2011 東日本大震災時に @TKHDKTGW こと北川貴英が拡散したデマの検証
1. 拡散されたデマの具体的内容と変遷
2011年3月の東日本大震災当時、Twitterアカウント「@TKHDKTGW」を名乗っていた人物(北川貴英氏)が、震災に関連する**根拠のない情報(デマ)**をツイートし拡散させたとされています。北川氏は震災支援団体「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の副代表を務めていたボランティア活動家であり、ロシア武術システマの公認インストラクターでもありました。震災直後は現地で支援活動の様子を頻繁に発信していた人物としても知られています。
デマとして拡散された具体的ツイート
当時、北川氏のアカウントからは以下のような内容が投稿され、多くのユーザーによってリツイートされました。問題視されている該当ツイートは次のとおりです。
「http://tinyurl.com/3aul998
南三陸で最後まで住民に避難を呼びかけた女性。
彼女を含む職員のほとんどが屋上に退避しようとしたが
先に屋上に逃げた町長に『仕事に戻れ』と追い返された。
それで職員が壊滅し町長が生き残る結果に」
この投稿が示唆する「町長が先に屋上へ逃げて、避難を呼びかけ続けていた女性たちを追い返した結果、女性職員が犠牲になり町長だけが生還した」という話は、公式情報や報道記録などでは確認されていないものであり、「根拠不明の風説」ないし「事実を著しく誤解した情報」として問題視されるに至りました。
変遷と追加のデマ
北川氏は他にも震災時の混乱に乗じた未確認情報を「知人の斉藤から聞いた」などと称して拡散していたともされます。フォロワーから疑問や批判が寄せられると、一部ツイートの追加説明や訂正を書き加えるなどの動きもありましたが、根本的な訂正には至らないまま拡散が進みました。
震災直後の混乱期、TwitterやSNSでは似たようなデマや誤情報が伝言ゲーム的に変質して広がるケースが多発していたことが報告されています。北川氏の件も、個人の投稿が瞬く間にリツイートされ拡散される一例でした。
2. 拡散時期と投稿削除・アカウント削除までの時系列
デマが発信された時期
問題のツイートは、東日本大震災発生直後の2011年3月中旬頃に投稿されたとみられます。大震災から数日間のTwitter上は、被災地情報を少しでも早く伝えようとする投稿が急増し、同時にデマも出回りやすい状況にありました。北川氏によるツイートも、そうした「善意の拡散」として一気に広まり、2011年3月下旬頃には多方面から疑問視されて炎上に発展します。
炎上と投稿削除
該当ツイートの内容が根拠のない情報だと判明し始めると、北川氏のもとには「事実かどうか確認したのか?」などの批判や訂正要求が殺到しました。これによりTwitter上で大きな炎上が起こり、北川氏は十分な説明や謝罪をすることなく問題のツイートを削除します。当時、震災絡みのデマの多くは公式否定や周囲からの指摘によって削除されるケースが多かったため、この件も同様に批判の拡大を抑えるため早期に投稿を取り下げたと考えられます。
アカウント削除への流れ
ツイートを削除しても事態は収まらず、拡散済みの情報や北川氏への不信感は残ったままでした。その結果、北川氏は**@TKHDKTGWアカウント自体を閉鎖(削除)**するに至ります。具体的な時期は不明ですが、2011年中にはアカウントが消滅していたとの指摘があります。例えば2011年10月時点で2ちゃんねる上には「@TKHDKTGWは既にアカウントを削除して逃げた」といった書き込みが残されており、北川氏本人が炎上の収束を図った末にSNSから姿を消したと推測されます。
時系列のまとめ
• 2011年3月中旬(震災直後): @TKHDKTGWが震災関連の根拠不明な情報をツイートし、短期間で多数リツイートされる。
• ツイート直後〜数日以内: フォロワーや他ユーザーから情報の真偽を問う声が相次ぎ、批判が増大。炎上状態へ。
• 炎上後: 北川氏が問題のツイートを削除。謝罪や正式な説明はなし。
• 2011年内(推定): アカウントごと削除し、SNSから姿を消す。以後、当該ツイートは閲覧不可に。
3. 2ちゃんねる上のスレッド・ログに残る反応と記録
当時のインターネット掲示板「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」でも、北川氏による震災関連デマ拡散の話題が取り上げられていました。特に北川氏が公認インストラクターを務めていたロシア武術システマ絡みの話題が集まりやすい「軍隊格闘術板」「武道・武芸板」などで、次のような反応や記録が残っています。
• **「Twitterのアカウントは@TKHDKTGW」**と名指しで特定され、震災時にデマを流した人物だと批判される。
• **「斉藤という謎の人物の話ばかり引用している」**など、情報源が不明瞭(もしくは架空)である点を疑問視する書き込み。
• **「立場が悪くなると説明も釈明も放棄して逃げ出す人」**との辛辣なコメントも多数。
こうした過去ログは、インターネット有志によるログ保存サイトやまとめサイトに断片的に残されています。後年(2020年代)になってから「2ちゃんねる過去ログにこうした記述があった」と指摘するSNS投稿もあり、その内容が再確認されました。
4. デマ拡散に関する批判的検証
本事例を批判的に検証すると、以下の点が問題視されます。
