仮想世界に棚引く霧   作:海銅竜尾

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第七十六話 虚講打算

Side =哀都=

 

こいつらと言葉を交わしたのも行動の理由も聞いたのも今日が初めてで、随分とタイムリーな一日だった。

連れて来られた橋の上には三人組がもう一つあって、両隣りに居るクリーム色の髪をした女性二人の正体を逸早く察すると中心に立つ少女が見つめているのが解った。

冬風に揺れるサイドテールがあの頃の面影と重なる。

紺主体のワンピースに襟元はレース仕様で赤く細いリボンが付いている。

その上からピンクのポンチョ、腰にもリボンがある。

黒タイツと茶色のロングブーツを履いて胸の前で組まれた両手が眼に映った。

狙ったかのように夕日が真横から自分たちを照らしていた。

二人の間には突き出た半円形の橋詰があるというのに、足は動かない。

それを後ろに居る二人に気付かれないようにと動きが止まる。

向こうも自分と同じみたいだが、様子が今までとは違う……。

まさかと思った刹那、腰辺りに二つ硬いの感触を味わった。

そのまま前方に押し出され、力に従う体を数歩躓いたところで止め、振り向こうとした。

だが、視界の端でゆっくりと足を踏み出した彼女に首が硬直した。

無理矢理再起動させ、互いに向き合った。

自分も歩みを進め、橋詰に行く為の幅の広い下り様の階段前で足を止める。

彼女は顔を上げ、自分の後ろに居る二人を見ると明らかに嫌そうな顔をした。

その行動につられて嘗て《シグマ》、《アシュレイ》と呼ばれていた二人の方を向いたが、視線に気づいた二人は同時に右手で中指を立て、左手で親指を下げた。

思わず苦笑い。

彼女がそれに気付いた様で顔を橋詰の方に向けられ、意も返さずに階段を下りる。

徐々に近づく距離。

手でも繋いでやろうかと考えたが、止めておいた。

何か、そう言う事をするモノじゃないと思うんだ。

 

――自分達だし……。

 

並んで端に向かって歩き、置かれたベンチに腰を下ろす。

互いの間に少しだけ空間を作り、自分は手を組んでただただ前だけを見ていた。

横目で彼女の方を見るでもなく、後ろで自分たちを見守っている四人の姿も眼中には無く、時間が過ぎることだけを肌に感じていた。

雀も、何も言葉を発することは無く、赤が黒に変わる瞬間を眼にするまで何も感じることは無かった。

本日は雲一つない快晴、冬の星空が頭上で煌めいている。

満を持してとは、まさにこの事だな。

しかし、何を話せばいいのだろうか。

ただの世間話か、それとも長々と惚れた経緯でも語ってからロマンチックな告白でもすればいいのか?

 

――否。

 

反吐が出る。今更そんなことが出来るか。

現に自分は既に人生最悪の告白を仕出かしてる訳で、正直言ってこれ以上怖がることはなど無いんだ。

ギャラリーも数十分停滞している自分達の事を飽きもせずに見てやがる。

じゃあ……。

 

「そろそろ行くか」

 

自分の声に反応した雀が警戒を強める。

しかし、その一瞬を狙って伸ばした両手は雀の腕を掴んでいた。

 

 

「その唇、美味そうだな」

 

 

声にし、躊躇なく顔を近付ける。

向こうの世界で《牙》を使ってきた自分には顔を近付けてモノを食うことは日常だった。

外す訳が無いんだよ。

視界には何も映らない。

有るのは人間の肌と感じられるだけの温もりだけ。

食べると言っても唇で触れるだけ。

それだけでその食材の旨味や毒だって手に取るように分かるんだ。

十数秒間止まっていた雀の時間が再び動き出し、手で口元をなぞりながら顔をこれまで無い程に赤らめている姿を見て理解できない訳が無かった。

距離など、要らないんだ。

俯きながら被りを振る雀の頬に手を伸ばし、顔を上げさせた。

潤んだ碧眼が自分を捉え、紅潮する顔の赤みも気温に冷まされ元の色に戻りつつある。

うん……。

 

「此処からどうすればいいか解らない。でしょ?」

 

