収入18億ってどのくらいだ?
今年の2018年で言えば、デッドプール2、キングスマン、劇場版ヒーローアカデミア以上。
クレヨンしんちゃんとかがちょうど18億くらいだったはずだ。
去年の2017年で言えば、最後の騎士王、ダンケルク、クレヨンしんちゃん以上。
カーズとか、ドクター・ストレンジとかが18億くらいだったはずだ。
そこまで行って初めて、この映画は成功になる。
そこだけ見ると、絶対に不可能な高いハードルにしか見えねえ。
だが手塚監督は、こういうハードルをいつも越えて来た。
上がポンと投げた人気原作と、上が用意した売り出したい俳優を使って、最終的にそいつを売れる映画に仕立て上げちまうんだ。
この人は今回もそう越えて行くと信じて、俺は全力を尽くすだけだ。
「監督! ヤバいです! ヤバいですって!
プロデューサーが撮影協力社の展開要望、今になって送ってきました!
ねじ込みですよねじ込み! 脚本にない展開がねじ込まれてきたんです!」
「オッケーオッケー、承ったと言っといて。
あ、二代目。ちょっと来てくれるかな、君に結構無茶言うと思うから」
……。
クソァー! 全員死ね!
妹から見ても弟から見ても感情がコロコロ変わるお姉ちゃん
感情が消えたり生えたりするお姉ちゃん
別にお姉ちゃんが英二君に慣れたわけじゃないと知ってる双子