そういえばヘスティア様はどこかに出かけているということを思い出した三日後の今日。ベルとリリルカのお説教を受けた後、俺達は
「警戒すべきは誰だろな」
「一番はチャンドラ様かと」
「チャンドラ……ああ、ドワーフのLv.2か」
そこは団長のザニスではないのかと思ったが、リリルカの情報が間違っていたことは少ない。間違っていても、微妙に違っていただけのことが多い。
「ザニス様はベル様の速度に勝てず、ヴィジル様の射撃に対応もできません。形だけのLv.2です」
「ボロクソに言うじゃん」
「う、うーん……?」
俺達【ヘスティア・ファミリア】は【ソーマ・ファミリア】にそのうち喧嘩を売りに行く。正確な日としては、大体来週。娘さんを俺達にくださいって言えばいいのか? それともお前ら全員を去勢しに来たとでも言えば戦争開始か? ……それはアリだな。
「それはそうと、ヴィジル様」
「ん?」
「油くらい拭ってください」
「まだ残ってたのか」
ぐしぐしと手拭いで顔を拭くと、黒い汚れが付着する。朝落とし切ったと思ったが、そんなことは無かったらしい。
「それで、ベルはシルさんを探さないといけないんだったか?」
「う、うん。アーニャさん? に頼まれてて……」
作業に熱中し過ぎてベル達とは先程合流したばかりだが、どうやら面倒な依頼をされてしまったらしい。豊穣の女主人の従業員、シル・フローヴァさんが財布を置いて祭りに行ってしまったらしい。おっちょこちょいというか、ドジ極まりすぎていて笑えてくる。
「モンスターを調教ねぇ……どう思うよ?」
「農耕には困らないよね」
「思い出しますねぇ、村の畑全部を耕すトレーニング……」
懐かしいトレーニングだ。いないものとして扱われていたリリルカも連れて村に帰ってから、ザルドさんが提案したトレーニング……村にある畑を全て耕すことで筋トレと体幹トレーニングを両立させたあの地獄のトレーニングは、間違いなく俺達の糧となっている。二度とやりたくないが。
「テイムしたモンスターを農耕に利用する……アリだな」
「牛とか使うもんね。色々幅が広がりそうだよ」
「モンスターの中には糸を使うモンスターも存在するそうですし、機織り産業もできそうですね」
特産品はモンスターの素材を使った衣類やモンスターの力を借りて耕した作物。うん、中々の特色ではなかろうか。
「にしても、凄い賑わいだな」
「年に一回の大イベントですからね」
「村のお祭りとは全然違うや」
俺達の村でも一応祭りはあったが、あれが厳かなものに見えるくらい、この祭りの規模は凄まじいものだ。
いつもなら冒険者達がダンジョンに潜っていく時間帯、東のメインストリートはもう少し賑わいが穏やかである。しかし、今日は冒険者達ではなく、一般市民の人達がたくさんいた。道の横には数え切れない程の出店が並んでおり、食べ物のいい匂いが漂ってくる。常日頃華やかなこの場所は、出店や人々、装飾などでより一層華やかに彩られていた。
「ところでベル、リリルカ」
「ん? どうかした?」
「どうかしましたか、ヴィジル様?」
「後ろから凄ぉく怖い気配がするんだけど」
「奇遇だね、僕も感じてる」
「奇遇ですね、リリも感じてます」
だよなぁ、そうだよなぁ……気のせいじゃなかったよなぁ……振り向きたくねぇなぁ……
「多分ヴィジルにしか用無いだろうし、僕達行ってもいい?」
「置いていくんじゃねぇ、てめぇらも道連れじゃ……!!」
段々と近付いてくる熱っぽくて恐ろしい視線から逃れようとするベルとリリルカの首根っこを掴んでこの場に留める。逃がすかよ……! 俺を一人にするんじゃねぇ……!!
