仮想世界に棚引く霧   作:海銅竜尾

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第六十九話 殺人鬼の遺産

Side =玲=

 

病室のドアに手を掛け、小さな音と共に扉を引く。

何時も通りならば隣には子供がいるのだが、今回はそうではない。

なぜなら、病室にある名前は《暁 白》ではなく《結城 明日奈》なのだから。

痩せこけた頬を見てもあの世界で靡かせていた栗色の髪の毛を見た瞬間にそれが彼女のモノだとすぐに解った。

それでもアスナと出会わなかったのは白のいる棟とは別棟だった為だ。

だからキリトと出会うことも無かった。

アスナのこんな姿を見たキリトじゃボクにも気づかれない程に反応が弱々しくなったのだろう。

この様子だとSAOで鍛えたことも消えているかもしれない。

人とはそれほどまで忘れる事が得意なのだ。

……ここにボクが来たのは偶然だった。

特設された学校には通わずに父さんと仲の良い人に時間を割いてもらって軽く医学にも精通した授業をしてもらい、あとは自主学習で済ませる。

白が帰ってきてないのに学校に通うなんてコトが出来る訳も無かった。

でも、何時でも獲り返せる位置に彼女が居るはずなのに、ボクはそこに手を伸ばそうとはせず、別の人間を探していた。

だから一か月も経ってしまうんだ。

ALO全土に本格的に《殺人鬼》の復活が囁かれ始めていた。

インプ領主直属の部隊も向かってきた奴らは壊滅させたし、その他種族間に行われた五十人程の連合軍とも衝突したが、半数以上を殺した上に向こうから撤退させたこともある。

そんな訳で向こうさんはボクに戦力を裂くよりもグランドクエストを先に攻略することに決めたらしく、最近はちょっかいを出されることも無くなった。

もしかするとクエスト攻略後に謁見出来る妖精王にボクの対処でもさせるつもりなのだろう。

まあ、ボクの予想通りなら三百人を閉じ込めたのは妖精王を演じるゲームマスターなのだが……。

 

「本当に、此処まで解ってて何でボクは何もしないんだろう……」

 

一通りのメディカルチェックを終えると備え付けの椅子に座る。

こうしていれば、奴が来るはずだ。

一度状況を整理しようとペンをぐるぐる回していると響いてくる足音の中に一つ知っているものを見付けた。

その彼が入ってくるタイミングを見計らって計器の変化を見ていた。

扉が開くと同時にペンを動かす。

席を立ち、一目見た彼に会釈をして早々に部屋を去る。

足取りからも察することは出来たが、あいつはこの世界に帰って来てから何も変わらなかった。

向こうの世界でも体つきも良い方ではなかったが、それが二年の衰えをそのまま引きずっている。

この様子じゃALOの事も知らないみたいだな。

と、更に暴れる算段を考えていると前から歩いてくる二つの人影に視線が止まった。

特に顔見知りと言うことでもないが、人が人だったなこれは。

一応会釈をして歩きだす。

会釈を返したかどうかは気にする事ではない。

ただ、そいつらがALOの運営に関わっている人間だと言うことだけで十分だ。

ついでに名前も調べてみると社長とアスナの名字が一致。

病室にまで来ると言うことは実の娘だと見て間違いないだろう。

二人が病室に入ったのを見ると踵を返して部屋の方向に向かう。

キリトも居るし、一体何を話すのだろうか……

周りの人間の視界を計算して此処に誰も注目していないことを確認すると扉の横に立った。

 

――そこでボクは知る。

 

それでも動くことはしない。

憤りも殺意も今は感じる暇もない。

誰も気付かないうちに部屋から離れると残った仕事を片付けに歩きだす。

 

――《殺人鬼》は《英雄》の様に現れることはないのだから。

 

==========

 

「クラインもずいぶんと慣れて来たなァ」

大きな音を立てて一人で巨大なモンスターと対峙しているクラインを遠巻きに見て呟いた。

本来暗闇に得意なインプやスプリガンが対処するモンスターなのだが、サラマンダーであっても居場所くらいなら音を伝えば何となくわかる。

その感覚だけでクラインは剣を振るっているのだ。

周りにプレイヤーも居ない事を探っていると一際大きな破砕音が響いた。

フッと息を吐いて彼の方へと向かう。

刀を鞘に収め、全身を覆うフーデッドケープを羽織ったところで歩き出した。

そう言う訳でオレ達は今スプリガン領周辺の中立エリアを散策していた。

それにしても本当に周りに人影が見えないのは、まあ言わずもがなオレの所為なのだろうと思う。

最近の領主どもの動向を探っていると中立エリアにあまり近づかないようにと指示秘密裏に出しているようで、中立エリアに居るプレイヤーとそうでない者達がはっきりと分かれて来た。

