なにもないけど全部ある。
愛知在住の女性T様から「北海道の◯◯市が私の生まれ故郷です。実家は既にありません。うちの母も生きていると思いますが(多分)、行方不明なんです。私の産土神社に『Tは元気です』と報告に行ってもらえないでしょうか。かれこれ五年前にご挨拶に行ったきり行けてなくて」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。私の元気を伝えると共に、行方不明の母が楽しくあちらに行けるようにお伝えお願いします。今87歳なので、そろそろお迎え来ると思います。ずっと愛されてる事を求めてる人でした。最後くらいは楽しい気持ちであちらに行って欲しいと思います。
長所なのか短所なのかわからないが、私は、人間の生死を軽く扱う。このような依頼も「一緒にディズニーランドに行きましょう」という誘いと同質のものとして受ける。誤解を恐れずに言えば、面白そうと思ってしまう。不真面目な気持ちでやるのではなく、誰かの代わりに御神事的なことを行なった時に、自分はどのような気持ちになるのだろうかと興味を抱く。だから、このような機会をくださったT様には、とても感謝をしている。
時間的な関係で、最初は夕方に到着する予定だった。だが、よくよく考えたら「朝の方がいいな」となり、道南のホテルに一泊して、翌日の早朝に神社に向かうことにした。このような機会がなければ訪れることもなかった場所には、素晴らしい温泉がたくさんあった。自分で行くと決めた場所ではなく、誰かに呼ばれて行った場所には、自分の想像を超えた出会いがある。天気は雨。道南の海沿いは、私の生まれ故郷である新潟と雰囲気が似ていた。故郷には何もない。何もないけれど、自分はここで生まれたのだというルーツがある。
朝の六時に神社に着いた。車を降りる前に、五分間だけ深呼吸をした。自分がこれからやることを明確にするためではなく、自分自身をからっぽにするために、息を整えた。雨が降る中、境内に向かい、社殿と向き合った。手を合わせて、報告を頼まれていた内容を頭の中で思い浮かべた。Tは元気です。Tのお母さんも、楽しい気持ちであちらに行けるようにお守りください。そのようなことを念じた時、不思議なことが起きた。T様とT様のお母さんがぐわっと私の中に入ってきて、境界線がなくなった。私がT様になり、私がT様のお母さんになり、T様や、T様のお母さんの幸せを祈ることが、自分の幸せを祈ることになった。
報告を終え、T様に「言葉にすると陳腐になりますが、きっといい日々になると思います。私も、T様も、T様のお母さんも」と連絡をした。T様から返信が届いた。そこには「坂爪さんにお詣り頂いたので、故郷との絆がまた強くなった感じがします。もう実家もないし、親戚もいないけど、やはり生まれ故郷は別格な感じがします。今度は自分の足で訪れます」と書かれてあった。故郷には何もない。何もないけれど、全部ある。私にとって、北海道と沖縄は特別な場所だ。どちらも悲しい。悲しいから優しい。これから東京に行く。
おはようございます!
坂爪さんのnote読んで、なぜか涙溢れました。
本当にありがとうございます❣️
涙溢れるままに味わってみた所、自分の魂が全てと一つだった頃に戻ったような感覚がしました。
私も、そして愛を求めてヒステリックにわめきちらしていた母もまた私なんだなぁと。
そしてお詣りしてくれた坂爪さんも「わたし」だったと。
「わたし」が色んな形で発露して、色んな体験して、色々と演じて、そしてそれまた有であり無であるような。
そして「わたし」であって「わたし」すら、それは創造主の色んな表れの発露に過ぎないような。
まぁ、これまた文章にすると陳腐な感じしますが!笑
とにかくありがとうございました!
なんだか一皮剥けたような感覚を覚えました🩷
おおまかな予定
4月17日(木)東京都中央区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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