穂雷神社 (北葛城郡広陵町安部)


大和国廣瀬郡
奈良県北葛城郡広陵町安部
(P無し、いつも社前の空スペースに停め置きしています)

■延喜式神名帳
穂雷命神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
天照皇大神



「高田川」西岸の丘陵地、広陵町「安部」に鎮座する社。かつての平田荘「安部村」(後に「大塚村」)

「安部村」については、「余戸(あまりど)」という村に満たない小さな集落があり、寺院建築のための職人、その材料を運ぶ人、仏像を作る仏師などたくさんの人が寝泊まりしていたようで、「余戸」が「安部(阿部)」という姓となり、地名になったのではないかとも言われています(広陵町企画総務部総合政策課より)

◎当社は「式内社 穂雷命神社」の比定社。ところが異説もあり、真相は不明といったところ。中古に古記録を失い、創建由緒等は不詳となっています。
◎社伝には廣瀬大社の相殿神、水穂雷命の御霊を天文二年(1534年)に勧請してきたとあります。つまり元社ということ。ということは「神名帳」が記された時代よりもずっと後のこと、比定は廣瀬大社の相殿にするべきであったことになります。
◎その相殿神について「廣瀬神社旧記」には水穂雷命は天明玉の分霊であり、「秘訣に云ふ」として坎火神(アナヒノカミ)であるとしています。天明玉は太玉命が率いる五神で、出雲玉造の祖神とされている神。なぜこの社で祀られているのか不明、あるいはごく抽象的な神名であるのかもしれません。「坎火神」についてはまったく不明、公にはできない秘められた神ということでしょうか。
◎「坎」とは「窪み」の意で、「八卦」に於いては「水」や「悩み」などの意味を持つとされます。「火神」でもあり「水神」でもあったのかもしれません。
◎「式内調査報告」は、雷神は火の神でもあり雨を降らせる水神でもあるとし、農耕社会の定着とともに「火」が「穂」に変わったとしています。当社については「火」が「穂」に変わる過渡期で、水神の大社である廣瀬大社のもとで火の神を祀るのは都合が悪いために水穂雷神として祀ったのではないかとしています。理にかなった説と言えましょうか。
◎「神名帳」とほぼ同時期に編まれた「三大実録」は、貞観七年(865年)に武雷神と保沼雷神に神階の授与があったと記しています。「神名帳」は一座であり、判断の悩むところ。
◎「大和志」は「式内社 穂雷命神社」を保沼雷社に宛ててはいるものの、「所在不詳」としています。
◎現在の三柱については不明。同じ廣瀬郡の於神社や天照皇大神社で、いずれも天照大神が祀られているのが気になるところ。手力男命栲幡千々姫命は内宮に倣ったと社頭案内にあるものの、何をどう倣ったのか不明。
◎富士浅間神社に伝わる「古屋家家譜」には「天雷命」という神が記されます。高皇産霊神━━安牟須比命━━香都知命━━天雷命━━天石門別安国玉主命となっています。
宝賀寿男氏(日本家系図学会会長・家系研究会会長)は、先ず高皇産霊神を排除するべきであるとしています。そして本来の始祖神を安牟須比命としていますが、次代の香都知命、次々代の天雷命も同神としています。そして天石門別安国玉主命は手力男命と同神であると。つまりこの五代は、安牟須比命(=香都知命・天雷命)━━天石門別安国玉主命(=手力男命)のわずか二代の系図に短縮されるとしています。
◎宝賀寿男氏の説を反映させると、「神名帳」に社名として記される「穂雷命」は、安牟須比命(=香都知命・天雷命)のことではないかと考えられます。つまり安牟須比命(=香都知命・天雷命)が本来のご祭神であろうかと。
そして天石門別安国玉主命(=手力男命)はその子神。「内宮に倣った…」ではなく、親子関係から祀られることになったのではないかとも考えられます。

*写真は2018年11月、2020年12月、2024年9月撮影のものとが混在しています。


一の鳥居。この突き当たりに当社が鎮座します。

車はいつもこのようにして停めています。




以下境内社





境内の南側、道を隔てたところにあるもの。磐座跡にしては中途半端。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。



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