仮想世界に棚引く霧   作:海銅竜尾

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第七十二話 殺人鬼の日常

Side =玲=

 

「行ってきます」

 

誰もいない家の中に声を向け、両耳にイヤホンを差して歩き出した。

車が来ても反応されない様に冷える朝の道を塀の影も厭わずに進んで往く。

二年前であれば白と共に歩いていたのだが、今はそうとはいかない訳でこうして一人登校しているのだ。

何時も右耳から流れて来ないはずのナンバーが耳を刺激していた。

けど、どうせこれも今日で慣れるに決まっている。

いくらボク達が互いに依存していると言ってもそれは同じ世界に居ると言う話に限る。

反応を辿れば何となく白の位置だって把握することが出来る。

ボクは白いマスクを鼻に再度掛け、電車に乗った。

制服の柄を見てそれがどこの学校のモノかを知る者たちからは好奇の視線を向けられるが、何も気にかけることは無い。

世間から見ればボク達の殆どが被害者だ。

そういう意識が彼らの中の大部分を占めている為、恐れと言うよりは寧ろ憐みの目で見られている。

実は《殺人鬼》の報道もSAO生還者を含む多くのプレイヤーがALOに足を運んだ事により小さな社会現象としてメディアに取り上げられていた。

だが、流石に《殺人鬼》が起こしたと言うマイナスのイメージが人々の中で圧倒いう間に忘却されたことも理由の一つだ。

皆毎日のようにテレビで報道番組を見て、情報を脳に蓄える。

そして此処で一つ質問だ。

 

――お前は昨日起きた殺人事件の概要覚えているのか?

 

これで、言わなくても解るはずだ。

思い出せたとしても精々来年の今頃、同じ記事が取り上げられればと言ったところだ。

その頃にはボクはもう居ないっていうのにね。

《殺人鬼》が消えて一か月。

VRMMO界では未だボクの捜索が行われている。

少しの情報をも求めていた奴もいるが、んなモノをボクがちょっかいも出さずに残しておくはずが無い。

現在ボクの正体を知るのは雀と遼太郎のみ。

彼らがボクの事を語る訳が無い。

釘も差して置いたから喋りたくても無意識的に喋れなくなろうけどね。

思考の内に電車を降り、同じ駅から出てくる同じ制服の人間を一瞥してイヤホンから伝わる音に意識を預ける。

やがて見慣れた道路に計算済みの歩数分の命令を脳から身体に送り、宙吊りになる頭を道路の先に生える桜の木に向けた。

毎日の天気予報から予測するに開花は後一か月になるだろうか。

そう言えば白と花見に行ったことなんてあったっけと思い返す。

こうも彼女が隣に居ないと退屈してしまうモノかと。

けど、これも日課の一つだ。

思うだけで、実行しようとはしない。

らしくなって来たってことだ。

校門を抜け、皆が目指す下駄箱の一番端。

今年で十八歳を超える者達の下駄箱に使用の許された区域でボクの上にある《暁 白》と言う名前のところにローファーが入っているのを見てから下足を入れて上履きを取り出す。

歩く時は音を立てず、姿勢は体に支障が出ない程度に猫背で教室に向かう。

教室の扉を開けた所で見えるのは少人数の人影。

ボクらは世間で言えば浪人生の立場である。

まだ二月下旬であるがボクや白を含む数名の者達は卒業すれば高校卒業認定が出されるはずのそれを蹴った。

勉学が追い付いていない事を真剣に考えた者や、まだこの世界に体を馴染めていない者達が選択したのだ。

よってボクらの間に友情の様なものは必要のない事だ。

どうせ一年の関係と思っている者が多いからな。

一番左の白の後ろの席に着いて適当なカバーに包まれた医学書を取り出して読み耽る。

因みに白であるが、彼女が教室に来るのは何時も朝のホームルームの開始時間ギリギリだ。

下の学年には、かの《閃光》が居ると言うのは学校に来てからすぐに耳にした噂だが、白の時はそれはもう酷かった。

ボクの方が先に学校に来る事になり、この教室から校門を通る白の姿を見ていたのだが、まるで凱旋の様だったとだけ言っておこう。

SAO内でも絶大な人気を博した白はそのまま生徒の支持率を瞬く間に自分のモノにした。

まあ、彼女にとっても想定内の出来事であり好都合だった訳だ。

 

――魅了して敵を作らない《異常》。

 

――干渉させずに敵を作らない《異常》。

 

