『男性性』の話。
はじめに
※ヘッダーの画像は10月の早朝の海から刺し網を回収してくる私の姿を家人が撮影したものです。
私や名興文庫に対する度重なる誹謗中傷は、重層的な法的・事務的対応によって、ようやく静まりつつあると感じている。ところで、この誹謗中傷に関わっていたアカウントたちが妙に意識していた言葉に『男性性』というものがある。この言葉は私のXにおけるポストでしばしば触れていたが、どうも彼らはこの言葉が大変に気になるらしい。私自身は既にこの言葉の中身をよく理解した事により、かなり恩恵の多かった半生を過ごした人間であり、またその教訓を創作にも反映させていたりするのだが、今回はこれがどのようなものであるか説明することを試みてみようと思う。
1. 男性性とは何か?
平たく言えば、社会が男性と女性によって構成されているという前提の中で、「評価され、信頼される男性」の在り方と精神性のことを指す。すなわち、『男性性とは、困難を前にしても冷静に対処し、周囲を守るために責任を果たす力のことである』という事だ。また多くの場合、恋愛やパートナーシップにおいて、男性に求められる資質の一端は、こうした『男性性』に基づいている。現代では、これらの能力は性別に関係なく重視されており、社会の中で信頼される人間像の一部とも言える。社会というのは、突き詰めれば『どれだけ責任を負えるかゲーム』である。より大きな責任を引き受けられる人ほど、多くの信頼と評価を得て、その報酬として人生の自由度が増していく──そういう構造なのだ。特に男性というものは、多くの場合、若い頃には「誰かに必要とされたい」という強い希求を抱える。それはしばしば、女性からの信頼や尊敬というかたちで現れる。これは恋愛や結婚の土台でもあるのだからなおさらである。つまりこの「男性性」は、単に時代遅れな価値観ではなく、現代を生き抜く上での一つの重要な軸でもあるのではないだろうか。
2. まず何に気付いたか?
ここから先は、私自身の目線で語っていこうと思う。私はXでも述べている通り、実践主義者であり、日常や成果を偽りなく発信したうえで言葉を発することを信条としている。
最初に私が気づいたのは、「自分には一般的な社会人としての魅力も能力も足りていない」という現実だった。どこに行っても評価されず、報酬にもつながらない。知らないこと、できないことばかりで、他人から求められる存在でもなかった。そうなると、このような男の未来はどうなるのか? ただ生きるためだけの仕事をして誰にも相手にされず、家に帰れば晩酌や刹那的な娯楽で時間を潰し、最後は静かに孤独死する──そんな予感ばかりが胸をよぎった。となると足りないものばかりである。『まず己を知れ』という言葉がある。このとき私は、それまでの人生の中で初めて、「自分には何もない」という現実と正面から向き合ったのだ。
3. 何をしていったか?
まず、毎日の時間は全く貴重なものだった。起きてから寝るまでが経験と見識の積み重ねである。幸い、この頃の私は土木工事の現場監督の見習いであったから、見方を変えればどこまでもなんでも学ぶことができた。その中で最初に知った事は、『人の話を聞く』という当たり前のことだ。学生から今まで、他人の一つ一つの話を真面目に聞いていなかったことに気付いたのだ。しかし聴き方を変えれば、若い私にとって有益に過ぎる言葉が飛び交い、時に自分にも飛んできた。荒っぽい世界だから理不尽な事も多かったが、学べることがそれ以上に多すぎた。何よりも、数千万、何億という大きな金額が動く仕事の一端を担い、その「重さ」を身をもって感じられたことは、何ものにも代えがたい経験だった。おのずと慎重さと決断力が身につくからである。また、体験できる仕事は可能な限り教えてもらった。一人で何でもできるような人間を目指すべきだと思った。この姿勢で現場管理に限らず様々な仕事を覚えていき、仕事を覚えればまた物の見方が変わるという新鮮な体験が面白くて資格も随分取っていった。
この頃──本人はもうとっくに鬼籍に入ってしまわれたが──お酒大好きな老職人の言葉は私の人生における金言の一つとなった。
──スコップ一本でも、人より上手に使えたら、ただ食っていく分には困らねえ。何でもそうだ。
私はさらに、自分の手と頭に技術を蓄積していくことに、いっそう貪欲になっていった。
その日々の中にあって、個人としては身体を鍛え続ける事と教養を積む事を特に重視した。幸い、子供の頃から格闘技は習っていたし、本も浴びるように読めたため、これらはそう苦痛ではなかった。こうして、終わる事のない積み上げが始まり、それは現在まで、そして元気な限りは死ぬまで続く事となった。長い年月とともに、既に大きな恩恵を得られることを学んだからだと言える。
