これまでの歩みと政治への挑戦にかけた想いについて
今回、自民党の参議院東京選挙区の候補者として最終選考に臨みましたが、公認には至りませんでした。この間、ご心配もご批判も頂きました。全ての方々に、私の言葉で、私の気持ちを伝えさせてください。
これまで
もともと私は、まだまだ狭い視野からの「左寄り」の思考・思想を持っていたことは否めません。
何かしらの思想を持つことは否定されるべきことではありませんが、中学・高校・大学時代、自分が触れていた情報や考え方は、今思えばかなり偏っていたと思います。育った環境の影響も大きかったのだと思います。
私の実家は、制度や法律の狭間に取り残された子どもや若者たちを草の根で支える市民活動を行っていました。日々、想像を超えるような困難な状況に置かれた子どもたちにも向き合う中で、「この現実を生み出しているのは国家の中枢にある強大な権力なのだ」という考え方が、自然とその中に根付いており、自分の中にも根付いていったのです。
今でも、そうした視点を理解することはできます。ただ、当時の私は限られた情報に浸かり、自分の視野の狭さに気づけていなかったとも思います。
実家では、「自民党は解体を」「安倍政権NO」といったスローガンが日常にあり、「憲法改正反対」と書かれたシールが車に貼られていたこともありました。周辺では、政治家への批判が日々飛び交っていました。日常的に聞いていると、それは何も不思議にも思わず、麻痺し、当然と存在する空気のようなものになってゆきます。
そんな環境から離れ、大学院進学を機に上京し、自分も働き始め、多様な人々や考え方に触れる中で、少しずつ「自分自身の考え」を持てるようになりました。
仕事を通じ、様々な職業の方々に出会い、与野党の議員さんとも初めて話し、官僚の皆さんの仕事ぶりを目の当たりにする場面もありました。多様なNPO/NGOの方々とも触れました。社会を良くしようと動いている人がこんなにもいること、イデオロギーを超えた対話が可能な場面があることも知りました。
その結果、これまで見えていた景色や自分が知っている観点はとても偏った視点からによるものであり、実際に政府が取り組んでいる政策も完璧ではないものの、その時点での最善の選択である場面があることに気づきました。
また、入管法改正の議論など自分の専門分野でも、理想の「100点満点」を目指すがゆえに、現実的な妥協点に至れず、分断や対立が深まっていく状況を多く目にしました。
多様な視点に出会い、それらを踏まえて自分の意見を形成していく、粘り強く対話をしてゆく——そうして初めて「自分の思考」が生まれる経験だったように思います。だからこそ、今は「不必要な分断をなくし、対話を築くこと。納得感を積み重ねながら社会を前に進めてゆくこと」が何より大切だと感じています。
10数年前の自分の投稿には、極めて不適切な言葉遣いがあったことを深く反省しています。当時学生だったからと言い訳をして、それをなかったことにするつもりはありません。"当時はそう考えていた"という事実を否定せずに受け止めた上で、自分の思考がどう変わってきたのか、そしてなぜ今「政治を志す」に至ったのか——自民党という今回の選択を含め、自分の言葉でしっかりと説明できる状態でいたいと思っています。
では、なぜ自民党からの挑戦だったのか。
学生の頃から数えるとこれまで私は10数年間、NPOや民間の立場からのアプローチで、現場の声を社会に届け、事業を通じて社会課題解決に向き合い、制度や政策に反映させようと尽力してきました。しかし、そうした動きが非常に重要である一方、限界があることも痛感しています。どれほど現場で課題を見つけ、声を上げても、制度の側から本気で変えていかなければ、社会の根っこは動かない——その現実に何度も直面してきました。
だからこそ、政治の側に入り、政策や制度を動かす側にいつか回りたいと考えるようになりました。そしてその中でも今回、自民党を選んだのは、現実に政策を動かす力を持っている政党だと感じる場面に触れてきたからです。
私が思う政治のあるべき姿は、ただ理想を語るだけでなく、それを現実に落とし込み、社会に実装していく力を持っていることです。誰もが語れる「あるべき姿」を、実際の制度や政策として形にし、きちんと機能させていく——その実行力こそ、いまの日本にとって必要だと感じました。そして、それは私自身にも必要な力だと痛感しました。
だからこそ、これまで現場で積み重ねてきた経験を活かしながら、よりよい社会をかたちにする政策づくりに、実際に関わっていきたい。その想いにもっとも近い挑戦の場として、今回声をかけていただいたのが自民党でした。
私は、社会に急激な混乱をもたらすのではなく、段階的に変化を重ねていく政治のあり方に、安心感と希望を感じています。伝統を尊重しながらも、時代の変化に応じて柔軟に見直しを行い、多様な価値観の中で議論を重ねる。そうした姿勢が、自分の思い描く「変化の仕方」に近いと感じました。
もちろん、自民党には今、社会からの厳しい視線が注がれていることも事実です。だからこそ、その中であえて挑戦する意義がある。立場の違いや背景の違いを越えて、もう一度信頼を取り戻すために、自分もその一端を担う覚悟を持って、この挑戦を決めました。
ただ今回は、最終選考後、公認に至らなかったという結果です。
最後に
この文章では、私自身の「変容」について書いています。市民活動、NPO、ソーシャルセクターへの批判の矛先を向ける材料に使わないでいただきたいと思っています。制度の狭間に落ちてしまったり、政策が届かないしんどいところに取り残される課題に対して向き合い、人に向き合い、本当に、一生懸命、みんなやっています。
私自身も、これからも先もまた変わってゆくと思います。学び、考え、行動し続け、変化できる柔軟性を持ちながら成長していきたいと思う所存です。
報道を見て応援してくださった皆さん、いつも近くで支えてくれる知人友人の皆さん、連絡をくださった皆さんも、ありがとうございました。
今回のプロセスからの学びは本当に大きかったです。自らを振り返るきっかけともなりました。すべての学びを糧にし、次のステージに進んで行きたいと思います。
※今回の私の進退について、すでに退任をしているNPO法人WELgee、NPO法人新公益連盟は一切関与していません。念のため付言させていただきます。
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コメント
13思想が左寄りであったこと、与党に批判的であったことを責められているのではなく、ごくシンプルに、人が人に抱く当たり前の敬意を欠いた言動を先輩政治家の皆さんに対しとり続けていた、その姿勢や精神性が疑問視されていたと思うのですが、その部分の変容はあったのでしょうか?
あなたの変節についてはわかったとして、過去の安倍元総理に発言に対してきちんとした謝罪と訂正を出さなければいつまでも擦られるだけ。そこが抜けてたのが今回あなたが受けたバッシングの本質なのでは?
チップを入国管理局に収容されてる方に会いに行くために・・とある時点で、政策の対象が日本国民ではないですよね?国会議員は、「日本国」の国会の議員です。そんなかたに、国会議員になってほしくないです。
「それをなかったことにするつもりはありません。」
だったら何故、twitter(X)の発言をどんどん消して行っちゃったの?
何故、その後に鍵垢にしちゃったの?
「なかったことにしようとしたけど、できませんでした」
が正しいんじゃないですか?
そういうのは信用されないと思うんですよね。