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2009年10月の3件の記事

2009年10月28日 (水)

ひきこもりのススメ

ヘビーでくそ長い記事が続いたので,すこし楽なヤツを・・・

僕は外に出るのが嫌いだ。・・・というよりめんどくさい。
そのうえ,他者が視界に入るのもウザイと思ってる。
とにかく,「人間社会」に関わること自体,多大なストレスになる。


だから,楽になりたい。

ベストな生き方を見つけた。
「ひきこもり」だ。
家族以外,まず他者と関わる(直接的にも間接的にも)ことがない。なにより落ち着いてその「場」に居られる。

ちょうど今は秋だ。部屋に入る日の光が増えてくる。
窓から日の光が差し込んで畳に寝っ転がりながら,青い空と白い雲をゆっくり眺める。


この世界にはだーれも存在しない。

「空」だ。
他になんにも要らない。


僕が現実世界で感じる唯一の「平穏」だ。何年もニートのような生活をしてて,これほど穏やかなことは他に無い。

できれば,この「平穏」がいつまでも感じられる状況を維持したいものだ。

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スキゾイドと統合失調症の違いとは?

今日はスキゾイドと統合失調症者の違いについて考えてみる。

僕はデイケアに通っているメンヘラーだ。

デイケアというのは,要するに精神障害者が社会復帰のためにスポーツや創作活動などを通じて心身の回復を図り,就労をめざすところだ。
たいてい,20~30代の若い人が入所する。そのほとんどは統合失調症者だ。まぁ,近年は「うつ」にかかる人も多いので,うつ病の通所者も増えてるようだが・・・

その中にスキゾイドがいる。僕だ。
たぶん今通っているデイケアでは,スキゾイドは僕しかいないだろう。

なので,自分と他の通所者との違いをイヤでも気付かされる。
まぁ,そんなに「イヤ」っつー訳でもないんだが・・・
いや,自発的に気付こうとしてる面もある。暇つぶしに統合失調症者を観察してる・・・というのもあろうが,やはり「他者と一線を引きたい」という想いが一番の理由だろう。


観察結果と考察に移ろう。
あらかじめ言っておくが,病理学的なモノはここでは語らない。そんな知識も無いし,その方面からの分析などは多くの人がやっているからだ。どうしても知りたい人は「スキゾイド」「シゾイド」または「人格障害」「パーソナル障害」で検索すればいい。

ということで,僕から見た統合失調症者とは・・・僕との違いとは・・・

・ 一見,正常人と変わらない。(見た目で判断がつきにくい)
これは僕とほぼ同じ(外見がオタクとか今風じゃないとかは考慮しない)。

・ しかし,よく見ると行動が少し幼稚だ。中学生と大差は無いように見える。
全般的に落ち着きがないような印象を受ける。デイケアでは彼ら同士は一見仲よくおしゃべりなどをしている。こーゆーダベリは正常人でもするだろう。落ち着きなくはしゃいだりするところも同じだろう。しかし,同じ行動でも正常人とはなんとなく違う感じを受ける。見た目は同じ大人だが,統合失調症者はまるで子どものように見えるのだ。

ここが僕と違うところだ。そもそもダベリはしないし,はしゃぎもしない。

最大の違いはその行動の内にどこか「社会」や「他者」を意識しているような気がするのだ。厳密に言うと「社会」「他者」に近づこうとする欲求が垣間見えるということだ。
つまり,統合失調症者は「社会」「他者」に近づこうとする。しかし僕(スキゾイド全般に当てはまるかは知らない)は逆に「それ等」から遠ざかろうとする。
正常人から見れば,僕と統合失調症者の「精神的立ち位置」は同じだろう。しかし,そこからどの方向に心理が向くかはまるで違う。正直言って「心」が向いてるベクトルは180度違うだろう。
恐らく,統合失調症者の「心のベクトル」は正常人と同じだろう。「精神的立ち位置」が違うだけだ。その意味では,僕から見れば彼らと正常人は大差が無い。

補足だが,彼らの「精神的立ち位置」は正常人よりもずっと後ろにある。マラソンに例えるなら正常人は先頭を走っており,統合失調症者は遥か後方をノロノロとビリから3番目を走っている・・・という感じだろうか?
このため,正常人は彼らと接すると,「自分と大して変わりないが,何かが違う」と感じるだろう。この感じが互いに「親近感」になるか「差別心」に変わるかは解らんが・・・
ではスキゾイドはというと,たぶんコースをノロノロと逆走してるのだろう。

・ 自分の体力と精神力が続く限りは,「就労」「社会参画」に積極的だ。
「就労」「社会参画」はデイケアの目的でもある。
彼らの「心」は疲れやすく揺れ動きやすい。そのためデイケアでは誰かが横になって寝ている光景を目にする。(ちゃんと毛布やベッドも用意されているので,デイケア側は彼らのその特徴をよく解っているということか。)
しかし,元気なときはその限りにあらず,積極的にデイケアのプログラムに参加したり他者とおしゃべりもする。

