本間雅晴中将、田島彦太郎中将は処刑される1時間ほど前、サンドイッチをつまみに冷えたビールを楽しく飲んでいた。その時一人の米軍大尉が本間中将に「あなたのような方がなぜバタアンの“死の行進”というような残酷なことをされたのですか」と質問した。以下は、本間中将がバターン死の行進についてどう考えていたかがわかる証言。同席した森田教誨師の著書『ロスバニオス刑場の流星群』より。
私は“死の行進”というような言葉は終戦まで全然しらなかったのです。それほど私はうかつだったのです。司令官としてね。バタアン、コレヒドールの貴国の俘虜をサンフェルナンドまで歩行させたことをあなた方は“死の行進”といっているのです。
当時の日本の軍隊は、はなはだ遺憾なことではありますが、じゅうぶんに貴国のように機械化されておらず、また日本歩兵の本質はあくまで歩行するということにあったのです。大陸の戦闘におきましても敵の施設を利用する以外はみな歩いていたのです。快速部隊というような勇ましい表現が新聞や雑誌等に用いられ、国民の血を沸かしていましたが、これも種を明かせば一時間五キロか六キロほどの速力で走っていたに過ぎません。全く原始的な快速部隊でありました。
当時、日本軍はバタアン・コレヒドール作戦で勝ったとはいうものの、辛うじて勝ったというに過ぎませんでした。あの戦闘があんなに長びいたのも全くお話にならなかったほど装備が劣悪であったからであります。
しかし、日本軍は何の不平も不満も抱くことなく、徒歩で炎天下をサンフェルナンドに向かって進撃いたしました。日本軍だって自動車が豊富にあれば乗りたかったでしょうし、また、乗せてもやりたかったのです。しかし、今申しましたとおりで、仕方がありませんでした。そこで日本の例にならい俘虜諸君にも歩いてもらいました。
起訴状によりますと、『米国兵一万五百名、比島兵七万四千八百名の俘虜全員は交通機関が利用できるにもかかわらず、バタアンからサンフェルナンドまで六十キロから百二十キロを強制的に行進させられた。これら米比人を烈日の照りつける中を行進させたことは“野蛮極まる拷問”である』といわれていますが、当らざること甚だしいのであります。
なるほど日ごろ歩きなれない俘虜諸君にとって、炎天下の行進は定めし苦しかったであろうということは、じゅうぶん察しがつくのでありますが、“野蛮極まる拷問”といわれたり、“バタアンの死の行進”といわれるほど大袈裟なものではなかったはずです。
私はこの裁判に対して、私の偏見かも知れませんが、貴国の裁判官は最後まで勝ち誇った勝利者の側に立って、何の斟酌も加えることなく裁かれたとしか受け取れません。私は裁判官たるものは、公正な裁判を行うためには、ある程度敗者の立場にも立って慎重に考えるべきであったと思います。
あなた方米国人は、その当時のわが軍の真状及びわが軍の慣習というものをよく知っておられず、あなた方の規範をそのままわが軍にあてはめて事を断じられたのであります。
当時わが軍は、糧秣、武器、弾薬、医療器具、薬品、救急車等におきまして、ほとんど絶望に近いまで欠乏いたしていました。
わが軍が勝利を得たとはいうものの、満身創痍の辛勝で、立ち直ることさえ危ぶまれていたくらいです。もし新手の敵の援軍が現れていたならば見るも哀れな惨状を呈したことでありましょう。
こんなことを申しますとお恥ずかしい次第ですが、その当時、わが軍自体にさえ食わせる糧秣はなく、負傷者を処置するいろいろな医療機械は不足し、患者に与える薬品にも事欠く不自由を忍んでいました。勝利者たるわが軍でさえまさに内部的崩壊の危機にさらされていたというそんな悲惨な時も時、わが軍門に降り、わが軍に保護を求めてきた八万五千の俘虜諸君をいったいどうすることができたでしょう。
私たちは乏しいながらも最善を尽しました。起訴状にあるように、故意に患者に対して衣服、食糧、薬品を与えず、餓死せしめたというようなことは曲解も甚だしいと言わざるを得ません。
さらに不幸なことには、当時のわが第十四方面軍におきましては、健康体のものわずかに全体の約一割に過ぎず、約五万の患者がいました。その大部分はマラリヤにおかされ、赤痢にかかっていました。その他のものは食糧――わけても主食の欠乏による脚気にかかっていました。健康体のものといえども、極度の栄養失調により物の役に立つものは数えるほどしかいませんでした。このような状態にあって俘虜諸君の要求に応ずるということは、極めて至難なことでありました。察して頂きたいと思います。
もちろん、私は降伏した米軍に何ら特別の措置は取らず、部下に一任していたことは事実です。部下が独断で刺殺、斬殺、掠奪したという事実は私には報告がなかったので終戦まで知らなかったのです。責任回避などしようと思いませんが、また常軌を逸した兵があったということを否定する理由はもっていませんが、千二百名の米人、一万六千名の比人が死亡、または行方不明になったということはどうしても信ずることはできません。
