絶望とはまさにこのことを言うのだろう。
俺は今、どうしようもなく絶望している。
この街───見覚えがある。
この二足歩行の動物たち───見覚えがある。
この可愛らしくデコレーションされた銃器───見覚えがある。
キヴォトスとかいう学園都市───見覚えしかない。
どうやら俺は【ブルーアーカイブ】の世界に転生してしまったらしい。
そう、『透き通るような世界観』でお馴染みの変態紳士な先生たちが送る青春学園RPGゲームだな。
本来なら見ているだけで目の保養になるような美少女たちがいる世界に転生して『ヒャッホー!!』と叫びたいものだが、生憎今の俺にそんな気力はない。
【ブルーアーカイブ】をプレイした人ならば理解出来るのではないだろうか。この世界は、そんな単純な場所ではないということを。
この世界を遊び尽くし、またこの作品の1ファンである俺が言うが、この世界はイカれてる。
まず、女子生徒が普通に銃を発砲している。
毎日必ず何処かで銃撃戦が行われている。絶対、必ずだ。銃撃戦なんて毎日入るシャワーと同じぐらい当たり前の事柄なのではないだろうか。
次に碌な大人がいない。
俺がプレイした限り、この世界の主人公である
最後にこの世界はバッドエンドルートが多すぎる。
さらに、これは個人的な話だが、
この世界では基本的に先生と学園に通う女子学生以外で人型は存在していない。大体は動物かロボットで、中には顔面ひび割れスーツマンや
以上、4点を踏まえて俺の感想を述べさせてもらうなら………これはもう『詰んだ』、この一言に尽きる。
いや、だってさ。
マジで何でこの世界に来たんだよ、俺。ただ普通に生きていただけなのに、もう余命宣告(仮)を喰らった気分なんだが?しかも男だし。異端分子で不穏分子すぎるって。
神様、俺が何したって言うんですか……?こんなの、こんなのってないよ……。あァァァんまりだァァアァ……!!
「はぁ、死のうかな」
もう何だかどうでも良くなってきた。所謂、自暴自棄というやつだ。
今死ぬか、もしくは未来に高確率で起こり得る滅亡の日まで黙って待つか。ただしプレ先の世界線だったら100で死ぬ。……やっぱ『詰んでる』なぁ。
もしかしたら、ここで死ねばあっちの世界に戻れるかも───なんて、それは甘い見積もりだな。
はぁ、一体どうしたら───
「はっ!?いや待て、その手があったか!」
たった今、天啓を得るかの如く頭に名案が駆け巡った。
それは過去に漁っていた二次創作の
そして、その過程で発生した曇らせには随分と興奮させられたものだ。あの小説たちのせいで、俺の性癖は曲がったと言っても過言ではない。
感謝してもし足りないさ。彼らのおかげで、俺は重度の曇らせスキーの畜生へと成り下がったのだから。
ここまで言えば分かっただろ?俺がしたいこと、そしてすべきことが。
今すぐに死ぬなんて、そんな勿体無いことはしない。どうせ今死ぬ命なら、この世界で生きる子どもたちの未来の為に賭そう。
そして、俺はみんなの前で盛大に死ぬんだ。キヴォトスのために尽力し続け、そしてとうとう今際の際で見る彼女たちの顔を眺めながらあの世に行く───なんて素晴らしい提案なのか。
俺は
なら、この世界で俺の命なんてゴミ屑以下の価値だろう。そんなゴミ屑塵芥な命で彼女たちのより良い未来と、かつ俺の秘めたる性癖を満たせるのならむしろ十両のお釣りが来るくらいだ。
この作品の1ファンとして、そして何よりこの世界で生きる生徒たちが大好きな人間として、たとえプレ先世界であろうと少しでも未来が良くなれるように───
あと彼女たちの前で盛大に死んで曇らせられるように───
「やったろうぜ、俺」
よし、やろう!頑張ろう!
