【HSP】「年をとるほど生きやすくなる」ってほんとう?
さてさて。
周りの人間(特に二回りくらい上の世代)からはこんなことを言われます。
「人間は、年をとればとるほど生きるのが楽になるよ」
「年齢を重ねていくと、上手に力を抜けるようになるよ」
「だんだん周りのことが気にならなくなってくるよ」
ほんとかよ。適当言ってるんじゃないんですかあ?
いまだっていろんなことに苦しみながら生きているのに?
この苦しみが、ただ年月を経るだけで緩和されていく?
そんなわけないでしょ。
――なんて、若かりし日(5年前とか)のおにのすけちゃんは思っていたわけですよ。
人生の先輩たちから見たらまだまだ若造だけど、年齢を重ねてきた最近のわたしは気づいたのです。
「あれ、なんか前よりいろいろ生きやすくなった?」
アラサーという山の頂上がぼちぼち見えてきたお年頃。
20代前半のころは、学生時代も含めて他人のいろんな刺激に反応しすぎていたような気がする。
他人の感情の起伏とか、隠そうとしている本音とか、わたしに対する敵意とか悪意とか、別に好き好んで反応しているわけじゃない。HSPという忌々しい特性が勝手に拾っているだけ。
それに20代前半のころのわたしは心がほんとうに脆かった。
ちょっと何かあっただけですぐ動揺するし、落ちこむし。
メンヘラ一歩手前だったわたしが「ちょっと生きやすくなったかも」と思ったのは、主に人間関係について。
それ以外のところはまだまだひよっこ。ふつうに世間知らず。
どういうところで生きやすさを少し感じるようになったのかをつらつら書いていきたい。
まずは、あんまり恥ずかしさを感じなくなったということ。
……いや、違うかも。恥ずかしさの処理が上手になった、と表現したほうが正しい?
もちろん、羞恥心を失ったわけじゃない。毎日恥ずかしさを感じるばかり。
恥ずかしさにもいろいろパターンがあると思うけど、わたしの場合はちゃんとしていようとしているときの恥ずかしさがいちばんつらかった。
やらかしたときも、平静を装ってふだんどおりを続けようとするんだけど、内心はめちゃくちゃ動揺しているから手元が狂うし、さらにミスが重なる。
恥の上塗り。こういうことがあると、その日はずっとそれを引きずる。
この手の恥ずかしさの根っこって「しっかりしていようとする姿勢」だと思うんだよね。
言い換えれば、他人の目を気にしていることにつながると思うんだけど。
その姿勢が脅かされるようなアクシデントにめちゃくちゃ弱い。
だから、しっかりしていられない――動揺する自分を恥ずかしく感じてしまう。
わたしは「しっかりしていよう」と思うことを少しやめてみた。
「わたしがしっかりしないとあかんかも」という場面以外では肩の力を抜くようにしたのだ。
お仕事でいえば、わたしが現場責任者だったり、わたしが進行役になる会議だったりとか、そういうところではもちろんしっかりする。
でも、現場にわたしより裁量が大きい人間がいるときは、わりと肩の力を抜いてお仕事をしている。
見落としはもちろんないほうがいいけど「まあ、見落としてもいいか」くらいの心持で、ゆらゆらお仕事をしている。
わたしが見落としても、誰かは気づいてくれるしね。
で、いわば「見落としてもいい精神」でお仕事をしていて、自分の間違いや非を指摘されたときには素直に謝るのも大事。
些細なことでも、自分の間違いや非を指摘されたら、素直に謝る。これは社会人でなくても当たり前か。できない人も見かけるけど。
素直に表現するのは謝罪だけじゃなくて、
「はぁ、緊張しましたー」とか。
「あー! 何事もなくてよかったです!」とか。
「びっくりしましたよほんとうに!」とか。
緊張、安堵、動揺などなど、ネガティブな感情も素直に言葉にして周りに伝えることが、けっこう大事かも。
なんというかいろんなことに素直になった結果、恥ずかしさをうまく処理できるようになったんだと思う。
「しっかりしていよう」とすると、いままで挙げたネガティブな感情ってなかなか言葉にできないじゃない?
