仮想世界に棚引く霧   作:海銅竜尾

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第四十四話 白と黒と黄金と

Side =シンディア=

 

三方向から来た攻撃を一回の跳躍で身体を捻って躱わす。

次ぐ九回の攻撃を盾と槍と身体を上手く使って回避しながら相手の懐に入っていたわたしはワールドに対して数回の反撃に成功していた。

仏像が飛び退いたところでHPゲージを一瞥するとそれもいよいよ五本目に差し掛かるところだった。

それを見た各プレイヤーが陣形を立て直しながらわたしの下へとくるのだが、ジャックの姿は予想よりも遠くの場所にあった。

少しだけに疑問に思いつつも十本の腕で何かの構えを取ったワールドの方へとすぐに意識を戻した。

全ての剣に赤い光が迸った。

今回奴が初めて見せた剣技に全員の意識が強まった。

一撃目をフェイクに、筋肉の動きから予測された奴の矛先へと思い切り踏み出した。

剣技とフェイクにたじろぎ、無防備になったプレイヤーを襲った武器の前に出る。

それでも止まらないワールドが次に狙った方向を予測して再び回り込むと凶刃を盾で弾き返した。

(下手にプレイヤーを集めたのは悪手だったね……)

この破壊力の癖にこんなに早く動くのには手を焼くが、守りきれない訳ではない。

次に握る力の強くなった腕を見て再び攻撃を予測。

握られた片手剣をまじまじと見つめながら、《LGL》の全性能を駆使して走り続けた。

片手剣を受け流そうと左腕を突き出した時だった。

 

――掲げられた左手の人差し指の中指が震えていたのだ。

 

それに気付いた時、これが敵の攻撃を受けたことによる何らかの異常であるとは思えなかった。

何か分からないモノを纏わせながら左腕を振るい続けた。

右へ左へ、時には頭上へ。

十六回目の攻撃を受けた時、震えが左手全体に広がった。

止めようとしても止まらない得体の知れないモノに兜の奥で顔をしかめながらワールドを追いかけ、今度は右腕でランスを振るい攻撃を反らし続けた。

だが、それも二回行っただけで薬指と小指が槍の動きに関係なく小刻みに揺れ始めた。

この時になってようやくわたしは意識を取り戻したかのように『異常』を懸念し始めた。

それをお構いなしに仏像は標的を定め、奔る。

わたしにはジャックの様な高速下での思考が出来る訳ではない。

代わりに、わたしが《異常》として決めることは一つ。

 

――思考即決っ!!

 

兎に角、わたしは目の前の事だけに集中していた。

この仏像野郎を殺すため。

それだけだったんだ……。

十九撃目を弾き、最後の一撃と言わんばかりに振り被った先にいるのはわたしだが、視界に映る力の方向は左。

予想通りギリギリ間に会う距離で反応出来た。

 

(大丈夫、わたしが守るから)

 

 

 

――何を?

 

 

 

声、聞こえた。

 

――今も震えは止まらないのにどうしてそんなことが言えるの?

 

『だって、わたしは守らなきゃいけないんだよ……』

 

――ずっと思ってたんだけどさ……。

 

 

――貴女は、どうして生きてるの?

 

 

言葉は凶器だと言うが、これはまさにそれだった。

身体を深く抉った刃物は返しを引っ掛けて抜こうとしても抜くことは出来なかった。

 

――だってそうでしょ?玲はわたしと、現実に残してしまったことの為に今を生きているの。

 

――でも、貴女にそんな理由は無いでしょ?つまりね……。

 

わたしに突き刺さったままの言葉が蠢き、姿を変えた。

 

――生きてる理由のない奴が、他の命を守るなんてとんだ矛盾だね。

 

『ま、守ることに理由が要るの……』

何とか絞り出した言葉に、凶器は嘲笑う様に動きを強めた。

 

――愚問だね。人間の行動には必ず明確な理由がある。そう決めたのは玲と出会う前からだったでしょ?

 

――玲がわたしに生きて欲しい。そう望んでるから生きてるとか、他人に決められた人生なんて有り得ないってそう言ったでしょ?

