仮想世界に棚引く霧   作:海銅竜尾

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第五十話 英雄と殺人鬼

Side =ジャック=

 

何故彼と戦おうと思ったのか、まあ一言で言えば力量を測るためだが、その姿を見たとき別の理由が出来た。

こいつにはグロリアの《解除》に似た何らかの能力が備わっている。

それも把握しきれない程に強大な何かだ。

「はい、では闘技場でいいですか?」

こうやって二つ返事で返すあたりかなり肝が据わっていると言うか、強者の風格がある。

動揺する他のメンバーは常にオレと距離を取りながら後を追ってきた。

「お前、名前は?」

「ロクオウです。どうぞお見知りおきを」

この世界で誰かに偽りの名を聞くのは初めてのことだった。

それまではオレの事は誰もが知っていることだと思っていたし、興味の湧く奴がいたとしてもその者固有の雰囲気を覚えるくらいで、名など聞く必要が無かったのだ。

両開きの鉄の扉を開くと、視界にどこかで見たことのある闘技場が映った。

「此処でだな」

互いに距離を開きながら対面に立つ。

五人の観客も席に着いたところでロクオウに向かって言う。

「戦闘形式は《初撃決着モード》でいいな」

遠くで頷くのが見え、デュエルの申請を行った。

初撃決着モードにしたのは、第一にこいつらをこれから利用するにあたってリーダーと言う存在に生き残って欲しかったからだ。

勿論リーダーを殺してもオレが率いると言うことは出来る。

だが、オレはそこまでこいつらに何かを求めるつもりはない。

ただオレの邪魔をせず、シンディアの安全を確保できればそれで良いんだ。

しかし初撃決着モードだと『死』の危機感が無く力が落ちてしまうのではないかと思うかもしれないが、今のオレにその思考は無い。

戦いに関しての思考がこの時は正常ではなかった。

それもそうだ、グロリアを相手にするときも半分以上リミッターを解除する程に不安に陥っていたのだから。

兎に角、全力も本気も心配することは無い。

視界に六十秒のカウントが始まった。

《鎖》を展開し、《死刀》も発動して鎖に全ての短剣を装着した。

《濃霧》を発動できるようになるのは戦闘開始直後なので、今はその準備だけしておけばいい。

リミッターは全部掛け直したので問題はない。

次にロクオウはどうかと目を向けた瞬間。

 

「《英雄》」

 

――無意識にかけていた千八百八十八個のリミッターが、全て吹き飛んだ。

 

眼の前に居たはずの冴えない雰囲気の男は瞬く間に姿を変えたのだ。

全身を光が包んだかと思えば、その光は拡大し、二メートルの一人の戦士を生み出した。

筋肉に眼を向けてもあれはシステムに構成されただけであって実際の筋肉ではない。

これは面倒なことになった。

つまり外見と筋肉から行動を予測することが出来ないのだ。

次に武装に眼を向けるがその点に関しては言うことは無いのだが、なんとも派手な衣装だと別の意味で《異常》とも言える姿だった。

まさにロクオウの言った通りの《英雄》の放つ威圧感に、半ば強制的、半ば意図的に全てのリミッターを一瞬のうちに外していた。

もしかすると、この様な形で人工的《異常》の存在を作り出したかったのかもしれない。

だが、こちらとしては大助かりだ。

お陰で今まで戦闘に抱いて全てを破棄することが出来た。

こっからはお前らの良く知る《殺人鬼》の殺しの姿しか残らねぇ。

リッパー・ホッパーを回転させると、カウントも十秒を切った。

そういえば、《英雄》か。

昔はそんなのにも憧れていた記憶があった。

それに、オレが《勇者》と決めた奴が居て、『神』様も《殺人鬼》も居りゃ《英雄》が居てもおかしくはねぇな。

その実力、見せてもらうぜ?

