このシリーズの前回までの記録はこちらで。

 

 

今回から、中曽根政権の官房長だった後藤田正晴と内調、CIAの怪しい関係について掘り下げていく。

 

◇ CIAエージェント後藤田正晴

 

昨年、日本黄帝さんのツイに応えて、私はこう発信した。

 


上記ツイ画像のソースとなるが、拓殖大学教授の名越健郎が、ティム・ワイナーの記事「CIAが50、60年代に日本の右派支援に数百万ドル投入」(1994年10月9日付のNYタイムズ)をもとに次のように記している。

 

CIAは将来有望な若手官僚多数との関係も築いた。政界実力者となった後藤田正晴もその一人だ。
後藤田はインタビューで、「私はCIAと深い関係があった。CIA本部にも行ったが、日本の政府機関で資金援助を受けた者は一人もいない。合法的な立場で大使館にいるCIAは問題なかった。しかし、秘密工作を行っている人物もいたようで、彼らが何をしていたかは知らない。友好国の職員なので、深く調査しようとしなかった」と答えた。
(名越健郎「冷戦期における与野党の違法外国資金問題」,2020,p29)


後述するが、後藤田の言う「日本の政府機関で資金援助を受けた者は一人もいない」は、真っ赤な嘘だ。
そして、後藤田がCIA職員やエージェントを調査しなかった理由も以下で明らかにしてゆく。
 

後藤田が国鉄・総評・社会党潰しのために行政改革と称した日本破壊工作の一部は映像化されている。

後藤田が「国鉄の幹部を根こそぎクビ切りした」と笑いながら話すシーンなど、後藤田のクソさが心底よくわかる映像だ。

 

(当該シーンは43分頃から)


中曽根や瀬島龍三、後藤田のネオリベ改革工作はレーガンの対日命令(トップシークレット)が発端になっていた。

1982年10月25日付の米国のトップシークレット文書「日米関係に関する国家安全保障決定指令62号」には、経済分野への指令として、日本に「広範に日本の市場開放を執拗に求めるキャンペーンを続ける」とある。
(名古屋大学特任教授・春名幹男「秘密のファイル CIAの対日工作」2000,下巻p363)



その結果、下記ポンチ絵のように売国シンジケートが形成された。




当時、マスコミが「カミソリ後藤田」だなんだのと持ち上げていた理由は、後藤田が売国スパイであったからではないだろうか。マスコミも同じ穴のムジナだ。
それにしても、瀬島龍三についてもそうだが、なぜこの後藤田も多くの識者は彼らをCIAエージェントだと疑わないのだろうか。
以下で傍証を積み重ねるように、グレーを通り越してほぼほぼ黒であると私は判断するのだが。

 

 

◇ 後藤田の怪しい経歴

後藤田の経歴を振り返ってみよう。

後藤田は、自衛隊の前身である警察予備隊の初代調査課長であった。
その警察予備隊はG2-CICの傘下にあった日本版調査隊(CIC)の後身組織であり、G2-CIC/CIAのスパイ組織であった服部機関らにより組織された。

 

50年台初頭、防衛庁・自衛隊のインテリジェンスの中心的役割を担っていたのは陸上自衛隊である。
組織上は情報活動を総括する陸自幕僚監部第二部の参加に、情報資料を収集する中央資料隊、防諜業務を行う調査隊(CIC)米軍と隠密行動を行う特別勤務班(別班、ムサシ機関)、電波傍受を行う第二部別室などが存在していた。
(日本大学教授・小谷賢「日本インテリジェンス史」2022,p61)

*注:ここでの日本版の調査隊(CIC)は米国の防諜隊(CIC)とは別組織だが、米国CICの下部組織と言っても過言ではない。

 

中曽根がMRAやキッシンジャー・ラインにより工作員にされたのだとしただら、後藤田は自衛隊・警察・米軍CICラインから工作組織に組み込まれたのではないだろうか。

 

上記の米軍と隠密行動を行う特別勤務班(別班、・ムサシ機関)だが、後藤田の調査隊(CIC)が母体となっている。

 