 

――どうしてそんなに『普通』に為り下がろうとするの?わたしたちは《異常》者でしょ?

 

わたしから抜け出た言葉達が遂に形を成した。

 

『わ……わたし……?』

 

――わたしたちが最も恐れるのは何だっけ?

 

『自己矛盾に決まt……』

 

――そうして自分から無理矢理引っぺがして矛盾する者として定着させたのがわたしなの。

 

――もう、遅いよ。

 

『どうして……なんで!?』

 

――わたしたちは、ずっと玲と一緒にいた。生きる意味と、夢を持つ玲を……。

 

『それの……何に関係があるっていうの!!』

 

――例え話をしようよ。嘗てわたし達が決めた法則によれば、わたし達は虚数単位なの。

 

――それがもう一つの虚数単位になろうとした時、わたしの存在が『普通』へと傾いちゃったんだ。

 

『わたしが……玲に?』

 

――それに気付けなかったのは、わたしだったからだよ。誰にも気づかれない程に感情を隠すのが上手だったんだ。

 

『……自分を、騙すまでに……』

 

――これで、貴女に与えられたわたしの役目はお終い。

 

『えっ……待ってよ、まだわたしは何も!』

 

――だって、そうしたのはわたしでしょ?

 

――それに、貴女が気付けないようにしただけ。

 

――いや、貴女じゃなくて、『わたしが』だったっけね。

 

わたしの身体をしたモノから言葉が螺旋を描くように消えて往く。

自分でも気づかないところに本心を隠してしまっていたんだ。

 

『生きる意味……。せめて玲に聞いておくべきだったかなぁ』

 

諦めた様に声を上げると、世界が暗転し、先程まで見ていた光景が蘇る。

左足の感覚は無い。

視界に広がった光景から瞬時に自分の置かれた状況を把握した。

けれど、理解した瞬間に解ってしまった。

わたしの体は既に《ディア・ピカーティ》を打つ体勢に入ってしまっている。

理に抗うことはわたしたちであろうと出来ないのだ。

目の前に浮かぶ十本の刃が酷くゆっくりと映った。

そう言えば、玲はどこにいるんだろうと目線だけを動かすと、そこに彼は居た。

無表情でこちらを見つめる彼の目の奥にはわたしに対する明らかな動揺が見られた。

だから、動き出せないんだろう。

あぁ、なんでこういう時だけ《異常》な奴として思考が働くのだろうか。

玲はきっとわたしを《異常》者だと思えなくなってしまったんだ。

故に動き出すことが出来なかった。

わたしに隠されれば自分には感情を理解することは出来ないと決めてしまっているから。

 

――懸命だよ、さすが玲だね。

 

これから起こることにわたしの意志は関与しない。

全て、決められた選択肢の上を走るだけだ。

十本の腕が振り下ろされるのと、黄金の槍が仏像の額に刺さるのはほぼ同時だった。

急速にHPゲージが減って往く中で、わたしはもう一度だけ玲の方を見た。

人間の『死』に価値は無い。

全くその通りだよ、価値なんて何もなかったんだ。

せめて、最後くらいは兜の奥を見れる玲だけに何かを送ってやろうか。

刹那。

急激な寒気がわたしを襲った。

 

――嫌だ。

 

掠れたそれが口元から外へ出て行こうとするのを、わたしは必死に抑えた。

 

――嫌だ。

 

玲に伝えたかったのはそんな事じゃないのに。

 

――嫌だ。

 

嫌だ。

 

 

 

 

 

 

――「死にたくn……」

 

 

 

 

 

 

その言葉が最後まで紡がれること無く、わたしの体は無数の硝子片へと姿を変え、四散した。

 

Side =ジャック=

 

――今、何が起こった?