こうすることによってクラインの存在を気付かせなくすることが簡単になった。

それでも《殺人鬼》が二人組になっていることは知れ渡っているようで、雀のヤツにもそれを問われた。

連中はJtRの誰かだと決めつけているらしい。

当然、それが狙いだ。

こいつの本質は知られていない事に全てが決まる。

それをこのオレが腐らせる訳ねぇだろ。

スプリガン領を歩いているのはキリトなら黒を基調としたこの種族を選ぶだろうと推測したから。

そろそろオレの事が奴の耳に入ってもおかしくないのだがな。

「こんなモノまであるんだからよ」

手に握った記事には前に世界樹の上を見るために強硬策に出た時に収められた写真だ。

時間の都合で立ち会うことは出来ず、結果を聞いた時は実に驚いた。

そこに映っている籠の様なモノ。

大きなそれの近くに取り付けられた小さな籠にオレの視線は向く。

そこに映っていたのは後ろ姿だが、セミロングの灰色と言えばもう白意外は有り得ない。

さらに解像度の悪い写真からも白の手元を見ると手話で『待っている』と言うことがそこに表されていた。

この世界に来た時から白の反応には気付いていたし、世界樹の上に居ることにも気がついていたが、オレはグランドクエストに乗り込むのを躊躇った。

クラインも激情に身を任せることなくそれに賛同した。

よく考えてみればすぐに解る。

こんなことをする奴がもしもの対策をしないはずがない。

そして《殺人鬼》のことに気が付いていて手を出して来ないのはオレが抗うことのできないシステムの壁を保持しているから。

 

――手がない訳じゃねぇんだがな。

 

短剣を回して思考に耽る。

世界樹の中に入ったことは実は一度だけある。

まだ《殺人鬼》が浸透しきっていなかった頃、下見と言う事で人の居ない時間帯に乗り込んだのだが、中の大きさと世界樹の大きさを計算するに残った空間に一度イレギュラーを起こしたからと言って救出まで行ける確証がない。

兎に角、キリトが来ればどこかでトラブルが起こるのは間違いない。

その時までオレはクラインを鍛え上げてりゃいい。

こいつもこいつで変な恩義を感じてるのかオレの策に勘付いていても聞いてくる様なことはしてこない。

この世界に居て解ったのだが、オレはジャックの姿でいるときは嘘を吐くことが出来なくなっているようだ。

はぐらかすことが出来ない訳じゃないから特に問題は無いのだが、ここまで外見で色々左右されることになると言うのは危惧しておく必要がある。

そうして、変わることのない日常を過ごして往く。

雀の退院も近付いてきた。

子供たちもオレを受け入れて来た。

未だにSAOでの顔見知りとは彼らのほかに出会っていない。

 

――果たして、今オレは何をしてんだろうなァ……。

 

==========

 

その翌日、キリトの反応を覚えていたオレは世界に入ると同時にその存在に気がついた。

距離を計測したが、オレやクラインと同様に領内でログインした訳ではないのが解った為、先回りのルートを算出する。

キリトの事だから一直線に世界樹を目指すことは想像に難くない。

クラインを引き連れて数時間程移動し、洞窟を幾つか経由してキリトの反応がこちらに向かっていることを確認するとオレ達が経っている橋の下に見えた影。

彼の方を見ると既にフーデッドケープを取り去り、合図も無く同時に水の中に入った。

ここでオレがSAO時代に鍛え上げていた《システム外スキル》《潜水》が役立つのだ。

本来なら水の中はウンディーネの独壇場となるのだが、そんな事を気にしていて《殺人鬼》で居続けることは出来ない。

多種族連合との圧倒的な戦力差にオレの忌避すべき数の暴力にも屈さなかったのはこういった後の無い状況を無意識的にも認識できているからだ。

前例が存在するが故に本物が死ぬことはあってはならない。

だから水の中に人海戦術で押し込まれようとしていた時、《殺意》を全開に奴らを押しとどめ、あたかも作戦が成功したかのように水の中へ落ちる。

何も知らずに向かってきた連中は思いもしねぇだろうな。

優位に立ち、殺されてもいいから何ていう甘ぇ考えを持ってるから殺されんだよ。

だからテメェらはSAO帰還者を総じて恐れんだよ。

まあ、だからといってそれが理解できるようになるのは同じ状況に立たされたことのあるヤツだけだ。

オレは考えた。

何故、《普通》という奴らが生まれることになったのかを。

 