カウントが消滅し、高らかに叫んだ。

 

「《濃霧》!!!」

 

服の隙間から吹き出した霧を棚引きながらオレの方から走り出した。

ロクオウには《濃霧》に驚く隙など与えない。

人間が相手であり、これほどの距離なら一瞬で詰め切れる。

霧なんかはほっといても空間を埋め尽くすのだから戦略にすら入れる必要はない。

一歩で間合いをこれほどまで詰められるのは奴自身グロリアのあの剣技ですら体感したことのない経験だっただろう。

いや、しかしオレも関心し、驚かされたものだ。

ちゃーんとサーベルを握る右手はオレの動きを捉えていた。

リッパー・ホッパーを受け止めようとその直線上に刃が構えられる。

が、短剣がサーベルに触れ、弾かれようとサーベルを動かした瞬間その力を受け流すと同時に左足を思い切り自分の背中に向かって振り上げ右足をロクオウに向かって斜めに身体を回転させて《流》によって崩れた身体に鎖を打ちつけながら巻き付けた。

鎖の巻き付く衝撃で短剣がロクオウの身体に突き刺さり、HPゲージを削る。

それにも動じないと言うのは流石と言ったところか。

まあ、此処まで『普通』相手に動くのも今までに無かったが。

着地することなく両手を地面に付けると左手の人差し指を立て、身体を回転させてロクオウの身体も回転させる。

徐々に鎖が解け、短剣も引き抜くことが出来、回転を続けて更に短剣を身体に突き刺すはずだが、そう易々とはいかない。

ロクオウは両足で踏ん張って回転を無理矢理止めると再び襲いかかった短剣を左手一本で纏めて掴み取った。

鎖を引こうとも伸縮の能力で引っ張られることは無いがオレは今ロクオウに向かって逆立ちの状態で向かい合っている。

しかも左手で鎖を掴んでいると言うことは右手はガラ空き。

サーベルがオレの身体を真っ二つにしようと振り下ろされた。

オレはすぐに両足の鎖を引きのばすと身体は重力に従って足が下がり、仰向けになってことで真正面からサーベルを白羽取りにした。

流石に両手を使えるこの状態ならサーベルがこれ以上下がってくることは無い。

すると、左手の鎖を放り投げてその手で拮抗するサーベルを上から思い切り叩き付けた。

 

「いやー危ねぇ危ねぇ」

 

オレは投げられた両足の鎖をすぐに地面に固定するとその長さを縮めて地面にめり込む程の威力を発揮したサーベルの攻撃を回避した。

だが、あの状況で無傷での回避とはいかずに頭を少し切られちまったが気にする程ではない。

なのにHPゲージがかなり持っていかれるのはゲーム故の事だ。仕方がない。

再びオレの方から仕掛けた。

ようやく《濃霧》がオレの身体くらいなら消せるほどに広がったのだ。

逆にオレよりも身長が二十センチ以上もある奴は顔のほとんどを霧から露出させていた。

体勢を低く、一歩一歩の間隔を開けながらロクオウの周りを走り続けた。

その間、《投短剣》で延々とロクオウを狙い続けた。

短剣に伴って鎖も跳んで往くのでロクオウはさらに足元や首にも気をつけなければならなくなった。

どうやら霧の中では自慢の《英雄》の眼も作用しないようで感覚だけで鎖と短剣を避け続けていたが《閃》、《廻》、《剛》を打ち分け、且つ腕の撓りや力具合を変え続けてじわじわとHPを削り続けた。

 

――こんなもんか?《英雄》さんよ。

 

ふと、観客席にいるグロリアに眼を向けた。

彼女の持っていた《解除》と《濃霧》、《神聖剣》。そして……

思考の刹那。

オレの足が止まった。

すぐに周りを見渡した。

両手の感覚はちゃんと残ってるし握ったリッパー・ホッパーの感触も両手両足首に付けられた鎖独特の冷たさも、霧の粒が皮膚に触れる感触も。

それに、掛けていたリミッターも全部外れている。

じゃあ……

 

――今、オレが戦ってるのは誰だ!?

