小堤英統
2012年11月6日、神奈川県逗子市で極めて悪質ながした。犯人の小堤英統(40)は、元交際の女性に対し、度重なる悪質なストーカー行為の果てに女性を殺害、そして自身も自殺した。この事件では、ストーカー被害が把握されていたにも関わらず、事件を防止できなかったことや、警察や行政による被害者の個人情報漏洩が問題視された。また、この事件を受けて「ストーカー規制法の不備」が指摘され、同法の改正につながった。
2004年、柴田梨絵さん(25)さんは、世田谷区のバトミントン教室で小堤英統(32)と知り合い、ふたりは交際を始めた。当時、小堤は都内の私立女子高で社会科の非常勤教師をしていたが、「バトミントン部の手伝いもする生徒に慕われる人気者」だった。交際は2年ほど続き、一時期は結婚の約束もしていたが、2006年に梨絵さんから別れを切り出し、ふたりの関係は終わった。それから2年後の2008年夏、梨絵さんは別の男性と結婚し、逗子市に転居した。
彼女は新婚生活の幸せな様子をfacebookに投稿していた。これを見た小堤は梨絵さんが結婚したことを知る。小堤のなかで、異常な嫉妬心が渦巻きだした。2010年4月頃、梨絵さんに小堤から嫌がらせメールが届くようになった。内容は「お前だけ幸せになるのは許さない」などの恨み言だった。2010年12月頃、梨絵さんは逗子警察署に嫌がらせメールの相談をした。逗子署はこの時、小堤に対して家族を通じて注意。これにより、小堤の嫌がらせメールは止まった。
この頃、小堤は鬱病を発症している。彼はある山岳地帯で自殺未遂を起こし、ヘリコプターで救助される騒動を起こしている。その後、小堤は精神病院に入院した。嫌がらせメールも来なくなり、梨絵さんがすっかり安心していた矢先のことだった。2011年4月頃から、再びメールが届くようになったのだ。しかも内容は嫌がらせを超えて脅迫だった。「刺し殺す」などの脅迫メールが、1日に80~100通も送りつけられるようになった。梨絵さんは再び逗子署に相談した。
三好(旧姓柴田)梨絵さん
これを受けて逗子署は2011年6月、小堤を脅迫の容疑で逮捕。小堤は起訴され、2011年9月に懲役1年(執行3年)の有罪判決が言い渡された。しかし、この逮捕劇で警察は致命的なミスを犯している。警察は小堤を逮捕する際、梨絵さんの住所の一部「逗子市小坪6丁目」を2度も読み上げだ。ミスにより、ストーカー加害者に一番知られてはいけない「被害者の住所」の大半を教えてしまうこととなった。小堤は読み上げられた住所を覚えてしまっていた。
有罪判決を受けても、小堤のストーカー行為は止むことはなかった。彼はインターネットのYahoo!知恵袋などを使って、執拗に梨絵さんの情報を調査し続けた。小堤は、Yahoo!知恵袋で複数のアカウントを使用し、約400件にもわたって、梨絵さんの居場所を探る質問、刑法などの法律解釈に関する質問、パソコン・携帯電話の発信による個人情報収集に関する質問、凶器に関する質問などのような質問をしていた。これらは梨絵さん殺害のための準備とみられている。
また、2012年3月~4月にかけての、わずか20日間に小堤は「精神的慰謝料を払え、婚約不履行だ」という内容の嫌がらせメールを計1089通も送っている。だが、当時の「ストーカー規制法」には電子メールに関する規定がなかったため、警察は動けなかった。また、嫌がらせメールの内容は「婚約不履行」や「慰謝料を支払え」というもので、脅迫に該当するかどうかは微妙だったのだ。小堤は過去に逮捕された経験から、警察が手を出せない方法を見つけていた。
そのため、警察が逮捕などに動けなかった。ただ、逗子署は度重なる梨絵さんからの相談を受け、自宅周辺を約半年の間に計146回パトロールし、近所の防犯カメラを増やすなどして警戒を強めていた。その後、なぜか再びメールは来なくなった。2012年7月25日、逗子署が梨絵さんに状況確認の電話をした際は「(小堤からの)メールは来ていないので大丈夫です」と答えている。嫌がらせが収まっていたこともあり、梨絵さんは借りていた防犯カメラを返却した。
だが、小堤は諦めたのではなかった。別の手段で ”梨絵さんの住所” を探ろうとしていたのだ。それは「探偵事務所を使って、梨絵さんの居場所を突き止める」という方法だった。そして2012年11月5日、小堤はついに梨絵さんの正確な住所を手に入れてしまう。探偵は違法な手段を使って、市役所から梨絵さんの個人情報を入手していた。(この探偵はのちに逮捕され、有罪となっている)事件は、この翌日の11月6日に起こった。この日は小堤の40歳の誕生日だった。
住所を手に入れた小堤は梨絵さん宅を訪れ、無施錠の1階窓から侵入し、自宅にいた梨絵さんを刺殺した。梨絵さんの遺体には刺し傷が複数あったが、直接の死因は首を刺された事による失血死、死亡推定時刻は午後2時頃だった。事件直前の付近のコンビニの防犯カメラに「段ボール箱を持って買い物をする小堤」が映っている。梨絵さん宅の玄関にその段ボール箱が放置されていたことから、小堤は宅配業者を装って梨絵さん宅に近づいたものと推定される。
小堤は梨絵さんを殺害した直後に、梨絵さん宅の出窓に紐をくくりつけて首を吊って自殺したと見られる。午後3時10分頃、通行人が死んでいる小堤を発見し、事件が発覚した。同年12月28日、事件は被疑者死亡として不起訴処分となった。なお、本事件では、被害者が異常な数の「脅迫・嫌がらせメール」を受けたが、改正前の規制法では取り締まることができなかったが、法律改正で「電子メールの連続送信」は、つきまとい行為と認められるようになっている。
最後に小堤の生い立ちに少し触れると、1973年11月6日生まれ、東京都世田谷区等々力に母親と住んでいた。2004年にバトミントン教室で梨絵さんと知り合い交際を開始。当時は都内の私立女子高で社会科の非常勤教師をし、職場では評判も良く、人気もあった。婚約もして順調に見えたふたりだったが、梨絵さんから別れを切り出し、ふたりは別れることになる。小堤は梨絵さんに振られたことでうつ病を発症し、自殺未遂をしたあと精神病院に入院している。