───後に彼は痛感するだろう。彼が簡単に投げ出そうとしている命は、周囲にとってどれほど大きな意味を持つのかを。
───やがて彼は思い知るだろう。もう自身の運命は、様々な縁と絡み合って既に解ける状態ではなくなっていることに。
◆
「────はっ!?やばっ、ちょっと寝てた……?」
急激な腕の痺れを認識して強制的に意識を引き起こされた。どうやら腕を枕にして眠ってしまっていたらしい。腕に赤い線が出来ていることがその証拠だ。
少し垂れていた涎を乱雑に拭き、手元に置いてあった端末の時刻を確認する。
……ふむ、午前6時00分。大体1時間ぐらい寝てたなこりゃ。
「オイオイ、マジか。勘弁してくれよ」
いまだにボヤける視界を醒ますべく顔を解す。
いや、ほんと参ったな。昨日の仕事がまだ残ってるってのに……
さてこの書類の山との再戦を始めますか───そう意気込んでペンを持つ。そのとき、視界の端に【連邦生徒会副会長 明日見トワ】という肩書きが記されたプレートが目に入ってしまう。
「…………何で俺が副会長なんかに……」
思わずため息が出る。
本来ならこんな大それた立ち地位に就こうとは思ってもすらいなかった。ただ連邦生徒会に所属すれば何かと融通は効きやすそうだと思って門を叩いただけだ。
なのにどうしてこんな重責を……おかげで行動が制限されて死に難くなったじゃないか。いや、今更悔いても仕方ないな。
「…………それに、結局まだ生きてるし」
本来ならここまで長く生きている予定はなかった。
まぁ、結局死にかけるだけでゾンビみたいに生き返ってきたんですけどね!はぁ、病室で目が醒めた時の落胆は如何程のものだったか、とても想像なんて出来やしないだろう。
だけどみんなの曇り顔見たらどうでも良くなっちゃうからチョロい男だよな〜。いや〜、あの時のみんなの表情は筆舌に尽くし難いほど美しかったな〜。あの日ほど“生”を感じた瞬間はなかったね。
そんなこんなで昨日の書類を全部終わらせ、凝り固まった筋肉を解すように背中を伸ばしていると、あることをふと思い出した。
「遺書は……もう全員分書いたよな」
厳重に保管されている引き出しを開ける。そこには何百通と丹精を込めて作り上げた紙の束が。
これらは俺がいつ死んでも大丈夫なように、彼女たちに伝えるべきことを綴った文字の羅列たちだ。俺なりの彼女たちに対するラブレターだと思ってもらって構わない。
ふふっ、あの時はどんな表情をしてくれるか考えてワクワクしながら遺書を綴ったもんだ。まぁ、今のところお役目は来ていないが。なんせ俺がまだ生きているしな。
───コンコンコン
規則正しく、規律のあるノック音が3回鳴る。
こんな朝早くに誰だろうか───そんな内心を抱きながら、机の引き出しを戻して『どうぞ』と一声掛けると、扉の奥から出てきたのは随分と見慣れた同級生の姿だった。
「……七神行政官」
「おはようございます、明日見副会長」
彼女の名は七神リン。謹厳実直、堅忍質直を地で行く女性だ。
相変わらず名前の通り凛とした人だと常々思う。今もその生真面目さを象徴したメガネをクイっと上げる仕草は、もはや学生などではなくバリバリ働くOLの風貌だ。
嘘みたいだろ?あれでも俺と同い年の17なんだぜ?
「あぁ、おはよう。どうした?こんな朝早くに」
「いえ、昨日の決算の書類を受け取りに来ました」
おっと、俺としたことがすっかり書類のことを忘れていたようだ。
まぁ、既に終わらせているので問題はないけど。
「昨日の書類ね。
「………
あっ、やべ。地雷踏んだ。
もう何年の付き合いだからよく分かる。あの薄く笑っているけど全く笑っていない瞳……あれは結構キレてる。
「明日見副会長、昨日は何時間ほど睡眠を取られましたか?」
「…………4時間ぐらい」
「副会長、本当のことを仰って下さい」
「……………」
「───
「…………多分1時間ぐらいだな」
よっわ。俺よっわ。そんなんだから碌に死ねてねぇんだよ、このボケナスが!
「………はぁ、分かりました」
おぉ、今日は妙に物分かりがいい。いつもならちょっとした口論に発展するんだけど……
つーか、みんな曇りすぎよ。たかが10連徹しただけで顔真っ青になって寝かし付けてくるんだもん。大袈裟だって、今まで何回死にかけて復帰してきたと思ってます?
まぁ、その分自動的に曇らせを摂取できるので役得なんですけど。
───ってあれ?リンさん?あの、書類はそこにありますって。俺の隣に来ても何もありませんって。俺の手首を掴んでも何もありませんって。
「来て下さい」
「いや……」
「来て下さい」
「…………」
成されるままにどんぶらこと備え付けられたソファーに連行される俺は何と情け無い姿をしているのだろうか。
本当に連邦生徒会副会長の姿か?これが……
っていうかリンさんも座るのね。あぁ、お説教ね。いつものやつね。はいはい、分かりました───何故太腿を叩いている?
「七神行政官?何を……」
「何を?そんなの1つではありませんか」
「膝枕です」
待て待てなーんにも分かんねぇじゃん、頼むぜリンちゃん?
膝枕?何故?今までの会話の何処で膝枕が生えてきたん?