 

次の瞬間、棚引いていた霧がその者の軌跡を中心にバッサリと二つに裂け、オレの眼には跳び出して来た者の巨大な拳が一杯に映っていた。

 

Side =ロクオウ=

 

戦う理由など、どうでもよかった。

突然現れたかと思えば勝負を仕掛けられ、私も二つ返事で返してしまったのだが、「貴方がそう言うなら従いましょう」としか考えていなかった。

けど、その意識が変わったのは戦いの始まる前のことだ。

私が《英雄》を発動させた瞬間に《殺人鬼》の雰囲気が変わった。

変わったと言うより強さが増したという表現の方が正しいか。

その時の私の心情と言えば、剣技なしでこれほどの威圧感を出せる強大な存在にここにいてよかったと再認識していた。

《英雄》の本来の能力は変化もそうだが膨大なシステムアシストの付加だ。

それも戦いを重ねるごとに成長し、何もしなくても時間が経つだけでもその増加量は上昇している。

ただ、確認する術がないのが欠点だ。

お陰で毎日の様に此処で《英雄》を発動させては自分がどれだけ動けるのかを確認していた。

今日はその作業が終わったと思えば彼が居たのだ。

そして戦いが始まり、先ず戦闘準備の時の鎖に驚いたと思えば今度は服の隙間から白い煙を棚引かせていた。

その際「《濃霧》」と叫んでいたと言うことは私やグロリアと同じ《ユニークスキル》保持者だと言うこと。

しかし、もし彼が《濃霧》など持っていなくても十分な強さを持っていることは解っていたし、戦って更に気付くことが出来た。

《英雄》はそもそもこのギルドでは二番目の強さを持つグロリアを初対面の時点で半ば圧倒していたのだ。

それからかなりの時間と模擬戦による戦闘経験であの頃より比べ物にならないくらい強くなったのに、それを圧倒するような身のこなしと純粋な力と柔軟な発想力。

持っている武器を最大限に生かす戦い方には惚れ惚れするほどだった。

気が付くと周りは霧に包まれ、伸長の高い私は彼を見失う形となる。

逆に《殺人鬼》は私のいる位置がはっきりと解るため、スキルを発動させた短剣をこちらに向けて何度も投げ続けて来た、

流石にその全てを避け続けるのは無理があり、いくら強固な《英雄一式》装備でも着実にHPは削れていた。

兎に角この状況はまずいと動揺と苛立ちを抑えて一度《英雄》を解こうとしていた時だった。

《殺人鬼》の動きがピタリと止まった。

私はその状況に陥った人間に何が起こったのかを何百、何千と見ていた。

 

――人を、《殺す》音だ。

 

それを、この人が起こすなんて見たくなかった。

落ち着けようとした心は一瞬で沸騰し、私は一歩で《殺人鬼》に肉薄すると私を見て驚愕に染まる顔に容赦なく発光する右手の拳で殴り飛ばした。

霧が巻き上がり、更に《殺人鬼》がその中を跳んで往く。

「ジャック様!!」

 

「もうサーベルなんか必要無い!!!!」

 