4. 無知から『無貌の女性性』へ
ここで、話をスタート地点に戻そう。『男性性』を私が意識したのは、孤独な生を送りたくなかったこと、さらに、敬意を持つに足る女性の信頼を得たかったことに拠る。では、『敬意を持つに足る女性』とはどんなものであろうか? 率直な話を言うなら、当時の私はあまり周囲の女性を信用してなかった。自分の軸を持って知的に話せる女性はほとんどいない、と考えていたのだ。しかし同時に、周囲を見れば女性を悪く解釈して無駄に敵愾心を燃やして歳を重ねていく人や、漫画やアニメのラブコメやエロゲなどでしか女性を知らない人も少なくなかった。これらの人々の予後はどう見ても良くなかったので、私が気を付けた事は女性の解釈を誤ってしまう事だ。しかし、ここでまた考えなくてはならないことに気付く。『女性とは何か?』と。つまるところ、前述の人々も私もまた、女性の表層だけをぼんやりとイメージし、それで分かった気になって対応を考えていたふしがある。それは、理解しようという姿勢も敬意も持っていない事と同義だ。ここに大きな問題があると私は考えた。
この時に大切だったのが、サブカル的なコンテンツを排した視点での女性像だった。基本は同じ人間として敬意を持つべき存在であり、そこから身体的な、社会的な立場の違いによって、役割や責任は変わってくる。自分と共に生きる人が誰になるかは分からないものの、その誰かが自分がいる事によってより尊重され、自由で、可能なら幸せになれるように在る事。これを基本とできた事は大きいと思う。と同時に、当時は既にサブ・カルチャーや様々なコンテンツが発信する男性・女性は商業的なデフォルメが強すぎ、これを排したイメージや視点を持つのもすでに難しい事になっていたと思う。しかし、少なくとも私は、具体的な誰かではなく、理想的な他者性の象徴としての『無貌の女性性』を思い描くことができ、これに好ましいと思われる男性を目指して生きる事となった。
5. 半生を振り返って、仕事。
そして長い年月が流れた。この日々から数えて、私は三度の車中泊や路上生活を経験したが、単なる挑戦や義侠心の結果であり、すぐに復活できる自分を全く疑わなくなり、何らかの問題が発生したとして、面倒なだけで不安は抱えなくなった。現在までで二十数年という、明確にどこかに所属していた仕事の期間のうち、二十年以上はずっと役員や経営者となった。ついに今は引退して自由となり、無職を楽しんでいる状態だ。氷河期世代の高卒としては十分すぎる状態だろう。あとは時代の変化に対応して昔のような豊かな田舎の家を目指し、一次産業を楽しみながら歳を取って、文化に貢献出来たら十分と言ったところだろう。
6. 半生を振り返って、男としてはどうだったのか?
『氷河期世帯の田舎の高卒、特に顔が良いわけではない、体格が良く多少腕っぷしが強いだけ』の男だったのだが、さて隣の部屋を見れば、今日も忙しくキーボードを叩いている家人がいる。とある大学の法学部卒であり、税理士であり、背が高い彼女は若い頃はモデルの事務所に所属して少しだけCMにも出ていたような人だ。彼女を見ると、若い頃に大叔父が末期の席でわざわざ伝えてくれた言葉を思い出す。
──女の人の愛情は料理に出る。何時までも家族や旦那に気持ちのこもった料理を出してくれる女性が一番良いんだよ。
私が畑から取って来る無農薬の野菜、漁で海から捕って来る魚介類。家人はいつも、それらの素材を活かして、驚くほど手間のかかった料理に仕上げてくれる。魚の下処理から始まり、味つけも器選びも丁寧で、食卓に並ぶたびに感嘆してしまう。何という果報だろうかといつも思うのだ。
そんな彼女の山歩きや有害鳥獣の駆除を手伝ったり、海に掛けた刺し網から獲物を二人で外したりと、たまにケンカもするがまあ楽しい毎日が続いている。
少なくとも私の人生においては、『男性性』に目を向けた事はとても有益な結果となったのだと思う。
7. 『男性性』は実証されたか? 火事を消した話。
私の持論の一つに、『身に着けた技量、技術、あるいはその人物の『器』のようなものは生涯最大限実証され続ける』という考え方がある。これは努力の積み重ねや長期目標に向かって進む事とも相性が良く、ほぼ信条として日々を過ごしており、また実際にこの通りだった。一定の技術・才を持っていれば必ずそこに仕事や立場がやって来る不思議な現実がある。