 

シンディアの見せた《異常》らしからぬ行動にオレは動くことが出来なかった。

彼女の心の内を知ることは出来ないし、それに気付けたのは左足が切り落とされた時だ。

危機は目にはっきりと映っていたのに、固まった様にその足が動き出すことは無かった。

膨大な思考に時間を費やしても状況が変わることは無く、酷くゆっくりとした世界の中で白に十本の刃が突き刺されるのを見ていた。

そして、彼女の近くに浮かぶHPゲージが真っ赤に染まる。

それは、紛れもない彼女の『死』を表していたのだ。

これほどまでに、残酷で、呆気なく。

彼女の《異常》として生きた人生の価値が、全て無駄になって往く。

白はその命尽きる前にボクの方を見た。

ボクが最後に見た彼女の姿。

顔は安心しきった様に頬笑みを浮かべている。

なのに、それなのに……。

 

――双眸から、大量の涙が溢れ出していた。

 

「死にたくない」

 

酷く掠れた声の様な何かに気付けたのはボクだけだ。

それが、数年振りに垣間見た彼女の本当の心だった。

大きな音を立てて四散した彼女の残響と吹き飛ばされる黒光りする仏像。

 

「キリト!ジャック!時間を、時間をくれ!!」

 

瞬時に聞こえた男の声に全身の《殺意》を向けようとしていたオレを引きとめた。

その声の主から行動を察することは容易だ。

「おい、時間がねぇ!行くぞキリト!!」

近くにいた男の背中を強く叩いて走り出す。

あいつは現実に還すって決めたんだよ。

 

『動き出せなかったくせにか?』

 

その声は、目の前の仏像を《殺す》事だけに集中していたオレには届かなかった。

 

Side =シンディア=

 

死んだ人間が行く場所は一体どこだろう。

もしも死んだ場所が現実世界であったならばすぐさまどこかも知らぬ場所へと送られるのだろう。

けれど、この世界ではそう簡単に魂と言うモノは消えて往かない。

身体の感覚は有るのに目を開こうとしても景色は変わらないし、五感が潰れた訳ではなかった。

ただ、死ぬ直前はあれほどまでに『死』を恐れていたはずの心が何事もなかったように落ち着いていた事に疑問を抱いていた。

あの寒気も、斬撃を喰らった時の違和感も身体に染みついているのに、全く気にならないのは何故なのだろう。

そして、わたしは何時『死』を迎えることが出来るのだろう。

死んだ身体では受け入れるのは簡単だった。

ここには誰も居ないしわたしの生きていた事にもう意味は無い。

向こうに残っているのはただ動かなくなった肉の塊なのだから。

自分のことなのに、これほどまでに悲観出来るのは《異常》だからか。

いや、わたしでなくてもこの空間に放り投げられれば誰だってそうなってしまうだろう。

それから体感時間で数分が経過した。

流石に何も見えないこの状況のまま放置されると言うのは精神に来るモノがある。

そんな事を言っても自分は死んだのだから今更何が起きた所で意味は無い。

瞬間、今まで見ていた景色がひっくり変わる様に真っ白になった。

 

――右目に映る景色だけが。

 

逆に左目に映っているのは先程と同じ真っ暗な世界だ。

なんてことを思った刹那、足元に無数の手が出現した。

白い部分も黒い部分からもわたしの足を掴んで地面へと引きこんで往こうとする。

あまりに気味の悪い感覚に思わず下を向いてしまった。

その方向には無数の腕と白と黒に分断された地面があると思っていたのだが、そうではなかった。

地面は透明に透け通り、全ての腕は真下に数百メートルは伸びていた。

目に映った地面のさらに下にある壁には誰かも知らぬ顔が腕と同じく無数に配置され、わたしの方をじっと見ている。

その顔を見た時、わたしは生きていた頃の記憶を全て思い返した。

あの顔をわたしは全て知っている。

嘗ての先祖様達、幼少期に面識のあった子、デパートで一回だけ顔を合わせた店員まで。

既に死亡したわたしに関わりのある人間たちだった。

その彼らが、呼んでいるのだ。

人の死は、先駆者たちによって受け継がれるのだ。

それを見ていたわたしの感情はただ一つ。

 

――恐怖だ。

 