これも僕と違うところだ。仮に体力・精神力に余裕があっても,そのような活動に積極的になることは無い。
この原因も,さっき考察したとおり,互いの「心のベクトル」が違うことが主な理由になるだろう。


他にも目についた違いはいくつかあるのだが,その原因は一つに集約できるので省いておく。
スキゾイドと統合失調症との違いとは・・・
結論。 最大の違いは「心のベクトル」が互いに180度違うこと。

統合失調症者と正常人はたぶん同じところを目指している。恐らく世間で言われる「良いイメージ」になろうとしている。
スキゾイドはどうかというと,正直解らない。
だた,解っていることは「自分と彼らとは違う」ということだ。
なぜなら,彼らが目指している「良いイメージ」の反対が「悪いイメージ」とは必ずしもならないからだ。実際,僕自身「悪いイメージになろう」と思っているワケでもない。

ではスキゾイドは何処を目指しているのか?
それは誰にもはっきりとは解らないだろう。たとえ精神分析家でも。

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2009年10月27日 (火)

スキゾイドが見る現実世界

はじめてブログをやってみるが,記事を書かないと表示してくれないようなのでめんどくさいが書いてみることにする。

ブログとは日記のようなものだという。今や誰もがやってることだ。こうやってわざわざ文章を書かないといけない,いちいち労力を使う行為をなぜ人は行うのだろうか?ふと,そんなこと考えてみた。

まぁ,すでに結論は出てるんだけど。答えは簡単。表現とはションベンでありウンコだからだ。いきなり汚い言葉を出してしまったが,事実だからしょうがない。詳しく言うと,人が「表現する」という行為は獣がやるなわばり表示のようなもの。獣は自分の縄張りを示すためにウンチやらシッコやらで臭いをつける。その「場」を独占するためである。

人間にも同じことが言えるのではないだろうか?人間の場合は「場所」というより,「他者の心」を支配するのが目的だろう。実際,世に出てるブログや掲示板などにはどこか,「自分のことを理解してもらいたい」的なニオイがついていて,それをなんとなく感じる人もいるんじゃないだろうか?この「自分のことを理解してもらいたい」という想いは大概の人が抱いてると思う。自分のことを相手が理解してくれたときには大層嬉しく思うことだろう。しかし,逆の立場になったときになぜか嫌な思いをした人もいるのではないだろうか?

まぁ,どれぐらい嫌になるかは,相手をどのぐらい知りたいかの許容量によるが。これ以上は知りたくないという情報はあろう。

ここで重要なのは,「理解して」という想いには「生存するのに必要最低限のささやかな欲求」と「もっと貪欲に他者を支配したい過剰な欲求」の2種類があることだ。

前者はまぁ大概の人が許せるだろう。 しかし後者はどうだろうか。よっぽど懐のひろい人か鈍感な奴じゃないとムリだろう。・・・とはいうものの,後者のほうだって互いに「理解して!」行為をやってる人はたくさんいる。つまり人はこの様な「支配・被支配関係」とも言うべき「心の侵略行為」を互いにやりあっているようだ。お互いにウンコやションベンをなすりつけ合っているのだ。このような性質を「表現」は担ってるところがある。だから人は自分の考えてることを外部に表して誰かに伝えたいんだろう。汚物を排泄するのも,それを他者に投げつけて支配の証明にするのも「快感」だから。

ではなぜ,表現したいものが自分にとって排泄物になるのか?

それは,思考自体がストレスだからであろう。ストレスだから外に出さなければ身体に害になる。ウンチやシッコを我慢するのと同じだ。でもいつか出したくなる。自分の考えたこと,思ったことを知ったことを黙って自分の内にしまっておくのはなかなかできるもんじゃない。なぜなら外部から受けた情報はストレスの元となる。それに対して人は思考する(ストレスを整理するため)。そして表現として表す。(ストレスを別な形で排泄する)つまり,外部から受けた刺激(ストレス)→思考(ストレス)→表現(ストレスの排泄)というプロセスを踏む。

ここで,ただ表現を排泄しただけでは物足りない人もいるだろう。世の中には他者にションベンをひっかけることに快感を得る変態?もいる。この快感はたぶん「征服欲」だろう。だから表現(排泄物=ストレス)を他者に伝えることが快感になるのだろう。でも考えたら大体の人がやってることじゃないか?

たぶん,これが世の中の人の「表現」のプロセスなんだろうな。だからブログが流行るんじないか?

・・・なんてことを考えた。つまりこの世は苦痛と快楽が入り混じっためちゃくちゃな世界なんだろうなぁ。

まぁ,一人でひきこもっていればそんなカオスから逃れられるんだが・・・。

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