その声を発したのは自分ではなかった。

「《悪食》とも有ろう者が、思い付きで行動するなんてね」

頬に乗せた手に雀の手が添えられる。

何か、こっちまで心拍数が上がってきた様な……

「唇を合わせて、存在を共有して始めて解った」

添えた手を握り、逆の手で自分の頬に手を置いた。

 

 

「一緒に、居たいなぁ……」

 

 

初めて向けられた彼女の欲。

これこそ自分の欲が求めたモノだったんだ。

互いに見つめ合い、再度唇を重ねた。

今度は喰らうと言う言葉を現した、欲を満たすためのキスだ。

此処に居るという存在を感じることが出来る。

 

――俺達はこの世界に帰って来た。

 

Side =雀=

 

それから愛の言葉を紡ぎ合うことも無く、私達は徐に立ち上がって手を繋ぎ、指を絡めると歩き出した。

恥ずかしい気持ちなど一切無く、仲間たちから浴びせられる視線を諸共せずに目の前を横切った。

「今日は、有難う」

その一言だけを残し、数百メートルの道のりを二人で歩む。

不快感も無く、玲さんのことを初めて慕い始めた時の様な感覚でいる。

人間が人間に好意という感情を持つ際、それを成就させようとする起因はパターン化されている。

よく「優しいから」や「一目惚れ」なんて言う理由を耳にするが、それらから導き出される答えは単純だ。

 

――性欲を満たすためか、自分の格付けだ。

 

他に理由があるとすれば、子孫を残したいからとか、愛されなかった人が求めたモノを形作る為だとか、後は毒占欲、所有欲も入るのかな?

結局のところ、人間が愛するという行為に理由付ける言葉は十中八九嘘だと言える。

哀都が思いを伝えた時、その瞬間ばかりは動揺して真偽の追及をし損ねたけど、私の本質が人生最大の高揚感如きで潰される筈が無い。

正直に言ってその時の彼の言葉は思い付きと言うか、本質である《欲》が口から出てしまったと言うヤツだ。

うん、欲の塊だったね。そんなモノに自分はときめかされたのかと思うと《弓月》を打ちこんでも足りないくらいだ。

そう言うところを妙に割りきれなくて、それがもどかしくて、《普通》の人間である私が曖昧な位置に立っていることが恥ずかしかったのだ。

玲さんと同じ位置に立つことが出来るモノかってね。

この違和感はこの世界に帰って来てからもジレンマから抜けることが出来無かったんだ。

だって哀都は私にその気持ちを変わらずぶつけていたから。

恋は盲目って奴だろうね。

多分私も玲さんに対して同じような感じで接していたのかもしれないと思うことが出来たからこそこれに気付けたんだと思う。

被る側になって初めて気づくことがあった。

けど、それが変わったと彼の姿を見た時確信したんだ。

 

――同時に、私の中にも一つの欲が生まれていた。

 

刹那、その正体を探ってみても満足のいく答えは出なかった。

確かに哀都はハーフの成功例と言っても良い程のルックスで榎本姉妹が言う様に優良物件で間違いない。

それを一概に私の好みだとは思えない。

だとすれば、この感情は何だ?

私ですらも気付けなかったこれは定義できるモノなのか?

何故それを引き出せたのはあの《暴食》なんだ?

どうして、私はこれほどまでに《感知》などと言うモノを持ってしまったのか?

探究心が気が付けば私の身体を支配し、一歩を踏み出させていた。

そうだ、これは私が提起した問題に私が答えを出すだけの自己問答。

だとすれば、私は既に答えを知って、更にそれを知っていながら問題を解こうとしていると言うこともできる。

だが、これがそれしきの答えで解放できる程甘いモノではない。

 

――要するに、答えが無い訳だ。

 

自分の知り得ない事、他人が知る事の決して出来ない範囲で作られた命題の証明を行う事。

これこそ、人間心理の究極形だ。

それを考えている内に時間も過ぎて哀都も何を考えているかよく解らないしこのまま日が昇るまで待つのも悪くないなどと思っていた。

しかし、それは意図も簡単に打ち砕かれることになる。

隣に座っていた彼が何を言ったのかは解らなかった。

そもそもこの状況で言葉を発することが出来た事にすら多少の動揺はあったし、何よりも聞こえたそれを脳内変換で「頂きます」と認識したのだ。

 