1952年9月には情報保全業務を行う調査隊(CIC)が214名の規模で警察予備隊(自衛隊)に設置される。初代の隊長は警察官僚の磯山春夫であり、上司の調査課長はやはり警察官僚の後藤田正晴であった。
調査隊(CIC)は旧陸軍中野学校[筆者注:スパイ養成所]出身者を多く受け入れ、自衛隊にとって初めての独立した「情報機関らしい組織」だった。
組織設立のために米軍のCICを見学したり指導を受けることもあった。
後藤田の調査隊が1961年に防衛庁長官の承認のもとで、日本が経費の25%、米国が75%を賄うことで、「特別勤務班(別班・ムサシ機関)」として再編・設立された。
共産党機関紙・赤旗には「日本のCIA」と呼ばれることとなり、1976年に韓国KCIAの依頼を受け金大中事件に関わったとされる。
(日本大学教授・小谷賢「日本インテリジェンス史」2022,pp64-66)

 
別班ムサシ機関については、首相、防衛相にも存在を知らされず、秘密裡に日本国内で米軍と対ソ活動を行っていたが、後藤田は、もう警察官僚の頃からCIAに取り込まれていたことが伺える。

また、別班ムサシ機関が関わった「金大中事件(韓国の金大中大統領が日本国内で誘拐された)直後の1975年には、別班の隊員から共産党衆議院議員の松本善明に内部告発があり、内容は以下のようなものだった。
内島二佐が別班長で、私達二十四名がその部下になっています。私達はアメリカの陸軍第五〇〇部隊と一緒に座間キャンプの中で仕事をしています。全員私服で仕事をしています。仕事の内容は、共産圏諸国の情報を取ること、共産党を始め野党の情報をとることの二つです。
私達が国民の税金を多額に使って、コソコソと仕事をしているのに高級幹部はヤンキーとパーティーで騒いでいます。本当に腹が立ちます。自衛隊を粛清してください。私達がここで仕事をしていることは一般の自衛官は幹部でも知りません。
(共同通信編集委員・石井暁「自衛隊の闇組織 秘密情報部隊「別班」の正体(講談社現代新書) 2018」

石井によると、別班は現在でも存在し、活動しているそうだ。
別班の活動範囲は国内にとどまらず、中国、ロシア、韓国などに民間のダミー会社を作り、極秘活動をしている。
本人が動けない場合、現地の協力者を買収し、軍事、政治などの情報を集めさせることもある。
米軍の情報部隊やCIAとも頻繁に情報交換をするなど、日本国のスパイとして活動しているのだ。
だが、その事実を認める関係者はいない。

5年半の取材を経て、石井は「陸自、独断で海外情報活動 首相、防衛相に知らせず 文民統制を逸脱 自衛官が身分偽装」という記事を執筆した。2013年11月28日の朝刊用に配信されている。
これを受けた国会質疑で、小野寺五典防衛大臣(当時)は、「そのような組織はこれまで自衛隊に存在しておりませんし、現在も存在しておりません」と答弁している。
https://gendai.media/articles/-/58516

2013年に、現埼玉県知事の大野元裕(当時民主党)が「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班なるものが在外で情報活動を行っていたとされる事案とその対処に関する質問主意書」として質問を行っている。

https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/185/syuh/s185077.htm
 
◇◇◇◇◇
 
後藤田正晴は警察予備隊・調査隊(CIC)/陸幕・別班ムサシ機関での経験の後、警察庁長官/国家公安委員長/官房長官/副総理と出世してゆく
中曽根時代には、緒方竹虎(副首相/官房長官/朝日新聞主筆、CIAコードネーム「POCAPON」)CIAの意向を受けて創設した内閣情報調査室(通称「内調」:CIAコードネーム「POLUNATE」)を、情報機関の中枢として、官邸直属の機関へと改革した。
その頃には毎週一回、内調室長が総理大臣ブリーフィングを行っていた。
(小谷賢「日本インテリジェンス史」2022, p119)


共産党による内調。内閣情報館の定義

後藤田は警察や自衛隊の出身であるが、1973年に政治の世界に飛び込んだ後は異例のスピードで出世し、ついには副総理まで務めた。

 1979年 大平内閣の自治大臣兼国家公安委員会委員長として初入閣
 1982年 中曽根康弘内閣で内閣官房長官に就任
 1984年 新設された総務庁長官として3公社民営化などを推進
 1992年 宮澤改造内閣で法務大臣、兼副総理に