――《異常》の為の世界に適合する為だったんだ。

 

今、ここはオレらの為の世界じゃねぇ。

 

「殺される気がしねぇんだよなァ!!」

 

水の中ではクラインにしか聞こえないだろうから思い切り叫ぶ。

酸素量は十分足りている。

肉眼ではぼんやりとしか確認できなくても水中なら触覚をほぼ活用することが出来る。

クラインも襲い来る化け物の隙を突いて攻撃を加えるが、流石に息が続かなくなり浮上するタイミングでスイッチしてオレが入る。

装備を着こんでいるお陰で水中で停滞出来ているから両足を使うこともできる。

クラインと戦っている間にこっちは詠唱を済ませている。

水中に出現した鎖を打ち、短剣で向けられる牙を往なす。

化け物側のアルゴリズムは決まって対ウンディーネ用に特化されている。

強いモンスターなら尚更だ。

だから、簡単に足元を掬うことが出来る訳だ。

と、その時。

水上に強い反応を感じた。

そので異質は間違いなくキリトのモノだ。

思い出し始めて来たってことだなァ。

まだ不完全で元通りなど甚だしい程だが……。

んじゃ、オレらもこいつ相手に時間を掛けてられねぇって事だ。

クラインに鎖を一本伸ばして合図する。

向かってきたドラゴンを回避するとオレの両足は水底に付く。

体の中の空気を抜き切ったからこそできる芸当だ。

躱した時に伸ばしておいた三本の鎖にドラゴンが引っ掛かるのを確認すると地面に付けた足を起点として腕を固定させる。

するとドラゴンの泳ぐ力がオレを中心にして上を向いた。

ドラゴンのヒレが鎖によって塞がれた所為だ。

そのままクラインを引き連れて飛びあがったドラゴンへと鎖を縮めて接近する。

ALOのシステム上洞窟内での飛行は不可能。

だとすれば、これが水中の化け物を殺すのに最も適してんだよなァ。

先ずオレが斬撃を浴びせ、HPを削りクラインが大声と共に止めを刺した。

モンスターが爆散する中で、オレは天井に向けて鎖を飛ばし、水面の上で停止する。

 

「ジャアアアアアック!!!!!」

 

クラインにも鎖を投げ、獲得表示を消すと、懐かしい声色で名前を叫ばれた。

鎖を振り子のように勢いを付けて一気にキリトのいる端へと跳躍する。

見れば、隣にシルフのプレイヤーがいるが……そう言う面倒事にオレを巻き込むなよ。

「黒一色とは変わらねぇな、キリト」

「お前こそ、あの笑い方どうにかならないのか?」

からかいの意を込めた二ヶ月ぶりの会話。

オレはそれ以前にテメェに会ってんだけどな。

キリトの質問に答えていると隣のシルフがオレの名を聞くも、《殺人鬼》だと気付くことは無かった。

やっぱ領主共は殆どのプレイヤーにオレの事は伏せて起きてぇ見てぇだ。

先の戦闘を音だけで認識したが、このシルフは戦闘能力が低い訳ではない。

ただオレとの戦闘には向かねぇって判断されたってことか。

そんな彼女、リーファと適当に挨拶してユイとも再会を果たした。

後はアルンに向かえばグランドクエストの攻略は三十分も必要ねぇ。

だが、今のキリトをオレが認める訳が無い。

やや思考に耽っていると飛んできたメッセージを確認しているリーファが顔を青褪めながら戻ってきた。

あぁ、勿論見えてたけどな。

内容は、ざっくばらんに言えば種族間の抗争だ。

オレの影響もあったのか、リーファのとこの領主たちが今狙われているらしい。

そう言えばオレがインプになった事でこの種族に何か影響をもたらしたかと聞かれればそうでもなかった。

もともとオレの存在は都市伝説と言うこともあり、リーファの様子を見るからに楽観視している者も居るのだろう。

さて、そう言う訳でキリトがそんな場所に向かわないはずがないのでオレとクラインは全速力で駆け抜けたキリト達が引き連れた大量のモンスター達の処理を請け負った。

 

