「女さん」「子どもを守れ」… 〝犬笛〟が飛び交う社会で生きるには

哲学者・三木那由他=寄稿

Re:Ron連載「ことばをほどく」(第12回)

 選挙におけるSNSの使用が話題になることが増えた。これは、言葉というものが持つ影響力に多くのひとが注目しているということでもあるだろう。虚偽を語る、人々を扇動する、あるいはそうしたことに抵抗する、……。SNSやブログ、動画配信等を通じて容易に多くのひとに言葉を届けることができるようになった世界で、言葉のポリティクスはその悪しき面においても善き面においても、ますます重要性を増している。

 さて、そうした文脈で「犬笛」という単語を目にすることがある。

 犬笛とは、もともとは犬の訓練用に使われる笛のことを指す。犬は人間と異なる可聴域を持っているが、犬笛は人間には聴こえないが犬には聴こえる音を発するようにできている。それにより、人間は気づかない音を使って犬にさまざまな指示が出せるようになる(これを利用したミステリーのトリックなどがあったりする)。これが転じて、おおよそ「限られた集団の人々のみが理解できるメッセージを、ほかの人々には気づかれないように発する言葉」を「犬笛」と呼ぶようになった。

 近年、この犬笛という現象に哲学者も関心を寄せるようになった。例えば言語哲学者ジェニファー・ソールは2018年に「犬笛、政治操作、言語哲学」という論文を発表している(小野純一訳『言葉はいかに人を欺くか』〈慶応義塾大学出版会〉に収録されている)。さらにソールは、2024年にオックスフォード大学出版局より『Dogwhistles and Figleaves』(犬笛とイチジクの葉)という本を出版し、具体例を交えてさらに詳細に犬笛について分析している。日本でも、先日出版された藤川直也『誤解を招いたとしたら申し訳ない』(講談社選書メチエ)で紹介されている。今回は犬笛を取り上げてみたい。

 まずは具体例を見てみよう。

 ソールが取り上げて有名になった事例として、2003年のジョージ・W・ブッシュ合衆国大統領(当時)による一般教書演説がある。その一節で、ブッシュはアメリカ市民が持つ「奇跡を起こす力(wonder working power)」に言及している。これは、それだけ聞くとアメリカ市民の力強さを語っているだけに思えるが、実はキリスト教福音派で特徴的に用いられるフレーズであり、そのことを知るひとには福音派の思想へのコミットメントをこっそりと示す仕組みになっている。このように、ある人々にのみ隠れたメッセージを送り、それ以外のひとには素通りされるような言葉が、犬笛である。

 さらにいくつか、私が日本語における犬笛ではないかと疑っている例を挙げてみる。

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 【女さん】

 インターネットスラングとして用いられる。それだけを見ると女性を指す「女」に呼びかけの「さん」を付けただけのユーモラスな言葉に見えるかもしれないが、女性を「愚かしい存在」や「感情的な存在」として語るのを好むネットユーザーが主に用いており、ミソジニー的な言説の呼び水になっている。

 【生活保護の不正受給】

 「不正」である以上は確かに問題だと多くのひとが感じるであろう言葉だが、一部の排外主義者のあいだでは「外国籍の人間による生活保護の受給を減らせ」というメッセージを伴っており、特に在日コリアンや在日中国人への敵対感情を共有するような仕方で用いられている。

 【行き過ぎた〇〇】

 「〇〇」には「ジェンダーフリー」や「多様性」、「ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)」などが入る。文字通りに取れば「確かに何事もやりすぎはよくないな」と納得しそうなところだが、一部の保守層はジェンダー教育や人権運動自体への否定的見解をこの言葉に込める。

 【子どもを守れ】

 それ自体はまったくもって正しい言葉だが、一部の人々にとっては「子どもがLGBTQ+に関する情報に触れないようにしろ」というメッセージを伴っている。

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二重の意味を持つ言葉

 犬笛について理解するためには、これがとりたてて特殊な言語実践ではないということを意識することが大事だろう。言葉が二重のメッセージを持つというのは、私たちが日常的に当たり前に経験している事象なのだ。