(日本大学教授・小谷賢「戦後日本のインテリジェンス・コミュニティーの再編」、2024 http://www.npointelligence.com/NPO-Intelligence/study/20210410kotaniken.pdf

諜報畑を歩んできた後藤田が、80年代に中曽根内閣の官房長官として内調を日本の諜報活動の主軸にした
しかし、調査隊(CIC)や別班・ムサシ機関と同様に、この内調もCIAエージェントの巣窟と見られる。
内調を作った緒方竹虎と同様に、初代室長の村井順(元警察本部警備課長・MRA会員でもある)もCIAエージェントであった可能性が高い。

 

1952年に内閣調査室が発足した。
内閣調査室は、吉田が自分の元秘書で警察官僚の村井順に命じて設置した情報機関である。
公安調査庁、内閣情報室とも、CIAとの友好的な協力関係を今も続けている
(春名幹男「秘密のファイル CIAの対日工作」2000,下巻p109)

 

後藤田の出身組織である警察庁と、法務大臣として書簡した公安調査庁は、米国のCIA本部で研修を行ってきた。
ー 野田敬生「公安調査庁の深層(2008)」/ 「CIAスパイ研修: ある公安調査官の体験記(2000)」
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480424471/

https://x.gd/4kcGA


後藤田は警察予備隊、自衛隊CIC、警察庁、内調時代を通して「CIAとの深い関係」を築いてきたのではないだろうか

はっきり言って、後藤田CIAエージェント説はここまでの証拠をもってすでに役満である気すらするが、もう少し仔細に掘り下げていくと面白い逸話も盛りだくさんである。

 

 

 

◇ 後藤田が国会でついたウソ
 
CIAの日本国内での活動と内調との関わりを追ってみる。

昭和60年(1985年)6月20日の参議院「内閣委員会」での一幕を引用する。

 

〇矢田部理(社会党)
アメリカの海軍が数多くの防諜要員を持っている、その防諜要員の世界的な配置について日本が一番多い、特別の訓練をして、海外ではCIAの活動と一体になってそれに従事しておるというような指摘がある。
きのう外務省に伺ったら、外務省の縄張りじゃない、こういうふうに言うものでありますから、こういう防諜要員が日本国内で大量に活動しているということになりますれば、公権力の行使が国内で行われている危険も高く、日本の主権にもかかわる重大問題だ。
(中略)
単に米軍のあれこれの活動、動きを監視するだけではなしに、日本の国内にもその監視の目が向けられておるし、そういうための活動も行っている危険性があると見なければならないのでありまして、この点緊急に調査して、そういう防諜要員の活動を国内では許さないという対応をとるべき
(中略)
相当数の防諜要員が日本に配置されているんですよ。海軍だけでも六十四人と指摘されてますね。
他の部隊もいる可能性もある。そういうことを全然国内で知らぬまま日本の政治は行われているんでしょうか。
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=110214889X01719850620&spkNum=13&current=15

 
上記質疑の防諜要員とは米国のCICのことだ。

この質問に対して藤波孝生官房長官らは「十分把握してなかった」、「調査中」としらばっくれて質疑を終わらせた。
アメリカのスパイが日本で自由に活動している疑いがあるが、そういうことは主権侵害であるのでやめさせるべきだ、と社会党議員の懸念をあっさりと否定したが、そんなことはまったくホラ話である。

翌年の共産党議員の質疑も見てみよう。

 

第104回国会 参議院 内閣委員会 第10号 昭和61年5月21日
https://kokkai.ndl.go.jp/txt/110414889X01019860521/134
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=110414889X01019860521&spkNum=144&current=11


○内藤功(共産党) 
次に、謀略ということについてなんです。
 これはなぜ聞くかというと、情報機能、情報活動との接点において聞くわけなんです。
この点につきまして後藤田官房長官は、四月二十二日の衆議院内閣委員会、ここでこういうふうに言っております。「CIAとかGRUとかKGBとかあるいはドイツの憲法擁護庁とかフランスのセデスとかいろいろありますね。ありますけれども、これらはいずれも情報の収集だけではないんですよ、これは謀略をやるのです。私は、これは絶対にやってはならぬ、日本のような国は。」と、こういうふうに言っておられますね。
 ここで御説明願いたいんですが、…これは日本のような国としては、国家機関としては絶対やらぬということだと、そういうふうに私は理解するが、それでよろしいですね。
 それからもう一つは、ここで長官がお使いになっている「謀略」というのはどういう意味でお使いになったか、その点二点をお伺いしたい。