――つまり、それは私であった訳でして。

 

両腕を掴まれた事に集中していた意識を持っていかれたことが致命傷だった。

うん。例え気付いていたとしても躱すことはしなかっただろうけど。

視界に彼の顔が一杯に映る。

息が止まり、唇の感触を確かめて数十秒。

「見付けた」

体温を分かつまでの間に放った言葉は籠る空気の中に溶けた。

私が求めていたモノ。

今まで嘘ばかり吐いていたのはそれがこの世界の摂理であり処世術である事を知っていたから。

それに、本物を求めていたからだ。

偽り無きモノ、それに美徳を感じて本能が本質が本物を捉えるために働いていたんだ。

だから、きっと彼という本物が求めてくれた事をそれだと勘違いしていたんだ。

 

影が繋がり、解き明かされた命題。

 

私の存在を彼の存在に織り交ぜて作り上げられた形は遺伝子の構造をする。

 

欲は、満たされる為に生まれたんだ。

 

それだけが、全てだった。

 

 

――私は、ここにいる。

 

 

==========

 

途中の分かれ道で「また明日」と挨拶だけ済ませてマンションの階段を上る。

親には事前に連絡を入れておいたが先程催促のメールが来ていた。

これもまた私を形作るモノなのだろう。

携帯を握りしめながら扉を開け「ただいま」と少し大きめの声を発するとお母さんがエプロンを外しながら穏やかな笑みを浮かべて「おかえり」と言った。

鼻を晩御飯の匂いがくすぐり、自室に戻って着替えを済ませるとお父さんが既に席に着いているテーブルの向かいに腰を下ろす。

お母さんが最後の料理を運んできたところで皆で手を合わせて「頂きます」と口にした。

途端に、あの時の光景が私の脳裏を過ぎった。

そう、だよね……。

思い返してみれば哀都は、今どんな気持ちでいるのだろう。

欲を満たしたのは私だけ、と言うことはなさそうだが、えっと……《感知》した記憶を呼び戻さないと……。

人間、目先の欲に囚われるとはこのことを言うのだろう。

だって哀都は向こうの世界からの言わば因縁となっていた私との恋愛劇を見事成功に導いたのだ。

なのに、私だけが満足して哀都からそれを超える様な高揚感も何も感じられなかった。

と言うか、気付けなかったってことで良いのかな?

そう思うと何故か箸の動きが遅くなって往く。

当然、これに気付かない両親ではなく、私は答えを偽ろうとして、それを止めた。

 

「実は、ある人と付き合うことになって……」

 

ピタリと二人の手が氷の様に硬直した。

思わず冷や汗が滲む。

私の事を理解した二人だ、特に聡明なお父さんは気づいたようで、箸を置いた。

「それは、SAOの中で出会った子なのかい?」

「うん……」

そう言うとお父さんは再び箸を持って食事を再開した。

お母さんはその態度を見て頬笑みを浮かべて私の方を見る。

「雀は優しいから、お父さんも心配になっただけよ」

 

「けど、雀が選んだ子なのよね」

 

「うん」

今度はお母さんが箸を置き、真っ直ぐと私を見据えた。

「相手の子は学校で顔を合わせてるの?」

縦に頷くとお母さんは顔の横で人差し指を振って四十代の実年齢に似つかわしくない笑みを浮かべる。

「じゃあ、家に連れて来なさい」

「……え?」

いやいやいや、いくらなんでもタイムリー過ぎるって言うか、さっきまで悩んでたのは確かに哀都の事だけどそう言うことじゃなくてって、えぇ!?