三百人全員が社会復帰だの復学などが完了した後に行われた全校集会で視線を集めたまま壇上に登り、優雅にスピーチを決めたときには生徒たちの眼は彼女一点に集まっていた。

実は、その際に引き付けられなかった連中を見るのがボク達のやり方であり、そう言った者達を懐柔するのが白なら、より不干渉を貫くのがボクだ。

そして、見つけた者達の中にはよく知る顔もあった。

キリト、いや和人だったか。

雀や明日奈。SAOで白と交流がそれなりにあった奴らはすぐに解った。

その他負の感情を持って白を見る者達。こいつらはまあいい。

問題、と言うかようやくソイツを見つけた訳だ。

 

――外人の様な金髪に灰色の眼。

 

その誰にも干渉されない様に立ち振る舞う姿は本質に似合うモノではないが、欲望を抑え、爆発させるための布石とでも言っておこうか?

ボクの存在に気付いていながらも誰かまでは判別できていないようだ。

やはり《感知》が得意な雀とは違う訳だ。

此処まで不特定多数の人間がいると《異常》を理解していようが溶け込む気の無かった向こうの世界とは訳が違う。

今ボク達がいるのは《異常》の世界ではない。

それを、まだ理解できていないから彼はボクを見付けることが出来ていない。

でもボクが彼に干渉することは無いかな。

基本は貫いて行くに限る。

白との会話は音でも目線でも感覚でも伝わるから、彼女とは原則的に距離を置いている。

それで、マスクをしているのにも理由があるんだよね。

眼鏡も加わればボクの顔の半分は何かに隠されることになる。

人間における第一印象は半分の者が顔に一存される。

でなければ人は人を理解できないと決定づけているからだ。

故にボクから目を逸らし、向かう先は白だけになる訳だ。

それにしてもだ、こういった防御態勢を作る事が出来たのだが……。

どうりで初めてこの学校に来た時に外見だけで彼を判断できなかったと納得した。

 

――ここまで成長するかよ……。

 

――《普通》……。

 

Side =白=

 

四つの授業が終わり、校舎内に鳴り響くベルと生徒の声で昼休みを迎えた。

机で玲に信号を送るとお弁当の包みを手に教室を出た。

この教室に留まってると生徒が寄ってきちゃうしね。ただでさえ会話の少ない教室なのに騒がしくするのは無粋なモノだろう。

玲だって周囲に溶け込むためには無言で料理を口に運んでそれが終われば医学書を読み耽るだけだろうし、どうせ彼が居られるのは半年も無い。

わたしはあと丸一年ここにいるつもりだけどね。

で、そんなわたしが向かうべきは一つ。

皆わたしに慣れるまで時間がかかるだろうし、なら人が寄り付かないところに行けばいい。

もしくは、逆に人を寄りつかせればいい。

「そう言う訳で、今日もお邪魔させてもらうよ」

「別に気にすることも無いのに」

「わたしが来なければ桐ヶ谷君と合うつもりでいたでしょ?」

「ひ、否定でき……ない」

近くの開いた机と椅子を借り、明日奈の席の対面にそれを動かした。

「そう言う反応が見てて可愛いんだよね明日奈は」

わたしの言葉に持参したお弁当を開きながら彼女は溜息を吐く。

「からかうのもほどほどにしてよ、白」

箸で向けられた先には教室の外からわたし達を覗く者達の姿。

何やらブツブツと話しているのだが、気にする範疇のモノは無い。

やはり名の知れたものは名の知れた者同士で居るのが一番手っ取り早いのだ。

明日奈のファンとわたしのファンが揉めることもしばしば、此処に居る連中に玲といるところを見られるのは不得手だ。

それに、何時グロリアとグーラにコンタクトを取ろうか考えてるところだしね。

既に玲が牽制した和人と雀はともかく、グーラはどっちが接触するのが良いのか。

玲に聞いたところグーラは雀に惚れてるみたいだし、わたしが行くのは不味いんだけど、かといってまだバレている訳ではない玲が近づくのもね。

明日奈と会話しつつ思考は外。

昼休みが終わるギリギリまで教室で談笑し、それから三時間の授業を終えると一日の授業はすべて終了となり、辺りから部活だのどこかへ寄るかと言った声が聞こえる中わたしは早々に席を立ち、教室内に居る者達に別れを告げて後輩たちに合わないルートで玄関に向かう。

