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2010年1月の2件の記事

2010年1月28日 (木)

人間辞めますか?それともスキゾイド病めますか?

アクセス解析してみると「スキゾイドとひきこもり」が一番多いみたい。

まぁ,この記事見たヤツがどう思ったか知んねーけど。


いちおう言っとくけど,「ひきこもり」してても,一片でも「社会と関わりたい」と思ってるヤツがいるなら,即刻「ひきこもり」止めて「社会」に馴染めるように努力したほうがいいよ。

そーゆーヤツは「ひきこもり」には向いてないよ。

一生に一度しかない人生を,「ひきこもり」なんかで終わらせたくないでしょ?
そーゆーヤツは。

だったら,サッサと「社会」復帰したほうがいいよ。
社会に「認められる喜び」ってヤツが欲しいんでしょ?


「認められたい」欲求を持ってるヤツには,はっきり言って「ひきこもり」人生は耐えられないよ?




それと,「スキゾイド」関連でココに来てる人も少なくないようだが,
仮に診断はされてないけど,「自分はもしかしたらスキゾイドかも知れない」と感じて来てるヤツがいるなら,サッサと精神科に行って「診断」してもらったら?

そしたら,自分が「スキゾイド」か「正常人」なのかハッキリするでしょ?

そんで,もし「正常」なら,サッサと「社会」に帰るんだな。
「スキゾイド」だったら勝手にすりゃいい。「スキゾイド」でも症状が軽いヤツは「社会」に馴染めてるし。そうでなけりゃ「ひきこもり」でもするんだろうし。
まぁ,自由にしたらばいいんでない? 「スキゾイド」と診断されても特に何のメリットも無いし。

あぁ,でももし,障害者手帳もらったときに等級が2級以上だったら,ちょっとラッキーかもね。市によっては,バスとか地下鉄がタダで乗れるカードがもらえるし。
もっとも「ひきこもり」には意味ねーけどw 外出ないしww

さらに,診断されたのが20歳未満だったらラッキーだ。
障害年金がもらいやすくなるw
そしたら「ひきこもり」もしやすいだろう?



まぁ,何にせよ,「社会的欲求」があるヤツは「社会」に出たほうがいいだろうし,
そうじゃないヤツは「ひきこもり」してるほうがいいだろうね。

“お互い”にとって。

「社会に向いている」ヤツと「社会に向いてない」ヤツとでは,“お互い”断絶して生きたほうがいいと思うよ。
そのほうがトラブルが少ないだろうし。



っても,「社会的欲求」があっても「社会に向いてない」ヤツもいるんだけどさ。
そーゆータイプは一番大変だろーね。

なんせ,「社会」に入りたいと願っても,本人にはその「才能」が無いんだから。
まぁ,「社会」に言われるがまま頑張り続けるか,どこかで諦めるかだわな。
どっちもソイツの勝手だし。



タイトル,ちょっとセンス無かったな。まぁいいや。
直すのめんどくせーし。

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2010年1月20日 (水)

権力者の立像

人は人間らしく生きるべきらしい。

人間が人間らしく生きること。
それを人間たちは互いに無意識に自分にも他人にも強制している。

まぁ,社会で生きる前提条件なんだろうが,とにかく世間では「人間らしく」が必須らしい。

「社会」ではそのうえに,経済能力も必要になってくるのだが,少なくとも「人間」という形を持ったモノには「人間らしさ」が強制される。

「人間らしさ」を欠いたモノは,たとえ「人」の形をしていても「人間」とはみなされず,場合によっては「死刑」というかたちで処罰してもいいらしい。


・・・と,云うのが世間における「人間」というモノらしい。




“「人」の形をしているモノは「人間」であるべき。”

大概の人は,心の内にこのような強制力を強いている。自分にも,他人にも。
もっともこの「強制力」を自覚している人はめったにいないが・・・。


そもそも「人間らしさ」って何だろう?

優しさを持つこと?

思いやりがあること?

常識があること?

向上心があること?

コミュニケーション能力が普通以上であること?

規則正しく生活できること?

身なりが普通以上であること?

みんなが許容できる範囲での趣味を持つこと?

集団で行動できること?

社会(人)の役に立てること?

思想が正常(?)であること?

立派(?)にお金が稼げること?

年齢相応の人格(品格?)であること?

きちんと片づけできたり,ゴミ出しができること?

人の話をきちんと聞けること?

明るく真面目で,面白い人であること?

裁判員になってもきちんと人を裁けること?

政治に関してまっとうな意見が言えること?

どんな理由でも人を殺さないこと?

自殺しないこと?

五体満足であること?

脳が正常であること?

KYじゃないこと?

現実世界にいて然るべき人間のこと?



いずれにしろ,人は「正常」の範囲内で生きることを強制されている。
誰に? 自分以外の全ての他人に。そして自分自身に。

全ての正常人はこのような「権力」を持っている。
自己の常識の範囲内のモノのみを許容し,それ以外を「異常」とみなして処罰しようとする「権力」を。


ゆえに全ての人間は「権力者」の資質を内包している。
誰もが「権力者」になる可能性を秘めている。

だから,正常人は皆,向上心を持つ。
ここで言う「向上心」とは権力志向のことだ。
誰もが,隙あらば,他人よりも上位でいたいと思う。精神的な意味での「上位」だ。実際の役職的な意味での「上位」では必ずしもない。

よって,ここで言う「権力」とは,
“自分の常識の範囲内に「世界」を収めたい欲求”のことを言う。


このようなことを言うと,「自分にはそんな権力志向など無い」なんて思うヤツが大半だろうが,本当にそうか?

じゃあ,先に僕が言った「人間らしさとは何だろう?」以下の羅列してみた「問い」を自分に当てはめてみるといい。

例えば,「常識があること?」という問いを,「常識を持てよ!」に変換してみたらどうだろう?
あなたが正常人ならば,この類のセリフを他人に向かって吐いたことがあるのではないか?
たとえ口には出さなくとも心の中では思ったことがあるはずだ。



この「権力」の厄介なところは,「社会生活不適合者」にも及ぶからだ。

正常人はこのような「権力」を,どう考えても社会に馴染めない障害者などにも行使するのだ。
上記の問いのような「人間らしさ」を強い,なるべく社会に馴染めるように改造しようとする。

正常人の構築する社会は,個々人の無意識に潜む「権力者」の志向を統合させ,一つの巨大な「人間らしさ」という強大な「権力」として収束し,人間は子どものうちから「教育」によって個々人の「権力志向」の成長化と定型化を促される。
よって,時代が変わろうとも,この正常人による「権力」はいつでも人間の心に居座り,有史以来から正常人の世に君臨してきた。

・・・そして,「異常」とみなされたモノは,この「権力」に処罰され,存在しないモノとされてきた。



今でもそれは変わらない。

正常人は「常識」の範囲内で「世界」を構築し,「異常」なモノは処罰されるか存在しないモノとみなされる。

この志向は正常人の誰もが内包している。
「権力」と「常識」と「社会」
それが,あなたがた正常人の「世界」だ。



すべての正常人は「権力者」だ。誰もが「世界」に君臨し,したがっている。



だから,僕は「現実世界」にいたくない。
「夢の世界」のほうがいい。

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