「離してくださいヴィジル様……! リリ達は平穏に過ごすんです……!!」
「離すかよぉ……!!」
「僕達にはそこまで興味ないだろうから行っていいよね……!?」
「「あら、そんなことないわよ?」」
声をかけてきやがった。国民認定したからには責任を持つと決めたものの、こいつらと話をするというのは中々精神力を削られるのだ。性格とかもだが、それ以上に服だよ服。
そう思いながら、覚悟を決めて振り向いた先には、エルフらしからぬ露出度の高い服────恐らく超貴重な素材を使っている────を着た白妖精と黒妖精がいた。凄く、目のやり場に困るし、何がとは言わないが時々揺れるせいで精神が削れる。
「ねぇディナお姉様、私今とってもドキドキしてるわ!」
「私もよ、ヴェナ! ヘディンとヘグニと戦っているよりもずっと楽しいわ!」
「……」
「し、白目剥いてる……!」
「ヴィジル様、現実から物理的に目を背けないでください」
紹介しよう、俺が国民認定したストーカーエルフの双子、ディナ・ディースとヴェナ・ディースである。ストーカーと名付けた理由は、俺とベルとリリルカでオラリオを歩いていた時、毎度毎度現れては鬼ごっこに興じていたから。なぜか鬼ごっこ後は俺達とよく話をしていたので、
元
ちなみに、この二人はうちの村に来たことがある。アルフィアさんとザルドさんにボコられていたのが印象的だが、Lv.5の実力者だ。あの時は彼女らも恩恵が封印されていたが、技があった。なぜ俺は敗北寄りの引き分けに持っていけたのか分からない。本当に何で? 手加減されていたというのもあるだろうが、本当になぜだ?
「お話ししましょう、王様! 久しぶりにたくさんお話したいわ!」
「もちろんそっちの二人ともお話したいわ! ねぇ、いいでしょう?」
「届け物があるんだが……」
「あら、それなら届け物を済ませてからお話ししましょう?」
なるほど、逃がすつもりはないということだな? なるほど、なるほど……うん。まぁ、覚悟を決めましょうとも。ところでエルフって何歳からが大人判定なのだろう? この双子、ヘディンさんとヘグニさん以上に生きているらしいが……まぁ、女性に年齢の話をするなというのが世の常というものだし、気にしなくてもいいか。
「よぉし、覚悟を決めろ、腹を括れ、責任だ、王様としての責務だ……国民の話は聞かなくちゃなぁ……」
「言い聞かせてる……! 言い聞かせてるよヴィジルが……!」
「国民、国民……」
そう、この人達と話すだけだし、疚しいことは何もない……綺麗なエルフだとしてもこの二人と話すだけなので疚しいことは皆無だ。皆無であれ。皆無のはずだから落ち着け俺。
「それで、誰に何を届けるの?」
「えーと……鈍色の髪の女性に財布を届けないといけないんだわ。見てないか?」
「見てないわ」
「私も見てないわ」
うん、まぁ、だろうなとは思っていたよ。一応聞いただけだ。
「とりあえずこの祭りの目玉であろう大規模サーカス場の闘技場に行くか」
「そうだね。入場料とかもあるだろうし、その近くで困ってるかも」
となれば……目指すべきは向こうの闘技場か。凄い人混みだが、問題は無いだろう。俺達にはリリルカやライラさんといった
「おわあああああああああ……!?」
「「「んんんん!!??」」」
「ねぇディナお姉様、あれは女神様じゃないかしら?」
「そうねヴェナ。あれは女神様ね」
へ、ヘスティア様ぁあああああああああ!!? 今の今までどこかに出掛けていたせいで、所在が分かっていなかったヘスティア様が人の波に飲み込まれてどこかへ行こうとしている!! 救助だ救助!
「縄を持てベル! リリルカ!」
「いや普通に飛び込んだ方が早いよ!?」
「動転し過ぎですヴィジル様!」
む、それもそうか。落ち着け俺。焦らずにヘスティア様を救助すればいいのだ。気が動転している。もっと落ち着け俺。
心の中で言い聞かせながら人波に飲み込まれているヘスティア様を引っ張り出すと、何やら背嚢を背負っているようだった。もしや、これが原因で軽快に動けていなかったのか?
