宇宙の精霊
主体的に 何も考えなければ
そこには 宇宙の精霊が 見えてくる。
それは ただ そうであるだけのモノたち。
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スキゾイドの僕にとって、必要のないものとは、
正常人の「文化」を理解すること。 だ。
以前、統合失調症者は正常人になれる「才能」がない、みたいなことを言った。
だけどそれは、スキゾイドも同様だった。
そもそも、正常人の「文化」を理解する「才能」がない。
たしかに、スキゾイドひいてはひきこもりも、どうしようもなく正常人と関わらなきゃいけない場合もあるだろう。
しかし、関わるにつれ、正常人の「文化」に対して疑問が湧いてくることもあるだろう。
なぜなら、スキゾイドには無い、正常人のみが持つルール・テクニックを暗に強要されるから。
しかし、スキゾイドにはそのルール・テクニックの原理がわからない。
そんなものデフォルトで持ってないのだから。
まぁ、利口な個体なら、うわべだけでも器用に理解してある程度は使いこなせるのであろうが・・・。
だが、不器用な個体はそうもいかない。
「わからないまま始まり、わからないまま終わる。」
こんなことが立て続けに起こったら、そりゃあ混乱するだろう。
だから、ある個体はこのような日常生活をスムーズにするために、正常人の「文化」の原理を知ろうとするだろう。
・・・僕がそうだ。
しかし、そんなものは無駄である。
なぜなら、理解できないから。
「知る」ことはできる。 だけど「知ったところでどうにもならない」。
「剛体術」と同じ。
正常人の「文化」は、それがデフォルトで自動運転する正常人にしか扱えないのである。
このことを知った僕は、もう正常人の「文化」を知ることを諦めた。
要は、一番いい方法は、正常人となるべく関わらないことだったのだ。
つまりは、
自分が「正常人」か「異邦人」か、
「器用な個体」か「不器用な個体」かを早くに知ることが重要だったのだ。
まず、「自分」 である。
追記
かといって、
疑問を感じ、ルールを無視して、質問し、自問自答して、仮定義する。
という身体反応は、抑えられない気がする。
結局これも「知ったところでどうにもならない」。
「正常人となるべく関わらないこと」がベターだと知っていても。
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人の神は、
人のための神は、
諸行無常に対抗するためのものだ。
その諸行無常から 人が生まれたのにもかかわらず。
しかしながら、
この世には、それ以外の 神 がいる。
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