では、私の『男性性』の蓄積は何に通用したのか? 家人と出会って現在まで過ごしている事の他には、ある意味何らかのテストの様に試練が降りかかってきたことがある。このうち、物証もある出来事としてはやはり、火事を消して表彰された話になるだろうと思っている。
結婚して何年かし、家人が身重になって病院に行こうというまさにその日、私たちの住む部屋の上階で、突然火事が起きたのだ。いつもより準備に手間取る家人を待っていたら、突然の呼び鈴の連打。何事かと思って出たら見知らぬ男性がインターホンで『上階の住人です。火事を出してしまったので皆さん逃げてください!』との事。この時私の脳裏には、このまま上階で放水されたらまず私たちもしばし仮住まいになったり、あるいはパソコンなど家電の数々が駄目になる事だった。経営者だった私にとっても、身重の家人にとってもこれは非常によろしくない。初期消火なら消せるかもしれないと踏んだ私は、上階の住人に消火器の場所と火事の状態を聞き、突入して火を消してしまう事に決めた。
この時、上階の住人は消火器の場所も使い方も知らないと繰り返しており、やむなく私は一人で呼吸を整えては消火器を持って突入した。作戦はこうだ。上階も私たちの部屋と変わりがなく、火元の部屋の位置は下の階の私の部屋と同じ。ならば迷う事はない。また当時の私はまだ若く、一分半は息を止めても全力で動けた。迷っている暇はない。消火器を外してきて二台用意すると、一台をすぐ使える状態にしては呼吸を整えて突入した。要は煙を吸わずに無呼吸で消火して戻ってくる作戦である。
しかしまず、突入してその暗さに驚いた。既に玄関からほぼ暗黒で、玄関灯が頭上に頼りなく暗いオレンジ色に輪郭を確認できるのみだったのだ。多くの人間が煙で命を落とす理由を体感できた瞬間だった。しかし、時間もまたない。火元の部屋に入るとオフィスチェアが燃えており、そこめがけて消火器を発射し、まんべんなく噴射しては外に戻って呼吸を整え、二台目の消火器を持って再突入し、火の消えた椅子にダメ押しとばかりに噴射する。こうして火が完全に見えなくなって外に出たところに消防隊が到着した。
私は大声で「火は消えたと思うからたぶん放水は要らない! 確認してくれ!」と繰り返す。慎重に突入した消防隊員はすぐに窓を開け、『初期消火、確認!』と無線で送った。普通なら突入しないのが正解だったろうが、放水はなく火を消し止める事が出来た。私は自分の意志でリスクに向かって、望む結果を手に入れた事になる。一つの結果が出た瞬間でもあった。
こうして、火事に相対した事より面倒ごとを回避できたことが嬉しい私はあわただしい現場をよそにホッと一息ついたが、消防隊員たちが第一発見者かつ火元の住人だった上階の住人が見当たらないとしてざわつき始めた。結局、上階の住人はいつの間にか自分で呼んだ救急車で救急搬送されて行ったらしい。つまり、夢中だった私は気づかなかったが、途中から一人で火を消していた、というオチが付いてしまった。
この火事を消し止めた事で上階の住人及び物件のオーナーから大量の贈り物をいただき、また後日、消防署から呼び出されて表彰される事となった。個人情報に絡む部分は消させてもらうものの、ここにその感謝状の画像もアップしておきたいと思う。
8. 最後に、強力なセーフティネットとして機能した男性性
そろそろ今回の話をまとめようと思う。振り返ってみれば『男性性』及び『無貌の女性性』を意識して行動し、蓄積してきたことが、老若男女問わず仕事や信頼に繋がり、これが私の人生の強力なセーフティネットとして機能していたと思う。人生にもたらされた冗長性と復元力がとても大きいという事だ。特に、前述での私と家人の関係の他にも、女性からの信頼が自分の人生に与えた良い影響はとても大きい。これは、氷河期世代でもある私には、それが決して当たり前ではないどころか、非常に貴重で得難いものである事はよく理解している。実際問題として、故郷にいるかつてのオタク的な友人たち十数名は現在も二人を除いて独身のままであるから、決して他人事ではない。自分を取り巻く社会のおよそ半分を構成する異性との信頼の有無、それは単純な可能性の有無にとどまらず、強力なセーフティネットとして心身を守る事にも繋がっていたのだと言える。それによって私はここまでたどり着けて、比較的自由に生きられているのだろう。
男であることは誇るための称号ではなく、磨かれていく生き方の積み重ねなのだと思う。
これが、私がしばしばネットで語る『男性性』の一部の話だ。


コメント