驚きの声を上げるグロリアの声を遮る様に大声を上げ、サーベル観客席に力一杯投げつけた。

残念で仕方がない。

確かに、《英雄》の能力でシステムが自動的に私の事を忘れさせるのは確かだ。

だが、その為には私から意識を逸らす必要があるのだ。

そんな事をする余裕が、この戦闘の中に彼に有ったと言うことだ。

だから、自分に苛立ちを覚えた。

そして、《英雄》の力に屈服した《殺人鬼》にも苛立った。

人を忘れると言うことは、眼を背けることなのだ。

私の膨れ上がり過ぎた力を認めたくないから等、理由は様々ではあるが《殺人鬼》ですらそれを忘れた。

彼ならばこの強さすら跳ねのけてくれると思っていたのだ。

そんな相手に、剣など必要ない。

拳で、強さの代わりに恐怖を植え付けてやる。

《英雄》に剣技は存在せず、動きがそのまま剣技と言っても過言ではない。

つまり、拳であってもインパクトの瞬間にその部分に光が宿り、十分な威力を発揮する。

一応盾だけは左腕残して《殺人鬼》が跳んで行った方向に走り出した。

僅かに霧が晴れているお陰で影がくっきりと映り、右拳を思い切り打ちこむ。

だが、それを受け止めた上に拳を握り潰されそうになり、すぐさま飛び退いた。

どうやら《濃霧》を切ったようで徐々に霧が消滅してゆく。

やはり腐ってもアインクラッド最凶と謳われたプレイヤーだ。

実はさっきの攻撃の時も顔面を殴った瞬間に凄まじい速度で首を動かしたようで衝撃を最低限にして吹き飛んでいたのだ。

それでも《英雄》の威力と《殺人鬼》の装備の薄さを考えれば十分なダメージ量になるのだが……。

霧が完全に晴れると眼を見開いた《殺人鬼》がそこにいた。

私の姿を見るのはもちろん必死に忘れた事を思い出しているのだろう。

 

――そんなモノ、見飽きたんだよ。

 

まだ鎖も《死刀》も残る故に盾を持つ左手を構えながら走り出す。

どうせまだ、実力も思い出せていないんだろう?

最初は普通のペースで、途中から圧倒席な速さで直線的に接近した。

舌打ちを打ちながら《殺人鬼》は私の両手のラッシュを捌いて往く。

因みに言っておくと攻撃している時は素手で短剣と対峙してもダメージは無い。

その光景にも彼は舌を巻いているし、まだ完全に意識が戻っているとは言い難い。

そう思っていたはずだったのに、《殺人鬼》はそれを良い形でひっくり返してくれたのだ。

私のラッシュは今までの戦闘経験の中で生み出された独自の形だ。

盾を付けながら殴っていることもあって有効範囲もバラバラ、更に一発一発も強力で早いと来た。

パターンもいくつかあるのだが、普段これほどまでに長く殴っていたことが無かったのでそれを何度も繰り返しながら適当に組み合わせていた。

なのに、《殺人鬼》は一回それを見ただけで記憶し、対策を練ってきた。

その所為でこちらは今左手を全て防御に回し、押され始めてきている。

これはマズイかなと思いながらも沸々と高揚感を感じていた。

引きたくない。

そう思った瞬間を見極められたのか、それともラッシュに彼だけが見極められる隙間があったのか。

いや、後者だろう。

身体を二、三度捻りながら拳の雨を掻い潜ってきたのだ。

眼の前で見ていたから良く解るが、あの速度であの動き方は普通の人間技じゃない。

急いで防御に徹したが、そこまで待ってくれる訳もなく二度胸を切り裂かれ、振り下ろした腕も回避され、ようやく至近距離での戦いが終わった。

HPゲージは今三割を削られたくらいで、一方《殺人鬼》は私より体力は削れているが誤差数ドットと言うところだろう。

すると、彼は鎖を消滅させ三本の短剣を左手の指で三本を握ると三つ全てに光を纏わせながら同時に全てを放った。

それぞれ投短剣スキルを発動させており、拳で弾き切るとそれを目暗ましに使うつもりだと思っていたのだが、それは違った。

《殺人鬼》は右手に握った一本の短剣を空中に投げてから強く握り締め、真正面から突っ込んできた。

これではまるで私の方が悪役ではないか。

そう思いながらも、唯一露出している口元は緩み切っていた。

 

Side =ジャック=

 

敵の名前も強さも思い出せなかったが、身体に残る高揚感と全解除されたリミッターの様子から戦いを続けていたが、攻撃には成功したのだが何か、鎖と複製した短剣を見て思った。