「何度言っても分からぬようなら私が直接寝かし付けます。数時間でも寝ればだいぶ疲労も回復しますから」
「……はぁ、何を言っても無駄なのだろうな」
「自虐ですか?それとも何ですか、私が融通の効かない頑固者であると?」
「今までの行動を振り返ってじっくり考えてみてくれ」
この頑固モードに突入したリンちゃんを動かすのは梃子でも無理ということは、何十何百とぶち当たってきた俺が言うのだから間違いない。
でも確かに、仕事による過労死なんて冗談でもしたくない。死ぬのならもっとみんなの前でド派手に死にたい。
ならば仕方なし。ここは大人しく膝枕というご褒美───否、罰を受けるのが俺の確定された未来か。
『失礼するよ』と言いながら吸い込まれるかのように後頭部がリンの太腿に着地する。
うわ、やば。え?何この柔らかさ。普段使いしてる枕より柔らかいですやん。うせやろ?
しかもめっちゃいい匂いだし、上を見上げれば巨大な双丘があるし……あぁ、なるほど。エデンはここにあったのか……
「朝の仕事は私が処理しておきます。ですので、何も気にすることなくごゆっくりお休み下さい」
「いや、それは───」
「いいですから。だから、どうか休憩を」
「…………分かった。いつもありがとう、
眠気が限界に達しようと日頃の感謝は伝え忘れてはならない。いつ君らの前で死ぬか分からないからな!
「───トワ、私は……ッ」
「……?どうした?」
「………いえ、何でもないです」
何だよ〜、気になるじゃんか〜。これじゃあ寝ようにも寝れ───あ、やっぱ嘘。めっちゃ眠いわ。この柔らかすぎる太腿のせいだね。全く、けしからんな!
あ〜、リンちゃんはどんな風に曇るのかな〜。俺の死体を見て泣いてくれると嬉しいな〜、なんてね。
◆
規則正しい寝息が聞こえる。
そっと下を覗き込むと、少年にある特有のあどけなさを残しつつも、その優しそうな表情で眠る寝顔はまるで天使のようだと比喩出来るだろう。
我慢ならずその燃え上がる焔のような赤髪に指を通す。すると彼は擽ったそうにしながらも蕩けたような表情を晒してくれる。
嗚呼、なんて可愛らしく、なんて愛おしいのだろう。ずっと宝箱に閉じ込めてしまいたくなるほどに魅惑的だ。
「トワ……」
愛しむように、労いの感情を持って彼の名を呼ぶ。
返事はない。ただ、それで良かったと思う。きっと今の私の顔は、他の人に見せられないぐらい蕩けているだろうから。
髪を弄り尽くした後は顔の造形を確かめるように頬の輪郭を擦り、首、肩、胸と、順番に、線を引くように指先を滑らせる。
ただ指を奔らせているだけなのに、どうしてこうも飽きないのか。
「───あぁ、ひどい隈ですね。一体いつから寝ていなかったのでしょうか」
彼はいつだってそうだ。いつだって私たちに隠し事をして無茶をする。
誰よりも重圧や責任を押し付けられているのに、まるで何事もないかのように振る舞う。
誰よりも傷ついている筈なのに、その胸の裡を明かしてくれない。
まるでそうすることが自身の生きる理由であるかのように───
「───私が頼りないからですか?」
自然と溢れる不満と不安。それは堰を切ったかのように止まることはない。
「ずっとあなたに守られてばかりでいる私たちでは、あなたの苦労を一緒に背負える権利すらも与えてくれないのですか?」
「私はあなたを支えたいのです。これまでもずっと、そしてこれからも……」
「私を───私たちをもっと頼って下さい」
「もっとご自身の身体を大切にして下さい……ッ」
「……恐いんです。恐くて恐くて仕方ないんです。痛みを、辛さを誰にも打ち明けず進むあなたを見ていると、いつかどんなに手を伸ばしても届かない遠い場所まで行ってしまうような気がして───」
「───それが、本当に恐ろしくてたまらないのです……」
痛みも感情も欲も無視して突き進み、ありとあらゆる万人を救う彼を見て、人は彼のことを【
しかし、物語における【
……いいや、もしかしたら彼はそのことすらも想定していたのかもしれない。
以前、彼から組織運営の運営方法の代案が出された。その運営方法は従来のやり方と比べても大して変わっておらず、本当に細かな部分が変更点として付け加えられていただけの提案書。
だけど、今になって思えば不思議だった。あの提案書は連邦生徒会長───ひいては連邦生徒会副会長の許諾がなくともスムーズに承認が行えるようになっていた。
───まるで
「………まさか、あり得ない」
そう、そのまさかだ。悪辣な妄想だ。とんだ迷妄だ。
ここ最近の労働によって脳にもガタが来ているのか、どうしようもなくネガティブな方向で考え込んでしまっている。そんなこと、あり得ないというのに。
縋るように眠りにつく彼を抱き締める。
心に宿る安心感を実感しながらも、何故か感じる悪寒から必死に目を逸らして───
今でも思う。この時が、私に与えられていた
もし、私がこの時に感じた言いようのない悪寒を信じていれば、と。
もし、私の本心を、私の想いを、もっと早く伝えられていたら何かが変わっていたんじゃないかと。
何もかもが手遅れになった後で、ただ漠然と、そう思ってしまった。