「貸しだぜオイ」

 

その後、処理を済ませるとオレ達はルグル―回廊を抜け、キリト達に見つからない様に地上を駆け抜けた。

他の領主がオレ達に気付くことは無く、なにやらシルフの方で揉め事があったみたいだが、ここで奴らと会うのは面倒だったために無視して走り出す。

モンスターの索敵範囲を見極めれば戦闘行為を一度もすることなくアルンの街へと辿り着いた。

キリト達はまだ此処に来ていないみたいだが、到着はまだだということとメンテナンスの時間を考えるとまだ攻略は行われそうにないことは想定できる。

現在時刻も考えるとオレは明日の仕事もあるし、クラインも白のところに来たがっていたこともあって、一旦は解散となった。

宿のある路地裏から飛びあがって世界中のより上を見る。

その先に見えている景色は確かに鮮明だ。

向こうからもオレの事は見えているのだろう。

 

「見付けることは出来たか?」

 

==========

 

ログアウトしたボクは一先ず就寝して今日やるべきことを思い返しながら朝食を作り始めた。

そうして父さんと食事を取っていると、二人とも食べ終えた折に父さんが口を開いた。

「《仮想世界の殺人鬼》」

そう言えば、ボクはまだこの事を父さんに明かしていなかった。

そりゃあVRMMO関連の仕事をしていればプレイヤーでなくても気付くに決まっている。

寧ろ此処まで話題を出されなかったことが不思議なくらいだ。

 

――なら、隠す必要はない。

 

「ボクの事だね」

悪びれることなく口にする。

百人以上の人間を殺し、ボクの影響で殺された者まで数えれば三百人を超える大殺人を引き起こした人物だ。

それを目の前にしても父さんは顔色一つ変えなかった。

「そろそろ、話す時が来たと言うことか」

席を立ち、肩を叩かれたボクはその後を追う。

階段をのぼりながら父さんは呟くように語り始めた。

「お前が殺人を犯そうが罪に問われないのなら私は気になどしない」

その言葉に父さんが何が言いたいのかは解っていた。

 

「私も、殺しなら既に経験しているさ」

 

ボクはその光景を見たことがある。

意図的ではなく、手術の甲斐無く死んでいった患者の事だ。

けど父さんも、ボクも、それを殺人と呼んでいたのだ。

それでも罪に問われることは決して無いのだから……。

「玲、お前も殺人をしたと言うなら、気付いているんじゃないか。特に、私よりも血を濃く受け継いだ《異常》者なら」

ボクが答える前に父さんは自室の扉を開いた。

此処に来るのは実に何年振りになるだろうか。

掃除くらいは自分がすると言って最後にこの部屋に入ったのは数年前。

その時から鋭い感性を持っていたボクは家の構造から本棚の後ろにある僅かな空き空間に気付いていた。

大方金庫か何かだろうとは思っていたが、中身まで気にしたことは無かったっけな。

形的に正方形の物体だって言うのは解っていたから書類の束だと高をくくっていたが、今こうして確認してみると全く別の物体であることが解った。

本棚を動かし、壁に埋め込まれた金庫のダイヤルを回すと扉が開く。

中に入っていたモノには当然書類もいくつか入っていたが、それと同じ大きさの箱がそこにはあった。

紫の布を掛けられた硝子の箱。

「私も、これの存在を知らされたのは成人式の後だった」

箱を持ち上げ、テーブルの上に乗せる。

「父も祖父も曾祖父も同じ、霧崎家の仕来たりの様なものだ」

 

「もう、それを護る必要もない」

 

布を取り去ると、目に映ったそれは……。

 

==========




はい、どーも竜尾です。
キリトとの邂逅です。

クラインさんをとにかく強化したかったんですよね。
人格だけではなく、身体的な強さを持った脇役はなかなかいないですよ。

ちゃんと小説を読み返すと自分の作った設定もそうですがあの水中のモンスターの倒し方には手古摺りました。
かなりごり押しの形になりましたが、ジャックさんだからいいですよね?

最後のワンシーン。
もう読者の方は気付いている方もいるでしょうね。

【次回予告】

――人間は人を殺した時にその本質を表に出す。

「欲を出しちまったってことか」

「ガンドーラ」

――オレ自身を「殺せ」と叫ぶ声だ。

次回もお楽しみに!それでは。
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