ブログを書く | サポート 

ココログ人気記事ランキング

 

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月の3件の記事

2009年12月10日 (木)

往きたい けど 逝けない

愛。
そんなものは幻だった。

夢(将来叶えたいモノとかの方ね)。
そんなものは幻だった。

友情。
そんなものは幻だった。

勇気。
そんなものは幻だった。

努力。
そんなものは幻だった。

やればできる。
そんなものは幻だった。

善意。
そんなものは幻だった。

希望。
そんなものは幻だった。

憧れ。
そんなものは幻だった。

生きること。
そんなものは幻だった。

世界。
そんなものは幻だった。


この世は,すべてが嘘だった。
全部がマボロシだった。
子どもの頃から,うすうす感づいていたが,それでも自分をだましだましなんとかやってきた。
それも,もうできなくなってしまった。


そして,僕はスキゾイドとされた。

この世界が嘘でも,幻でも,そのことを悲しむべきか,喜ぶべきか,それすらも解らない。
「なにも感じないのか?」と問われれば,「そうだ」とも言えない。
かといって,「お前が感じるものは何だ?」と問われても,はっきり答えられない。

ただ,一つ言えるのは,自分がこの世界に存在することに違和感を感じるということだ。
正確に言うと,自分自身にも,自分以外のすべてにも。
とにかくこの世界そのものが違和感だらけだ。




今日,デイケアでスタッフにこう言われた。
「あなたは作業所に行かないんですか?」と。
障害者年金をもらっているわけではないので,そんなところの賃金ではとてもじゃないがやってられない。だから作業所に行く気はなかった。
それよりも,僕の唯一の生きる道である「ひきこもり」を否定されたような気がして,気分が悪くなった。
ここでも,僕の「ひきこもり」を許してくれないのか・・・。
僕を「安全な部屋」からひっぱり出すつもりらしい。


デイケアを早退した。
そのとき取り合ってくれたスタッフがこう言った。「また,(デイケアに)来てくださいね。」と。
その言葉に違和感を感じた。

デイケアは,僕をこの世界で生きることを強制するのを促す施設だ。

障害者の支援施設ですら,障害者を外の世界に出そうとする。



眠りにつくときは,よく夢を見る。
夢の世界は,現実の世界に負けないくらい,濃密で,リアルで,そして広かった。
僕はしばしば,夢の世界に入るのが好きだった。

夢の世界は違和感を全く感じない。
そこでは,当たり前のように自分は存在できる。自分以外の全てのモノにも違和感は感じない。
だから,夢こそが僕の存在するべき世界なのだ。
現実世界では僕のいるべき場所は無い。
夢こそが本当で,現実は幻なのだ。


できれば,永久に夢の世界に浸っていたい。
僕が在るべき世界に。


夢の世界は,眠りにつけば到達できるが,目が醒めるととたんに現実世界に引き戻される。
「眠り」では,一時的にしか夢の世界に存在できない。


ならば,永久に二度と醒めない眠りにつけばいい。
「死」だ。
死ねば,永久に違和感だらけの現実世界から逃れられる。そして,永久に夢の世界で存在できる。

でも,「死の恐怖」が邪魔をする。
「死の恐怖」が僕を自殺させてくれない。

これさえ克服できれば,すぐにでも死ねるのに・・・。


死にたい。

でも,怖い。死ねない。

「死」の向こうに,僕の在るべき世界があるのに。


「夢の世界」はどこにあるのか?
たぶん,「死」の向こうだ。
そこは,極楽浄土ではない。違和感が無いってだけの普通の世界だ。
だけど,僕にはその「違和感の無さ」が大事なんだ。それが無いってだけでも「心」が落ち着ける。だから,違和感だらけの「この世」=「現実世界」は,「心」がギスギスする「地獄」のようなものだ。



「夢の世界」に往きたい。

だけど「死の恐怖」が立ちふさがる。

逝けない。





生まれる世界を間違えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 8日 (火)

デイケアでのできごと 2

デイケアで,グループワークに参加してみた。

グループワークとは,簡単にいえば非難・中傷以外は何でも言える,いわばダベリの場だ。そこでしゃべったことは外では秘密だそうだ。

そこに,普段からぺらぺらしゃべる,おしゃべり野郎が参加していた。
こいつは,普段からどうでもいいことをぺらぺらしゃべっては,自分が他者より知識があることを鼻にかけるようなウザイやつだ。