夕暮れの中、校門を抜けて角を一つ曲がると三十秒位で玲がわたしの後ろを追いかけてきていた。

登校は一緒に出来なくても、下校は問題ないと踏んだのだ。

周りに同じ学校の生徒が居るとすればすぐに解るし、人目を避けることは造作もないから。

並んで歩くもわたし達に会話は無い。

しかし、これが堪らなく心地良いのだ。

二人でいるときだけは余計な事を考えずに歩くことが出来る。

話したい事があれば解った様に言葉を返すことは当たり前だし、常に気を配っている状態なのかな。

顔も合わせることなく電車ではわたしが席について玲が少し離れた位置で吊皮を握っている。

手元の携帯に視線を落とし、VRMMOの最新情報を調べているとあっという間に時間は過ぎて電車を降りる。

そこで玲が取り出したイヤホンの片側を耳に付ける。

二年前はこうやって登校していたんだ。

流れて来たのはなんてことの無い流行りのナンバーだった。

音楽にも興味があるかと問われれば本心でイエスとは答えられない。

要は暇潰しなのだが、聞いてみると自分が好きだと思えるモノもあり、音楽にはわたしも興味はあった。

そうして少し闇に覆われ始めた空を見上げることなく玲の家に着いた。

家の前の柵を開き、玄関前で玲は振り返った。

「なあ、明日買い物に行かないか」

「いいよ、集合はいつも通りで」

玲が頷いたのを見て手を軽く振って歩き出す。

 

――こんなモノがわたし達の日常だ。

 

==========

 

歩いて十数分のショッピングモールの前に待ち合わせって言うのを帰り際に伝えられたが、さて玲はどこかな?

何時もわたしが時間ピッタリに来るように、玲は時間一分前にはその場に到着している。

よくある「今来たところだから」が本当に使えるんだよね。

さっと周りを見渡すと玲の反応を見付け、私服姿の彼がこちらに気付くと何気なく手を振った。

わたしもわたしで他の人の眼を惹き過ぎない様に玲と出かける際には細心の注意を払っている。

別にそこら中を罷り通る『普通』の連中に見られようが関係無いが、同じ学校の者に見られることは避けておきたいのだ。

それに、定期的にこういうことをやっておいた方が鈍らなくて済むってモノだ。

わたし達は言わば周囲数キロに存在する人間の情報を知ることが出来る機械だ。

それが周囲数百メートルの把握をすることなど造作もない。

それくらいにはしておかないと二年間のブランクを取り戻すこともできないだろう。

玲に追いついたところで二人並んで歩き出す。

相変わらず表面上は無口な彼だが、送られてくる信号の殆どは他愛のない話だ。

多少笑みも浮かべながら玲の方に目を向ける。

パンフレットを読み、二年前と大して店の中が変わっていない事を把握すると適当な服屋に入る。

わたしも両親が用意してくれたモノ以外に何着か服が欲しいと思っていたのでちょうど良い。

ついでにお互いに一着何か選ぶとアイコンタクトをして別々に動き出す。

数十分間服を選び、会計も別々にしてわたし達は空白を埋める作業だけに徹していた。

昼食はフードコートで適当に済ませてまた自分を着飾る為の何かを探していた。

すると、わたし達の視線は偶然一つのモノに止まった。

賑やかな音を通路にまで轟かせるその空間。

「ゲームセンターだね」

態々立ち止まって声に出す程のモノではないと思うが、玲も相槌を返した。

勿論寄っていくつもりなんて無い。

けど、中にある筺体にVRMMO空間を使うモノも存在し、わたし達は立ち止ることなく、それでいてそちらを見ていた。

「玲はもうALOには来ないの?」

「無いと思う」

最後にゲームセンターを見てしまった為、帰り道にわたし達の思考を埋めたのはやはりこの話だった。

わたしの質問に答えた玲は無言のまま顔を覗く。

つまり「お前はどうだ?」と言うことだ。

「わたしはどうせ和人達に誘われるだろうね。本当はそこで考えるつもりだったけど、向こうの世界には戻ることになるかな」

確定させなかったのは、それが言葉だったから。

どうせALOはこの世界と同じなのだから今更どう行き来しようがなどは関係の無い事。

向こうにはすぐに馴染めるし戦闘能力が衰える訳が無い。

だとすれば、ALOの世界に行くことは確定事項だ。

《普通》の連中と交流をとれるかもしれないし。

「でもさ、玲」

わたし達は今それを考えるべきではないのだ。

「解ってる……」

次の言葉を汲み取った玲の言葉に息を吐いた。

それが終わるまで、わたし達は何度だってその言葉を突き付けられるのだ。

 

「「まだ終わって無い」」

 