でも、真剣な視線を感じ取ってしまった。

そうだね……此処に来るまでも私の独白とか、ごたごたを広げてしまったのは私なんだ。

「解った。話してみるよ」

「ええ、期待してるわ」

そう言って笑うお母さんの横で茶碗を取る手が震えているお父さんの姿を私は見逃さなかった。

まあ、哀都なら大丈夫……だと良いんだけど。

 

Side =哀都=

 

他とは一回り大きな一戸建ての自宅に備え付けられた茶色の扉を開けるとちょうど夕食の時間と言うこともあり、部屋から出てきていた兄の姿を眼に収めた。

「哀都か、お帰り。ちょうど飯の時間だから早く手を洗って来いよ」

「うっせぇ引き籠り」

「失敬な、これでも大学には言ってるんだぞ」

「それ以外は家から出ないだろうが」

からかいの言葉もほどほどにパパッと服を脱ぎ捨ててリビングへと向かい、席に着く。

親父はまだ帰ってきていないようで母さんと自分と兄が据わったところで手を合わせてお辞儀だけし、食事に有り付いた。

基本的にこの時自分達に会話は無い。

テレビだけ点けてそれをBGMの様に扱い、沈黙を逸らす。

別に仲が悪いとか、そう言う事では決してない。

必要が無いって言えばいいのかな。

だから、母さんが自分の顔を見て首を傾げたときは思わず目を合わせてしまった。

「大丈夫?顔赤いわよ」

「え……そう?」

「二月の寒さに当てられただけじゃない?」

兄が察しの悪い人間で助かった。

しかし、言われるまで気付かないってどれだけ惚けていたのだろう。

原因は、言わずもがな雀の所為だ。

彼女と別れてから数分間ネックウォーマーも付けずに歩いていたから感覚がマヒでもしていたのか。

それとも冷まし切っていたはずの体温が室内に入ってきたところで振り返したのか。

どちらにせよ、今まで満たしたことの無い欲に体が対応しきれていないと割り切ることが最善だ。

 

――夢は叶わないから抱くモノだと思っていた。

 

だから夢を満たした人間は空虚になる。

自分に出来ないことなど何もないとその時点で限界を世界から、何よりも自分から決めつけられてしまうからだ。

それに気づいたのかは何時だったのかはもう覚えてすらいない。

もしかしたらきっかけを生み出したのはデスゲーム開始宣言時に極限状態だった場の雰囲気に勝手に作り出してしまった幻想なのかもしれないな。

けど、幻想は真理だと気付けた。

自分が求めたのは《欲》だった。

欲望はいくら満たしたって次に望むことが出来る。

だって欲しいモノは自分の心の中で本能的に手に入れられるモノだと価値づけられているからだ。

故に、雀の事だって同じモノだという気持ちが間違いなく内面に隠されていたはずだ。

だが、それはあの空間で、あの時間で全てを変えられたんだ。

でなければ、欲だとか嘘に人一倍敏感な雀が自分を受け入れる様なヤツじゃない事を気付かされた。

食事を終えると部屋に戻ってベッドの上に飛び込んだ。

少量の埃が宙を舞うが、気に掛けることなく仰向けになる。

じゃあ、自分が次に欲しいものって一体何なのだろう。

人生最大の貰い物をしたと言う結論は出ているんだ。

それ以上の何か……。

 

――証明したいのか?

 

自分はベッドから起き上がると学習机の上に置かれた一ルーブル金貨を掴んで親指の上に乗せた。

《悪運強き捕食者》と呼ばれた自分の強運に委ねて来た二年間だったと言っても過言でも無い。

絶大な信頼を置いているからこそ、こういうことが出来るんだよ。

快音を立てて弾かれた金貨は天井ギリギリで落下し、右手の甲と左手で挟む。

 

――表ならば、俺は……。

 

左手を開いた、そこに映っていた黄金の景色は……。

 

==========




はい、どうも竜尾です。
リア充誕生です!ようやくですね本当に有難う御座います!!

雀の服を事細かに書いたのは、まあ元ネタがあります。
すっごく好みなんだすよ、コレ。

ラブシーンって書きづらいですね。作者の精神的にも本当に…。
経験が無いとですね。ハイ。

でもって彼らの家族を交えながら僕の思う《欲》について語りました。
愈々次で究明編物語は終了と為ります。

【次回予告】

《ジャック=ガンドーラ》。元い《霧崎 玲》。

「《異常》と《普通》の違いって何ですか?」

「もう一回、今の自分たちをどう思ってるの?」

「哀都は……哀都は玲さんを超えるつもりなの?」

――仮想世界に、不穏な霧が棚引いていた。

次回をお楽しみに!それでは。
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