必死にもがこうとも振り払っても腕は何度でもしがみついてくる。

恐ろしかった。

そんなわたしを見ながら尚笑顔を浮かべている壁の顔達が。

叫び声を上げながら数十分は抗っただろう、突如足元の白黒が回転し始め、無数の腕を切り裂いた。

何が起こったのか理解出来なかったが、地面が浮かびあがったと思ったら、五感に刺激が渡った。

ゆっくりと目を開けると、そこに映っていたのは石造りの大部屋。

記憶にある。

わたしが死んだ場所だ。

そういえば、走馬灯はまだ見てなかったっけ。これがそうなのかな。

 

「シンディアさん!!」

 

シンディア、わたしのことだ。

でも、そんなに大きな声で呼ばれたことってあったっけ。

そう思った時、これが記憶にない光景だと理解した。

仰向けになっていた身体を起こすと視界が兜によって狭まれていた事もあり首を横に振りながら周りを見る。

 

――嘘だ、わたしは死んだはず……。

 

膝に手を突きながら立ち上がり、兜を外すと少しばかり歓声が上がった。

目の前にいたのは、確かクラインと言う名前のプレイヤーだったっけ。

「わたし……死んだはずじゃあ……」

そういうと、男ははっとして手をわたわたと動かしながら答えた。

「えっと、実はこの前のクリスマスイベントで手に入れたアイテムを……」

「それで、わたしが生き返ってってことなの……?」

男が頷くと、目に映るHPゲージに目を向けた。

そのゲージは死んだのが嘘かと言う様に緑に染まっていた。

それで、この男の言葉を信じざるを得なかった。

同時に、先程わたしが見た光景が嘘ではないと言うこともだ。

 

 

――あの、恐怖でしかない光景が。

 

 

全身から冷や汗が流れ出るような感覚がわたしを襲った。

この世界にはそういった概念は無いのだが、現実で感じたことのあるモノが再発したと言えばいいのか。

『死』が、怖くなったのだ。

何よりも、恐ろしく。

両足から力が抜け落ち、わたしの近くにいたプレイヤーたちが騒然とした。

慌ててクラインがわたしを支えようとするが、何とか手を突き出して彼を制止した。

今は、誰にも触れられたくなかった。

震える手で転移結晶を取り出すと、情けなく掠れた声で偽りの家のある場所を口にした。

 

「ごめん……なさい……転移、《ゴールド》」

 

視界を青い光が包み、転移した先で力の入らなくなった体は着地も出来ずに地面に叩きつけられた。

ここが過疎地域で本当に助かった。

足に力が入る様子は無く、ただただ重くなったからだを両腕で引きずって自分の家に辿り着いた。

「駄目だ……腕の力も、もう……」

そのまま、力尽きるようにわたしの意識は刈り取られた。

次に目が覚めた時、アルゴから第五十層を突破したというメッセージとわたしの事を心配する文が送られてきていた。

電気も点いていない部屋で一人、身体に力が入ると屍人の様に動きながらベットに飛び込んだ。

 

「死ぬのは、嫌だよ……」

 

その言葉が誰に届くでもなく、わたしは《殺人鬼》の咆哮に気付くこと無く、鍵を閉めた。

 

==========




はい、どーも竜尾です。
ようやくこのシーンが来ましたというところでしょうか。

全てはこのように動いたんです。
シンディアも、ジャックも、全て彼女が起こした自己矛盾に気付けなかった結果。
時間は忘却をうみます。
だから、本来気付ける筈だったシンディアの異常をジャックが気付けなかった。

でもって復活までの精神世界での出来事ですが、これが僕の持つ『死』に対する価値観ですかね。
『死』と言うものは自分の周りの人間の死が引き寄せるもの。
ということを考えていました。
だからこそ、殺意と言うものは殺した人数だけ強くなる。
そう言ったことを表現したかったんです。

まだもうちょっとだけ続きますかねワールド戦。

【次回予告】

――白を殺したこの世界をぶっ殺してやりゃいいんだよ。

「『嗤え』」

「人間の細胞の数は約三十七兆」

第五十一層から被弾ゼロ。

次回もお楽しみに!それでは。
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