水田はあるのに「主食のコメ」を作らせない…「コメの値段を下げたくない」農水省がこっそり続ける減反の実態
■お金を払わないと農家が転作しない理由 3月11日の江藤大臣の発言を再び引用しよう。 ---------- 水田から他の作物に転換した場合に支援をする政策について、一部の方は批判されていると思います。私がずっと農政をやってきて思うことは、なかなか米では食っていけない、米だけではやっていけない、他の作物に転換しなければお金もかかって、他の作物に転換もできないという方々が多くおられるという声がたくさんありました。水田以外のことを本当はやりたいとの声を受けて、畑地化促進事業をやりました。 1年目が14万円で、それから5年間は2万円ずつお配りする事業を作り、私たちの希望の倍も手が挙がりました。強制したものではなく、水稲を作付けた方々が、畑地化したいという希望のもと、畑地転換を自主的にご判断された農家の自主性です。 (中略) 重ねて申し上げますが、実質的な生産調整の「実質的な」という意味が、無理やり国が生産調整をしていると決めつけたい意図を感じて、違和感を感じていると申し上げておきます。 ---------- 私が記者だったら、次のように質問する。 三つ目の質問です。農家はコメ作では食べていけない。それなら農家は自発的に他の作物を生産するはずなのに、なぜそうしないのでしょうか? 補助をしないと他の作物を作らないということは、他の作物の方がコメより収益が劣るからではないですか? 畑地化促進事業は水田を永久に畑に転換する事業です。1970年以来交付してきた水田のままで他の作物を生産する際の転作(減反)補助金(「水田活用の直接支払交付金」)がなぜ必要なのかの説明にはなっていないようですが、いかがでしょうか? 米価維持(減反)のためでないなら、どうして莫大な財政資金を投下してエサ米を作らせるのでしょうか? ■減反政策の始まり 政府がコメを買い入れるという食糧管理制度の下で、1960年代から70年代にかけて、激しい米価引き上げ運動が毎年6〜7月頃繰り広げられた。霞が関や永田町は、農家のムシロ旗で囲まれた。農民票が欲しい自民党の圧力に負けて、米価はどんどん上昇した。 しかし、農家保護のために米価を引き上げれば、生産量が増えて需要が減る。 この結果、大量の過剰米在庫を抱えた政府は、二次にわたり3兆円もの財政負担をして、家畜のエサ用などに過剰米を安く処分した。これに懲りた政府は、農家に補助金を出してコメの生産を減少させ、政府が買い入れる量を制限しようとした。これが減反政策の始まりである。