水田はあるのに「主食のコメ」を作らせない…「コメの値段を下げたくない」農水省がこっそり続ける減反の実態
■減反政策の基本は補助金 しかし当時は、JA農協は「全量政府買入れ」を主張して簡単に減反に応じなかった。 減反に応じる代わりに、多額の減反補助金を要求した。 農協に突き上げられた自民党と減反補助金総額を抑えたい大蔵省(当時)との間で、大変な政治折衝となった。これは、自民党幹事長だった田中角栄が、水田を宅地などに転用することで減反総面積を圧縮し、大蔵省のために減反補助金総額を抑えながら、JA農協のために面積当たりの補助金単価を増やすという、とんでもない案をひねり出すことで、やっと収拾された。 減反政策の基本は補助金である。これがなくて生産目標数量だけで農家が減反に応じるはずがない。 ■「転作補助金(=減反政策)」の始まり 最初は休耕も認めていたが、なにも作物を生産しないのに補助金を出すというのでは、世間の批判を浴びる。 このため、食料自給率向上という名目を付け、麦や大豆などに転作した場合に主食用のコメと他作物との収益の格差を補助金として農家に与えることとした。麦や大豆を作っても主食用のコメと同じ収益を得られるようにしたのである。 2003年まで減反目標面積を農家まで配分していたが、04年から17年までコメをどれだけ作るかという生産目標数量を農家に配分する形に変わった(これは建前で実際には04年以降も農家には減反目標面積が配分された)。 これは食糧管理制度と密接に関連していた。農家の水田面積から減反目標面積を差し引き、これに単位面積当たりの収量を乗じたものを政府が買い入れる数量(自主流通米の数量を含む。これを“予約限度数量”と言った)としたのだ。
■減反しないとペナルティが与えられた 当初減反目標面積は予約限度数量を決定するだけの意味合いしかなかったが、減反補助金の単価が削減されてくると、1978年から減反目標面積を遵守しない地域や農家には、翌年の減反目標面積を加重(コメの生産目標数量を減少)させたり(予約限度数量の減少)、機械などの補助金を交付しないなどのムチ(「ペナルティ」と呼ばれた)を課すという方法をとることになった。 つまり、アメが十分でなくなったので、減反遵守のためにムチを用意したのである。最初から減反目標面積未達成へのペナルティがあったわけではない。あくまで減反補助金が主でペナルティは従なのである。 ■民主党政権下で行われた農家の所得補償 そもそも生産目標の通知だけで、減反補助金がなくて農家が主食用米に比べ収益が大幅に劣る麦や大豆さらにはエサ米などを作るはずがない。減反補助金こそが1970年以来の減反政策のコアである。 減反補助金は減反目標面積(生産目標数量)を全て遵守する農家にしか交付されなかった。例えば、1ヘクタールの水田農家が0.4ヘクタールの減反目標面積配分を受けている場合、0.4ヘクタール全ての水田で減反(他作物の作付)を達成しなければ、一切減反補助金は受けられなかった。 民主党政権は、2010年コメの生産目標数量と関連していたムチをやめた。農家が生産目標数量(割り当てられた減反目標面積全ての減反)を守らなくても、コメ以外のものを作付した(減反した)面積の部分には、減反補助金を交付することにした。先の例で、0.4ヘクタールの目標を達成しなくても、0.2ヘクタールでも減反していれば、0.2ヘクタール分の補助金を支払う仕組みに変更した。さらに、生産目標数量を遵守する農家に、コメ作付面積に応じて10アールあたり1万5000円という戸別所得補償を導入した。 つまり、生産目標数量の配分を戸別所得補償と関連付けたうえで、ペナルティ措置を廃止して、減反面積への減反補助金とコメ作付面積への戸別所得補償という、アメとアメの政策に変えたのだ。北風と太陽の寓話のように、アメはムチよりもよく効いた。これまで減反に参加しなかった農家も参加するようになった。 14年の見直し当時、林芳正農水大臣(第二次安倍内閣)は生産数量目標について次のように述べている。 「既に、自主的に、選択制になっておるということで、かつてのような、ペナルティを伴った上での義務ということではなくなっております」 選択制というのは、農家が減反に参加するかどうかは自由で、参加すれば戸別所得補償が受けられるという意味である。