そいつが,グループワークでもしゃべるしゃべる。

地元の野球団がどうのこうの。
地元のサッカーチームがどうのこうの。
スケートの高橋選手の兄貴が捕まったとかどうとか。

野球もサッカーもスケートもまるで興味がない僕にとっては,どうでもいいような話が延々と続く。
あまりにもどうでもいいので僕はその場で眠くなった。
それでもソイツのどうでもいいダベリが耳に入ってくる。
すると,急に僕の頭が重くなった。まるで頭に10キロの重りがずっしりと載ってしまったかのように。いや比喩じゃなくて,マジに重さを感じる。本当に重量感を感じるのだ。
実際に頭に何も載ってないのに,まるで本物の重量感を感じるなんて,今までに無かった経験だ。

あまりにも頭が重いので,とりあえずその場を退出した。そしたらウソのように,頭の重さが無くなった。きっと「ウザイ」という感覚が現実世界の僕の神経に顕現したのだろう。

後になって聞いた話だが,僕が退出した後でソイツと誰かがちょっとしたケンカになったらしい。
先に退出しといてよかった。ケンかなんかに巻き込まれたくないもんね。




僕の描く絵を飾ってくれる場所をスタッフが探してくれた。

障害者が働く喫茶店で,そこで飾ってくれるらしい。
もっとも,ちゃんとした話はまだ通してないとのこと。
だから,自分で電話して話をつけてくれとスタッフは言う。僕は「かわりに電話してください。」と言ったが,「自分でしなさい。」と返された。

僕はスキゾイドだが,対人恐怖症でもある。電話応対なんてしたら,緊張してしまいしどろもどろしてしまう。だから「かわりに電話してくれ」と言ってるのに・・・。

しかたなく自分で電話してみた。案の定,しどろもどろになって緊張のあまり,自分で何を話したかよく分からない有り様になった。

後でスタッフに注意された。
僕が相手に「僕は障害者なんですが,障害者でも絵を飾ってもらえますか?」と言ったのが悪かったらしい。
そういうことは,余計なことで言わなくてもいいことらしい。相手への失礼にあたるとか。

なぜだろう?
世間では,障害者を嫌悪したり,差別する人もいるらしい。鹿児島の阿久根市の市長だって,障害者はいらないと言っていた。
だから相手がもし,そういうタイプの人だったら,黙っているより障害のことをあらかじめ言っておいた方が,後々お互いトラブルが無くていいんじゃないかと思う。
そうしておけば,「障害者はお断り」とあらかじめ言われた場合,早々に諦められるし,相手だって後から障害者だって解るよりは気分を害することは少ないだろうし。

でも,世間ではそうじゃないらしい。

世間では,「障害者を受け入れないヤツは狭量なヤツ」=「悪いイメージがつく」であり,そんなレッテルを避けるために「障害のことはタブー」らしい。

ぼくの,「僕は障害者なんですが,障害者でも絵を飾ってもらえますか?」という問いは,相手へのレッテル貼りのきっかけになる,NGワードだったらしい。

世間では,合理的な考えをするより,レッテル貼りを忌避するらしい。



こうやって,また一つ二つ,自分が社会に適応できないことが明らかになっていくのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

闇が与えてくれるモノ

高校時代まで住んでいたところは,田んぼだらけの田舎だった。

家の2階の窓からは一面のだだっ広い田んぼが見えた。
視界を遮るものがほとんど無かったので,地上も空も一面がまるで大パノラマのように大きく広がって見えた。
その下では,いくつかの人間が田んぼや畑で作業をしていた。
田舎なので,人間関係は隣近所が挨拶程度に家に何度かやってくる。田舎は互いの領域が曖昧なのか,知らない人間が来ても,服装などで地元の人間だと解れば,互いに警戒しない。

とくに問題を起こさなければ,他者は自分を放っておいてくれたし,隣り近所の人でもこちらから会うのを避ければ容易にひとりになることができた。遮るものが無い地平と一面の空が「ひとりの自由」の心地よさを倍増させてくれた。
ひとり,ただ空を眺め,地平を感じる。それだけが全てで,それだけで十分だった。何のストレスも無かった。学校生活だけは“苦”だったが。
昼間はそんな環境だった。



夜になると世界が変わる。

外は,昼間のように自由を与えてくれる場所ではなく,漆黒の闇が一面を覆う恐怖の根源だった。だから人間は皆,夜は家に篭るのだ。
田舎の夜は人が寝るのが早い。もう8~9時には家人が眠りにつく。家であっても明かりを消すと,闇が姿を現わす。その闇は外の闇と同質だ。恐怖だった。だから皆,さっさと寝てしまう。