「た、助かった……ありがとう三人共……!」
「大丈夫ですか、神様?」
「大丈夫! 君達の顔を見たら元気が出てきたよ! ……おや? ディナ君とヴェナ君もいるじゃないか! 元気にしていたかい?」
太陽のように明るい笑みを浮かべるヘスティア様に面食らったように急停止したディース姉妹。まぁ、この反応はいつものことだ。そろそろ慣れろと思わなくもないが。
ヘスティア様は全ての孤児の女神であり、竈と家内安全を司る神様らしい。この姉妹の両親は死んでいるのか、この二人を捨てたのかは知らないが、ヘスティア様にとって、彼女らは身寄りのない子供であったという認識のようで……血生臭い気配を漂わせていた彼女達のありのままを受け入れている。最強かよヘスティア様。最高だったわ俺達の神様。
「ええ、私も、ディナお姉様も元気にしていたわ」
「もちろん元気にしていたわ、ヘスティア様。私達頑丈だもの」
「そっか。何か困ったことがあったら言っておくれよ? まぁ、アストレアのところなら大丈夫だろうけど……一応、ボクはいつか君達の
ヘスティア様から放たれる凄まじい母性に当てられた姉妹の表情が一瞬だけ緩んだ。ほんの一瞬だったが、マジで凄いなうちの神様。
「ところでどうしてここに?」
「そりゃ君達に会いたかったからさ!」
「うーん、そうなんだけどそうじゃねぇっす、ヘスティア様」
「あんまりリリ達を心配させないでくださいという話ですよ、ヘスティア様。今までどこに行っていたのですか?」
リリルカが問いかけるが、自分の世界に入っているヘスティア様には届かない。なぜかは知らないが、凄くご機嫌だ。
「へへっ……実はね………………いや、まだ教えなくてもいいか」
「ええ……」
き、気になる……間違いなく背負っている背嚢が理由なのだろうが……
そう思っていると、ヘスティア様は思い付いたように俺達を指差して笑みを浮かべる。
「楽しみは後に取っておいて、家族全員でお祭りを楽しもうぜ」
「あー、それなんですがね、ヘスティア様……」
「僕達人探しをしてまして……」
「うん? そうなのかい? だったらお祭りを楽しみながら探せば一石二鳥じゃないか!」
なんてこった、そいつは天才的な意見じゃないか。
「おじさーん、クレープ六つくださーい!」
「い、いいのかなぁ……?」
「まぁ、こういう日があってもいいんじゃないですかね? 正式なクエストでもありませんし」
よし、賛成意見が過半数を超えたと見なして家族サービス開始である。本来ならアルフィアさんとザルドさんもいてほしいところだが、アルフィアさんはこういった騒がしい環境を苦手としているし、ザルドさんもホームでご馳走作って待っていると言いそうだ。
「そういえば、こうして皆で集まって遊ぶってことはやったことないかもなぁ。甘っ」
「確かにそうかも……うーん、甘いね、これ」
俺達はダンジョンに潜り、ヘスティア様はジャガ丸くんのバイトや【ヘファイストス・ファミリア】のところでバイト……ディース姉妹は基本的に表には出てこない。アルフィアさんとザルドさんもオラリオにいないことが多い。いたとしても俺達を鍛えるためにダンジョンに行くしで、こうやって皆と一緒に何かを楽しむということは、数えるくらい────いや、数える必要すらないくらいにはやった記憶が無い。あったとしても食事の時間くらいで……うん。
「「……」」
そんなことを考えながらクレープを食べきり、続いてジャガ丸くんを販売している露店に向かおうとした直後、歩く速度が明らかに遅いディース姉妹に気付く。どうしたストーカーエルフ。そんな鈍足では置いていくぞ。
「おい、置いてくぞ二人共」
────チッ、反応が遅いというか無い! いきなりどうしたお前ら。そんな鈍足状態だとマジで置いて行ってしまうぞ? ……………………いや、置いていくのは忍びないし、家族サービス開始と言った傍からそれではヘスティア様に示しがつかない。ええ、触れて殴られる可能性が超低確率で存在しているが仕方あるまい!
「ほら、ガキじゃねぇんだからちゃんとついて来い」
クレープを持っていない二人の手を掴み、少し先にいるベル達の方に連れていく。いきなり動きが止まったり鈍足になったり、今日はいつも以上に忙しないなお前ら。
「……ふふっ、どうしましょうディナお姉様! こんなに楽しいのは久しぶり!」
「そうねヴェナ! とってもドキドキするわ!」
「うーん、調子出てきたなお前ら。この行動は間違いだったか?」
「「うふふふ……」」
おっと、本格的に間違いだったかもしれねぇ……! 握る力が強くなってきやがった……!! さっきまでのしおらしい姿は演技か!!?
「ふふ、楽しそうだねぇ三人共」
「どこを見てそう思ったんですか?」
「そうでしょう、ヘスティア様! 私達、とっても楽しいわ!」
「私もヴェナもとっても楽しいわ、ヘスティア様!」
こいつらに振り回され続ける運命にあるのだろうか、俺は。
せめてその振り回される運命にベルとリリルカも巻き込むべく、俺はメインストリートを駆け回った。
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それは、究極の『美』であった。
空間全てがその『美』を際立たせるために存在しているかのように錯覚してしまうような、存在が、そこにいた。究極の『美』そのものである女神────フレイヤは、暗闇の中で何かを吟味するかのように周囲を見回していた。
「……」
その周囲には骨抜きにされた【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者や、ギルドの職員がいた。彼女に、フレイヤに戦う力は存在しない。しかし、それが無くとも全てを我が物にできるほどの力が、彼女には備わっている。
美の神全員が持つ権能────理性では覆すことができない力『魅了』である。下界の住人……ヒューマン、
ここはアリーナに繋がる西ゲート。ダンジョンから連れてきたモンスターを管理する空間。ここにいる実力者達やギルド職員は全員、彼女の魅了によって骨抜きにされてしまった。
「……そうね……」
大部屋の中心で悩まし気に周囲を見ていたフレイヤの視線の先にいるのは、多種多様なモンスター。吠えることすら忘れてフレイヤを見つめるモンスター達を吟味する彼女の視線が、ぴたりと止まる。
「貴方達がいいわ」
選ばれたのは、三体のモンスター。野猿のモンスター『シルバーバック』、蛙のモンスター『フロッグ・シューター』、アルマジロのモンスター『ハードアーマード』は、彼女の眼差しを浴びて息を荒くしている。
「出てきなさい」
その行為は間違いなく危険すぎるもの。
自由奔放という言葉でも遠慮を覚えるような、女神の傍迷惑で気まぐれな試練。
(あの子達は、もう来ているわね)
フレイヤの脳裏に過るのは、あの三人。ベル・クラネル、ヴィジル・ガロンゾ、リリルカ・アーデ。三者三葉に輝きを放つ三人。
ベル・クラネルの魂は、透き通っている。見たことがないくらい、透明。透き通っていて、どんな色にも染まるが、しかし染まらない純粋無垢な輝きを放っている。その魂は、どんなことがあっても穢されることがない確固とした芯があった。
リリルカ・アーデの魂は、黒い光を放っている。黒曜石のように黒くて、闇に放り投げてしまえば見つかりそうにない黒。しかし、まるで自分はここにいるのだと主張するかのように、黒い輝きを放っている。まだ、何かに縛られているが、きっと解放された時、素晴らしい輝きを放つだろう。
そして────ヴィジル・ガロンゾの魂は、九つの輝きを持っている。時にルビーのように、サファイヤのように、エメラルドのように、トパーズのように、オニキスのように、アメジストのように、ダイヤモンドのように、オパールのように、ラピスラズリのように。見る角度によって色も輝きも変わる不思議な魂を持っていた。
(ああ、ダメね、私ったら……ちょっかいを出してしまいたくなった)
三者三様の魂はフレイヤにとって甲乙付け難く、そして一番近く────手元に置いて愛でたい衝動に駆られるものだ。考えただけで胸の奥が熱くなり、疼いてくる愛が、彼女を突き動かしている。
「さぁ、小さな
この祭りの、誰も想像できない────想像するわけがないフィナーレが、始まった。