奴があの時叫んだ言葉。

何でこんな戦いをしてるのかもわからねぇが、この際オレもそう言う戦いをして見ても良いだろう。

鎖を解除し、短剣を投げ捨てるように同時に放つ。

因みにこれは《死刀》が持つ能力だ。

普通なら一本しか剣技は発動できないのだが、《死刀》で複製したモノのみ特別な使用となっている。

ま、片手で同時に三本の短剣を飛ばすなんて至難の業だからオレ以外の奴らがやってるとは聞いたことが無い。

さて、と短剣を空中に上げ、右手で掴むと強く握り締めた。

互いにその姿を眼に収め、同時に走り出した。

今回は向こう側の方から仕掛けさせた。

二メートル級の巨体が宙に浮く。

片足に砂埃を巻き上げながら身体を回転させ、右足で首元に向かって風を切りながら踵を落としてきた。

その攻撃を潜り抜けるが、奴は既に左足を上げた状態でそれを待ち構えていた。

再び放たれた踵に向かって左手を伸ばし足の裏を掴み、力を込めて奴の攻撃を完全に止めた。

そこからオレが右手の短剣を左足に伸ばすのと奴が左手に両手を振り被ったのはほぼ同時だった。

結局奴は左足に斬撃を負い、オレも左手首を殴られた。

空中で宙返りして着地した奴に向かって走り出し、振るわれた拳を今までの戦闘経験から得た情報のみを利用して短剣で身体ごと受け流した。

隙だらけの胴に《クア・ドルプレ》を打ち込み、ようやく剣技を決めることが出来た。

だが、これではまだ勝利判定は出ない。

それにいつまでも超至近距離で居るのは危険だった。

すぐに頭を下げて襲いかかってくる掌を避ける。

一瞬だけ奴の顔が見え、兜によって隠された双眸を捉えていた。

赤い残光を残しながら光り輝く瞳がこちらを見ている。

次の瞬間、放たれたのは二度目となる拳の雨だった。

それを見た時、オレは心の中で舌打ちを打った。

左、右と拳が放たれた瞬間に解った。

これは一回目の時に見破ったパターンのどれにも当てはまらない拳の軌道だ。

ということはこいつは適当に拳を放っているだけなのだが、既にその射程距離内で捕まってしまってはこの速度で放たれる二本の拳は適当に打ち込んでいた方がより厄介だ。

おまけに奴の手はでかい割に力の増大もシステムアシストによって行われている故に外見と同じ筋肉が備わっておらず、筋肉量や関節の動きから見極めるのは通用しない。

これほどまでに《異常》を追いつめる術は他には無い。

冴え渡る視界にはそんな奴の攻撃が非常にゆっくりと捉えることが出来ていた。

思考速度をそれこそ《異常》なほど早くしていることの恩恵だが、回避だけに専念しているのに抜け出すことが出来ない。

しっかりと回避の足運びに合わせて両手も出し入れしているし、今度は奴の方がオレに対応してきているのも解った。

後退するオレに向かってちゃんと前進してくるのも要因の一つ。

更に残りの体力から考えてこの両手を受け止めることはできそうにない。

だとすれば受け流すのが得策なのかもしれないが、そこは奴が完全に警戒してしまっている。

ならばオレが取る手段は一つ。

両腕を掴んで動きを停止させ、それから反撃を開始することだ。

しかし、両腕を掴む事すら体格差もあって困難だし、掴んだところで衝撃を抑え切れなければ投げ飛ばされて終わりだ。

何よりまだタイミングも掴めていないのだからもう三秒は欲しい所だ。

只管に五感と第六感的な何かと高速化する思考をフル稼働し拳を回避して往く。

 

――そして、時が来る。

 

タイミングは見極めた。

なのに、一向に掴む隙が見つからない。

(何故だ?)

その理由は、すぐに解った。

 

――こいつ、更に早くなってやがる!?

 

驚愕するしかなかった。

殴り方は全く変わっていないのに、ゆっくり見える世界だからこそすぐに気付くことが出来た。

つまり、オレが勝つにはその上がり幅も計算に入れなきゃならねぇってことだ。

いや、寧ろそれくらいしてくれねぇとこの勝負も付けられねぇってもんだ。

テメェが何者かは知らねぇが、この状態のオレと渡り合えてる時点で『普通』の中じゃあ最強だ。

 

――正直、敬意を表するぜ?

 

右手を掴み取った。

 

「あげゃ」

 

次は左手に手を伸ばす。

 

 

――だが……。

 

 

オレの右手が奴の左手首を捕える瞬間。

そのコンマ零点数秒だった。

手が左手首にかかる瞬間に更に加速したのだ。

それも、オレの許容速度を超えた速さでだ。

故に、オレの左手首に奴の盾が直撃した。

しかもその拳はオレの方に向かって来ていた。

今左手を右手から離す訳にはいかない。

だとすれば、なんとしてもこの攻撃は回避しなければならない訳だ。

何とか右手にはまだリッパー・ホッパーは握られたまま。

すぐに拳の大きさと傾けた身体の角度、拳の速さ、身体の大きさ、時間も含め全てを計算し続けた。

思考はどんどん加速するのに、答えはまだ出て来ない。

その間にも拳は数ミリだけ動き続けて居る。

 

――そして、計算が終了した。

 

 

「こりゃ、避けられねぇか……なぁ……」

 

 

Side out

 

《英雄》とは戦いの中で強くなる生き物だ。

だからこそ、彼は最後まで拳を振り続けることを止めなかった。

例え自分を失望させ、激昂させた《殺人鬼》が自分の片方の手を完全に停止させても、止められることが解っていても彼は戦うことを止めなかった。

その恩恵が強さだ。

絶対的な勝者の立ち位置に立って《英雄》は初めて気づくことが出来たのだ。

そして、自分の放った左腕が、ゆっくりと進む世界の中で傾く《殺人鬼》の身体を掠めた。

 

――当たったのだ。その一撃が。

 

それだけで十分だった。

《殺人鬼》の身体は衝撃を流し切れずに地面から浮き、無防備な姿を《英雄》の前に差し出していた。

動揺をしたのか右手も解放され自由になっていた彼は《殺人鬼》の腹部を狙って容赦なく右手の一撃を打ちこんだ。

しかし、《殺人鬼》とて諦めなどは無く、自らの右手で殴られた脇腹をしっかり守っていた。

かといって衝撃を吸収できる訳もなく吹き飛ばされ、空中で体勢を立て直し、地面に両足を突いて必死にブレーキをかける。

その執念が実を結んだのか、勝利判定はされず《殺人鬼》のHPは半分に行く僅か二ドット前で止まっていた。

まず一度顔面を殴られ、腹部を直撃されたことにも関わらず《殺人鬼》の意識が残っている事に観衆たちは驚くばかりだった。

当然殴った時点でその判定がされないことが解っていた《英雄》は全力で地面を蹴って《殺人鬼》に肉薄する。

拳を振るおうとした直前、《英雄》の前で俯いていた顔を上げながら《殺人鬼》が叫んだ。

 

「来いよ!!ロク()オウ()!!!!」

 

思わず《英雄》の顔が綻んだ。

彼が一番欲しかったのはその言葉だ。

自分の事を覚えていてくれる様な強さを持った者に覚えてもらえていたと言うこと。

《殺人鬼》は、《英雄》にとっての『英雄』だったのだ。

そんな彼に最後の恩恵が降りる。

 

【移行条件の達成を確認。《英雄》スキル《―――》解禁】

 

拳に雷の様な細い光が幾重にも迸る。

 

――そして、《英雄》も答えるように高らかに叫んだ。

 

 

 

「《六王拳》!!!!!!」

 

 

 

踏み込んだ衝撃か、それともスキルの効果か解らないが、闘技場の砂が舞い上がり雰囲気はさながら最終決戦だ。

《殺人鬼》はその雰囲気に真正面から打って出た。

剣技を発動して自慢の愛刀《リッパー・ホッパー》の切っ先を向かってくる《英雄》の拳に突き立てた。

刹那、衝撃波が二人を中心に放たれた。

砂を撒き散らして互いに拮抗する。

普段の《殺人鬼》なら態々《六王拳》などと叫んだ彼の攻撃を利用して確実な勝利を手にしたはずだ。

けれど、それをしなかったのは他でもない……。

彼が望んだからだ。

 