○後藤田正晴(内閣官房長官)
それは、その中でお答えをいたしましたように、今各国のそういった機関は多くの場合に情報収集のほかに謀略活動をやっていると思いますね。
私は、情報収集、そしてそれを的確に分析して、そして施策の基本にしていくということは国のために最も重要なファンクションの一つである、かように考えているわけでございますが、謀略活動というのは、これは私は日本のような国柄の場合は避けるべきであるということで、やらないということでいくべきである、私はさように考えているわけでございます。
(中略)

○内藤功
そこで、そういうお答えが来るかと思って私はお聞きをしておるんですが、やらないべきである、ここのところに私は質問のやっぱりこれは必要があると思って聞くわけなんですね。
今まで内閣調査室では、謀略というのはやってないですか、常識的な意味の謀略でいいですよ。

○後藤田正晴 
一切やっておりませんね。

○内藤功
これは設立当時の——たしか内調は昭和二十七年にできたんですかね。昭和二十八年一月十六日付のマル秘という判このついた文書なんですよ。内閣調査室の幹都会の議題なんです。
私、これをやっぱり長官に伺えばわかると思ってよく見てきたんですが、この中に「特殊宣伝工作について」というのがあるんですね。
「1、本件は、やりようによっては物凄く金のか々る仕事である。」と書いてあります。
「2、実行計画を立て、どの程度の予算の枠で有効な方法をとるか検討する。3、素材についてのみならず各班の連絡と協力が必要である。4、絶対にシッポを出さない方法を選ぶ必要がある。外部の関係者の秘密保持が重要」と、こうあるんですがね、いかがなものでしょうね。
もうとにかくできた直後から謀略をやっていたということじゃないんでしょうかね。これからやらないとあなた言うんだから、今まではやっていたんでしょう?

○後藤田正晴 
今まで一切やっておりません。もしやっておるんなら、あんなちっちゃな組織で、あんな小さな予算でできるわけはありません。
これはもうその予算一つごらんになればおわかりのはずです。


内調の創立メンバーだった志垣民郎の手記をまとめた「内閣調査室秘録 戦後思想を動かした男(2019)」によると、内調は優秀な学者・研究者に委託費を渡して抱き込み、情報工作をやらせていたという。
 
日大教授の小谷賢は「特に60年安保の反省から、日本に現実主義的な安全保障政策の議論を定着させるべく、志垣民郎らは進歩的文化人への攻撃を行う一方で、現実主義的学者、言論人の育成に時間と資金を投入した」としながら、志垣による工作対象リストに江藤淳や高坂正堯、若泉敬ら127名の言論人の名がしるされていたとした。
(小谷,2022 p.56)
 
つまり内調の謀略行為は行われていた。
後藤田は国会で平然とウソをついていたのだ。

CIA長官だったマイク・ポンぺオの言葉を借りれば「我々はCIAだ。嘘をつき、騙し、モノを盗む」である。
スパイは常に嘘をつく。

https://www.youtube.com/watch?v=DPt-zXn05ac

名古屋大学特任教授の春名幹男は「首相周辺にCIAの情報提供者」としながら、次のように記した。

 

CIAは日本の歴代の首相および、次期首相候補の周辺に、情報提供者を確保してきた」とビクター・マーケッティ元CIA副長官補佐官はそう断言する。
CIAはそのため、首相周辺の人物を情報協力者としてスカウトしてきた。
中曽根首相も例外ではなかった
CIA東京支局長の要員が、中曽根に近い人物をエージェントとして開拓した事実がある、という。
(春名幹男「秘密のファイル CIAの対日工作」2000,下巻p341)


前回までの記事と併せて本記事を閲覧している方には「これって、後藤田なんじゃねーの?」とピンと来るのではないだろうか。
中曽根内閣で最初から最後まで閣僚を務めた男は、後藤田しかいない。


長くなったので、次回に続ける。
次回はCIAと内調、公安調査庁、公安警察との関係についてとなる。

 

 

cargo

 

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