2025/1/21
私は中学生の頃、母親に「勉強出来ないなら風俗で働け。お父さんのちんちん舐めてみろ」と言われました。
早稲田の男と結婚して作った第一子なので、期待が強かったのでしょう。そして勉強出来ない私に対して強く失望したのでしょう。
小学校低学年の時、母親は何度も私をベランダから落とそうとしました。あの時見た地面の景色、今でも忘れられません。
30代の今、自分が正常じゃ無い事をヒシヒシと感じます。私は常に愛情に飢えて癇癪を起こすし、子供が苦手です。虐待されてた自分を思い出すから。
愛されてる子を見るのはもっと苦手。誰もが親に愛されないのが普通だと思いたいから。
私も子供が欲しいと思える人生が良かった。今は、この気持ちが一番強いです。子供いる友達が羨ましい。
虐待育ちの苦しみは、どこまで続くんだろう。
私は虐待育ちと共に生きたい。絶縁しても続く、この苦しみを共有したい。そして虐待育ちが少しでも生きやすい世界を作りたい。それが私が国政を目指す理由。
国会議員700人いるけど、親に愛されてそうな人ばかりじゃん。苦しいよ。誰も理解してくれない。そんな社会は嫌。
親に愛されなかった人が、国会にいて欲しい。
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ホーム>政党・政治家>平野 雨龍 (ヒラノ ウリュウ)>私が対中の次にやりたい事「虐待育ちとの共存」虐待育ちが普通に生きれるとは思いません。