(a) 故意性の有無
北川氏がツイートしたデマに悪意や故意があったかどうかは議論があります。後述するように、本人は2025年になってから「デマをばら撒いた記憶はない」と述べており、意図的な虚偽発信を否定しています。ただし、仮に善意のつもりであっても、根拠不明の情報を断定的に発信し人々を混乱させた結果については、情報発信者としての責任を免れません。
(b) 情報源の曖昧さ
北川氏のツイートは、今回引用した「南三陸町の女性職員と町長に関する風説」だけでなく、「斉藤さん」と称する不明人物から伝え聞いた話をベースにした投稿もあり、全体として出所が曖昧でした。公的機関や報道ソースで裏付けを取った情報ではなかったため、「なぜそんな怪しい話を軽々しく拡散したのか」というリテラシー不足への批判が強くあります。
(c) 影響範囲
北川氏は震災直後、支援プロジェクト副代表やインストラクターという肩書きである程度のフォロワーを抱えていたと思われます。そのためデマツイートも相当数拡散され、「東日本大震災のときにフェイクニュースを流して炎上した人」として後年まで語り継がれる結果になりました。公的機関が早期にデマ否定情報を出したことや、北川氏自身が投稿を消去したため、社会全体を混乱させるほどの甚大な影響には至らなかったものの、被災地支援の現場や支援者の間には不要な混乱や不安を与えたとみられます。
(d) 震災当時の状況要因
東日本大震災直後は誰もが大きな不安のなかで断片的な情報に飛びつきやすく、Twitterも通常の数倍以上の投稿量であふれていました。デマの発生・拡散には格好の土壌があったともいえます。北川氏の事例も、「混乱の中で善意が空回りし、誤報をそのまま拡散してしまった」可能性は否定できません。ただし、緊急時だからこそ誤情報の拡散は深刻な影響を及ぼす恐れがあり、「善意だった」としても責任が消えるわけではありません。
(e) その後の対応
北川氏の対応は、「デマ拡散後に訂正や謝罪をせず、説明責任を放棄してアカウントを削除した」という点で非常に批判が強いです。多くのデマ拡散者が後に誤りに気づいて訂正ツイートを出すなか、北川氏はそうした措置を取らずに姿を消しました。そのためネット上では「結局、批判から逃げただけ」という評価が定着し、被災地支援に関わった人物としての信頼を大きく損なう結果になっています。
5. 現在の状況(@systemaTYOへの再出発と謝罪の有無)
アカウント再出発
北川氏は「@TKHDKTGW」削除後、**「@systemaTYO」(システマ東京)という新アカウントを運用し、現在ではシステマインストラクター・著述家として活動を続けています。震災直後のボランティア活動からは一歩引き、武術やメンタルヘルス関連の情報発信がメインとなっています。いわば“看板掛け替え”**による再出発であり、震災時のデマ拡散については長らく触れられることがありませんでした。
謝罪や説明の有無
北川氏は、一度も公式に謝罪や釈明をしていません。問題のデマ投稿後にアカウントを削除したきり沈黙し、新アカウントで再登場してからも当該問題に言及することはありませんでした。
しかし2025年になって別のシステマ関連トラブルから北川氏が批判される際、「過去に震災時のデマで炎上・垢消しした人物」という点が再び取り沙汰され、本人が2025年3月11日に下記のようなコメントを残しました。
「はあ。デマをばら撒いた記憶はありませんが。」
これは“デマ発信”そのものを否定する趣旨の発言で、むしろ謝罪どころか過去の行為を認めない姿勢と解釈されました。このため「当時のログが残っているのに『記憶にない』で済ますのか」と再び炎上し、震災当時から抱いていた人々の不信感を大きく再燃させる結果となっています。
現在の評価
こうした経緯から、北川氏は武術界隈では知名度を一定保ちながらも、「震災時のSNSデマ拡散者」という負のイメージが尾を引いています。被災者感情や支援活動コミュニティへの配慮なしにデマを流し、批判が高まるとSNSを“逃亡”してしまった事実が、ネット上ではいまなお厳しく糾弾されているのです。
結果として、北川氏のケースは**「災害時の誤情報拡散がいかに重大な問題を引き起こすか」「間違った情報を流した後にきちんと訂正・謝罪をしない危険性」**を示す典型例の一つとして、14年を経た今でも語り継がれるに至っています。
参考資料
• 北川貴英氏のTwitCastingプロフィール(震災当時の肩書き)
• 当該ツイートに対する当時の指摘(「南三陸町の女性職員と町長の件はデマではないか?」)
• 2ちゃんねる過去ログの記述(「立場が悪くなると説明も釈明も放棄して逃げ出す人」という批判)
• 北川氏本人の2025年発言(「デマをばら撒いた記憶はありません」)
これらの情報を総合すると、北川氏(@TKHDKTGW)が震災直後に投稿した「南三陸町の女性職員と町長」に関する情報は正式な裏付けのない噂話であり、当時激しい批判を浴びたデマとみなされています。それにもかかわらず、氏自身が訂正や謝罪を行わずにアカウントを削除・事実上逃亡し、のちに別名義で活動を再開したため、長年にわたって「震災デマ拡散者」という汚名が消えていない状況です。震災当時の混乱期であったとはいえ、災害時のSNS利用における大きな教訓として現在まで語り継がれるべき事例だと言えるでしょう。


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