私が意識的に俘虜虐待をやったと思われていますけれども、決してそういう卑劣な行為はしていないのであります。それほど私は冷酷な、非人間的な男ではありません。俘虜の待遇を部下に一任し、一部兇暴な部下が俘虜諸君を侮辱し、殺害したことはもちろん私の責任であります。衷心よりお詫び申しあげます。
私が司令官として執りました態度は、わが軍の従来の慣習と貧困という事実に鑑み、わが軍と同様に取り扱ったのであります。もしわが軍に諸事万般充分な設備が整っていましたならば、こんな結果にはならなかったでしょう。決して故意にやったわけではないということを認識してください。昨年、私が逮捕令が出たとき、私は郷里佐渡に参っていまして、ラジオ放送を聞きませんでした。その翌朝、港で新潟県知事差し廻しの自動車の中ではじめて私の罪状を知って、私自身驚いたくらいです。“死の行進”なんて、いったい誰がつけたのでしょう。
非武装宣言後のマニラ攻撃も私の部下がやったのでなく、台湾を基地とする海軍機によってなされたものであり、その他一切のアトロシチー〔残虐行為〕は教養低い兵隊が自らの獣欲を満たさんがため遂行したものであったと思います。私はアトロシチーを承認もしなかったし、命令も下していません。そして、かかる行為を厳禁し、防止するあらゆる手段を講じていました。
わが軍隊の質が低下していたことは事実です。これらの事実は数千万言を費して謝罪いたしましてもお許しいただくことはできないと思います。
この大きな原因の一つは、私の不徳は申すまでもありませんが、軍の幕僚、高級将校が私を無視して、独断専行したからであります。
私の軍の首脳部は、私の意志によって決定されたものではなく、大本営が勝手に選んで付けたものでありました。私には自分の幕僚の任免権さえなかったのであります。私は上からも下からも信頼されない司令官でありました。私は早く申しますなれば、司令官のない軍団などというものはありませぬから、形を整えるだけのロボット司令官に過ぎませんでした。陸軍部内において軟弱なる親英米派としてたえず白眼視されていた私は、部下にさえ裏切られたのです。
彼らは私の命令に従わず、大本営の直接命令によって動いていたのであります。第十四方面軍司令部は東京にあったわけです。
己れの欲せざる戦争に、好ましからざる幕僚を率いて遠く外地の戦場に赴かねばならなかった私は、無念でありました。自分の意志によって戦うことが許されないというような哀れな司令官がかつてあったでしょうか。
指揮官としての徳において欠くるところあり、強大な権限さえも与えられずして、あの戦争をしなければならなかった私は、たしかに無為無能であったと非難を受けましても仕方がないのであります。
今や私は国際的正義の前に責任をとるのであります。ここです。ここで一言お聞きください。すべての国の軍隊は戦場に臨んで国際信義を重んじ、戦時国際法規を遵守し、慣習を尊重して、軍隊として、人間として最高の精神を発揚しなければならないということは厳然たる事実であります。われわれはこれを蹂躙したのでありますから、今更うんぬんする資格はないわけでありますが、今次大戦において各国ともこれを遵守していたでありましょうか。連合国とて神兵ではありませんから、若干の違反はあったのではないでしょうか。大きくても小さくても罪は罪、罪にかわりはないはず。
例えばソビエト軍が満洲や朝鮮に、あるいは千島列島に侵入した時、これらの地区において凌辱、強盗、掠奪、暴行、殺傷等が衆人環視の中で公然と行われたということを聞いていますが、これは虚偽の宣伝であるというならばまことに喜ぶべきことでありますが、もし真実であったなら、これはいったいどうなります。言い換えれば、これはいったいだれが裁くかというのです。日本の諺に“火のないところに煙は立たぬ”と申します。まんざら根も葉もないことを噂するはずはないと思います。
世界人の知識水準および良心の発現段階みな、一様の高さに達していますなら問題はありません。各人ともに差異のあるのは当然ですから、こういったことはありうると思います。国際法の権威を保持するためにはいかなる微罪といえ処断しなければなりませんが、これができているでしょうか。私は疑います。
もしできていなければ、一方的な処置といわなければなりませんし、国際刑法は勝利者のみが適用し得るということになりはしないでしょうか。恐らく貴国軍隊にあっても占領地域内においてかかる事例が若干あったはずです。
私は今あなたと議論しているのではありません。私に恨みを持ってくださっては困りますよ。ねぇ。私だけでなく、日本国民に対して恨みや復讐心を抱くことだけはご勘弁願いたい。もしそういったきざしが見えましたら、大きなわざわいとなるでしょう。
この地球上には隠れ家もないほど世界中の人から憎悪され蔑視されている日本人が、犯した罪におののきながら、味気ない生活をいたしています。何とぞ彼らに愛の手を差し伸べ対等の人間としてつきあってくださいますようお願いいたします。彼らに今最も必要なものは物質ですが、それと同じくらい必要なのは“愛”であります。日本人は今“愛”に飢えています。