こんなことを言ったら周囲からの評価を下げてしまうんじゃないか、みたいに無駄な自意識が発動して、緊張も安堵も動揺も包み隠そうとするじゃん。
包み隠そうとすればするほど、想定外のアクシデントに弱くなって、恥ずかしさも大きくなっていく。
最近になってようやく発見したメンタル。
たぶん、人付き合いが上手な人ならもっと若いときに気づいているであろうシステム。
まとめると、「しっかりしていよう」とする姿勢を少しやめて、自分のネガティブな感情も言葉にして周囲に伝えるようにすると、恥ずかしさがあんまり心に刺さらなくなってくる。
これが、わたしが最近見つけた「恥ずかしさの処理」でございました。
あとは、自分の力量がわかってきたこともあるかも。
言い方はネガティブだけど、自分に期待をしなくなってきた。
何かに取り組むときはもちろん全力を尽くすけど、その結果については「まあ、こんなもんか」とあんまり悲観的に分析しない。
よくできたところと、改善点をいくつか見つけて、それで終わり。
「もっとできたはずなのに! なんてわたしはダメな人間なんだ!」みたいなことはなくなった。だって期待していないから。
うーん。
期待しなくなったけど、そのかわり自分をちょっと信じるようになったかな。
たぶんね、これも生きやすさの大事なポイントだと思う。
年齢を重ねれば重ねるほど自分に期待しなくなっていくけど、そのかわりに自分への信頼が磨かれるのでしょう。
わたしはまだ若いのでわかりませんが。そうなっていくのを願うばかりです。
ついでに付け加えると、以前より他人への関心が薄れてきた。
いくら人間が好きじゃないわたしといえど、他人にはいくらか興味を持っているわけさ。
それがあろうことか、最近はそんなに興味を持たなくなってきたのよね。
別にネガティブな意味じゃない。表現するのが難しいんだけど。
それこそ、わたしが学生のころに苦しんでいた、他人の感情の起伏とか、隠しているつもりの本音とか、わたしへの敵意や悪意とか。
そういうものがまるっとどうでもよくなった。
どうせ指摘したり下手に出たりしたところで、その人の感情が安定するわけでも、本音が変わるわけでも、敵意や悪意が消えるわけでもないし。
話しても無駄な相手とは、必要以上に話をしなくなった。
その手の人間とは物理的に距離を置いて、近寄らないのが吉。
たとえ他人への関心が薄れたとしても、その人の好きなものの話とかそういうのは聞いていておもしろいし、日常会話もする。
だけど、ちらっと見せてくる本音や思惑(と、わたしが勝手に推測しているもの)については「そうなんですねー」と受け流せるようになってきた。
いい塩梅とはまさにこのこと。
継続していこう。
「年をとるほど生きやすくなるってほんとう?」
この問いについて、わたしはこう答えるでしょう。
「たぶん、ほんとう」
うん。
わたしは年齢を重ねるたびに、ちょっとずつ生きやすくなっているから、たぶんほんとう。
あくまで、これはわたしの経験と感性上の話なので、もしかしたら「全然そんなことねーよ!」っていう人もいるかもしれない。
ここまで読んでもらったのにこんなことを言うのはあれだけど、わたしの話をあんまり真に受けないでほしい。
あなたにも、きっとどこかで生きづらさがほぐれるときがくるから。
武道の達人とか、長い年月を経た職人の所作に力感が感じられないのと同じで、生き方もだんだん力が抜けて効率的な方法を選べるようになっていくんだなあ。
知らないけど。
今回はこんな感じ。おつかれサマー。
みなさま、よき素直に謝るライフをお過ごしください。


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