玲の家が近付き、話題もこれで最後だとわたしは口を開いた。

「わたしも玲もまだ曖昧な線を走っている。そんなことはSAOの頃から解っていた事だよ」

でも、わたしと玲には差がある。

明確でわたしにとっては残酷な差だ。

 

「玲は終われ無いんじゃなくて、終わらせてないんでしょ?」

 

俯き加減に歩を進める彼の姿を一瞥して手を振ると走り出した。

そう、彼には手段も方法も全てを理解している。

だから今の玲にはこういった言葉が必要なのだ。

もう一度振り返ると少しだけ笑みを浮かべていた。

 

Side =玲=

 

それから一か月の時が経った。

徐々に学校内で白関連の事で騒ぐ者がいなくなり、昼休みには下級生の教室に行くこと無くここでご飯を食べて何かを読んだりボクと会話することが多くなった。

今の彼女の立場を一言で表すとすれば『生徒会長』と言うモノが一番しっくりくる。

先生もここではSAOの事をよく知る者達がある待っているようで白に頼みごとをしている姿を見ることもしばしば。

支持率があるとすれば九十九パーセントは想像に難くない。

そんな日常を過ごし、変わって往くのは風景だけ。

最近は学校帰りに病院へ寄ることも増やしている。

ただ、三月下旬では日が沈むのも速く、看護師さんに心配されてるのでそれ程多くの時間過ごせると言う訳でもない。

そうしてボクはまだ白に言われた事を行動に移せず手を拱くばかりだった。

お陰で数日前に「へたれ」とか言われたっけ。

少し心にダメージを受けながらもボクは歩を進める。

隣にはやはり白の姿があった。

ボク達が何をしているかと言うと……。

 

「お花見なんて玲と来るのは初めてだね」

 

桜が開花したと聞き、何となく誘ったら普通に承諾されたので二人だけで桜舞う道を歩いていた。

当然他の人もいる訳で人混みを掻き分けながら進むことになっているが、こういうのも如何に上手く人の隙間を見付けてそこに足を踏み入れるかに限る。

特に此処で食事を取るとかそう言った事は考えていないのでただ桜を見ながら歩いているだけだった。

「皆はALOでお花見かな」

白の言葉に頷いた。

彼女は結局ALOに《シンディア》として返り咲いた。

月に数回しかログインしていないみたいだが、寧ろそれに鉢合わせようとする者が増えてきているらしい。

何をしているかと問えば「秘密」と返された。

要するにさっさと終わらせろと言う催促だ。

もしかすると、彼女はボクが元に戻ることが自分がそれを見付けるためのカギだと思っているのだろうか。

可能性は全て追求するってことだ。

桜並木を抜けると見えて来た丘の上には一際大きな桜の木がボク達を迎えていた。

レジャーシートを引く者達も多く、各々料理を片手に騒いでいる。

すると、拭いた風に前後で桜が舞い、一つの吹雪を起こしていた。

「悪くないね、こういうの」

白の言葉に頷きつつ、ボク達はそこに立ち止まっていた。

さて、何故ボクが此処に来たのか。

白の方を見た。

彼女もボクの方を向き、ボクは口を開いた。

 

「ボクは、戻ろうと思う」

 

「まだ終われないんだ」

 

その言葉に白は桜の方を向く。

再び舞い上がる花弁を見て覗き込むように顔を見て言った。

 

「玲らしいよ」

 

「わたしが保証する」

 

白はそう言って自分の前に手を伸ばす。

ボクも手を伸ばすと三回目の花吹雪のタイミングに合わせて手を握る。

白が取れたのは二枚の桜。

対してボクは片手に一杯の桜を掴んでいた。

それを白の頭の上から落とすともう片手に持った携帯で写真を撮った。

互いに微笑み合い、桜並木へと再び歩を進めた。

 

――復活の予兆。

 

 

 

――どこかで誰かが誰かを嗤うのだ。

 

 

 

――皆、常に誰かに嗤われている。

 

 

 

==========




はい、どーも竜尾です。
お久しぶりです。
日常回ですね。仲良しな玲と白を微笑ましく書きました。

ちゃっかりグーラ君も登場です。

あまりデート的なものを書くのは慣れた作業ではなく、二人だからという観点を第一にしましたね。
ショッピングにお花見。うむ、うらやま。

これからエピローグに入ります。
主人公はあの方々ですね。

当然、まだまだ終わりませんよ。

【次回予告】

「敢えて光栄ですよ。《悪食》の《グーラ》さん」

「《ジャック=ガンドーラ》について知っている事を教えてください」

――欲が、嘘を捉えた。

「お帰り、雀」

次回をお楽しみに!それでは。
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