「WFWP春の集い」に出席したあと、友人の案内で岐阜市の画廊を二ヵ所を巡りました。関西にいた頃はよく画廊に行ったものですが、岐阜に来てからはご無沙汰です。
春の集いは、活動報告のDVD中心で、ケーキを頂きディスカッションをしました。ネパール報告のDVDを見ていると、15年前に訪問したことが思い出されました。その頃、今は危険で行けないチュニジアも訪問。北海道や東京のメンバーと、医療品を持ち、パリのオルリー空港からドゴール空港へ移動したことなど思い出されます。パリからチュニジアに向かいました。フランス語中心ですが、大学出は英語が話せるので、交流は出来ました。
ネパールのエベレストの遊覧飛行をしたとき、現地の青年が英語で話しかけてきました。マナスルを指さし、「あれが日本人が初登庁したマナスルです」と。その時はとても嬉しかったです。ピンク色の蕎麦の花が咲いていたこと。日本人が経営するそばやさんのお蕎麦のおいしかったこと。DVDを見ながらそんなことを思い出していました。ネパールへは、文房具をプレゼント。国全体が貧しく、ヤギ基金がほしいと言われたので、ヤギを買えるお金を寄付。一頭飼うと、お乳がとれて、現金が得られるのです。ネパール語はダメですが、インテリは英語が話せます。
今年度の全国活動報告の中で岐阜県連合会で23年も前に、奨学金を支援したミャンマーのキンキントウエさんが登場。誇らしく思いました。彼女は岐阜にいた頃病気で困っておられたのですが、会員の家庭に泊めてあげたりしました。それを今も感謝されておられます。今彼女は国の中枢機関の代表者。その部屋には岐阜時代の写真が飾ってあるそうです。WFWPミャンマーの会長。
二軒の画廊は、小ぶりながら素晴らしい内容でした。金華山麓の「光芳堂」では、若きアーティストの長谷川喜久さんの水墨画展。写真撮影許可の有無を尋ねると、著作権の関係で、作者の顔があればOKと言う返事。もっけの幸いでダンディな作者を撮らせてもらいました。どれも完璧な作品ばかりでしたが、手が出ません。もう一桁下なら・・・
普通水墨画はにじませるものが多いですが、にじんでいないので、作者に「油煙墨と松煙墨とどちらで?」と聞くと、やはり油煙墨で描かれたとか・・・
画廊の名の額装は加藤東一書によるもの。これも味わいがありました。しかし撮影禁止。建物全体が白壁つくりで蔵みたい。自宅と画廊と続いていてマッチしています。
もう一軒は、「長江洞画廊」。新進作家ばかりの小品で、これも逸品でした。この画廊の名の額装は何とあの、「奥田元宋」によるもの。元宋は日本画ばかりでなく書もされていたのです。元宋は画廊の名づけ親でもありました。こちらは撮影自由。

ミャンマーのキンキントウエさん

ネパール支援基金で、自立のための洋裁をマスター

光芳堂入口

入口のエビネラン

長谷川喜久さんの水墨画

長谷川さんと作品

大工さんが使う墨入れに挿されたクリスマスローズなど

長江洞画廊のおもちゃ箱展

奥田元宋書の扁額
春の集いは、活動報告のDVD中心で、ケーキを頂きディスカッションをしました。ネパール報告のDVDを見ていると、15年前に訪問したことが思い出されました。その頃、今は危険で行けないチュニジアも訪問。北海道や東京のメンバーと、医療品を持ち、パリのオルリー空港からドゴール空港へ移動したことなど思い出されます。パリからチュニジアに向かいました。フランス語中心ですが、大学出は英語が話せるので、交流は出来ました。
ネパールのエベレストの遊覧飛行をしたとき、現地の青年が英語で話しかけてきました。マナスルを指さし、「あれが日本人が初登庁したマナスルです」と。その時はとても嬉しかったです。ピンク色の蕎麦の花が咲いていたこと。日本人が経営するそばやさんのお蕎麦のおいしかったこと。DVDを見ながらそんなことを思い出していました。ネパールへは、文房具をプレゼント。国全体が貧しく、ヤギ基金がほしいと言われたので、ヤギを買えるお金を寄付。一頭飼うと、お乳がとれて、現金が得られるのです。ネパール語はダメですが、インテリは英語が話せます。
今年度の全国活動報告の中で岐阜県連合会で23年も前に、奨学金を支援したミャンマーのキンキントウエさんが登場。誇らしく思いました。彼女は岐阜にいた頃病気で困っておられたのですが、会員の家庭に泊めてあげたりしました。それを今も感謝されておられます。今彼女は国の中枢機関の代表者。その部屋には岐阜時代の写真が飾ってあるそうです。WFWPミャンマーの会長。
二軒の画廊は、小ぶりながら素晴らしい内容でした。金華山麓の「光芳堂」では、若きアーティストの長谷川喜久さんの水墨画展。写真撮影許可の有無を尋ねると、著作権の関係で、作者の顔があればOKと言う返事。もっけの幸いでダンディな作者を撮らせてもらいました。どれも完璧な作品ばかりでしたが、手が出ません。もう一桁下なら・・・
普通水墨画はにじませるものが多いですが、にじんでいないので、作者に「油煙墨と松煙墨とどちらで?」と聞くと、やはり油煙墨で描かれたとか・・・
画廊の名の額装は加藤東一書によるもの。これも味わいがありました。しかし撮影禁止。建物全体が白壁つくりで蔵みたい。自宅と画廊と続いていてマッチしています。
もう一軒は、「長江洞画廊」。新進作家ばかりの小品で、これも逸品でした。この画廊の名の額装は何とあの、「奥田元宋」によるもの。元宋は日本画ばかりでなく書もされていたのです。元宋は画廊の名づけ親でもありました。こちらは撮影自由。
ミャンマーのキンキントウエさん
ネパール支援基金で、自立のための洋裁をマスター
光芳堂入口
入口のエビネラン
長谷川喜久さんの水墨画
長谷川さんと作品
大工さんが使う墨入れに挿されたクリスマスローズなど
長江洞画廊のおもちゃ箱展
奥田元宋書の扁額
いつも楽しく拝見しています
見て頂いてありがとうございます。
今はもう無理ですものね。
そしてネパール、もう少し若かったら元気で行けたでしょうが、私の外国旅行は出だしが遅かったので、ここももう無理ですね。美しいヒマラヤの山々を一度は見たかったですが、いろいろな方の写真で満足しております。
画廊めぐりも良い刺激になりそうですね。
ボランティア活動は続けることがなかなか難しいように感じるのですが、本当に長く続けられているようで、感心しています。
チュニジアは先日の事件がまだ記憶に新しい国です。
日本が初めてヒマラヤにチャレンジしたのがマナスルでしたね。
ネパールを旅したとき、実践した言葉は今も覚えています。
ネパールの友人宅ではヤギをペットとして飼っていました。
もう一度あの人たちに会いたいですが
治安が悪くて誰も行きません。
tonaさまはお元気ですからネパールへ
いらして下さい。海抜4000mですが
アフリカでも大丈夫でしたから・・・
岐阜の町の規模が小さい割には画廊の
数が多いそうです。今頃気づきましたが・・・
なってしまいました。
マナスルを覚えていて下さいましたか・・・
私は忘れかけていたのですが
この時思い出しました。
やはりネパールはヤギが身近にいるの
ですね。日本では動物園くらいにしか
居ないですのに・・・
ヤギ基金から繁殖もしているようです。
私はヤギ乳は飲んだことがありません。