闇は恐怖の根源だった。
暗がりから何か得体の知れない「何か」が襲ってきそうな,そんな感じがした。
とくに外はそれが顕著に感じられる。
真っ暗な暗がりに,ぽつんと独り立つ外灯が頼りなく青白い不気味な光を放っていた。その光は「安心」を与えるものではまるで無く,むしろ闇の恐怖を強調するかのようだった。

空を見上げると,ただただ冷たく白く輝く月が,ただ「存在」しているだけだった。数多の星々も,人々の「恐怖」などまるで意に介さないかのように,ただ瞬いていた。

僕は,たびたび家の外に出て,真夜中の闇を感じるのが好きだった。
確かに,普通の人と同様に闇に恐怖を感じていたが,同時に「居心地のよさ」も感じていた。
漆黒の闇も,ただ光る月も,星も,頼りない外灯ですらも,その全てが「恐怖」と「居心地のよさ」を与えてくれた。
だから,僕にとっては夜は,闇は忌むべきものではなかった。


あるとき,不思議な感覚に襲われた。
それは真夜中の出来事だった。
ふいに目が醒め,僕は外に出た。
外は相変わらず闇の支配する世界だったが,そのときはちょっと様子が違っていた。
闇が,なんとなく一段だけ明るく見えるのだ。普段は見えないはずの自分の足元はおろか,百歩先の遠くの暗がりですら,うっすらと「見える」のだ。

まるで昼間のように・・・とまではいかないものの,どこになにがあって,どこが歩ける場所かもなんとなく解っていた。足元の一本一本の草葉に至るまで,把握できそうだった。

猛烈に走り出したくなった。
とにかくあたり一面走り回って,叫び声をあげたくなった。
いままで「恐怖」を自分に与えた闇は,いつしか「自由」を与えてくれる存在へと変わっていた。それは,昼間に自由を与えてくれた「空」や「地平」と似ていた。いや,正確にはちょっと違っていた。
確かに,そのときの「闇」には自由を感じていたが,恐怖が無くなったわけではなかった。それに自由とは別の「何か」が,自分の内にとり憑いた感じがした。それは,なんていうか形容しがたいモノだったが,とても強い衝動だったと思う。もしかしたらそれは「昼間の世界」で言うところの「狂気」だったのかもしれない。

いつしか「狂気」(ほんとは違うモノかもしれないが,とりあえず暫定的に定義しておく)は自己の内のほとんどを占め・・・
走り出して,
叫びまくって,
獲物を見つけて,
襲いたい。

衝動に駆られた。

獲物とは人間。人間が一番弱くて簡単に捕らえやすいモノだと感じたからだ。


・・・実際には行動に移さなかったが。
そんな自分自身が「ヤバイ」と思ったのか,「理性?」が勝ったのか,なんとかその衝動を抑えて,家にもどって無理矢理寝ようとした。結局朝までその衝動は続いたので,まったく眠れなかったが。
しかし,あのとき,もし闇に向かって走り出していたなら,もしあの真夜中に誰か人がうろついていたなら,僕はたぶんソイツに向かって走り出して,ソイツを襲っていたかもれない。もしかしたら結果的に殺していたかもしれない。

実際に行動に移さなくて良かったと今でも思う。
もし,行動していたら,いまごろ刑務所の檻の中か,またはどこかの格子のついた病院に隔離されていただろう。



それにしても,あのとき「闇」に感じた「自由」と「狂気?」はいったい何だったのだろうか?
なぜあのとき,何も見えないはずの闇が明るく「見えた」のか?

いまでもよく解らないが,たぶんあのときの僕は「獣」になったのだと思う。
大概の獣は主に夜に活動するのだという。夜のほうが闇に紛れて獲物を捕らえやすいからだ。
そして「獣」にとっては,人間は特別な存在でもなんでもないということだ。むしろ愚鈍でたいした力を持たない弱い獲物でしかないということ。
おそらく,狼などの夜行性の肉食獣にとっては,人間などは恰好の獲物なのだろう。
あのときの僕はそれが体感的に理解できた。


ただ,なぜ「人間」であるはずの僕がそんな「獣」の状態になったのか?
それが今でもよく解らない。

しかし,あれ以来,僕は「闇」に対して,「恐怖」以外に何か別の不思議な「モノ」を感じるようになった。
それが何なのかは今でもよく解らないが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »