ガサツで下品で図々しい女たち。
熱海の家を誰でも使えるように開放している。家にあるものは食糧も食器も風呂も布団も自由に使っていい。玄関には出し入れ自由の財布がある。金に余裕がある人は金をダンク、金に余裕のない人は持ち帰る。不思議と、財布の中身が空になったことはない。テレビ局から「あなたの支援活動を取材したい」と連絡が来た。私がやっていることは、支援でもなければ活動でもない。ただ、腹を減らした人間にメシを出したり、話を聞いただけだ。有名になりたいとか、こうした動きが広まればいいという思いもないから、取材は断った。
街を歩いていると、誰もが誰かの真似をしているように見える。見た目は綺麗だが、中身を感じない。熱海の家を使う人は、さまざまな事情により外部の防壁が剥ぎ取られ、剥き出しになった人が多い。剥き出しは大変だが「人間だな」と思う。最初は引くこともあったが、徐々に慣れた。どんな状態の人を見ても「人間、生きていたらそんな風になることもあるよね」と思う。どれだけ年齢を重ねても、その人の中にいるこどもはフレッシュで、素敵なものや面白いものを探している。心をときめかせたがり、命を躍らせたがっている。
熱海の家は狭いため、利用希望者がいる時は、家主の私が家を出る。野宿をする時もあれば、人の家に泊まることも、宿を用意されることもある。自分の肩書きや、自分の使い方を限定していないため、依頼者の要望によって自分が拡張し、自分にはこんな使い方もあったのかと気付きを得る。出会う人々から一番よく聞かれる質問は「不安になることはないのですか」だ。これを聞く人が多いということは、今、不安を抱えながら生きている人が多いということなのだと思う。家も金もある人が、家も金もない人に「不安になることはないのですか」と聞く。なかなか、面白い現象だ。
古代ギリシアにディオゲネスという哲人がいた。ディオゲネスは樽で暮らし、自分のことを犬と名乗った。ディオゲネスの噂を聞きつけたアレクサンドロス大王は、日向ぼっこ中のディオゲネスに「私が大王のアレクサンドロスだ。何か希望はないか」と尋ねた。ディオゲネスは「そこに立たれると日陰になるからどいてください」と言った。ディオゲネスには弟子がいた。弟子と一緒に「擦るだけで気持ちよくなるなんて最高じゃないか」と、白昼堂々街中でマスターベーションをした。草間彌生のハプニングにも通じる、前衛芸術の先駆けだ。人の目さえ気にしなければ、人間は自由だ。金や家や仕事がなくなる不安は、ディオゲネスが消してくれた。足を知る前に、樽を知った。最悪の場合は、私も樽で暮らそうと思っている。
東京在住の女性R様が熱海の家に来た。自分のことを女神だの魔女だのと名乗るR様が、私には、どうしようもなく醜く見えた。自由であるということは、ガサツで、下品で、図々しい女になることではないと思う。少なくとも、私は、それを美しいとは思わない。膜を破る。くもりなきまなこで物事を見定め、決める。自分を大きく見せようとするのは、あなたに恐れがあるからだ。恐れのガードを剥ぎ取り、不安を剥き出しにすると、堰き止めていた時間と一緒に、涙が流れる。R様の涙腺は崩壊した。涙を流す姿は、魔女を自称していた時のR様よりも、よっぽど美しいと思った。
おおまかな予定
4月18日(金)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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