友人2人の出版が、決まった。
念願だったという喜びの報告をもらい、我がことのように嬉しい。
そのひとりの出版記念講演会が、開催された。
かおりちゃんはGakkenという大手出版社からの「商業出版」だが、出版社や出版方法にこだわらなければ今の時代、誰でも本を出すことができる。
商業出版以外にも自費出版(ブランディング出版)やオンデマンド(受注してから印刷)、さらには紙の本ではなくネットのみで読むことのできるものもある。
最近では、書くことが好きだからという理由よりも、本業におけるブランディングとしての出版が目立つから、「出版」の敷居は低くなった。
私は、自分の本を出すことに少しだけこだわりがある。
2016年に処女本を出す何年か前に、ある出版社から話を持ちかけられたことがある。詳細を尋ねると、450万の資金協力をしてほしいとの提案だった(現在は1000万円近い💦)。”名目だけ”の商業出版である。
丁重にお断りをした。
それほど出版は、雲の上の世界だった。
読書好きのせいか、「作家」には崇高なイメージがある。
遠藤周作や渡辺淳一、村上春樹、瀬戸内寂聴、有吉佐和子などと同じように自分の本が書店に並ぶことは、「書くこと」への冒涜だ…くらいに思っていた。
講演会参加者やスクール生に、本を購入してもらうチャンスは今よりもあったであろうに、出版する気持ちになれなかったのにはそんな理由があった。
著者が玉石混交の時代だからこそ、業界の視点は鋭い。
いくら「売れた」「出版した」と口では言っても、関係者がネットを操作すると著者の作品の売上部数はすぐにわかる。
そして、どこの出版社から、どういった経緯で出版したのかが業界からは評価される。
ある程度売れないと、次の依頼は来ない。
当たり前だ、慈善事業ではないのだから。
「商業出版」とはそういうものだ。
私の知人に、演劇の舞台を「究極の自慰行為」と表現した演出家がいるが、文章も同じだ。自分の書きたいことをただ連ねるだけでは、自己満足にすぎない。
私が「乞われる」ことにこだわりたい理由は、ここにある。
出版社から依頼が来ることは、現代社会に必要な内容であると第三者から認められることである。
出版関係者に
「あなたはミューズ(文芸・芸術の神)だ」
「神田さんは著者ではない、作家だ」
と言われても、今なお自分自身を認めていない。
もっと優れた作品を書きたい…
もっと洗練された文章で表現したい…
この飢餓感が、書くことへの原動力となる。
いよいよ6冊目の本が来春、発売される。
さらに新たなテーマを与えられて(7冊目なるか?)、目次案を提出したばかりである。お正月に、サンプル原稿を書かなければならない。
それでも‥胸が躍る。
私はページをめくる時の…あの紙の感触が好きなので、製本されて書店で発売されることにこだわっている。
作家であることは私のライフワークだ。
わがままでもいい、自分なりのスタイルにこだわりたい。
2024年12月28日
食材の在庫整理を終えて









