三笠書房の『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず出版すべき本である
<三笠書房が発売を予定している書籍『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』が炎上している。だが、一般的に職場において発達障害が歓迎されない状況は現実としてあり、むしろ出版すべき本と言える>
三笠書房が4月24に発売を予定している書籍『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』が、ネットで炎上している。三笠書房は18日夜、自社ホームページに自社の見解を公開し、批判については「本書籍をお読みいただくことによってご理解いただけるものと信じております」などと説明した。 ウィル・スミスを激怒させたクリス・ロックは「非言語性学習障害」だった 本の表紙には「困った人」の例としてASD、ADHD(いずれも発達障害の一種)、愛着障害、トラウマ障害、世代ギャップ、疾患(自律神経失調症、うつ、更年期障害、適応障害、不安障害・パニック障害)があげられており、帯には「なぜ、いつも私があの人の尻拭いをさせられるのか?」とキャッチコピーが書かれている。 また、表紙や目次ではこれらの人々がサルやナマケモノなど擬人化した動物のイラストで描かれているため、「精神疾患のある人を動物扱いしている」、「差別を助長するヘイト本」との声があがっている。出版の差し止めや回収を求める声もある。 結論から言うと、私はこのまま出版して良いと考えている。以下、説明したい。 ■動物イラストの表現は普通 まず、動物のイラストについて。たとえば発達障害当事者協会は「発達障害者を『言葉が通じない動物のようなもの』として表現していると解釈せざるを得ない」と指摘しているが、あまりに極端な解釈ではないだろうか。 本書の内容は、目次を見る限り「職場で遭遇する『困った人』にどのように対応したら良いか」を指南するものだ。 例えば、相手のくどい話を打ち切りたい時は「帰りの電車の時間があるので、今日はここで失礼します」と返答してはどうかと提案し、何度もミスを繰り返す人には「この前のミスと今回のミスで、何か違いや共通点があったかな?」と語りかけるよう呼びかけている。 発達障害は言葉が通じないどころか、むしろ言葉をうまく交わすことで良好な関係を築けると説いている。「動物扱い」はあまりにも表面的な解釈で、被害妄想的な曲解と言わざるを得ない。 また、様々な立場の人を擬人化した動物のイラストで表現することは、この本に限らず日常的によくあることだ。出版社の意図としては、職場にはさまざまな背景の人がいることを伝えるべく、多様性や他者性を表現したかったのではないか。発達障害は目に見えるものではないから、こうした表現には一定の合理性がある。 「人間を動物にたとえるな」と言うのであれば、しばしば犬にたとえられている警察官はどうなるのか。「犬のおまわりさん」は職業差別と言えるのかもしれないが、本気でそう思っている人はほとんどいないだろう。 この本の主旨は、精神疾患のある人を動物扱いすることではない。動物のイラストはかわいらしく描かれており、侮蔑的な描き方はされていない。ゴキブリなど害虫にたとえるならまだしも、この程度の表現はまったく問題ない範囲と言える。 発達障害の当事者や、当事者を支える立場の人にとっては「不快な表現」だったのかもしれないし、確かにもっと良い表現方法もあったのかもしれない。そういう人々が「不快だ」と表明することは、表現の自由の一つとも言える。 問題なのは、そこからさらに進んで差し止めや回収を訴えることだ。そうした過激な言動は表現活動に関わる人間を萎縮させ、回り回って批判をしている人自身の首を絞めることになるだろう。 ネット空間はノイジーマイノリティーの声が増幅する仕組みになっているため、世の中の平均的な世論とは乖離することがよくある。炎上した時こそ、冷静な判断が求められる。 ■「困ったさん」とは何か 「困った人」「困ったさん」という表現の是非についても考えたい。 辞書を引くと、連体修飾語として使われる「困った」には「不都合である」「うまく扱いかねる」「人に迷惑をかける」「手に負えない状態になる」「扱いに苦しむ」とある。 困った人、困ったさんは、このような性質を持つ人と解するのが妥当だろう。なお、ネットサイト「日本語俗語辞書」は「困ったちゃん」をこう説明している。 「困ったちゃんとは仕事でミスばかりする人や周りの人の気分を害するような言動を平気でする人など、他者を困らせる人、周りが処置に困るような言動をする人、無神経な人のことで、こういった困った人のことを人名的に呼んだものである」 政府広報オンラインによると、本書の帯で「困った人」の筆頭にあげられているASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如・多動症)は、社会生活のなかでつまずきやすいことがあるという。