――たった数秒の世界に思いを馳せた。

 

もはや、今の彼を《異常》だと呼べるものは居ない。

その拮抗が崩れたのも一瞬の出来事だった。

拳の先で、《リッパー・ホッパー》が砕け散った。

それに目も暮れず、《殺人鬼》は得物の無くなった右手の拳を《英雄》の拳に打ちつけた。

再度拮抗が始まる。

勝利への執念。

今の二人にはそれだけしか残っていない。

だが、やはりこういうところに《殺人鬼》の《異常》性がある。

《英雄》の様に強化された人間で有り、更に唯一の剣技である《六王拳》を放ってもその力に対抗できる力を持っているのだ。

またしても数秒で決着がついた。

僅かに《殺人鬼》の拳が《英雄》の拳を押し返したかと思えば、それを無に帰すとでも言う様な巨大な力で《殺人鬼》を押し返し、体勢が崩れた《殺人鬼》の鳩尾にその拳が叩きこまれた。

鈍い音を立てながら地面を転がった《殺人鬼》は壁にぶつかることでようやくその身体を停止させた。

 

「負けた……か……」

 

最後の一撃を喰らおうともまだ意識の残る《殺人鬼》が天井を見ながら呟いた。

視線を落として右手を開くと、ここまで連れ添って来てくれた愛刀の残光が、別れを告げるようにして消えた。

《英雄》は元の姿に戻ると力を使い果たしたのか意識を手放し、その場に跪いて倒れた。

観客も黙り込んだまま、二人の間には《英雄》の勝利を示すウィンドウだけが表示されていた。

 

【WINNER/Rokuou】

 

==========




これの制作に三日かかりました。
はい、どーも竜尾です。
9454文字!ダントツで長い一話でした。
どうしても一話でまとめたくて四十九話にかなりの要素を詰め込む結果となっていたんです。

きっと《英雄》が出た時からかなり期待していたのではないでしょうか。最強対最凶を。
僕は期待してました。凄く書きたかったですし。
ただちょっと《初撃決着モード》が扱い辛かったです。

でもって戦闘描写には分かりやすくするために全力を注ぎましたが、二人とも人外の動きしかしていないのでそういう目で見てもらうと分かりやすいと思います…。

戦闘中に相手の記憶がなくなるほど恐ろしいものはありませんよね。
記憶が消えたのは姿が見えなくなったのとロクオウから意識を逸らした結果です。
戦闘をすれば記憶は消え無くなるんじゃないか?ということは戦闘中はまだその効果が適応されてないってことです。

こう、普段怒らないキャラを激昂させ、再び落ち着かせた状態で戦わせるのとか良いですね。

最後のぶつかり合いがこの話で一番書きたかったシーンです。
あえて三人称視点で書きましたが、本当に難産でしたね…。
ジャックも最後に自分から立ち向かっていったところとか、戦闘の中で思い出して名前を呼ぶところとか、最高です。
そしてそういう時に《英雄》を進化させる。
移行条件と書いていたのはすべて此処のためのフラグでしかないです。

みなさんは最初どちらが勝つと思いました?

【次回予告】

次回予告をするといったな、あれは嘘だ。


うわあああああああああああああああ!!!!!!


はい、すいません。
本当に忙しくて五十一話が執筆出来てません。
なのでこれを期に長くお休みを取ります。
といってもいつもの二倍ですけどね。

それにこの投稿ペースだと読者の方々も最初から読み始めた人は追い付くのが困難でしょうし。
ま、休みから戻ってきてもこの投稿ペースは変えません。


次は4/19ですね。
次回予告は書けませんがシンディアさん視点から始めることは決まってます。


次回をお楽しみに!それでは。
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