水田はあるのに「主食のコメ」を作らせない…「コメの値段を下げたくない」農水省がこっそり続ける減反の実態
■政権浮揚に使われた「減反廃止」のフェイクニュース しかし、民主党政権時代の戸別所得補償を「バラマキだ」と批判した自民党は、戸別所得補償を14年に半減させて、18年に廃止した。生産目標数量が唯一関連していた戸別所得補償が廃止されることは、生産目標数量の配分が18年から全く意味のないものとなってしまうことを意味する。だから、生産目標数の配分を廃止したのだ。 この14年の減反政策の見直しでは、コメの生産目標数量を廃止するだけで、減反政策のコアである転作補助金は逆に拡充した。多くの兼業農家は他の作物を栽培する技術がないので、減反補助金をもらうため、植え付けても収穫しない“捨て作り”という対応をしてきた。 それでもコメを作らないという減反政策の目的は達成できるため、政府は見て見ぬふりをしてこうした兼業農家にも補助金を支給してきた。だが、これは褒められたことではない。 そこで、コメ農家なのだから麦は作れなくてもコメは作れるはずだとして、主食用以外の用途のコメを転作作物として補助金を交付するようになった。最初は、価格差がそれほど大きくない米菓(あられ・せんべい)用を認め、これを順次拡大していった。とうとう07年には大幅な価格差が存在するエサ米までも転作作物として認め減反補助金を払うこととした。安倍首相が「減反廃止」と大見栄を張った2014年の見直しは、このエサ米を対象とした減反補助金の大幅増額だった。 ところが、安倍官邸はこれを政権浮揚に使おうとした。 この政策変更にほとんど関与しなかったのに、安倍首相は「40年間誰もできなかった減反廃止を行う」と大見栄を張った。 ■減反廃止が本当ならコメの価格は暴落する 実は、国が生産目標数量の配分をやめて、農業者や農業団体の自主的な生産調整に移行する、つまり政府・行政の関与をやめて減反を農協に任せることは、2003年に政府・自民党で決定し、2007年度に実現していた。 しかし、たまたま07年度産米価が低落したため、農林族議員の強力な要求によって、この政策変更は実施初年度で撤回され、国・都道府県・市町村が減反実施の主体となるという元通りの体制に戻った。しかし、07年にどの報道機関も、この政策転換を減反廃止とは呼ばなかった。この時は第一次安倍内閣だった。40年間誰もやらなかったどころか、「6年前にあなたがやっていた」のである。 14年当時、減反政策を見直した自民党農林族幹部も、大臣をはじめ農水省の担当者も、「減反の廃止ではない」と明白に否定していた。 正確な報道をしたのは、JA農協の機関誌である日本農業新聞だけだった。ほとんどのマスメディアは安倍首相が言うままに、「減反廃止」と報じた。政府が素人を騙すのは簡単である。減反政策の本質は補助金で生産(供給)を減少させて米価を市場で決まる水準より高くすることである。 減反廃止が本当なら、米価は暴落する。 TPP参加どころではない。農業界は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、永田町はムシロ旗で埋め尽くされる。もちろん、そんなことは起きなかった。こうして行われもしない「減反廃止」が定着した。当時は、これを否定していた農水省が今は積極的に肯定している。