このようなものがある。 ・悪気はないのに、言動によって相手を怒らせてしまう。 ・仕事をする中で臨機応変に業務ができない。 ・忘れ物や落とし物、遅刻が多い。 ・頼まれていた仕事や約束を忘れる。 一般論として、遅刻が多い人や約束を忘れてしまう人が職場にいる時、周囲の人は不都合や迷惑を感じ、扱いに苦しむことになる。つまり、「困った人」と見ざるを得なくなる。そういう「困った人」を積極的に採用したいと考える企業は、ほとんどないだろう。 ただし、忘れてはいけないのは、本書はあくまで「職場の困った人」という言い方をしていることだ。決して社会にとって不要だとか、生きているだけで迷惑だという主張をしているわけではない。 ■理解し合うことが大事 職場というのは、特殊な空間だ。特に、日本企業の職場は定型発達者(いわゆる健常者)の巣窟のような場所である。空気を読み、ミスをせず、時間を守ってホウレンンソウを小まめに行う人間こそが優秀とされる。そうでない者は「能力不足」で「使えない人間」と見做される。 残酷な話のようにも聞こえるが、注文した料理がいつまで経っても運ばれてこないレストランと、ミスなくてきぱきと皿を運んでくれるレストランを比べた時に、どちらが繁盛するかを考えたら自明のことである。 発達障害のある人が職場で「困った人」と見られてしまうことは、決して珍しいことではない。だからこそ、私たちはお互いに特性を理解し、それぞれの人に合った接し方や伝え方を考えなくてはならない。そうすればみんなハッピーだよね、というのが現代の常識であり、本書もそうした考えに基づくものと言えるだろう。 とはいえタイトルや帯文を見る限り、この本は決して専門家向けの本ではなさそうである。著者は民間資格の産業カウンセラーを有しているとはいえ、自身のブログではスピリチュアル系の投稿もしているため、本の内容についても私は若干の不安を覚える。 だが、厳密な表現で書かれたアカデミックな専門書というのは、往々にして分かりにくく、多くの人には届かない。発達障害という用語を避けて「職場の困った人」という平易な言葉をタイトルに持ってきたのは、むしろ良かったと思う。発達障害に興味など持たないであろう定型発達者に、本書を手に取ってもらいやすくなるからだ。 この本は、発達障害を漠然としか知らない人が、職場の「困った人」との付き合い方を考えるきっかけとして読むのが適切なのではないか。 素人判断で「あいつは発達障害だ」と決めつけるのは正しくないが、あの人は発達障害かもしれないなあ、と思いながら、人付き合いのヒントを探る読み物として読めば、それなりに意義のある本なのではないかと思う。 発達障害や精神疾患の人が職場にいる場合、周囲が対応に苦慮することは現実としてあり得る。この本は、そういう人々に向けてヒントを提示するものになるかもしれない。 ■視野狭窄のSNS 付言すると、本や雑誌というものは政府広報ではなく、極めて雑多な表現が許される媒体である。新聞やテレビ以上に、玉石混交のメディアと言ってもいい。明らかな危険思想でもない限り、出版を差し止める理由にはならない。いや、危険思想であっても差し止めをすべきではないのかもしれない。 本や雑誌は新聞テレビと比べて公共性が高くない上に、読者に強制的に見せるものでもない。ゆえに「嫌なら読むな」という理屈がある程度は成り立つ。 SNSを開けば、発達障害の人に対する攻撃的な言葉があふれている。現実世界でも、同様の言葉を耳にすることがある。そういう言葉に傷ついてきた当事者たちが、やり場のない怒りのはけ口として、感情の矛先をこの本に向けているようにも見える。 SNSに盛んに書き込みをしている人々というのは、既存メディアに対する反感が強い。だが、反感の裏返しとして、メディアに対して過剰なほどの無謬性や権威性、絶対性を夢見ているのではないか。 平たく言えば「既存メディアは絶対に間違ったことを書いてはいけない」という思い込みがある。 間違いは良いことではないが、人間が作るものである以上、多かれ少なかれ間違いは起こりうる。ネット空間はどんな差別表現もOKで、既存メディアは些細な逸脱すら許されないのだとしたら、そんなおかしな話はないだろう。 現在批判の声をあげている人々は、SNS特有の視野狭窄に陥っているようにも見える。擬人化された動物イラストと「困った人」という文言だけをスマホの小さな画面で見ていると、確かにとんでもない本のように見えるかもしれない。 だが、目次を見ればだいぶ印象は変わるだろうし、もっと言えば、この本は世の中に無数にあるうちの一冊に過ぎない。別に素晴らしい本だとは思わないが、世の中に一冊ぐらい、こういう本があっても構わないと私は思う
西谷 格(にしたに・ただす、ライター)