 後半では、SNSの言説やコミック、ゲームなどから具体的な例を挙げて、なぜ〝犬笛〟が用いられるのか、どう対処すればいいのかを考えます。

 例えばパロディという手法を考えてみよう。私の最近のお気に入り漫画のひとつに藤巻忠俊『キルアオ』(集英社)がある。中学生の姿になってしまった中年の殺し屋を主人公にしたコメディだ。そのなかのあるエピソードで、ファミリーレストランにいた主人公が2人組の強盗に襲われるものの、即座に強盗の銃を奪い取る、というシーンがある。そして主人公は唐突に「お前…聖書読んだことあるか?」と言い出す。

 これは、何も知らずに読むといきなり脈絡なくちょっとかっこいい台詞(せりふ)を言うだけのコミカルなシーンに見えるかもしれない。けれど、クエンティン・タランティーノの映画を愛するひとにとっては、こうした状況でのこの言葉は、完全に「パルプフィクション」の一場面の再現であるとわかり、そのことがより一層おかしみを生み出す(ちなみに単行本ではパロディ元を明示している)。これは、一見するとなんでもないやり取りにタランティーノのファンのみに宛てたメッセージを組み込む手法だ。

 また、「Vampire Survivors(バンパイア・サバイバーズ)」 というゲームも興味深い。怒濤(どとう)の勢いで攻め寄せるモンスターたちと戦って既定の時間を生き延びるというゲームだが、膨大にいる操作可能なキャラクターのひとりにジオヴァーナという人物がいる。作中の敵キャラ図鑑(ベスティアリー)にひっそりとこのキャラクターの設定が記されているのだが、英語版だとそこに「assigned mage at birth」という記述がある。日本語訳だとわかりにくくなっているが、これはトランスジェンダーやノンバイナリーの人々がよく使う「出生時に割り当てられた性別(assigned gender at birth)」という言い回し、特に「出生時に男性を割り当てられた(assigned male at birth)」をもじった表現であり、そのことを知っている人間にはジオヴァーナが「出生時には男性魔術師とされていたが、いまは魔女として生きている」存在だということがわかるようになっている。実際、英語圏の攻略情報では、ジオヴァーナはトランスジェンダーの女性と記載されていることが多い。

 これらの例は無害であり、一部の受け手に特に面白さを感じさせるということを目指したものだ。そしてこういう例が私たちの言語使用のあちこちに見られるということは、多くのひとが同意するのではないだろうか。言葉は常にすべての受け手に同じメッセージだけを持つわけでもなく、また言葉は常にひとつのメッセージしか担わないわけでもない。パロディはこの特徴を面白さの創出に用いた例であるが、犬笛はこれを政治的なたくらみとともに用いたものだと言える。

隠れたメッセージが広がるのは

 なぜ犬笛は用いられるのだろう? ソールは、「差別はいけないことだ」のような規範が社会的に共有されたことの結果であると指摘している(厳密には犬笛は差別のみに関わるわけではないが、ここでは差別に話を限定する)。現代の社会ではほとんどのひとが「差別はいけないことだ」ということに同意するだろう。ただ、具体的に何が差別と見なされるかという点については、理解が異なっていることが多々ある。そして、政治家などが不特定多数に向けて発言をおこなうとき、そうした異なる理解の人々が同時にその言葉を受け取ることになる。そうすると、一部の人々にとっては、(1)差別に加担する人々が喜ぶようなメッセージを送りつつ、(2)差別的であると指摘されてもとぼけられるような発言を練り上げるというのが合理的な手法となる。そこで登場するのが、犬笛なのだ(このあたりはHenderson & McCready 〈2024〉Signaling without Saying, Oxford University Press=https://global.oup.com/academic/product/signaling-without-saying-9780198886341?cc=jp別ウインドウで開きます&lang=en& に詳しい)。

