往きたい けど 逝けない
愛。
そんなものは幻だった。
夢(将来叶えたいモノとかの方ね)。
そんなものは幻だった。
友情。
そんなものは幻だった。
勇気。
そんなものは幻だった。
努力。
そんなものは幻だった。
やればできる。
そんなものは幻だった。
善意。
そんなものは幻だった。
希望。
そんなものは幻だった。
憧れ。
そんなものは幻だった。
生きること。
そんなものは幻だった。
世界。
そんなものは幻だった。
この世は,すべてが嘘だった。
全部がマボロシだった。
子どもの頃から,うすうす感づいていたが,それでも自分をだましだましなんとかやってきた。
それも,もうできなくなってしまった。
そして,僕はスキゾイドとされた。
この世界が嘘でも,幻でも,そのことを悲しむべきか,喜ぶべきか,それすらも解らない。
「なにも感じないのか?」と問われれば,「そうだ」とも言えない。
かといって,「お前が感じるものは何だ?」と問われても,はっきり答えられない。
ただ,一つ言えるのは,自分がこの世界に存在することに違和感を感じるということだ。
正確に言うと,自分自身にも,自分以外のすべてにも。
とにかくこの世界そのものが違和感だらけだ。
今日,デイケアでスタッフにこう言われた。
「あなたは作業所に行かないんですか?」と。
障害者年金をもらっているわけではないので,そんなところの賃金ではとてもじゃないがやってられない。だから作業所に行く気はなかった。
それよりも,僕の唯一の生きる道である「ひきこもり」を否定されたような気がして,気分が悪くなった。
ここでも,僕の「ひきこもり」を許してくれないのか・・・。
僕を「安全な部屋」からひっぱり出すつもりらしい。
デイケアを早退した。
そのとき取り合ってくれたスタッフがこう言った。「また,(デイケアに)来てくださいね。」と。
その言葉に違和感を感じた。
デイケアは,僕をこの世界で生きることを強制するのを促す施設だ。
障害者の支援施設ですら,障害者を外の世界に出そうとする。
眠りにつくときは,よく夢を見る。
夢の世界は,現実の世界に負けないくらい,濃密で,リアルで,そして広かった。
僕はしばしば,夢の世界に入るのが好きだった。
夢の世界は違和感を全く感じない。
そこでは,当たり前のように自分は存在できる。自分以外の全てのモノにも違和感は感じない。
だから,夢こそが僕の存在するべき世界なのだ。
現実世界では僕のいるべき場所は無い。
夢こそが本当で,現実は幻なのだ。
できれば,永久に夢の世界に浸っていたい。
僕が在るべき世界に。
夢の世界は,眠りにつけば到達できるが,目が醒めるととたんに現実世界に引き戻される。
「眠り」では,一時的にしか夢の世界に存在できない。
ならば,永久に二度と醒めない眠りにつけばいい。
「死」だ。
死ねば,永久に違和感だらけの現実世界から逃れられる。そして,永久に夢の世界で存在できる。
でも,「死の恐怖」が邪魔をする。
「死の恐怖」が僕を自殺させてくれない。
これさえ克服できれば,すぐにでも死ねるのに・・・。
死にたい。
でも,怖い。死ねない。
「死」の向こうに,僕の在るべき世界があるのに。
「夢の世界」はどこにあるのか?
たぶん,「死」の向こうだ。
そこは,極楽浄土ではない。違和感が無いってだけの普通の世界だ。
だけど,僕にはその「違和感の無さ」が大事なんだ。それが無いってだけでも「心」が落ち着ける。だから,違和感だらけの「この世」=「現実世界」は,「心」がギスギスする「地獄」のようなものだ。
「夢の世界」に往きたい。
だけど「死の恐怖」が立ちふさがる。
逝けない。
生まれる世界を間違えた。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント