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2009年11月10日 (火)

あなたは「NO」で,僕は「YES」。だから僕らは繋がれない。

人は他人の目を気にする。自分が他人にどう思われてるかを常に気にかけている。

なぜか?
それは「他者の目」が社会からの監視だと解っているからだ。この目に見られているうちは社会から逸脱した行為はしないだろう。なぜなら社会から逸脱してしまうと「迫害」を受けることになるからだ。だから社会という安定した環境に居続ける為(自分の保身のため)にも「社会に求められる人」という枠からはみ出さない。
逆に言えば,この「枠」から逸脱しない範疇であればどんな人間にもなっていい。だから多少なりとも個性的な性格の人もいるだろう。いろいろなスキルを持つ人もいるだろう。ただし「社会」からはみ出さない程度にだ。

以上が人が社会の中で生きる上で自分自身に課した「暗黙のルール」なんだと思う。


以上の考察をふまえて,僕はある疑問を呈したい。その疑問とは・・・
では,「人は他人の目を無視して行動していいのか?」ということだ。

その答えはたぶん「YES」だ。
こう言うと,大抵の人は賛同するだろう。しかしそれは「自由」というプラスイメージを意識した故のモノだろう。おそらく,「他人の目を気にして自分が苦しくなるよりは,気にしないで楽になったほうがいい」という想いからくるものだ。

しかし僕はこう呈している。「無視していいか?」と。「無視」だ。聞き間違えるな。
こう言われると最初は賛同していた人も,反対するのではないだろうか?
それは,「無視」という言葉が世間ではマイナスイメージだからだ。
おそらく大抵の人は,最初はこの疑問を「無視していいか?」から「気にしないでいいか?」と脳内で勝手に言葉を置き換えているはずだ。

ここに,「社会の監視カメラ」である「他者の目」を無意識に気にしてしまう「正常人」の思考回路が関わっている。
つまり「正常人」は,社会の許容範囲から明らかに逸脱しない程度の言葉だと判断した場合,それがどんな言葉であろうと最初は否定せず,プラスイメージに受け取ってしまうのだ。つまり,自分に投げかけられた言葉を社会から逸脱しない(自分に都合のいい)モノだと思い込みたいのだ。保身のために。
しかし,その言葉の内に明らかに社会から逸脱した意味が含まれていると気付いたとき,猛烈に反対し,時には非難したりする。

つまり,「気にしない」は社会で許される言葉,「無視する」は許されない言葉に属するだろう。


では,もう一度質問しよう。「人は他人の目を無視して行動していいのか?」

ここまで読んだ人なら,もう「YES」とは言わないだろう。「NO」と言うだろう?
ここに,「正常人」と「スキゾイド」の僕との違いが現れる。僕は最初に「YES」と言ったはずだ。
正常人は「社会」を逸脱できない。良くも悪くも。また,自分のみならず他者にも逸脱しないことを強要する。それこそが「社会の監視」=「他人の目」だ。正常人たちはお互いに目線を他者に向け,ソイツが社会から逸脱してないか監視しあっているのだ。
お互いに社会から逸脱する「自由」を奪い合い,社会に「束縛」させあっている。
それが正常人の言うところの「秩序の維持」であり「社会に貢献」であり「人とのつながり」である。

一方,スキゾイドは「社会」を逸脱してしまうこともある。あくまで結果論だが。
なぜなら,スキゾイドは「社会」なるモノをあまり重要視していない。社会は人に安定を与えるものだが,一方で人を束縛する。大抵の人は「安定」というメリットを重要視するのだが,スキゾイドはどうしても「束縛」というデメリットに目がいってしまい,それを拒絶してしまうからだ。

「束縛」はこうも置き換えられる。
「ポジティブ」「いい人」「積極的」「努力」「リーダーシップ」「良心」「善行」「良好な人間関係」「友情」などなど,そして「愛」。
このようなモノにはまるで興味が向かない。存在そのものが疑わしい。しかし,そんなどうでもいいモノを強要される「社会」に息苦しさを感じてしまう。水中で息ができずに溺れているようなものだ。
だから,スキゾイドは普通に呼吸ができる環境を求める。それがたまたま「社会」から逸脱した環境だったというだけだ。
だから,「人の目を無視して行動する」ことを「YES」と言えるのだ。

しかし,正常人から見ると,スキゾイドのこの様子はしばしば許しがたい行為にも見えるだろう。そのため,両者はしばしば相容れないことがある。

だが,それでいいのだ。「正常人」と「スキゾイド」は相容れる必要は無い。お互いに存在する場所を住み分けたほうがいいのだ。なぜなら,両者はお互いを受け入れることはできない宿命にあるからだ。
「正常人」は社会の範疇にあるモノしか受け入れられないし,「スキゾイド」もまたそんな社会に適応できるほどの能力を持たない。


あなたは「NO」で,僕は「YES」。だから僕らは繋がれない。
だけどそれは悲しいことでも,責められることでもない。
だから同情も非難もいらない。

「社会」には,僕にとって必要の無いモノばかりが溢れている。
でも,どうこうしようという気持ちも起きない。

勝手にすれば?

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コメント

おきまんの言う正常人って何?
概念? 特定の誰かのこと?

投稿: まんきお | 2011年4月18日 (月) 11時31分

「正常人」とは

僕のよく知らない、ある共通のルール・原理に基づいて行動している、人の形をした「種族」のことと、仮定義しています。
一見しただけでは、判別がつかないこともありますが、その実話してみると、この「正常人」なる種族はたいがい共通したルール・原則を持っています。

僕自身、この「ルール・原則」の本質はよく知りませんが、彼らはそれを日常生活で自由自在に使いこなし、まるで自動機械のように運転させています。
僕はそれを、観察・分析・考察した結果、そういうモノがあるらしいことを、またそういうモノを共通して持っている「種族」がいるらしいことを発見したのです。

投稿: おまきん | 2011年4月19日 (火) 08時27分

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