 もちろん、犬笛は「聴こえるひとには聴こえる」ものであるが、「聴こえるひと」がすべて犬笛の隠れたメッセージに賛同しているとは限らない。むしろ、犬笛を理解しつつそのメッセージに批判的であるというひとは、多くの事例で見られる。

 ただ、重要なのはそもそも事情に詳しくない層である、とソールは言う。事情に詳しく、かつメッセージに賛同する人々と、事情に詳しく、かつメッセージに反対する人々のあいだには、通常そもそも事情に詳しくない多数の人々が存在する。

 隠れたメッセージの持つ重要な役割は、こうした層に属す人々に対して発言者が「そんなメッセージはないですよ、怒っているひとたちが感情的なだけですよ」というポーズを取ることを可能にする。そうすると、犬笛を含む発言は「一部のひとは気にしすぎるが、実際には害のない言葉」としてスムーズに広まるようになる。これは、隠れたメッセージに同意する人々にとっては自分たちの見解をそれとなく言説の市場に送り出し、結束を高めたり、思想を共有したりする手法として働く。SNSなどのインターネット上でのやり取りが増えた現代において、特に注目されている事象だというのが納得いただけるかと思う。

批判にとぼける発言者

 犬笛が飛び交う社会で、私たちはどうすればいいのだろう?

 犬笛の厄介な点は、それに気づいたひとが批判をおこなったとしても、発言者がとぼけられるというところにある(これは「否認可能性〈deniability〉」と呼ばれる特徴だ)。なので、正面から批判をしても効力は薄いのだが、とはいえ当然ながら、犬笛に気づいたひとが「批判してもとぼけられるだけだから」と諦めたところで、状況はよくならない。大事なのは、犬笛の仕組みを認識し、しっかりと適切な批判をおこなうことだろう。

 ソールは、犬笛にはメカニズムの異なるふたつの種類があると論じている。ひとつは、一部コミュニティでのみ用いられる特定の言葉がそれとなく使われている犬笛で、ソールはこれを「明示的な犬笛」と呼ぶ。ブッシュの「奇跡を起こす力」やインターネットスラングの「女さん」はこの例だろう。こうした犬笛は、そもそも一部のひとしか一般的には用いない特殊な語彙(ごい)を含んでいるため、その語彙がどのような経緯で生まれ、どのように用いられているかを比較的わかりやすい仕方で論じていくことができる。例えば実際にそのワードを含む文章をリストアップしていくなどといったやり方が可能だろう。

 ソールが挙げているもう一種の犬笛は、「隠れた犬笛」である。これは、何ら特殊な語彙ではないにもかかわらず、一部のひとの思想に響き、一定の感情を引き起こすようなものだ。「子どもを守れ」などはその一例だろう。それ自体は何も特殊な言葉ではないのに、これを用いることで反LGBTQ+感情を高め合うやり取りがある、というのが問題なのだ。こちらについては、特殊な符牒が用いられているわけではないので、批判が難しくなる。

意図ではなく、その効果と文脈の歴史を示す

 いずれにしても重要なのは、犬笛を発言者の「意図」の問題にしないことだ。というのも、犬笛を含むメッセージを、別のひとがそれとは知らずに反復するということが、しばしば起こるためである。

 パロディも、ミーム化したようなものについては、それと知らず「どこかで見かけたから」と真似をするひとだっているだろう。しかし、たとえ当人は知らずとも、パロディ元を知っているひとがそれを受け取れば、そこにパロディのおかしみを見いだすはずだ。同様のことが犬笛にも言える。発言をした当人は犬笛に気づいていないかもしれないし、そしてそのことが誰の目にも明らかだということもあるだろう。それでも、犬笛を聴き取るひとはそれがもたらす隠れたメッセージを読み取り、それに反応するはずだ。

 そうすると、発言者が意味を理解しているかどうかや、意図的にそうしたメッセージを発するかどうかは、犬笛がもたらす影響を防ぐという観点からは本質的なことではなくなる。むしろ、犬笛の影響を減じるためには、「果たして発言者はそれを意図しているのか」という問題に入り込むのは事態を泥沼化させるだけの結果に終わる、ということもありうる。

 犬笛を批判するには、何よりもその犬笛が持つ効果と歴史を語ることが重要だと私は考えている。

 実際にその言葉がどういった効果を及ぼしているのか、これまでどういった人々がどういった文脈で使ってきたのか。

 意図の問題にしてしまうと、明らかに悪意を持っていないひとの発言を批判するのは困難になるし、また「あなたは犬笛を使っている」と指摘されたときに自分が悪意を持っていると言われているものだと受け取ってついかっとなることもあるだろう。その道に進んでしまうのは、あまり効果的ではなさそうだ。言葉のもたらす効果と使われてきた文脈の歴史を示すことに、より焦点を当てるべきではないだろうか。

 とはいえ、犬笛への対処については、まだ十分にわかっていない。ソールは「予防接種」が大事だと主張し、学校教育の段階でいくつかの犬笛に触れさせつつその仕組みを教えることで、犬笛への耐性ができるのではないかと論じる。それはもっともであるし、現在の社会で生きていくための知識としてこうした言語のポリティクスについて教育するというのは大事でもあるだろう。ただ、すでに大人になっている者がどうしたらいいかは、このアイデアからは見えてこない。それでも、できることをやっていくしかない。ひとまずは、効果と歴史という観点に注目した批判を目指すというのが、私に思いつく第一歩だ。

写真・図版

 みき・なゆた 1985年、神奈川県生まれ。哲学者、大阪大学大学院講師。専門はコミュニケーションと言語の哲学。単著に『言葉の道具箱』『言葉の風景、哲学のレンズ』『言葉の展望台』(講談社)、『会話を哲学する』(光文社)、共著に『われらはすでに共にある 反トランス差別ブックレット』(現代書館)など。

Re:Ron(リロン)

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    雨宮処凛
    (作家・反貧困活動家)
    2025年4月14日16時0分 投稿
    【視点】

    「犬笛」について、モヤモヤしている人は非常に多いと思います。 そんな犬笛についての分析には大きな発見がありました。 この原稿で指摘されている通り、厄介なのは「発言者がとぼけられる」ということ。 ちなみに「言葉のもたらす効果と使われてきた文脈の歴史を示すことに、より焦点を当てるべきではないだろうか」とありますが、ここに時間と労力をさける人はなかなかに暇人で、結局、暇人しか勝てないゲームなのか・・・とも思いました。

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    村山祐介
    (ジャーナリスト)
    2025年4月14日16時0分 投稿
    【視点】

    犬笛が取りざたされた例として思い出されるのが、トランプ米大統領の常とう句「法と秩序」(Law and order)です。トランプ氏を支持する白人層や、過激な白人至上主義者に向けた犬笛ではないかと米メディアで指摘されてきました。 ニクソン元大統領のキャッチフレーズとして有名ですが、トランプ氏も2016年の大統領選から多用し、一期目末期の2020年に白人警官が黒人男性の首を押さえて死なせた事件を機にBLM(ブラックライブズマター)運動が全米に広がると、自らを「法と秩序の大統領」と宣言してデモ隊の強制排除に乗り出しました。 「法と秩序」は米国では奴隷制時代に黒人奴隷の反乱を制圧する際に使われたとされ、私がペンシルベニア州で取材した黒人青年は「黒人にとっては特別な含意があり、大統領が使えば『黒人を制圧せよ』と言っているのに等しく、警察は『殺してもいいんだ』と受け止めるでしょう」と怯えていました。 発言者であるトランプ氏の「意図」はわかりませんが、記事が指摘する「差別に加担する人々が喜ぶようなメッセージを送りつつ、差別的であると指摘されてもとぼけられるような発言」には当てはまるといえます。

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